第53話 これを始めたうちの一人
「やっほ~でっすー!!!」
アガルタ内部の白い空間に、ウララの声がこだまする。帰ってくる言葉は無い。
オズマさんは、抗体の送信元に、僕たちを導いた。
つまりここが、アガルタの深部だとは思うが、まるで何もない。
いっさいの
結構歩いたけど、地面はおろか、地平線にも、一切の何も変化が無い。
この空虚な世界に一人で放り出されたらヤバかったな。
「ウララさんがいてくれてよかった。僕一人だったら不安で、どうにかなってそう」
「はいです!私もフユさんがいてくれてよかったです!……あれ?」
するっと、僕の足にすり寄る、何かに気付いた。
あれ?何で君が?
「ワンちゃんでっす!あれれ?どこから来たんでしょう?」
僕はしゃがみこんで、彼の頭に触れる。
すっと僕の手にすり寄るようにしてくる彼。ずいぶん人懐っこい。
ふさっとした、薄い赤茶の毛並み。酉武遊園地に居た子だ。
そうか、君のデータもここに居たのか。
「……!」
いや、違う。背中に傷がある。塞がってはいるけれど……。
コピーじゃない。あのときの君と同じなのか?
ずっと一緒に居たのか?いや、深くは考えないようにしよう、きりがない。
アガルタの中のこの世界、きっと何でもありだ。多分これは――。
ワン!と一声吠えて、彼は確かな足運びで、僕たちの前を進み始めた。
「おぉっ!きっとあの子が案内してくれるでっすよ!」
「きっとそうだね。えっと、ありがとう」
「バゥ!」
僕らの足音に、彼の爪が白い床にあたる音が加わった。
彼について言って僕たちは走り出すが、明確な時間と空間の感覚は、この白い世界では得られない。いったいどれほど先へ進んだのだろう。
しばらく案内した先で、彼はその鼻を床に近づけ、何かを探っているようだった。
「ワフ!」
彼は鼻を近づけた地面を、その小さな両の手で掻いた。
「何か見つけたでっす?」彼女はおろしたフードに、首がひっつくまで首をかしげて、銀髪を揺らす。そして、何かを思いついたようだった。
「フユさん!きっとアガルタの中枢は、この下でっすよ!」
「ええ、この発想はなかったなぁ……」
中枢へ行くとは言ったが、まさか、物理的に掘っていくとはね。
いやそもそも、アガルタ自体が、ムチャクチャな存在なんだ。
だからこの世界に、僕らの常識を求めるのが、どうかしている話だったな。
とはいえ発想の転換どころじゃないな。きっと開発者が見たら怒るぞ。
抗体に見つかる前に、とっとと済ませてしまおう。
こんなの絶対に、怒られるだけでは済まない。
手当たり次第に掘り進めていくと、突然、ぼこりと底が抜けて、僕らはその中に落ちていった。「「わーっ!」」っと叫ぶ間に天地がひっくり返って、横が縦になって、平面が立体になる感覚を存分に味わった。
胃がむかつく感覚を、なんとか抑えつけて周囲を見る。
「気持ちわる、うえっ、目もチカチカする……ん?」
僕の手が触れたのは、英数字の混ざった、何かのコードが書かれた紙、それが貼られた金属の箱だ。それが無数に並んで、はめ込まれている床。
これはさっき見たばっかりだ、見間違いようがない。きっとここは、僕らが侵入を試みた、最初のアガルタが安置されていた部屋だ。
横に倒れていたウララさんを起こす。「きもちわるいでっす!」と言っていたが、体は特になんとも異常が無いようだった、よかった。
「あれ?ワンちゃんはどこいったですか?」
そうだ、犬がいない。彼はどこへ行ったのだろう。
銀色の箱が並んだ床から離れて、部屋の中を見て回るが、どこにもいない。
やるだけやって、また溶けて消えてしまったのか?
「彼はここにいるよ。ヴォルフが君たちを案内してくれたんだね」
僕たちがこの部屋に入るときに使った防爆ドア、そこからひとりの男性が、あの犬と一緒に現れた。
優しそうな顔をした、黒髪の長髪の白衣の男性だった。
「ようこそ、最初のアガルタへ」
彼は深くお辞儀をして、続けた。
「ここが始まりの場所。そして僕が、これを始めたうちの一人だ。」
ここには両手に謎の機械を握りしめたマッドサイエンティストも、ドクロのエンブレムを背負った悪の総帥もいなかった。
ただ少し、さびしそうな人がいただけだった。
★★★
「まずは自己紹介させてほしい。僕は理研のネクロマンサー、
「「ネクロマンサー!」」僕とウララの声がダブった。二人してお互いと華岡さんを二度見した。なんでネクロマンサーに出会えないと思っていたのだろう。
アガルタはその由来からいって、ネクロマンサーがいてもおかしくない場所じゃないか。
「はは、とにかく、君らはヴォルフにずいぶん気に入られているようで驚いたな。嫉妬してしまうよ」
ウララさんは僕の側にちょこんと座って、ヴォルフを抱いている。
彼女がくすぐると、本当にうれしそうにしているな。
「彼は、あなたが飼っていたんですか?」
「多分そうだね、彼が居なくなった後の事は、僕は知らないけれど」
そうか、彼が死んだ後の飼い主もいるのか、ええい!ややこしいな!
「さて、通常では考えられないほどの危険を冒して、ここまでたどり着いた君たちは、一体何を望んでいるんだい?」
「アガルタさんと出会って、えーっとお話をするです!」
「なるほど、では、お話ができたから僕は帰ろうかな?」
「えー!それはだめでっす!!」
「ごめんごめん、ええと……」
「ウララでっす!」
「フユです。ええとまず、華岡さんと、最初のアガルタは、意識を同じくするものと考えても、大丈夫なんですか?」
「一部はそうで、全体では違うかな。僕はアガルタの一部で、アガルタの意思に影響を与えられるけど、それはお願いに近いものだ」
「ただ、アガルタの中にある自我を、知識と同一視するのであれば、多くの部分を引き出せるね。その意味では同じくすると言える」
「えっと、繋がってはいるけど、僕らの意識にあたるような、明確な中枢はアガルタには存在しないというわけですね。」
「うう~、早速難しいでっす!」
「うーん……、そうだ、図書館が背中に乗っている自動車を想像してほしい」
「図書館でっすか?」
「うん!そしてその図書館に収められている本は、なんとお互いを読むことができて、新しく本を書くこともできるんだ!」
「わぁ!すごいでっす!」
「そこでは、いろんな本が調べものをして、お互いに話し合ったりして、新しい本を書いたりしている。そして、図書館のみんなが、海を見たいとか海を知りたいと思ったら、運転席のハンドルが、自動的に海へとハンドルを切る」
なるほど、大体イメージできた。
「おぉー!なるほどでっす!」
「本がヒトの自我のパターン、本の持つ、書き記したい、読みたいという、『欲求』が、意識や心と言った所ですか?」
「うん、おおむねそんな感じだね!」
「つまり、あなた自身は、閲覧者で、記述者に過ぎない」
「そうだね。」
つまり、彼はアガルタの意思の一部ではあるが、アガルタの意思決定をする者ではない。意志決定プロセスとしては、起きていることは、酷く曖昧だ。
意思決定というよりは、むしろ○○ブームと言った方が適切だ。
「僕らが危険を冒してまで、ここにきた理由。それは聞きたいことがあるからです。それは、アガルタを用いた首都圏の再生。その具体的方法です。」
「うん、それにはまず、アンデッドの事を深く知らないといけないね。君たちはアンデッド、U.N.D.E.A.D.について、どこまでの事を知っているかな?」
「僕は廃墟で見つけた、U.N.D.E.A.D.というパンフレットを持っています。今は手元にないですけど……。あれは翻案と聞きました。真実はどうなんですか?」
「なるほど、確かにあれには、表の顔と裏の顔がある。」
冗談めいて、手の平をひっくり返したりして華岡さんは微笑んだ。
「『U.N.D.E.A.D.』(Underwrite Nerve Digital Employee After Death)
直訳すると『死後のデジタル神経労働者の署名』。要は、死んでしまった人間の技能を死後に活用するシステムだね」
「誰もが労働から解放された自由な世界、アンデッドはそれを実現するために生まれた。でも好き勝手に使われたら、困っちゃうよね?」
「だから、U.N.D.E.A.D.登録して、そこにあるものだけが、使えるようにしたと?」
「うん。U.N.D.E.A.D.に登録された自我データは、利用された本人に収入が入る。全く利用されなかったとしても、他の自我の使用料金を財源として、法律上に規定された、収入が振り込まれるんだ。これが表。」
「なるほど、必ず収入が入るから、登録して損はないわけですね」
「そう!実際に働くのは、君たちのような細胞型オートマトンだからね」
「だけど、その前提が崩れたんですね?」
「そうだね。原理的にはヒトに近いモノができるなら……」
「ヒトも、モノと同じことができる、と?」
「そう、それはとても困ったことになった。本来の使い方と違う事がされた」
「どういうことでっすか?」
「ウララさん、所詮僕らは『モノ』なんだ。つまり、僕らの体は、元は白紙なんだ。でもヒトは違う。」
「ゴトン」と、何かの音がする。
僕はいったい何が起きたのかわからず、音のした方を見た。
すると部屋の中央にある、無数の銀の箱が収められた格納容器、それに変化が見られた。格納容器の中の銀の箱、そのうちのひとつが動いていたのだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、そして、動き出した銀の箱は数えきれなくなる。
箱たちはてんでバラバラに浮き沈みを繰り返し、音を立てる。格納容器の表面はでたらめに波打ち、不気味な地鳴りを演奏していた。
「ごめんごめん。久しぶりに外の人と会話できているから、興奮しているんだね」
「続けよう。U.N.D.E.A.D.は君らモノと僕らヒトでは、その意味合いが違うんだ」
「ヒトが他者の自我を共有する事、自分以外の誰かになる事。まさに夢の技術だね」
「だけど、他者の自我に直に触れる事、それは人の不可侵の領域、尊厳に押し入る事を意味する。実際に肉体に危害を加える、暴力以上のものだ」
「きっと、作るべきではなかったんだ。」
「でも、当時はそれが必要だったんですよね。きっと、ヒトの社会を維持するための労働者が――」
「いや、違うんだ、当時起きた事は、もっと悪いものだ」
「それを今から説明しよう――」
刹那、銀色の箱が一斉に止まり、部屋の中が静まり返った。
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