第38話 和尚さんとの問答
和尚さんの隠れ家は、想像した隠れ家とはかなり違っていた。
なにかこう、ソファーや何かの休むための家具があって、ちょっと武器や食べ物なんかを保存している棚がある。避難所とか、その程度の想像だったのだ。
ちらっと見た壁には、カタカタと音を立てて動くサーバーが並び、ランプの点滅を繰り返して、謎のマスゲームを演じている。
天井に視線を移すと、僕らの頭の上に、何本もの太いパイプがある。そこからは水の流れる音が聞こえ、そのパイプの伸びた先には、お化けみたいな大きさの浄水槽があって、小さな泡をぽつぽつと立てていた。
部屋の中央には、発光ダイオードの人工照明を使った、24時間体制で育成を行う、水耕栽培装置が並び、何かの果物や葉野菜がすくすくと育っている。
まさかこんな情景だとは。
これだけの機械を動かす電源を、一体何処から引っ張ってきてるんだ……?
「これ全部、和尚さんの?すごい隠れ家ですね。」
「ほっほ!そうじゃろそうじゃろ!」
ぽいんっという音がしそうな感じで飛び跳ねて、ソファに腰かける和尚さん。
水耕栽培装置の脇にあるそのソファは、緑の下地に赤と白の布で、継ぎ当てがされて、まるでクリスマスカラーだね。
「で、まだ答えを聞いてなかったの。何を持ってきたんじゃ?」
「まずは俺からだ。ほれ、補給品だ。茶、酒、あとは菓子。こんなもんでいいか?」
スキンクは膨れ上がったバッグから、ラベルのない缶、瓶、そしてタッパーに入った甘い香りの漂う、焼き菓子のようなものを和尚さんに渡す。
和尚は両手いっぱいになったそれを、脇にあった黒いプラスチックの買い物カゴの中に並べていった。
「ほほ、毎回助かるの。ほぉれ、これがヌシが欲しがってたもんじゃ」
無造作に投げられたフラッシュドライブ。
それをスキンクは事も無げに手に捕らえて、懐にしまった。
「急だったのに、助かるぜ。」
「ほっほ!」
あっ。僕らは、和尚さんへの手土産を、特に用意してないぞ。
ウララと顔を見合わせて、色々土産にできそうなものを、地べたに広げて見繕う。
金の鍵、U.N.D.E.A.D.と表紙に書かれた書類。赤いスピネルは……これは無いな。
カードキーは流石に……うーん、あとは見事にガラクタばっかりだ。
うん?ダメダメ!ウララさん!悲しそうな顔してラジオを出さないで!
「お前ら何してんの?」
「あ、いや、その……そういえば僕ら、和尚さんの話を聞くのに、手土産を用意してなかったなと」
「なーんにもないでっす!」
「あー。」
「ではこうしよう、おぬしが持ってきたのは、『謎かけ』としよう。どうじゃ?」
椅子に座り直した和尚さんは、僕らに向き直って次の言葉を待っている。
どうしよう?あまりくだらない話のできる、そんな雰囲気ではないが……。
僕らがクセノフォンさんに届けるべきものは、「廃墟で生きる心構え」。そんなところだろうか?
「では、うかがいます。和尚さんは人の住む街を離れて、何十年も廃墟で生きていると聞きました。それができたのは、何故でしょう?」
「はて、おかしなことを言う。ただ喰い、寝る場所が違うだけ、それの何が違うね?」
「街では『なれ果て』となったアンデッドに襲われることはありません」
「ほう!ではアンデッドと、なれ果ての違いとは何かね?そこにいるスキンクも、衛兵隊も、お主だって、誰かを襲うのは間違いはないぞ?」
確かに、襲う襲わない、そういった攻撃性だけで見たら、両者はそう変わらない。もっと正確に――
「彼らとは対話ができます。廃墟に居るなれ果てとは、基本会話できません」
「ほう、言葉が通じない、だから危険と、そう言いたいわけじゃな」
「はい。彼らは基本、僕らを見かけたら襲ってきます。野盗は金、衛兵隊は秩序を求めて。『なれ果て』はそれすらも無く襲って――」
――いや、彼らにも求めるもの、”それ”がある……。
(――アガルタよ!!)
「何か気付いた様じゃな。ではちょっとお前さんに、『区別する』ということについて、話をしてやるとするかの?」
和尚さんは僕らの前に、3つのボルトを並べた。そのどれもが同じ材質。廃墟でよく転がっているような、何の変哲もないものだ。
「さて、こいつは何じゃ?」和尚さんは、一番左のボルトを指さした。
「ボルト、ですね。」
「ではこいつは?」和尚はその隣を指さす。「ボルトです」僕は同じように答えた。
「じゃが本当は、左からボル子、ボル太、ボル郎じゃ。」
「いっぱいで覚えられないでっす~!」
「ほほ、何で覚えられないのかな?お嬢ちゃん」
「どれも、同じに見えまっす!」僕はウララの言葉に続く。「どれも同じですよね」
「じゃが、わしとっては、それぞれに違うボルトなんじゃ。おぬしらには、その区別がつかん様じゃがな」
並べ替えたら名前が変わりそうだけど?と思ったが、これはただの例えばなしだ。そんな無粋な突っ込みは必要じゃない。
「なるほど?僕らはこのボルトを区別するだけの、価値や差異を感じていない、だから区別の『言葉』を持たない、と?」
「なれ果てを射撃の的としか思っておらんなら、まあそうじゃろうな?」
「さて、お前さんは、なれ果ては言葉を持たぬといったな。それはこの3つのボルトに対して、おぬしらが見分ける言葉を持たんのと何が違う?」
……ん、確かに違わない気がする。区別、世界の見方が違う?
「違いませんね。言い換えれば、これは世界をどう見てるか、ですね」
「だとすると、僕らの見ている世界と、『なれ果て』が見る世界が違うから、僕らと彼らは、互いを異物と認識している」
そういえばトンネルのグールは、同士討ちをしていなかった。彼らは自分達という意識があって、何かで区別している?
「……フユ、お前すげえな。和尚の話にここまでついていった奴見たの、俺、初めてだわ。俺には正直、お前らが何を話してるかさっぱりわからん」
蛇が獲物を飲み込むように、大きく口を開けて、スキンクはあくびをした。
「で、つまりどういう事なんだ?」
「街も廃墟も、危険性は同じくらい。衛兵隊が、規則を守れば僕らを撃って来ないように、『なれ果て』の暗黙のルールを守れば、廃墟も比較的安全ってことですよ」
「だったらそう言えよ!!」
「なるほどでっす!!」
いやあ、ラグ・アンド・ボーンズの親父が、耳栓を持って行けと言ったのも頷ける。いくらなんでも回りくどすぎる。
ひどく観念的で、直感的ではない話に思える。
しかしひとつの事をめぐって、複数の世界を区別する事。
これは普段、僕らが無意識にやっている。
僕らは映画を見て、現実の俳優と、映画の中の世界を切り分けて考えている。映画の中のキャラクターが泥棒をしたからといって、現実の俳優が大泥棒とは思わない。
そういったような、同時に違う世界があるというのは、何となく理解できる。
映画の中に割り振られたキャラクターとしての人々、実際の生活をする人々……。
だが、映画の中の人々は、現実の俳優の生活を知り得ないし、逆に映画を見ていない人々は、映画の中で俳優を何をしたのか、知りようが無い。
そこには同じヒトがいるのにもかかわらず。
「ではその、『なれ果て』の持つルールとは何です?」
「ほ、簡単な事よ、わし等は奴らから見つからなければいい。連中は目にしたもの、耳にしたものに嚙り付く」
「それは結局、最初に僕が言った事、見境なく襲うと、変わらないのでは?いえ……意味の有無の違いはありますね」
「まあ、もっと世俗的な事を聞きたいなら、そう言いなされ。電気の確保の仕方、水の確保の仕方、食料の確保の仕方、安全の確保の仕方」
「お前さんの質問はぼんやりとしすぎなんじゃ。そりゃ、霞のような答えしか返ってこんじゃろう?長くなるから、茶を淹れるとするか」
「おっしゃる通りです……」
僕らは和尚さんから、数十年にわたって廃墟で得られた知見を教えてもらった。
発電機の効率的で安全な管理方法、水源の確保の仕方と、浄化装置の構造。水耕栽培や、畑の作り方。
そして「なれ果て」に対応した、安全な、音と光の管理方法。
正直言って、和尚さんからは想像以上のものが得られた。
僕は最後に一つだけ、和尚さんに聞いてみることにした。
それは、以前、僕がホテル・プロペラでメモ用紙と格闘して、あれこれと推論を繰りだしたが、まるでわからなかったもの。
アンデッドとは?なれ果てとは?
おそらくは、これまでに浮かんだ疑問の到達点になっているもの。
――そう、「アガルタ」とは何か?だ。
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