第32話 オアシス
犬が作る血だまり、僕はそこから動けなかった。膝に染みる血からはすっと温もりが失われていく。ああ、
僕が抱く犬は冷たくなって、息をする胸の動きも無くなっている。
ふと、視線を落とす、ぽつりと波紋のひろがった血だまり。そのなかに変化が現れた。赤黒く濁った色が、青く澄んだものにかわっていく。
記録映像でしか見ることがないような、空のような、深い、濃い青。
――きっとこれは、自我崩壊に伴う
だけど、僕の頭は警鐘を鳴らさなかった。「これ」はこのままでいい。
なんとなく、そう感じた。
血だまりは小さな青い池となって残っていた。僕は彼の体をその池に横たえる。
すると、躰は砂糖が水の中に溶けていくように、するりとその姿を失った。
僕の手の内には、彼の首輪、そして「金色の鍵」だけが残された。
血だまりになった水面を見る。青い、どこまでも続く青。
水面に映るのは透き通った紺碧の空に、羊みたいにまるっとした白い雲。
空を見上げてみる、そこにあったのは、いつもの緑がかった灰色の曇天。
なんて優しい
誰も傷つけることが無く。ただそこに、存在するだけ。
僕は何か、とんでもない間違いをしてしまったのではないだろうか?
カイさんが、端末を通してネリーさんと話している。
ウララは僕を心配そうに、その瞳で僕を覗き込んでいる。でもすべてが何か、遠い異世界で起きている事のように感じられる。
『――間違いないんやな?』
「はい、そうです。間違いありません、
「ウララちゃん、フユ君を頼むよ、きっと自我崩壊にあてられてる。軽傷みたいだから、きっと彼の名前と一緒に、声をかけ続けていれば、帰ってくるはずだよ。」
「はいでっす!」
――アッアッ、待って、それは恥ずかしい。すっごい恥ずかしい!
自尊心を守るために帰ってきた僕を、早速「おかえりでっす!」というウララさんの声が迎えてくれた。どうやら手遅れだったようだ。
あの犬が結局何だったのかはわからない。でもこの金の鍵が、本来の役割以上の役目を果たしたのは間違いない。
この鍵は遊園地全体のセキュリティトークン、つまり見た目通り、鍵の役割をしている。アトラクションエリアの操作は、金の鍵を持ってさえいれば、手を触れなくても認証が通って、ブレーカーの操作ができた。つまりこいつには通信機能がある。
これはアンデッドを操作するための指令の発信源を兼ねていたのだろう。というのも、ピエロ達はアンデッドではあるのだが、その実はロボットに近いようで、受信の為の電子部品が埋め込まれていた。恐らくこの鍵を通して、その行動を操作されていたのだろう。
ピエロたちは皆動かなくなっている。休眠状態とでもいうのか、生きているのに動く意思がない。そんなような状態になっていた。
しかし、連中がいつ動き出すとも知れないので、できるだけ始末しながら、僕らはネリーさんたちと合流することにした。
「しっかしひどい目に遭ったわ」
「まったくだぜ、頭がおかしくなりそうだった」
そうぼやく彼女らと塔で合流して、展望台を地面まで降ろすことにした。
管理室で電源の再接続の作業をして、降下させる。たったこれだけのことなのに、どっと疲れた。
展望台の中は、ちょっと想像していた具合とは違った。避難所にされて、缶詰の空き缶やペットボトルが転がっている、そんなのを想像していた。
しかし展望台の内部は、長時間の計算に耐えるワークステーションや、かなり高級な化学ステーションがある。ちょっとした
「まるで衛兵隊の研究室みたいだ。一体誰がこんなものを?」
「あんま触らん方がええかもな。ウチだったら、トラップ仕掛けるわ」
近くのものを触ろうとしたカイさんがびくっとして手を引っ込める。
確かに、こんなところに拠点を構えるやつが、まともな思考をしているとは思えない。とある連中を除いて。
「こんなところに拠点を構えるなんて、サバイバリストでしょうか?」
「どやろね?連中がこんだけ研究熱心とか、聞いたことあらへんわ。まだ野良のネクロマンサーが拠点にしてたとか、そっちのがあり得そうや」
「救難ビーコンはこいつやな。
「そんなにすごいんですかそれ?」
「バラして組み込めば、フィリピンまで飛ばせる攻撃型無人機が一機増やせるで」
「わぁ。」
ネリーはビーコンを停止させて、それを背負った。
なるほど、そんな貴重な物なら、衛兵隊が部隊を派遣するわけだ。
「良いものばかりですが、重量物が多いですね。回収のために本隊を呼びますか?」
「せやな、呼び出せ」
「ハッ」
「クズ拾いさんは喧嘩せんなら漁ってもええで。うちらはワークステーションとそこの化学ステーションをもらってくわ。後は好きにしてええで。」
「さっすがネリー、話がわっかる~」
「ね、他のカタブツじゃこうはいかないからね」
ケイジとライナの2人はネリーとの馴染のクズ拾いなのかな?
「僕らも?」
「ま、ええやろ。喧嘩で指が飛んでもうちらは知らんからな」
ネリーはえらい物騒な事を言うな……まあ多分平気でしょ。
本隊の到着を待つ間、僕は展望台のラボの中を見回る。その中で表題に「U.N.D.E.A.D.」とつけられた書類が目に留まった。
ぱらりとめくってみる。何かのガイドブックかな?保険契約の書類みたいに文字がいっぱいだ。しかし、これは何かの手掛かりになるかもしれない、一応、それをバッグの中に入れる。
あとは映像記録用のストレージか、これは何だろうな?端末で再生してみよう。
穴の開いた壁に人が並べられて、立たされている。ああ、これは……もう大体わかった。何か言っているな「シャー」、確か中国語で殺せ、とかそんな意味だ。炸裂音が続いて、バタバタと打倒される。銃声が止んだ後に響く笑い声。
そういえばホァンさんがいってたな、イン将軍の隠した物について。
……戦争犯罪の記録、か。
もはや何の意味もないはずだが、何のために保存してるのだか。しかし、この拠点を作った奴は、イン将軍のバンカーの一つを発見して、それを暴いたという事か。
どういうやつかは知らないけど、たいしたもんだね。
他にめぼしいものを探すが、特にめぼしいものは見つからない。
貴重な
戸棚の引き出しを引っ張り出して、その中……ではなく、引き出しを取り出した後の奥!おお!やっぱりね。なにか貼られているな……。
おお?カードキーだな。パンチの打たれたカードには、何かの電子部品が貼られていて、まるでフランケンシュタインの怪物みたいに改造されている。
ひょっとしたら、ワークステーションや化学ステーションを調達する時に、施設のセキュリティ突破に使われた改造鍵か?
なんかすごいもの見つけちゃったぞ?さすがにこれは売れないな。
そんなことをしてると、ネリーになぜか呼び止められる。ちょっと挙動不審過ぎたか?と思ったが、別件だった。
「フユ、ちょっとええか?」
「なんかもう、イキイキとした感じになってるから、別にええかなとも思ったんやけど……」
「えーっと、なんでしょう?」
「衛兵隊ではなく、個人として言う、皆を守ってくれてありがとう。」
「標準語は苦手なんや、これくらいで勘弁してな」
「……ネリーさん、ひょっとして励ましてます?」
「アホ。辛気臭い顔見るんが、気悪ぃだけや。調子乗んな」
しばらくして本隊が到着したので、もろもろを持ち出しにかかる。一部を除いて、速攻で金になりそうなものは見つからなかったが、たまにはこういう事もあるさ。
僕たちは荷物を抱えた囚人たちを護衛しつつ、再度ハチコクヤマの「灰の森」を抜けて、「航空博物館駅」に戻った頃にはもうすっかり深夜になっていた。
ホテル・プロペラで荷物をおろし終わったときには、僕とウララにはもう寝る以外の選択肢がない程度には疲れ果てていた。
まったく、本当に今日は死ぬほど疲れた。灰を落としたら、もう寝るとしよう。
★★★
ぐるぐるのバターになって僕はようやく気が付いた
思い出ではない、記憶ではない、心と体の一番奥底で唸っているもの
たぶん、どの命も最初から持って居る、いま、ぼくは世界そのものなんだ
ねえ、ぼくはやっと、きみを愛することができるようになったんだよ
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