第35話君のいない世界に、意味なんてなくて

 やっと言えた。言いたいこと全部伝えられた。だけど彼は、私の言葉を受け入れてはくれない。


「なんで急に帰るなんて……。警察が来たのなら、またどこか遠くでやり直しましょうよ。きっと僕たち二人なら、やっていけますよ」


 まだ、私と一緒に居たいと言ってくれる奏くん。だけど私は、そんな彼を突き放す。


「警察が来たからとか、そんなのは関係ないよ。前からずっと悩んでた。このままじゃダメだって。でも、私が弱いばっかりに、決断できずにいた。君と離れるのを恐れて、家族と引き離した」


「別にいいですよ、家族なんてどうでも……。僕は家族よりも、真由先輩と一緒に居たいんです」


 ああ、奏くんの発する言葉一つ一つが優しくて、泣きそうになる。だけど、年上の私がしっかりしなくちゃいけない。君とのけじめを、つけなきゃいけない……。


「それだけじゃないよ。もともとさ、無理なんだよ。奏くんは賢いから分かってたでしょ。こんな生活をずっと続けることなんて、できやしないって。現実ってのはさ、どこまでも残酷で厳しいものなんだよ。誰しも、いつか別れの日が来る。私たちの場合、それがたまたま今日だっただけだよ」


 現実が辛くて、夢が楽しいなら、この夢のような時間に終わりが来るのは道理だ。世の中の摂理で、抗えないものなんだ。

 いつだって、現実は辛くて嫌になることばっかだ。過去も、現在も、未来だってきっと……。この子と別れるのは、死ぬこと以上に辛い。私に生きる意味を教えてくれて、生きる楽しさを教えてくれた人だもん。死のうとしてた私に、生きるって道を示してくれた人だもん。


 そんな人とお別れするぐらいなら、私は……。


「ねぇ奏くん。前に私の家でやったインディアンポーカーのこと覚えてる?


「覚えてますけど……」


「ならさ、勝った方が負けた方になんでもお願いできるってのも、覚えてるよね。だからさ、そのお願い、今使わせてもらうね」


 お願いをすると、奏くんは聞きたくない様子で。


「なんですか?」

 と返事をくれる。この子に最後を見届けてもらえたら、もう、悔いはない。


「あのね。見ていて欲しいんだ。君に生かしてもらった私の、最後の死に様を……」


 そう告げると、奏くんはえらく動揺した。


「死に様って……。冗談ですよね?」


 私の発言が信じられない奏くんは、冗談かと疑ってくる。だけど私は、表情でこの発言が本気であることを伝える。

 私の目を見た奏くんは、それでも信じたくないといった様子で、確認するように聞いてくる。


「本当に、死ぬ気なんですか……?」


「うん。私の人生はさ、とっくに終わってるはずなんだよ。でも、君に生かされた。終わるはずの命を拾ってもらって、いつからか君の存在が、私の生きる意味になった。君がいたから、私は笑って前に進もうと思えた。だけどさ、君がいなくなったら、私が生きる意味なんてないじゃん……!」 


 心の中で混ざり合った、憤りとか哀しみとかの感情を、ただ八つ当たりのようにぶつける。


 何も見えない。君と離れるぐらいなら、死んだ方がマシだ!


 君に出会って助けてもらったあの日から、私は生きる目標と理由をもらった。けどさ、それがなくなってしまうぐらいなら、私はもう、消えたいよ。


 感情が爆発して、自分でもおかしいことを言ってるって思う。きっと誰にも理解されないと思う。私に感情を吐き出された奏くんは、それでも尚、私を説得しようとする。


「いなくなるって……ただちょっと、遠くに引っ越しをするだけです。確かに僕は携帯を持ってませんし、お金もないですから、気軽に連絡が取れないかもしれません。でもまた数年もすれば、今度は後ろめたさもなく、正式に二人で暮らせますよ!」


 魅力的な話。確かにたかが引っ越しって思うかもしれない。だけど!


「じゃあ、奏くんが向こうに行って、他の人と付き合わないって言い切れる? 絶対に私の元に戻って来るって保証できる?」


 自分で言ってて、本当にめんどくさい女だなって思う。こんなこと言ったら、嫌われるだけじゃん。でも私には、君と離れ離れになる数年間を、耐え凌ぐ自身がないよ……。


「君を笑顔で送り出してあげられなくて、本当にごめんね……」


 心のこもってない、上辺だけのごめんねを口からひねり出すと、私は彼の手首を引いて廃ビルから出て行く。

 足取りは重く、視界は狭い。雨に打たれ続けたせいか、寒さで感覚がなくなってきた。ちゃんと彼の手首を掴んでいるか確認をすると、しっかり掴めてた。奏くんはもう、私に何も言わない。最後に失望させちゃったかな。


 ごめんね、不甲斐ない先輩で。


 ごめんね、最後まで勝手な先輩で。


 ごめんね、頼りない先輩で。


 ごめんね、弱い先輩で。


 謝罪の羅列を心に刻む。謝っても謝りきれない。こんな最後になんて、したくなかった。

 本当はおばあちゃんになって、君に見送られたかった。


 雨はより一層強く降り注ぎ、私を攻め立てる。自分でも何がしたいのかわからない。ちぐはぐな言動だ。

 覚悟も決まらないまま、ただ感情に任せて進んだ道の先には、大きな橋があった。この大雨のせいで川は氾濫している。そんな川の上にある橋に到着すると、欄干に手をかけ身を乗り出す。


「ここから落ちたら、きっと助からないよね」


 私の言葉に対して、奏くんは何も返してはくれない。ずっと俯いたまま、何も言ってはくれない。

 覚悟なんか決まってない。でも、いいと思う。


 幸せってのは収束すると思う。ずっとずっと辛い思いをしてきた私に、神様が幸せをプレゼントしてくれた。だけどその幸せは、私の今までの苦しみを差し引いてもお釣りがくるぐらいの、大きな幸せだった。


 だから今の、幸せの絶頂期に私の人生の幕を閉じるのが、一番いいんだ。


 ここで人生の幕引きを迎えられて、私は良かった。でも、本能からか、体は一向に橋を乗り越えさせてくれない。

 怖い、怖いよ。でも、いいんだ。もうこれ以上、辛い思いはしたくないから。モタモタと飛び降りるのを躊躇っていると、一台のパトカーが私たちの元へやってきた。


 そのうるさいサイレンの音が、私を死地へと向かわせる。


「じゃあね。君の今後に幸があることを、私はあの世で祈ってるよ!」


 最後に下手くそな笑顔を見せて、橋から飛び降りようとする。だけど私の華奢な体は、川ではなく橋の上に転がり落ちていた。

 どういう状況だと確認すると、寝転がった私の体に、奏くんが抱きついて倒れていた。


「真由先輩が不安なら、僕が会いに行きます。真由先輩が辛いのなら、僕が慰めに行きます。真由先輩が離れたくないなら、何年後かに僕が迎えに行きます。あなたのおかげで今の僕がある。あなたのおかげで、僕は人生の尊さを知りました。だから死ぬなんて言わないでください!」


 本気の顔だ。本気で私に死んでほしくないって思ってる顔。この子にこんな顔させて、私は何やってるんだろう。そんな顔されたら、もう死ぬなんて言えないじゃん……。 


「君の……せいだ。何もかも、全部、全部……。手に入れた幸せを失う恐怖も、初めてできた大切な人と別れる辛さも、君に出会わなければ知らずに済んだのに……。

 君に出会わなければ、何も知らずに済んだんだ。

 君に出会わなければ、この膨れ上がるほど嬉しい幸せも、何者か分からずにいた自分というものも、知ることができなかった。

 君のおかげで、私は私を好きになれた。

 だから……ありがとう」


  私は雨にも負けないほどの涙を流しながら、奏くんに伝える。パトカーのサイレンと雨音が混じる中、私たちは涙を流しながら、お互いを強く抱きしめた。次に会うときは、もう絶対に離さないと誓い合うように……。

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