第34話大好きな君へ、ありがとうを

「え……?」


 私の意味深な発言に、彼は戸惑いを隠せず動揺する。でも、私の発言を追求する前に、ポツポツと水の雫がいきなり降ってきて、数十秒のうちに大雨へと姿を変えた。


 なんでこのタイミングで雨なんか……。


 唐突な大雨が、私の気持ちを代弁しているような気がした。突然な雨に襲われて、お祭りどころではなくなり、周囲の人々は逃げるように雨宿りのできる場所に避難を始める。


「私たちも雨をしのげる場所に行こ」


 濡れた手で奏くんの手を引くと、駆け足で雨宿りできそうな場所に向かう。パチャパチャと水たまりを踏み潰しながら駆け足で走る。だけど、雨宿りできそうな場所は軒並み他の人たちに奪われていて、私たちはずぶ濡れになりながら、走っていた足を緩めてネットカフェを目指した。


「いやー、まさかこんな大雨に襲われるなんて思いもしなかったよ。でも、花火が打ち終わってから降り始めたから、不幸中の幸いとは正にこのことだね!」


 うまくことわざを使ってみせたのに、ザーザーとうるさい雨音がノイズになってか、奏くんからの返事がない。そんな空気の読めない雨空を、私は見上げる。


 雨は好きだ。この雨音が、外の雑音を排除してくれるから。

 雨は嫌いだ。空から降り注ぐこの雨が、なんだか私の感情を表してるような気がするから。

 好きなのか嫌いなのか分からないものを見ていると、ブルっと身震いがする。風邪、引いたらどうしよう……。


 いや、どうでもいいか。もう、この未来のことなんて。

 雨風に打たれながら暗い空を歩き続けると、ようやくいつものネットカフェに到着した。よし、ここでシャワーを浴びたら言おう。今までの感謝と、お別れを……。


 沈んだ気持ちを悟られないようにネットカフェに入ろうする。だけどその手前で、不意に見知らぬ男性から声をかけられる。


「あのー夜分遅くにいきなりごめんね。もし良かったら、ちょっとだけ時間いいかな?」


 私に声をかけてきたのは、私より顔一個分ほど背丈の高い、警察の制服に身を包んだ男性だった。警察が一体何の用だ? 今は、この人の話に付き合う気分じゃないんだけど……。


 こんなタイミングで声をかけられ、イラッとする。今はそっとしておいて欲しいのに。でも邪険にするわけにもいかず、声色低く返答する。


「なんですか?」


 早く済ませろと言わんばかりに睨みつけるが、警察官は気づいてないのか声色を変えずに話し始める。


「いやね、実はこの辺で家出少年の目撃情報があってね。ツイッターとかよく見る? あれってなんでも拡散されちゃうからすごい時代だよね。まあだからこそ、こうして僕たちの仕事が楽になってる部分はあるんだけどね」


 長々とどうでもいい話をする警察官に嫌気がさす。なんなんだ一体。家出少年って、私には関係な……。自分で考え、ピンとくる。この辺で家出少年の目撃って、一人しかいないじゃん。


「この子なんだけどさ。見たことない?」


 そして私の予想通り、目の前の警察官は奏くんの写真を見せてくる。


 嫌だ……。


 こんな形でお別れ? 

 警察が介入して、無理やり離れ離れ? 

 そんなのってあんまりだよ。


 私と警察官が長話をしていると、後ろで黙っていた奏くんが話しかけてきた。


「あのー真由先輩。寒いんで先に戻っててもいいですか?」


 そんな空気の読めない発言をする奏くん。暗がりだからか、意識して見てなかったからか、警察官は今まで奏くんに気がついていなかった。だけど、彼が私たちの会話に顔を覗かせると、目の前の警官は。


「あれ?」


 と不思議そうに声を漏らし、手に持ってる写真と奏くんの顔を交互に見比べる。


「もしかしてだけど、君が八代奏太くん?」


「えーと、そうですけど……?」


 いきなり警察官に名前を聞かれた奏くんは、戸惑いつつも認めてしまった。なんて勘の悪い子だ。私たちの会話が聞こえてなかったのか。いや、でもちょうどいいか。こうやって無理やり引き剥がして貰うのが、一番いい方法だ。だからもう、これでおわか……れ……。


「あ、待ちなさい!」


 気がつけば私は、奏くんの手を引きながら全速力で走り出していた。何やってんだ私は。お別れするって決めたじゃん。もう迷わないって決めたじゃん。なのにまだ、浅ましくも奏くんと離れることをこの体が拒んだ。自分の思考と行動がグチャグチャだ。脳の思考回路がバグってる。


 雨に濡れ寒さで麻痺した手で、奏くんの手首をギュッと握り走る。

 今までの私は本気で走ったことがないんじゃないかと思えるぐらい、死ぬ気で走った。肺が破裂してしまうんじゃないかと思うほどの全力で走って、走って、ゴールのない道を走り続けると、私は古びた廃ビルに入った。


 ボロボロで、もちろん中には誰もいないコンクリートの塊。そんな場所に足を踏み入れると、私たちはペタンと尻餅を着く。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 これでもかってほど息が上がる。同様に走った奏くんも、かなり息を切らしていた。


「はぁ……はぁ……。なんで急に走ったりなんか……。何してるんですか?」


 私の行動に疑問をぶつけてくる奏くん。何してるのか、か……。


「ほんと、何やってるんだろうね……」


 涙袋が震えて、雨なのか涙なのか分からないものが目から零れ落ちる。

 寒くて重い空気の中、しばらく無言で息を整える。さっきの警察官は追ってきていない。

 あまり大ごとにはなってないといいんだけど……。なんでこんな時に、どうでもいい心配事をしなきゃならないんだろう。


 でも、ちょうどいいか。これでもう、離れる以外の道は絶たれた。ここでちゃんと言おう。「ありがとう」って。私が口を開き、奏くんにお別れの言葉を伝えようとする。

 だけどそれよりも先に、奏くんが口を開いた。


「あの、さっきの発言。どういう意味ですか……?」


 奏くんに声色には、聞きたくないと聞きたいが入り混じってる気がした。

 きっと彼も、私のこの後の発言が怖いんだ。声とか表情を見てれば、なんとなくわかる。私だって怖いもん。


 今から自分が発しようとする、この言葉が。でも、奏くんが同じ思いでいてくれるだけで、私は大満足だ!


 君に会えて良かった。


 君で良かった。


 君じゃなきゃダメだった。


 伝える言葉は重く、私の喉から出てくることを拒む。

 だけど吐き出さないと……。


 君と、私のためだもん。


「ねえ奏くん。家出をして私と過ごしたこの時間、君はどうだった? 楽しかった? それとも辛かった?」


「そんなの、楽しかったに決まってるじゃないですか。僕が生きてきた中で、一番有意義で、幸せな時間でしたよ」


「そう? なら良かったよ! 君がそう思ってくれるだけで、私の気持ちは報われるよ……」


「さっきから、何が言いたいんですか?」


「……もう、なんとなく分かるでしょ。君は賢い子だから」


「分かりたくありません……」


「はは、じゃあ分かってるじゃん。君にはさ、待っている人がいるんだよ。君のことを大切に思ってくれてる、大事な家族が」


「そんな人、いませんよ……」


「いるよ。君には大切な家族が居て、有望な将来がある。本当は、こんなところで私といちゃダメなんだよ」


「そんなことありません……」


「そんなことあるって。君は自分を過小評価しすぎなんだよ。もっと自信を持って。じゃないと、君に惚れた私が安い女みたいじゃん」


「………………」


「君には待ってる家族がいて、未来があって。でもここには家族もいなくて、未来もない。帰るには、十分すぎる理由だよ。

 だからはっきり言うね。奏くん、今までありがと!」

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