八代奏太は考える

第30話あなたは幸せを享受できてますか?

 もうすっかり見慣れた天井がぼんやりと映し出され、パッチリと形を帯びていく。

 今は何時だろう。ムクリと体を起こし、デスクトップに映し出された時間を確認する。十一時四十分。もうすっかり朝を通り越して、昼になろうとする時間帯。


 もうこんな時間か。今日は十二時半にシフトが入ってるから、もう準備しなくちゃ。


「真由先輩、朝ですよ」


 デスクトップに顔を向けたまま彼女を呼ぶが、返事はない。そういえば昨日、ヘソクリがどうとかで地元に帰るって話してたっけ。真由先輩のいない朝を迎えるのは、随分と久しぶりな気がする。あの人はいつも朝方にシフトを入れてる癖に、僕よりも起きるのが遅い。


 本当に困った先輩だ。世話の焼ける真由先輩だけど、そんな朝起きれないところも愛おしく思う。 

 この生活を続けて、はや三週間。もうすっかりネットカフェ生活には慣れ、実家で過ごした記憶が曖昧になってきた。

 

 幾ら何でも早すぎるか?


 でもそれぐらいこの生活は濃くて、向こうは薄かった。あの家で思い出せる記憶と言ったら、嫌になる程聞いてきた父親の怒鳴り声だけ。それ以上の記憶は何一つとして存在しない。


 やっぱりこっちに来てよかった。あの時の選択で、僕は正しい方を選んだと言い切れる。だけど真由先輩は違うのか、ここ最近ずっと何かを悩んでいる様子だ。


 まあ、なんとなく察しはつくけど。大方こんな生活をずっと続けてもいいものかと、くだらないことに頭を抱えているのだろう。確かに、未来のことを考えたら不安に思う気持ちはわからなくもない。けど、別にそれで食うのに困って死んだとしても、僕は何一つ後悔しないと言い切る自信がある。


 もし仮に僕が真由先輩と家出をしない選択をしたとして、多分今頃は家で一人勉強をしていると思う。そして新しい学校で新生活を迎えても、友人と呼べる人は誰一人として出来ず、社会人になっても惰性的で刺激のない生活を続け、最後は誰にも見送ってもらうことなく生涯を終えていく……。


 果たしてそんな人生に、一体何の意味があるのか。ただ生きるために生きていく人生に、何の価値があるのか。僕にはわからない。

 人生を生きる一番の目的とは、幸せを享受することにあると僕は考える。 


 結婚するのも、夢を叶えるのも、お金持ちになるのも、幸せを享受するための手段でしかない。

 だからこの生活を手放すぐらいなら、僕は死んだほうがマシだ。未来のことなんて知るか!


 ガキみたいに何も考えず、ただ今の幸せがずっと続くことを願う。

 こんなことを考えてる間にも時間は刻一刻と進んでおり、慌ててシャツに着替えて部屋を出ていく。寝起きだから食欲はない。でも何か口には入れたい。階段を降って下の階に降りると、僕はドリンクバーの横にある味噌汁のもとが入った小袋と、ホット用のカップを手に取り即席の味噌汁を作る。


 カップからから味噌汁のいい匂いがたちこめてきて、僕の胃袋を刺激する。フーフーと中の具材が揺れるぐらいの息を吹きかけ、ずずっと一口すする。熱い。舌が軽く火傷して、ヒリヒリする。でも時間の方もあまりないため、我慢してなんとか胃袋に味噌汁を押し通して、バイト先に向かう。


「おはようございます」


「あらおはよう」


 先に来ていた主婦のおばさんに挨拶を交わし、早速業務に移る。新人の僕がやる仕事は、基本的にレジ打ちか品出しのどちらかだ。

 今は平日の昼間ということもあり、客足はそこまで多くない。なので僕は、バックヤードに積まれているお菓子の品出しを開始する。バイトというのは今回が初めての経験で、最初は不安だった。だけども慣れてみると案外楽しくて、全く苦ではない。今の瀬カツのすべてが新鮮で、とても楽しい。


 幸せだ。誰にも、何も縛られず生きていく今の生活が。

 きっと真由先輩も同じように思ってるはず。だからもし、僕の将来を不安視して帰ることを悩んでいるなら、そんなものは捨てて欲しい……。

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