第29話幸せの指標
最近やたら平日の昼間っから学生を見かけるなと感じ、そういえば世間の学生は夏休み真っ只中じゃんと思い出す。この子たちは特に悩みもなく、この夏休みを悠々自適に過ごすんだろうな。
いいなあと嫉妬すると同時に、このままでいいのかなと不安な感情が刺激される。
もし夏休みが終わったら、私たちは本当に引き返せなくなる。その前に帰ったほうがいいんじゃないか。
何度も何度もそうやって自問自答するけど、私は帰るという選択肢を選ぶことができなかった。
やっぱりそれは、私が奏くんと離れたくないのと、奏くんも戻ることを望んでないから。それに、奏くんの話を聞く限りだと、親御さんも奏くんには戻ってきてほしくないと思ってるんじゃないかな。不出来な息子が勝手にいなくなって、せいせいしたって思ってるんじゃ……。
だから私は、このままの方がいいんじゃないかと自分に言い聞かせ、地元に帰る選択が出来ずにいた。
こんなこと、行く前からわかってたはずなのに……。
分かりきってたことで悩んでる自分が馬鹿らしくなる。でもやっぱり、今ある幸せを手放したくない。
苦悩し、迷っているうちに、早くも三週間の時間が過ぎた。
楽しい時間というものはあっという間に過ぎ去るんだなと、携帯に映し出されてる日付を見て体感する。
もう三週間も経ったの?
早すぎる時間経過に、私は驚きを隠せなかった。あの家を飛び出してから、全てが新鮮だ。
朝はバイトをして、夜は奏くんとネットカフェでゲームや漫画を見る。ただそれだけのことなのに、毎日が楽しくて、これ以上ないぐらい幸せだと言い切れる。私なんかがこんな幸せを享受していいのかなって思ってしまうぐらいに、充実している。
「はぁ……」
無意識にため息が漏れて、隣で漫画を読んでいた奏くんが心配してくれる。
「大丈夫ですか?」
パタンと漫画を閉じて私の顔を覗き込んでくる奏くんに、思わずドキッとする。
「別に大丈夫だよ~。ちょっと慣れない環境で、疲れが溜まってただけだから……」
咄嗟にそれっぽい言い訳をするけど、奏くんには通じないらしく。
「でも、最近の真由先輩ってずっと何か悩み事を抱えてませんか?」
悩んでることを見破られて、心臓が高鳴る。
「もし悩み事があるなら、僕に相談してください。力になれるかどうかは分かりませんけど、話ぐらいなら聞けますから」
ははっと笑みをこぼしながら言ってくれる奏くん。そんな彼の言葉が暖かくて、自然と頬が緩む。
「本当に悩みなんてないから、奏くんは気にしないでよ! ただちょっと、疲れてただけだからさ」
「ならいいですけど……」
奏くんは怪訝な表情をするけど、特に追求してくることもなく話はそこで終わった。
悩みなんてないと奏くんには口で言ったけど、やっぱりバレてるかな。
そもそも私と同じ悩みを、奏くんだって抱えててもおかしくない。
この子は賢いから、私なんかよりもよっぽど先のことが見えてるだろうし……。
でもそれを口にしないのは、やっぱり私に気を使ってるからかな。もしくは本当に、これからもずっと私と二人っきりで生活していくつもりだから、問題とすら思ってないとか?
奏くんが何を考えてるかなんて、私にはわからない。わからないのなら、やっぱり聞くべきかな。私は自分の悩みを悟られないよう、なんとなく奏くんに問いかけてみる。
「ねぇ奏くん。奏くんはさ、これからもずっと私と一緒に生活してくれるの? 帰りたいなーとか思ったりはしない?」
めんどくさい彼女みたい質問をしてみると、奏くんはきっぱり。
「はい。真由先輩が拒まない限り、僕はずっとここで生活していたいです。帰りたいとは、ここに来てから一度も思ったことないです」
自信満々に言い切ってくれる奏くん。嬉しい気持ちと同時に、でもやっぱりこのままじゃ良くないと思う気持ちが膨れ上がる。
奏くんって出会ったばっかの時はもっとネガティブだったのに、どうしてこんなにポジティブになったんだろう。むしろ私は、若干ネガティブになったような……。
いや、ネガティブっていうか、私のわがままで彼の将来を潰してはいけないと思ってしまうというか……。
もし彼が非行少年で、なんの未来もない子だったら全然いい。だけどそうじゃない。彼にはちゃんとした親がいて、彼はこれまでずっと勉強をして育ってきた。
しっかりと積み重ねてきたものがあり、将来がある。また悩ましい気持ちを隠せず、うーんと唸り声をあげると、奏くんが訝しい眼差しを向けてくるので、慌てて言い訳をする。
「あ、これは違くてさ。明日は私、バイトが休みなんだよ。でね、最近思い出したんだけど、私の部屋にはヘソクリがあるんだよ。五万円ぐらい。だからそれを取りに帰ろうかなって悩んでたんだ!」
咄嗟にペラペラ言い訳をすると、奏くんはジトーと見つめながら。
「別に何も言ってませんけど……」
口では何も喋っていないことを伝えてくる。確かに何も聞かれてないけどさ!
「いやいや、何か言いたそうな目を向けてきたじゃん!」
「向けてませんよ。なのに、勝手に真由先輩が早口で喋り始めて驚きました」
「わお辛辣。なんだか奏くん、私に対して当たりが強くなってない?」
「そんなことありませんよ。真由先輩が強く当たられてるって被害妄想をしてるだけです」
「ほらそれ! 昔の奏くんならそんなこと言わなかったもん」
「そんなことないですよ」
「あるよ!」
なんてことないやり取りをしてみて、奏くんが私にちょっとだけ生意気になったなって感じる。でもムカついたりなんてしない。むしろ嬉しいぐらいだ。それだけ私に対して気を許してる証拠だろうし。
やっぱりこの子と一緒にいると、心が満たされるなとつくづく思う。
親元を離れネットカフェで生活しながらバイトで食いつないでいく日々。
側から見たら、私たちはどう映るかな? 不幸な人間だって思うかな。私なら思う。だって貴重な学生時代に、こんなところで生活してるって馬鹿すぎるもん。
他の学生は夏休み真っ只中で悩みもなくエンジョイしてるのに、私たちはこんな狭い場所でバイト生活って、虚しいにも程がある。
でも、それでも良いって思える。
隣にいる奏くんを見つめていると、アイコンタクトで「なんですか?」と質問された気がするので、私は奏くんに聞いてみる。
「ねえ奏くん。奏くんは今、幸せ?」
いきなり変な質問をしてみると、奏くんは戸惑った様子ではぐらかす。
「唐突ですね。まあ、悪くはないですけど……。逆に真由先輩はどうなんですか?」
逆に聞かれて、考える暇もなく私の持論を答える。
「幸せの指標ってさ、低ければ低いほど幸せだと思わない?」
「まあ、一理あると思います」
「だよね。私は今までさ、いじめられてたから毎日、朝なんか来ないでくださいって思ってたんだよね。学校に行くのも、お母さんと顔を合わせて罵詈雑言を浴びせられるのも、寝るのも、何もかも辛かった……」
私が重い話を突然するけど、奏くんは何も言わず聞いてくれる。
だから私は、そんな彼にめいいっぱいの笑顔を向けて、自分の気持ちを言葉にする。
「でもね、今は違う。毎日君と喋れることが嬉しくて、ただ平穏な朝を迎えられるのが幸せで、こんな生活してるのに、私は他の誰よりも幸せだって言い切れる。だからありがとね」
改めてお礼を言ってみると、奏くんはこっぱずかしそうにお礼の返答をくれる。
「それは、どういたしまして……」
照れてる顔を隠すようにそっぽを向く奏くんもまた可愛いなと思いながら、明日に備えて電気を消す。
てか、奏くんのせいで私だけ地元に帰ることになったんだけど。
確かにヘソクリはあるけど、別に取らなくてもなんとかなりそうだし、めんどくさいからいいかなーて思ってたのに。
まあいいか。あって損するものでもないし、奏くんは明日バイトだから半日以上会えないし。
そんなこんなで私は、急遽一人で地元に戻ることになってしまった。
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