第26話拒絶と逃走

 ちょっと悲しそうに、だけど軽い笑みを浮かべながら言ってみる。

 いきなり僕が引っ越す旨を伝えると、真由先輩の顔からは笑顔が抜け落ち。


「え……?」


 唖然としたような言葉を漏らし、次の瞬間、半笑い気味で。


「じょ、冗談でしょ?」


 うまく笑えてない顔を作り、真実を否定しようとしてくる。どうやら悲しんでくれてるっぽい。それだけで僕は、満足だ。


「いつも冗談を言うのは真由先輩の方じゃないですか。申し訳ないですけど、これは事実です、ごめんなさい……」


 最後に謝罪の言葉を述べて嘘ではないことを知らせると、真由先輩は僕の袖を引っ張りながら、擦れそうな声で。


「やだ……やだよ……」


 今にも泣き出しそうな表情で言ってくる。


「私、奏くんがいなくなったらどうすればいいの?」


 まるでワガママな子供のような、懇願する表情を浮かべる真由先輩。


「どうって、別に今まで通りでいいじゃないですか。真由先輩はクラスにも友達ができたんでしょう? 僕がいなくても、問題ないですよ……」


 僕なんか居なくても、真由先輩なら今後もやっていける。でも、真由先輩が言いたかったのはそんなことではないらしく、真夏の空に響くぐらいの声量で。


「そう言う問題じゃないよ!」


 一際大きな声で、怒ってるような悲しんでるような発言をする。


「君のおかげで、私の人生は楽しくなった。君のおかげで、私は過去のトラウマを乗り越えることができた。君がいるから、もっと生きようって思えた。なのにさ、急にいなくなるなんてあんまりだよ……」


「そんなこと言われても……」


 真由先輩にまさかここまで思われてるなんて思いもしなかった。ありがたいことに、彼女の中で僕は大切な存在らしい。

 でも、嫌だ嫌だと言われても、僕にはどうすることもできない……。


「僕だって嫌ですよ。真由先輩と離れるのは、死ぬ以上に辛いことかもしれません。でも、どうしようもないじゃないですか……」


 辛いことから逃げ出したくても、どうにもできないことだってある。真由先輩が僕と離れたくない以上に、僕は真由先輩と離れたくない。もう、どうしようもないんだ。二人して明るい空とは真反対に、暗い感情に飲み込まれていると、真由先輩は思いついたかのように。


「じゃあさ、逃げようよ。二人して遠くに!」


 とんでもない提案をしてきた。


「逃げるなんて……。一体どこに逃げるって言うんですか?」


「そりゃまだ未定だけどさ、ここから離れた場所で、二人で暮らそうよ」


 突拍子もない真由先輩の提案に、僕は動揺を隠すことができない。ここから離れた場所で、二人で暮らそうって、そんなの子供の僕たちには無理だろう。でも、そんなことは真由先輩だって分かり切ってることだろうし……。真由先輩の瞳を見つめてみると、冗談なんかじゃない、嘘偽りない本気の言葉だと確信できる。


 つまりこの人は、本気で僕と逃避行をするつもりなのだ。あまりにも現実味のない話。

 だけど、このまま真由先輩と離れ離れになった挙句、父親と暮らし続けるぐらいならいっそ、逃げ出したほうが楽なんじゃないのか?

 例えこの道を選んで路頭に迷ったとしても、そっちの方が幸せなんじゃないのか?


 自問自答をすると、答えは簡単に見つかった。


「もし真由先輩が本気なら、僕はその提案、乗ってもいいですよ」


 前向きな回答をしてみると、真由先輩は嬉しそうにする。


「奏くんならそう言ってくれると思ったよ。よし! それじゃあ今夜にでも出発しようか」


 パチンと手を叩くと、真由先輩はフンフンと楽しそうに鼻歌を歌い始める。この人はいつも、思い立ったが吉日を体現していると言うか、すぐ行動に移す人だな。でも流石に、このことが本気なら適当に流すわけにはいかない。


「今夜って、どこに行くかも決めてないですし、お金とかどうするんですか?」


 僕たちだけで遠くに行く問題点を真由戦に質問する。だけど彼女は、能天気な様子で答える。


「そうだね……。お金は私の貯金と奏くんの貯金でなんとかするとして、行く場所に関しては、行き当たりばったりでいいんじゃない?」


 真由先輩は適当な回答をする。


「行き当たりばったりって、ダメですよそんなの。住む家もないですし、もっと計画的に考えないと、すぐにお金が尽きて飢え死にしちゃいますよ」


「あはは。じゃあそうなったら、奏くんとは心中するしかないね」


 僕が真面目に考えてるのに、彼女は笑いながら冗談を飛ばしてくる。いや、真由先輩は過去に自殺をしようとしていたし、あながち冗談ではないのかもしれない。

 まあとにかく、ここは適当に済ませていい問題じゃない。


「とにかく、どこで生活するかだけは決めましょう。田舎にするか都会にするか、せめて大まかにだけでも……」


 今後のことをあれこれと考えるけど、真由先輩はなぜだかいきなり得意げな顔をして、僕の言葉を遮る。


「まあまあ奏くん。実はさ、もうすでに行きたい場所の見当はついてるんだよ。こう言う時に備えて、あらかじめどこで生活しようか私なりに考えててさ。だから安心してよ!」


 彼女の自信満々な発言に、僕は驚く。なんだこう言う時って。真由先輩は一体、普段からどんなことを考えてるんだ? 

 なんで僕と二人で暮らすことを想定していたんだ?

 ツッコんだらいけないような気がして、僕はそのことに関して触れないでおこうと思う。


「じ、じゃあ、今夜どこに行くつもりですか?」


「あーそれはね、行ってからのお楽しみでさ。とりあえず夜の九時頃に最寄駅に集合でどう? 持ち物はお金と最低限の衣服を持ってきて」


「わかりました……」


 真由先輩にお別れの話をするつもりが、どうしてか真由先輩と逃避行をする話になった。だけど、これはこれでありなのかもしれない。

 惰性的で、何の変哲も無い、つまらない日常ばかりを過ごしてきた。親に逆らったことなんて一度もなくて、父親に叱られないよう生きていく人生だった。だけどもう、そんな人生は今日でおしまいだ。


 これからは真由先輩と一緒に、新しい人生を進んでいくんだ。そう思うと気分は自然と高揚し、これから起こる未来にワクワクした。

 きっとこの人となら、この先もなんとかなるだろう。いつもネガティブな僕だけど、真由先輩となら楽観的になれる。


 きっとここから先の人生は、僕が今まで送ってきたつまらない人生を帳消しにするぐらい、楽しくて嬉しいことが待ってるはず。

 僕は今夜の旅立ちを楽しみにしながら、真由先輩と別れて帰路につく。

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