第25話幸せは、突然に姿を消して
今までの人生を振り返ってみると、僕はなんてつまらない道を歩んでいたんだろうと思う。
ただ父親を満足させるためだけに勉強をして、それでも毎日嫌気がさす程の嫌味を言われ、他人と関わるのが嫌いになり、ずっと一人で何のためかもわからない勉強だけをやらされる毎日。
だけど今は違う。僕のことを見てくれる人がいる。
褒めてくれる人がいる。たったそれだけのことなのに、今までの不幸を帳消しにするぐらい、僕は今、幸せだ。
ずっとあの人と一緒にいたい。それ以上は望まないから、それだけを叶えてほしい。でもどうやら神様ってのは僕のことが心底嫌いみたいで、やっと訪れた幸福を奪い取るように、残酷な現実を突きつけてくる。
「奏太。突然で悪いんだけど、お父さんの転勤が決まったから、今度引っ越しすることになったの……。だから、学校のみんなには挨拶を済ませといてね」
普段あまり話しかけてこない母親から突然に告げられた言葉は、父親の転勤に伴って引っ越しをするという内容のものだった。
なんだよそれ……。
今までだったら別にどうでもよかった。だけど、今は違う。どこに引っ越すのか知らないけど、少なからず真由先輩とは離れ離れになることは確かだ。
僕は携帯も持っていないし、気軽に真由先輩と連絡を取ることができない。下手すれば、これで関係が解消されてしまうかも……。
ダラリと気持ちの悪い汗が滲む。そんなのは絶対に嫌だ。だから僕は、母親の言葉を拒絶する。
「無理だよそんなの。行くなら父さん一人で行けばいいだろ」
僕が言い返すけど、母親は申し訳なさそうな表情を作り、僕を説得してくる。
「でもね、お家を借りるのにもお金がかかるの。ほら、新しい場所も行ってみれば案外良いところかもしれないよ」
「……場所なんてどうでも良いよ。父さんも母さんも、いつも勝手だ!」
怒りを露わにすると、母親の言葉から耳を遠ざけるよう自室にこもる。
行きたくないと僕がいくら嘆いたところで、結局無意味なことはわかってる。十六歳の僕が一人で生活していくなんて不可能だし、あの父親に逆らうのは怖い。
現実を受け止めたくないけど、いくら僕の心を誤魔化しても意味なんてない。このこと、真由先輩にはなんて伝えよう。
もし伝えたら、悲しんでくれるかな。それとも、いつもみたいに笑って送り出してくれるのかな……。
悲しんでほしいな。
真由先輩が僕のことをどう思っているか知らないけど、真由先輩と離れるってなったら僕はすごく悲しい。だから彼女にも、僕と同じ気持ちになってほしいなと思う。
でも真由先輩のことだから、悲しい顔はしてくれない気がする。
あの人はいつも、笑顔で本当の顔を隠すから……。
明日になったら転勤の話がなくなりました。なんてことにならないかなと淡い希望を抱きつつ、僕は就寝した。だけど翌日、珍しく早起きをして部屋を出ると、今から会社に向かう父親と遭遇してしまい、去り際に。
「ちゃんと引っ越しの準備を進めとくんだぞ」
現実を突きつけられた。もう決まったことで、取り消せない事実なのは変わりようがないらしい。
陰鬱な感情が渦巻く中、僕は学校へと足を運ぶ。学校に到着して自分の教室に入ると、みんな夏休みの話題で持ちきりだった。
夏休みは何処に行くとか、誰と過ごすとか、浮かれていた。クラスメイトとは対極の気持ちを携えた僕は、一人隅っこで本を取り出し、羅列された文字を見つめる。
担任が教室に入ってきて朝のホームルームが始めると、開口一番に夏休みの話題を出して、クラス中がワーワーキャーキャーと盛り上がった。待ちに待った長期休み。浮かれた気持ちが表に出てしまうのは必然的だろう。純粋に浮かれてるクラスメイトを見ていると、羨ましい気持ちになる。
僕だって本来なら、この人たちと同じ気持ちでいれたはずなのに……。
なんでよりにもよって、今なんだ。こんなことなら、真由先輩と出会う前に転勤してくれればよかったのに……。
そう、一瞬だけ思うが、すぐに心の中で訂正する。
あの人と出会えたこと。これは僕の人生において、何よりも幸福だ。このことを自分自身で否定するなんて、あってはならない。例えもうすぐ離れ離れになってしまうとしても、この出会いにはものすごい意味があり、価値のあるものだ。
真由先輩と出会わなければよかったなんて、絶対に思ってはいけない。自分を強く戒めると、僕は真由先輩に伝える言葉を考える。
放課後になると、僕はいつも通り学校の屋上に向かって歩く。季節はもう夏真っ盛り。制服のブレザーを脱いで、シャツの袖をパタパタと仰ぎ胸元に風を送る。
やっぱりいい加減、話す場所を移したい。程よい涼しさを孕んだ人気のない場所がベストだけど、最悪人がいても暑さを凌げればもう……。
考えて、無意味なことだと思い出す。何を今さら考えてるんだ。もう、どうだっていいじゃないか。気の進まない足取りで、なんとか屋上に到着する。扉を開けると眩しい陽の光と熱が舞い込んできて、ダラリと頬に汗が伝う。こんな蒸し暑い屋上の中に、真由先輩は座っていた。
「こんにちは」
「こんにちは! 今日は礼儀正しいね」
体育座りで顔を火照らせた真由先輩が、元気よく挨拶を返してくれる。
「はい。たまには挨拶をしようかなと思いまして」
「うんうん、いい心がけだよ。やっぱり人とコミュニケーションを取る上で、挨拶は欠かせないからね!」
妙にテンションの高い真由先輩。やっぱり夏休み直前ってこともあって、浮かれているのだろうか。
「なんだかテンションが高いですね。いいことでもありました?」
理由を聞いてみると、真由先輩は僕の予想通りの回答をしてくれる。
「そりゃ、もうすぐ夏休みだもん。むしろこの時期にテンションの上がらない学生なんているの?」
「まあ、いないでしょうね……」
「だよね。でさ、早速なんだけど奏くん、夏休み花火大会に行かない? ちょっとだけ遠いんだけど、電車で一時間ぐらいの場所で、大規模な花火大会が行われるんだよ!」
何も知らない彼女は、テンション高く花火大会に誘ってくる。とても嬉しい。だけど僕は、もうすぐ引っ越しをしてしまう。伝えたくない。けど、どうせいつかはバレる話だ。
だからきっぱりと、伝えることにした。
「あの、そのことなんですけど、僕の父親が転勤することになりまして……。だからそれに伴って、僕も遠くに引っ越すことになったんですよ。だから花火大会は厳しそうです……」
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