第24話欲しかった言葉は、こんなにも単純で

 どうやら今日は真由先輩の方が先にホームルームが終わっていたらしく、太陽の日光に焼かれながら、汗だくで体育座りをして待っていた。


「やあ! 今日は私の勝ちだね」


「真由先輩と勝負をしていた記憶はないんですけど」


「あれ? そうだっけ」


 今日もまた、真由先輩の適当な言葉から会話が始まる。

 ほどなくしてから、真由先輩は突然思い出したかのように、テストの話題を振ってくる。


「そういえばさ、もうすぐテストだね。どう、勉強の方は?」


 いきなりテストの話題を出され、僕の心が締め付けられる。

 せっかく忘れようとしてたのに、いきなり現実に引き戻された。


「どうって、完璧ですよ……」


 自信なさげに言うが、真由先輩はジッと僕を見つめ、図星を突いてくる。


「うそだー。顔に自信がないですって書いてあるよ」


「書いてないですよ。真由先輩の幻覚じゃないですか?」


「いやいや、物理的な意味じゃなくてさ、精神的な意味でだよ!」


「精神的に書かれてるって、なんですかそれ?」


「もーわかってる癖に!」


 適当に誤魔化してると、真由先輩は激昂する。いや、激昂ってほどでもないか。なんなら怒ってすらかな。僕は人の感情を読み取るのが苦手だけど、中でも真由先輩は特別読みにくいなって思う。何故ならずっと笑っているから。

 

 多分何も知らない人がこの人を見たら、喜と楽以外の感情が欠如してるんじゃないかって思うはずだ。心の奥底は知らないけど、表面的にはポジティブな感情しか表さない人だ。まじまじ真由先輩の表情を観察すると、彼女は照れ臭そうに顔を背け、不意に突き放すようなことを言ってくる。


「まあそんなわけでさ、とりあえずテストが終わるまでは会うのやめよっか」


「え……」


 真由先輩の何気ない発言に、戸惑う。あからさまに動揺した僕は、悲しそうな感情を隠そうともせず、理由を聞いてみる。


「あの、なんでいきなり?」


 聞かれた真由先輩は、何故かちょっとばかし思考してから。


「私ってこう見えて頭悪いんだよね。だからテスト勉強しなくちゃいけないんだ。ごめんね!」


 ぱちっと手を合わせて謝ってくる。真由先輩って頭悪いんだ。

 なんだか親近感が湧いた。僕は謎の安心感を得ると、彼女の提案を承諾する。


「そう言うことなら、仕方ないですね」


「本当? ありがと~」


 真由先輩は申し訳ない素振りをしながら感謝してくる。てか、真由先輩よりも僕の方がまずいと思う。真由先輩に会ってからというもの、ろくに勉強できていない。ずっと真由先輩のことを考え続けていたせいで、勉強した内容が頭に入らなかったのだ。


 でも、真由先輩ともっと一緒に居たいという気持ちが先行して、勉強する時間をおざなりにしてしまった。だから真由先輩の方からこの提案をしてくれたのは、かえって良かったのかもしれない。


 この偶然に感謝して、僕も今日からテスト日まで勉強を仕上げなくちゃ。

 しばらく会えないと考えたら、なんだか今日は時間がゆっくりに感じた。

 これは僕の精神が、時間経過を拒んでいるのだろうか? わからない。ただとにかく、今日はやけに雲の動きが遅いなって感じた。


「それじゃあそろそろ帰ろっか」


 夕焼け空の下、僕らは互いに立ち上がると屋上を後にする。真由先輩と別れた僕は、速攻で帰宅して自分の机に向かう。勉強道具一式を机に広げ、無音の空間で勉強をしていると、やっぱり真由先輩のことが脳裏によぎる。


 あの清清しいビンタをかました真由先輩はカッコ良かったなとか、真由先輩の小さい頃の話を聞いてみたいなとか、どうでもいいことばかり考えてしまい、やっぱり勉強に集中できない。


 でも、勉強に集中できなくてテストの点数が悪かったですなんて、ただの言い訳でしかない。あの父親は、僕の過程や努力なんてどうでもよくて、結果のみを求めてる。


 だから死ぬ気で集中しよう。

 目の前の数字に。

 文字に。

 邪念を振り払い、なんとか問題文に目を通す。


 でも、イマイチ解き方がわからない。そもそも、最近は授業中ですらろくに集中できてなかったんだ。

 元から要領の悪い僕が集中力を欠いたら、何も覚えることができない。教科書に載ってる公式を当てはめてみると、普通の問題は解けるけど応用が解けない。


 でも、誰かに教えてもらうこともできないし……。明日本屋で参考書を買いに行くか。そうと決まれば、一旦数学は置いておくとして、社会の問題をやろう。


 ただの暗記科目なんだから、教科書の赤マーカーでなぞられた固有名詞を覚えるだけでいい。覚えるものの名前をひたすらノートに書く。それをザッと三時間ほど。

 腕は限界を迎え、手の側面は真っ黒に塗られている。かなりの文字を書き込みはしたけど、これが脳みそに定着するかは話が別だ。


 僕はあまり記憶力が良くない。覚えたことも、次の日には忘れてるなんてこともざらにある。だから明日もまた覚えないと。人よりも出来ない僕は、他人の倍努力しないといけない。

 それでも、父親に認められたことはないけど……。真由先輩なら「すごいじゃん」って言ってくれるのかな。


 でも僕は、賛辞の言葉がもらいたいわけじゃない。じゃあ何が欲しいんだ? 考えても、よくわからなかった。

 まあいい。とにかく今は、父親に怒られないよう勉強するだけだ。僕は机に灯されたデスクライトを消すと、バタッとベッドにうつ伏せで倒れこむ。


 明日は朝一で参考書を買って、放課後は……。真由先輩と会えないことを考えると、寂しい気持ちでいっぱいになる。最近は充実した時間を過ごせていたのに、夢から覚めてしまった気分だ。もしかしたらこの数ヶ月の間、僕は夢を見ていたんじゃないのか? 幸福な夢を。まどろみの中、もしそうなら一生覚めないで欲しいと願い、僕は瞼を閉じる。


 翌日の朝。僕は駅前の本屋さんで役に立ちそうな参考書を買うと、そのまま学校に登校する。

 学校に到着すると、誰とも挨拶を交わすことなく自分の席に着き、朝買った参考書を開き、勉強する。でも残念なことに、適当に選んだ参考書は名前に反して、あまり参考にはならなさそうだった。


 どうやらこれは、基礎がしっかり出来てる人向けに作られたものであり、僕のように基礎もまだまだな人間が手を出していい代物ではなかった。完全にミスった。普段参考書なんて買わないから知らなかった。役に立たないものを買ってしまいヘコむけど、気持ちを切り替えて勉強に臨む。


 とりあえず出来る科目を勉強しよう。英語と数学以外ならなんとかなる。 

 僕はこの二つを後回しにして、他の教科に取り組む。今日やった一日の授業には目もくれず、ずっと教科書の内容に取り組んでいたおかげで、なんとか内容を頭に叩き込むことができた。


 それでもまだまだ足りないけど、これならまあ六十点は固い。けどやっぱり、どうしても数学と英語がわからない。この二つだけは、人に頼らないと解けそうにもない。

 あまり人と関わるのが得意ではない僕だけど、その中でも特に、年上の人間と関わるのが苦手だ。どうしても父親の影がチラつくし、どう接していいのかわからない。


 だけど選り好みしている場合ではない。

 僕は意を決してほとんど喋ったことのない先生に、放課後の職員室で分からないところを聞きに言った。

 職員室で先生に話を聞いてみると、意外にも丁寧に教えてくれた。


 だけど職員室で勉強を教えてもらうと、僕なんかが先生の貴重な時間を奪って申し訳ないと思ってしまい、居心地があまりよくなかった。だから僕は分からない問題を数問だけ教えてもらうと「ありがとうございました」と言い残し、逃げるように職員室から出て行った。

 分からないところを全て教えてもらうには、あと二時間は欲しい。だけどそんなに長い時間、先生を拘束するのは気が引ける。


 どうすればいいんだ……。塾にも通ってないから、自力で解くしかない。

 だけど、どうしても自力では解けそうにもない。うーんと頭を抱えつつ、僕はなんとなく集中できそうな学校の図書室に向かう。

 ここなら集中できそうだし、後でもう一度先生に勉強を教えてもらうこともできる。


 他にいる生徒は図書委員の人だけだし、今の僕には最適の場所だ。そんな感じで図書室にこもって勉強をする。とりあえず、社会や国語なんかは暗記でなんとかなる。理科も半分以上暗記だし、これも平気だ。だけどやっぱり、英語と数学だけが行き詰まる。


 どうしようと考えれば考えるほど、集中力がすり減っていく。今のまま挑んだら、最悪平均点を下回るかもしれない。もしそうなったら、父親に何をされるかわかったもんじゃない。

 あの人は僕がいくら努力しても褒めないくせに、僕が失敗した時だけ酷い言葉を浴びせてくる。最低な人間だ。


 父親のことを思い出すとイライラする。なんだってあんな父親の元で産まれてしまったんだ。本当に神様は最悪だ。歯をギリギリと噛み締め怒りを露わにしていると、突然後ろから人の気配がして僕はバッと振り向く。


「わぁ! 急に振り向かないでよ~」


 後ろを向くとそこには、何故だか僕の教科書を覗き込んでいる真由先輩の姿が映る。


 一体なぜ? という疑問を聞く前に、真由先輩は自分から話し始めた。


「私も図書室で勉強しようかなーって思ってたら、ちょうど奏くんを見かけてね。大丈夫かなーて見にきたんだ」


 余計な心配をしてくれる真由先輩。嬉しい。だけど今は、真由先輩に構ってる余裕があまりない。そのせいか、ちょっとばかし棘の生えた言い方になってしまう。


「そうなんですか。僕のことはいいですから、真由先輩は自分の勉強に取り組んだらどうですか?」


「え、辛辣……。お姉さん泣いちゃいそう」


 わざとらしく泣き真似をする真由先輩。いつもならそんな姿も可愛いなと思うけど、今の切羽詰まった状況だとちょっとだけ鬱陶しい……。


「僕は勉強に集中したいんですよ。だから今は真由先輩の話に付き合ってる暇はないんです」 


 僕が真由先輩を追い払おうとすると、彼女は僕の教科書と問題集を見て。


「でも、奏くんここの問題でずっと止まってない?」


 痛いところを突いてきた。この人はいつから僕の後ろに居たんだ? こんな問題が解けないことを恥ずかしく思い、謎の言い訳をする。


「ちょうどこの問題で休憩してたんですよ。だからここは、今からやるところだったんです。決して分からなかったわけではないですから」


 僕が言い訳をすると、真由先輩は面白いものを見るような、にたっとした笑みを浮かべ。


「そうなんだ。じゃあ奏くんなら分かりきってると思うけど、その問題はこっちの公式を使うんだよ」


 ペラっと僕の開いてるページとは違うページを開いた真由先輩は、からかうように言ってくる。

 確かに、こっちの公式に当てはめれば普通に解ける……。 

 てか、真由先輩はなんでわかるんだ? 頭は良くないとか言っておいて、本当は頭がいいのか? 

 だとしたら、なんだってそんな嘘を? 

 僕は自分のわからないところを聞くついでに、真由先輩を試してみる。


「じゃあこっちの問題はどうやるんですか?」


 聞くと、真由先輩は一瞬だけ考えて。


「あーここはね、教科書のこのページに載ってるやり方をすれば……できた」


 僕があんなにも行き詰まっていた問題を、呆気なく解いてみせる真由先輩に驚愕する。なんだこの人。普通に頭いいじゃん。

 それから僕は、真由先輩を試すという大義名分で、自分のわからないところを片っ端から聞いた。僕が「じゃあここはどうです?」と質問すると、真由先輩は面白そうに答えてくれる。

 こんなやり取りをしていると、もうすぐ図書室が閉まる時間に差し掛かり、解散の流れになった。


「それじゃあ勉強頑張ってね」


「あ、はい。真由先輩も頑張ってください」


 ここで僕たちは別れ、各々自分の家に帰宅する。だけど僕は、今もらった知識が頭から離れる前に定着させたくて、あと三十分ほどで閉まってしまう図書室に戻って再度問題集を開く。


 真由先輩のおかげで、先ほど詰まっていたのが嘘のように解ける。これなら今回のテストはなんとかなりそうだ。

 自信満々なまま望んだテスト。結果的に言えば、平均点を大きく上回る点数が取れて、僕的には大満足の結果となった。

 これならあの父親も、何か一言ぐらい褒めてくれるんじゃないか。

 そんな淡い期待を抱いて父親にテストを見せてみるけど、もらえた言葉は。


「お前の学校だったらこの点数は低すぎる。本当にお前はダメな奴だ」


 なんてことない、ただの悪口。


 なんだよ。やっぱりいくら結果を出したところでこんなこと言われんのかよ。

 底知れぬ憎悪のような感情が渦巻き、僕は部屋の電気を決して横になる。

 




 翌朝。最低で最悪な気分のまま起床すると、いつも通り学校に行って、いつも通り授業を受ける。恙無い学校生活を終えると、僕は久しぶりに放課後の屋上に赴く。すると、先に着いていた真由先輩が手を振ってくれる。


「やあ。この場所で会うのも、ずいぶん久しぶりだね」


「確かにそうですね……」


「奏くんが全然来てくれないから、もう来ないのかなーって心配になっちゃったよ」


「真由先輩がテスト終わるまでは会わないようにしようって言い出したんじゃないですか」


「あれ、そうだっけ?」


「そうですよ」


 こんな感じで、久しぶりに会話をする。真由先輩と話せるのが久しぶりで、ものすごく心が踊る。 

 だけど真由先輩は、楽しい雑談が終わって少し空気が鎮まると、テストの話を振ってきた。


「そう言えばさ、どうだったテストの方は。ちゃんとお父さんに褒めてもらえた?」


 いきなり父親のことを聞かれ、僕は愚痴るように言いたいことを吐き出す。


「そんなわけないじゃないですか。いつも通りですよ。あの人は僕がどんなに努力して結果を残しても、何も言いませんから。そのくせ僕が失敗した時だけは、必要以上に貶してくるんです」


 真由先輩に愚痴をこぼすと、彼女は僕のことを慰めるように。


「それは酷いね。奏くんはこんなにも頑張ってるのに」 


 適当なことを言ってくる。真由先輩は気を使って頑張ってるなんて言ってくれたんだろうけど、僕にはなんだか無責任な言葉に聞こえて、ほんの少し悪態をつきたくなった。


「『頑張ってる』って、真由先輩も僕が何を頑張ってるかなんて知らないでしょう」


 嫌な言い方。言ってから、僕って性格悪いなと思う。だけど真由先輩は、こんな僕の目を優しくみると。


「知ってるよ。例えば奏くんが職員室で先生に勉強を教えてもらってることとか、私と解散した後に図書室に戻って勉強してたこととか。君のことは、私がちゃんと見てる《・・・》から」


 そんな嬉しいことを言ってくれる。誰も認めてくれず、誰も褒めてくれない。一体何のために努力して、誰もために頑張ってるのかわからないまま、ただただ父親に言われたことをやる続ける人生だった。


 だけどこの人だけは、僕のことをちゃんと見てくれる。ちゃんと褒めてくれる。この言葉が僕は何よりも嬉しくて、ずっと誰かに掛けてもらいたかった。この人のために頑張りたい。もっとこの人に認めてもらいたい。


 きっとここからだ。僕の中で、真由先輩が特別な存在になったのは……。

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