八代奏太の心変わり

第23話ガバガバでバカバカしい

 真由先輩と出会ってから、かなりの時間が過ぎた。どのぐらい時間が過ぎたかというと、僕が彼女に好意を寄せるには十分なほど……。

 家族以外の人間とここまで同じ時間を過ごしたのは初めてだ。


 なんなら喋った時間だけで考えたら、家族より長いかもしれない。

 希薄な人間関係を築き続けてきた僕が、初めて深く関わり合えた人だ。


 出会いは彼女の自殺から始まったけど、真由先輩は過去のトラウマを自ら克服して、もう自殺願望は無くなった。

 この数ヶ月の時間は、僕の十六年よりもずっと濃い時間だ。

 そんな濃密な時間を過ごした真由先輩に僕が好意を寄せるのは、必然であり当然だ。


 でも、この気持ちを悟られると、真由先輩は調子に乗るだろうから黙っておく。それに多分、真由先輩は僕のことを仲のいい後輩ぐらいにしか思ってないだろうから、いきなり好意を寄せられたら気持ち悪く思うだろうし……。


 ネガティブな感情になり、かぶりを振る。別にこのままでもいいじゃないか。

 放課後のちょっとした時間だけ、真由先輩と同じ時間を過ごせる。そのことが他の何よりも幸せだ。このままでいいんだ、このままで……。


 グッと気持ちを押し殺し、僕は冷静を装う。手元にある鞄を見ていると、いつからか日課になっていた本を読まなくなってしまったなと思い、懐かしむ気持ちで本を取り出す。

 本は今でも好きだ。ページをめくって、物語の世界に没入するあの高揚感は、今でも忘れられない。

 でも、真由先輩と話す楽しさに比べると、どうしても劣ってしまう。 


 真由先輩と出会ってから、ものの見方がいくつか変わった。他人と関わる人間を馬鹿だとは思わなくなったし、案外みんな、知らないところで苦労してるんだなって思った。

 前の価値観や考えが間違ってるとは思わない。でも、こっちの考え方も、ありなのかなって思うようになった。

 要は視野が広くなったのだ。


 人と極端に関わることを避けてきた僕は、およそ周りの人間が何を考え、どう行動しているのか知らなかった。だからアホみたいに騒いで、のうのうと何も考えないで生きているのだとばかり考えてた。

 以前は自分が世界一不幸な人間だと勝手に思い込んでたけど、案外僕は、まだ恵まれている方なのかもしれないと思う。だって、死にたいと思っていても、それを行動に移すまではいかなかったんだから。要は僕の辛いと思うことなんて、我慢できる程度のものだったんだ。


 僕の先輩は過去にとんでもなく酷い目にあってるのに、それでも気丈に振る舞って笑顔を絶やさない。本当に尊敬できる人だ。

 屋上で暇を持て余した僕は、手に持った本を見開く事もせず、ただただ真由先輩のことを考える。


 太陽の光がギラギラと輝いて、シャツがぐっしょりと汗ばんでくる。流石に屋上で駄弁るのもキツくなってきた。

 こんな炎天下に焼かれてまで、ここに居座る理由はない。でも、なんだか真由先輩と初めて出会った特別な場所って気がして、場所を移そうとはなんだか言いずらい。

 パタパタと襟を掴んで風を送ると、ギギィと鈍い音がして、屋上の扉が開かれる。


「お、珍しく先についてるね。感心感心!」


 真由先輩は偉そうな態度で僕の隣に座ると、風を手で扇いぎ自分の顔に送る。


「いやーそれにしても暑いね」


「ですね。流石に涼しい場所にでも移動したい気分です」


 ぐったりした様子で言うと、彼女はポンと握り拳を手のひらで叩く。


「じゃあさ、私の家に来ない?」


 名案でも思いついたかのように言ってくる真由先輩の言葉に、僕は動揺してしまう。


「え? でもいきなりお邪魔するのも失礼ですし……」


「この時間帯ならお母さんもいないから大丈夫だよ! ほら、そうと決まれば善は急げだ!」


 勢いだけで適当な日本語を使う彼女は、立ち上がり日差しから逃げるように屋上から出て行ってしまった。

 本気で真由先輩の家に行くのか? 

 あまりに突然のことで、心の準備が整わない。でも拒否する理由もないし、そもそも拒否権なんかないので、仕方なく彼女の後を付いていくことにする。

 廊下を抜け、下駄箱で靴に履き替え、校門を出て、いつもなら右に行く道を左に変える。


「真由先輩の家ってどこなんですか?」


「えーとね、ここを真っ直ぐ進んで、二つ先の信号を右に曲がって、また進んだ先にあるアパートに住んでるよ」


「なるほど……」


 聞いていて、今から行くのにどうして行き先なんて聞いたんだろうって、自分の質問に疑問を抱く。見慣れない景色に新鮮さを覚えながら、僕は真由先輩に付いていく。


「あ、ちょっとストップ!」

 

 真由先輩は突然に立ち止まると、体を近くにあるコンビニの方へ向ける。


「喉乾かない? 何か飲もうよ」


 彼女の言われ、確かにこの暑さで水分が随分と外に出てしまい、喉が潤いを求めていることに気がつく。


「はい。もうカラカラです」


「だよね。じゃあなんか買おっか」


 そうして僕たちは、真由先輩の自宅に行く前に水分補給をとることにした。暑い日差しに焼かれてダラダラと垂れ流れていた汗が、シャツをビシャビシャにする。

 

 だけどコンビニに入店すると、暑かった体が一瞬にして冷め上がる。ビシャビシャに濡れたシャツが、店内の冷たい風に晒されて凍えそうになる。

 

 さっきまであんなに暑がっていたんい、今は寒さで鳥肌が立つ。流石に冷えすぎじゃないか?

 ブルっと体を震わせると、二の腕を手のひらで擦り摩擦を起こす。


 肌寒い風に当たりながら奥にある飲料水コーナーに着くと、真由先輩はガバッと冷蔵庫の扉を開けてミルクティーを取り出す。


「やっぱりこんな暑い時には午後ティーだよね! 奏くんは何にするの?」

 

「僕は……」


 言われて、冷蔵庫に入っている飲料水を見渡す。ジュースからお酒まで幅広くある飲み物の中で、僕は無難に緑茶を手に取った。


「僕はこれにします」


「おお! なんかイメージピッタリだね」


「それはどうも……」


「あはは! 別に褒めてないよ!」


 彼女は面白そうに笑う。そんなに面白くないけど、まあつまらないことでも楽しそうに笑う真由先輩は、今に始まったことじゃない。くだらないことでもあんなに笑えるのは、素直に美徳だと思う。


 他に欲しいものもない僕たちは、レジで会計を済ませて店を出て、すぐに喉の渇きを潤す。


 ゴキュ、ゴキュと勢いよく胃袋に流し込むと、二人ともあっという間に五百ミリのペットボトルを飲み尽くしてしまう。


「それじゃあ行こっか」


 ペットボトルをゴミ箱に捨てると、当初の予定通り真由先輩の家に向かう。

 真由先輩が先ほど言った通りの道を進んで行くと、簡素な二階建ての木造建築で灰色に塗装されたアパートが目についた。


「あれあれ、あそこに住んでるの。どう? しょぼいでしょ!」


「いえ、別にそんなことは……」


「嘘だー。見るからにボロいじゃん。逆にあれを見てしょぼいって感想を抱かない人は、とんだうそつき野郎だね!」


「は、はぁ……」


 真由先輩の返しずらい発言に、僕は苦笑いで返す。まあボロいっちゃボロいけど、別に……。

 そこまでしょぼいわけじゃないって思ったけど、近くで見ると、所々ペンキの塗装も剥げてるし、鉄で出来た扉や階段の手すりが錆びついていた。


 流石にこれは、ボロいと思わざる思えない。でも口には出さない。

 真由先輩は下の階にある102号室に前に立つと、鞄から鍵を取り出し、ガチャっとドアを開ける。


「さあさあ、上がって上がって」


 真由先輩に通されて中に入ると、外装とは反して、中は普通に綺麗だった。

 決して広くはないけど、それでも暮らしていくには十分な広さがある。


「お邪魔しまーす……」


 女子の部屋になんか入るのは初めての経験で、緊張する。真由先輩の部屋は、玄関を抜けたすぐ側にあるドアの中にあり、入ってみるとまさに女の子って感じの内装をしてた。

 ベッドにはピンクのシーツと毛布が掛けられており、床には可愛いキャラクターものの絨毯が敷かれたあって、それがまた女の子らしさを演出した。


「さーて、何しよっか? といっても、なんもないけど」


 彼女は笑いながら適当に机の引き出しを開け、ガサゴソと中身を物色する。


「あ、これなんてどう?」


 散々机の引き出しを漁って出したものは、何の変哲も無いトランプだった。


「トランプって、二人でですか?」


「うん。普通トランプと言ったら二人じゃ無い?」


「そうですか? 僕は四人ぐらいで遊ぶイメージですけど」


「いやーそれは大富豪とかの話でしょ。トランプには色々な遊び方があるからね。二人で遊ぶのに適したものもあるよ。例えばこれ!」 


 真由先輩は一枚のトランプを手に取ると、おでこに掲げる。


「インディアンポーカとかどう? 面白そうじゃない?」


 まさに名案とでも言いたげな彼女の顔が、若干鼻につく。てか、インディアンポーカーこそ二人用では無い気がするんだけど。これは複数人でやるから駆け引きが成立するのであって、二人だとただの運ゲーだ。


「一番無いですね。全く、真由先輩のセンスにはガッカリです」


 直球で言うと、彼女はブスッと頬を膨らませ、怒る仕草をする。


「そんなのやってみなきゃわからないじゃん! やりもしないで否定するの、お姉さんはよく無いと思う」


「でも……」


「いいから。ほらほら、奏くんも一枚引いて」


 強引にカードを一枚引かされ、真由先輩に倣うよにしておでこにカードを掲げる。真由先輩が掲げているカードには五の数字が書かれており、とてもじゃないが負ける気がしなかった。

 でもとりあえず、このゲームの醍醐味でもある心理戦を仕掛けてみないことには始まらない。そう思っていた矢先、真由先輩が先制攻撃を仕掛けてきた。挑発するように笑みを浮かべて。


「んー奏くんの手は弱いなー。降りた方がいいんじゃ無い?」


「そういう真由先輩の方こそ、だいぶ弱いカードですよ。僕はあなたと違って正直者なんで、早く降りた方が賢明です」


「む。それはなんだか、遠回しに私が嘘つきだって言ってるの?」


「そう聞こえませんでしたか?」


「ふふ。言うようになったね奏くん。でも私は何を言われたって、絶対に降りないよ!」


 こんなやり取りをしてると、このゲームの致命的な欠陥が見えてきた。

 そもそもの話、僕たちはこの勝負に何も賭けていない。と言うことは、降りる意味もないし、何も賭けてないから駆け引きもクソもないと言うことだ。いくら相手の数字が強くても、勝負するリスクが何もないのなら、それは勝負にならない。

 何かを失うかもしれないリスクがあって、初めてゲームは成立すると思う。


「あの、せめて何か賭けません? じゃないとただの運ゲーですよ」


「あー確かにね。じゃあそうだなー。定番だけど、負けた方は勝った方の言うことはなんでも一つ聞かなきゃいけないってのはどう?」


「いいですけど、降りたらどうなるんですか?」


「そうなったらやり直しかな? まあ私は降りる気なんてさらさら無いけど!」


 弱いカードの癖に、自信満々で勝負を挑んでくる真由先輩。当然僕だって降りる気は無い。負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞くか……。

 一見自由な願いに聞こえるけど、僕からしてみれば制約だらけだ。なんでもってのは、僕みたいなビビリで常識のある人間からしてみればなんでもじゃ無い。あくまで常識の範疇を超えない程度で、節度を守ったお願い。


 逆に真由先輩のような、ズカズカと臆することなく物事を言える人にとってみれば、なんでもは本当になんでもだ。

 彼女がもし勝ったとしてどんなお願いをしてくるかわからないけど、絶対にろくなものじゃ無い。

 だから僕は、真由先輩を降りさせるように心理を揺さぶる。


「本気で勝負するんですか? なんでもって真由先輩が口にしたんですから、僕は本当にとんでもないお願いをしますよ」


 一丁前に脅してみるけど、彼女は臆さず。


「おお、それは怖いなあ」


 ニヒッと笑い、次は彼女が仕掛けてくる。


「まあでも、正直に言うと奏くんのカードって最弱なんだよね。だから私のカードがどんなに弱くても、絶対に負けることはないんだ」


 運が悪かったねと付け足し、僕のカードを残念そうにみてくる真由先輩。

 これは、押してダメなら引いてみろってやつか? 僕のカードが最弱なことを伝えて、降りさせようとしてる……? 


 でも待て。もし僕のカードが最弱の数字だとしたら、いちいち言わなくないか?


 必ず引き分け以上に持ち込めるなら、僕にはなんとしてでも勝負してほしいはず。つまり裏を返せば、僕のカードは最強ということだ。

 真由先輩に裏の裏を読むような思考はないだろうし、僕のカードが強いことは確定的!


「ふふ、墓穴を掘りましたね真由先輩。今の発言、自分から僕のカードが強いって言ってるようなもんですよ」


「じゃあ勝負するってことでいいの?」


「はい、もちろん」


「じゃあいくよ。せーの!」


 バッと頭にあるカードをお互いに見せ合う。真由先輩は、自分のカードに書かれて数字を見て、ふぅーと安心する。逆に僕は、自分のカードを見て愕然とする。


「え? な、なんで一なんですか」


 なんと僕のカードには、真由先輩が言った通り最弱の数字である一の文字が刻まれていた。


「だから言ったじゃん。いやーやっぱり人を疑ってかかるのは良くないね。奏くんが純粋で疑り深くない性格だったら勝ててたのに、残念!」


 勝ち誇りながら僕の敗北を突きつける真由先輩。どうしても先ほどの発言の意図が読み取れず、僕は素直に質問してしまう。


「ど、どうして僕の手札が最弱って言ったんですか?」


「ん? そうしたら奏くんが勝手に深読みして、勝負に乗ってくるかなって」


「……もしかして真由先輩って、実は天才ですか?」


「あは、バレちゃしょうがないね。何を隠そう私は、一億人に一人と言われる、I.Q一万の持ち主なんだよ!」


 ドヤッと馬鹿げた発言をしてくる。僕はこんな人に心理戦で負けたのか。

 初めて勝負事で負けた時の悔しさを実感する。スポーツで負けた人たちも、こんな気持ちだったのかな。これから試合を見るときは、負けた人にも感情移入ができそうだ。敗北者に成り下がった僕は、悔しさで歯を噛みしめる。


 こんなくだらないゲームで悔しそうにしてみるけど、真由先輩に慈悲の心はないらしく、不敵な笑みを浮かべ不穏な言葉を発し出した。


「さーて、じゃあどんなことをお願いしちゃおっかなー」


 いつも笑ってる彼女の悪人顔は、ギャップがありより不気味さがましている。


「あの、常識の範囲内でお願いしますよ。間違ってもコンビニ強盗をしろとか、そう言った無茶なお願いはやめてくださいね」


「奏くんは私をなんだと思ってるの!? そんなお願いしないよ!」 


 彼女はプンスカとわざとらしく頬を膨らませる。あれやこれやとブツブツ独り言を呟き、散々焦らし。


「じゃあそうだなー。一旦保留で!」


 考えに考えた末、彼女はお願いを保留にしてきた。まあ、今すぐに決めろというのも難しい話か。でも出来れば早めに決めてほしい。僕は何をさせられるんだろうと毎日悩み続けるのは、精神面でかなりの悪影響を及ぼすことになると思うから。

 真由先輩のお願いにビクビクしながら、僕は彼女の家を出て行った。


「じゃあまた明日」


「うん、また明日」


 ヒラヒラと手を横に振られながら見送られ、僕は帰路につく。初めて女子の家に行った。しかも真由先輩の……。

 なんだか得体のしれない背徳感に今さらながら襲われ、ドキマギとする。別に悪いことをしたわけじゃないのに……。


 鼻腔の奥に引っかかっている彼女の部屋の匂いが、罪悪感と鼓動を加速させる。スーッハーと夏の蒸し暑い空気を肺に取り込み、吐き出す。

 鼓動の速度は正常に戻り、熱くなっていた頬は冷たくなる。夜だというのに、もうすっかり暑い。明日の放課後も、真由先輩の家に行くのだろうか? 


 僕としては、あの屋上は暑いし、かといって真由先輩の家は何度も押し掛けずらいというか。そもそも他人の家に何度も上がらせてもらうのは、申し訳ない。かといって僕の家には、母親がいる。

 となればあの屋上に変わる、何か新しい場所を探したいところだけど……。出来れば涼しくて、人気のないような場所が。

 でも、そんな都合のいい場所なんて簡単には見つからないよな。足は止めずに、いい場所はないか脳内で模索する。

 でも結局見つからず、僕は次の日もいつもの屋上に足を踏み入れていた。

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