第16話後悔と誘い

「………………?」


 目が覚めると、いの一番に奏くんの下顔が私の目に映った。

 

 あれ?  

 

 どういう状況?

 

 外は真っ暗で、街灯とビルの灯りがポツポツと光っているだけ。肌寒い風がビューと吹き荒れていて、ここが外だと実感させられる。

 えーと確か、私は奏くんとデートをしていて……。

 断片的に記憶を探って、やっと事の経緯を思い出し、気分を害する。そうだ、私はあの交差点で雅さんと出会って意識を失ったんだ。


 頭の中に濁流のごとく流れ込んでくるトラウマが、私をまた、死への道へと誘う。てか、どこだろうここ。なんで私は、奏くんの顔を下から眺めてるんだろう……?


 ポケーと五秒ほど冴えない頭で考えると、頭に柔らかい感触を感じた。

 もしかして私は今、奏くんに膝枕されているのか!? 

 慌てて体を起こすと、奏くんは。


「あ、おはようございます」


 なんとも呑気な挨拶をしてくる。あぁ、恥ずかしい。いきなり気を失った挙句、後輩の男の子に膝枕されるとか、先輩としての威厳がなくなったよ。

 私は慌てて体を起こすと、恥ずかしさから若干目を伏せて奏くんと会話する。


「あはは、なんかごめんね。恥ずかしいところ見せちゃった……」


「いえ、気にしないでください」


 会話はそこで止まり、気まずい空気だけが流れる。

 どうしよ。いつもなら、特に気にせず話しかけられるのに、今はなんだか何も話す気にならない。

 奏くんはさっきのこと、どう思ってるんだろう。多分だけど、なんとなく状況は察してると思う……。


 悪口を言われて過呼吸になったかと思えば、いきなりその場で倒れこむとか、もう完全に消えないトラウマを植え付けられてる人じゃん。

 情けない先輩って思ってるかな。さっきも偉そうに友達の作り方とか教えてたのに、本当は昔いじめられてましたとか……。

 奏くんにだけは、知られたくなかったな。

 このままずっと隠し通して、そのままいつか、忘却する日を待っていたかった。


 だけど、知られちゃった。


 ならいっそ、ここで全部ぶちまけちゃおうかな。このままごまかし続けるのも違うと思い、私は中学での出来事を全て話そうと思った。

 けど、それよりも先に、奏くんが口を開いて話し始めた。


「真由先輩。死にたい時って、どんな時だと思いますか?」


 突然聞かれて、私はあの時の心情を思い出す。


「それは、生きてることに疑問を抱いた時じゃないかな?」


 私があの時の思いを伝えると、彼はなるほどと頷く。


「確かにそうかもしれないですね。でも僕はちょっと違くて、この先に未来が見出せない時に、人は死ぬって選択肢を取ると思うんですよね……」


「まあ、それもあるかもね」


 やっぱり空気は重くなると、奏くんは私に何も聞かず、ただ独り言のように自分の生い立ちや今までの人生を、もう一度語り始めた。

 優秀なお父さんを持った家に生まれたこととか、そのお父さんに過度な期待を背負わされて、お父さんの望むような結果が出せなかったこととか、誰からも認められない人生だったとか、前に奏くんが話してくれた内容を、もう一度……。


「つまりですね、僕も真由先輩と同じで、いつ死んでもおかしくない人間なんですよ。ずっと父親の言いなりな人生で、やりたくもない勉強をやらされ続けて、その上『無能』とか『出来損ない』とか人格否定までされて……。

 苦しくて、つまらない人生でした」


 哀愁を漂わせた奏くんは、辛そうにな表情を浮かべる。だけど次の瞬間、にこやかな軽い笑みを浮かべた。


「でもですね、ある先輩と出会ってから、僕の人生はちょっとだけ面白くなったんですよ。その人と話すのが楽しみで、生きることが苦しくなくなって、もっと一緒にいたいって思わせてもらったんです。だから僕は、そんな真由先輩に恩返しがしたいんですよ。真由先輩には笑っててほしい。あんな顔はしないでほしい。だから僕に、愚痴を聞かせてください。人に話すだけでも、だいぶ楽になると思うんで……」


 奏くんの長い独り言を聞いた私は、心がギューと締め付けられるほど痛くなる。それは嬉しさからか、今までの辛い気持ちを思い出してしまったからか、わからないけどとにかく今は、全てを吐き出したい気分だ。

 だから私は、余すことなく全て吐き出すことにした。


 両親が離婚してから、お母さんにDVまがいのことをされていることも、クズ男のせいで、本命彼女からイジメを受けていたことも、何もかも吐き出してやった!


「おかしいよね。私は何にもしてないのにさ、みんな勝手だよ! ずっと人から好かれるように振舞ってきたのに、どうして私ばっかりってずっと思ってた! どうしてみんな、私を傷つけるんだろうってずっと恨んでた!

みんな見て見ぬ振りばっかで、誰も助けてくれないし……。

本当に、ひどいよ……」


 言ってるうちに、目頭が熱くなって涙が溢れてきた。思ってること、吐き出したいこと全部言った。履いているショートパンツを力強く握る拳に、私の涙がポツポツと垂れ落ちる。私の方が先輩なのに、かっこ悪いな……。


 人前でこんなに本気で泣いたのは初めただ。多分ブサイクな顔してるな。

 私はベンチに座ったまま、顔をうずくめる。すると、奏くんが優しく背中を撫でてくれた。

 気を使ってくれたのかな? でも普通、こういう時って……。

 私は顔を上げると、目元をゴシゴシと手で拭い、女の子の扱いに慣れてない奏くんに。


「こういう時は普通、頭を撫でるもんだよ」


 してほしいことを教えてあげる。すると奏くんは照れ臭そうに。


「すいません。頑張ったんですけど、これが限界です」


 なんて可愛らしい反応をくれるので、思わず本気の笑みをこぼす。きっとここからだ。私の人生に、彼の存在が必要不可欠となったのは。隣で背中を撫でてくれる奏くんに寄りかかってみると、彼は照れながらも抵抗せず、そのままの姿勢でいてくれた。

 誰かに寄りかかるのって、こんなにも落ち着くものなんだ。初めて知った。もう少しだけ、このままでいたい。こうしとくと、嫌なこと全部忘れられそう。


 だけど時間というのは有限で、十分ほど公園で体を休めると、私と奏くんはお別れをした。名残惜しい気持ちを抱えて駅に向かうと、ホームにある椅子に腰掛け電車を待つ。夜空には星々が点々と光っていて、煌びやかな光が私の淀んだ感情を浄化してくれる。

 ガタンゴトンと遠くから迎えにきてくれる電車に乗ると、扉の車窓から眼下にいる町や人々を眺める。いろんな人がいるなって思う。サラリーマンに、学生、際どい格好をした夜職っぽい女性。


 いろんな人を眺めて、この人たちは死にたいって思うことがあるのかなって、変なことを考える。

 今日、久しぶりに人生の辛さを思い出した。


 最近はやっと忘れかけてたのに、あの声を聞いただけで、全身の震えが止まらなくなった。ギュウギュウに敷き詰められた電車に揺られてから家に到着すると、無気力なまま布団に包まる。もう何も考えたくない。

 だけど、ベッドでうずくまると雅さんの声が脳内に響き渡る。


 黙れ黙れ黙れ! 

 忌まわしい声を遮断するように耳をふさぐ。思いっきり耳をふさぐと、髪の毛と耳が掠れ合わさる音がした。それと、雅さんの声も……。


 一人ぼっちの無音な空間で何もせず目を瞑ると、あの頃の光景が脳裏に焼き付いて離れない。悪口や嫌がらせの数々。

 あの地獄のような日々が、何度も何度も頭に反芻する。


 卒業式の日には、やっとこの地獄から解放されると一人校舎裏で泣いたものだけど、結局あの悪夢に苛まれ続けてる。日常生活でも他人と関わるのが怖くて、未だに友達と呼べる人も奏くんしかいない。


 また、嫌なことを考えてる。一度考え始めると、負の連鎖がどんどんと加速して、鬱病が悪化しそうになる。だから私は、無理やり脳の思考を停止させると、両耳にイヤホンを装着して、大好きな音楽の世界に身を投じる。


 やっぱりいいな、音楽は。音楽を聴いてる時と、奏くんと話してる時が、私の今の生きがいと言っても過言ではない。この時間がなかったら、私はとっくに屋上から身を投げ出してる。 


 結局奏くんのせいで辞めちゃったけど、結果的にどうなんだろ。あの時死のうと思ったことに後悔はない。

 今も実際、辛い思いをしているわけだし。


 だけど、もしかしたらこの先に、あの辛い思い出よりも幸せな思い出ができるかもしれないって、奏くんのおかげでちょっとだけ思えるようになった。だけど、実際にそんなことあるのかな?


 確かに奏くんと話す日々は楽しいけど、あの辛い思い出よりも幸せな思い出を、彼から享受できるとは思えない。あの地獄を払拭するほどの幸せなんて、今の私の頭ではどうしても想像できない。


 てかそんなことより、来週と奏くんに会った時ものすごく気まずくない?


 あんな泣き顔を見せて、みっともなく愚痴をこぼして、一体どんな顔して会えばいいんだ。さっきはなんか雰囲気で行けたけど、次は素面というか、一回雰囲気がリセットされた状態で会うからなぁ。


 まあ奏くんのことだし、あんまり気にしてないか。そういえば、さっきの奏くんの手、暖かかったな。撫でられた背中の温もりを思い出すと、ちょっとだけ頬が赤くなり、鼓動が早くなる。

 嬉しい気持ちで心が満たされると、自然と瞼は重くなり、私は気持ちのいい睡魔に襲われることができた。

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