episode55 : 環境の変化

「お兄ちゃん、早く起きて!!学校遅れちゃうから」


 勢い良き妹が、寝室のドアを開け放ち朝の訪れを叫ぶ。


「……今日は予定ないし、もう少し」


 魔物には負けたくない俺だが、二度寝の誘惑には勝てないのが運命である。一度起こしかけた身体を再び布団の温もりに委ねる。


――プルル プルルルルル


「ほら、電話も起きろって」

「あーー、分かったよ」


 しかし、そんな至高の二度寝も、たった一本の無粋なコールに遮られる。世界が俺の二度寝を阻止しに来ているとしか思えない。


「……もしもし」


 俺は寝起きたっぷりの低い声で電話に出た。

 見たことの無い連絡先。迷惑電話だったら、そいつは今日スマホを水に落とす呪いをかけてやる。


「"あ、お兄さんですか?!絵名です!"」

「…………おはよう」

「"おはようございます。それでお兄さん、テレビ見てますか?!"」

「すまん、今起きたところ」

「"お兄さん、テレビで話題になってますよ!!"」


 この時俺が寝ぼけていなければ、正常な思考で対応していたならば、恐らくテレビは付けなかっただろう。

 しかし、今の俺はなんと言っても"寝起き"である。いいや、頭の中はまだ寝てると呼んでいい。


「……テレビな。今起きる」


 俺はよろよろとベットから起き、リビングに出てテレビの電源を入れた。


「お兄ちゃんが朝からテレビ付けるなんて珍しいね……えぇっ?!おおおおお兄ちゃん?!え、嘘?!なんで」

「……ん?葵。何をそんなに驚いて」

「いやいや、お兄ちゃんテレビ見て!お兄ちゃんだよ!」

「…………ふぁ」


 いまいちよく分からない発言に首を傾げ、欠伸をしながらテレビに注目する。


「"では、彼は新しい一級戦力で間違いないのですね"」

「"はい。覚醒者の昇級、それも一級への昇級は珍しいですが、今お話したことは全て事実です。彼の再検査には私も立ち会いましたから"」


 聞いたことのある声。

 見たことのある姿。


「"新たな一級戦力の当事者……九十九涼さんは、ここにはいらしていないのですか?"」

「"そうですね。これは彼本人の希望です。彼は私共の友人ではあってもギルドの一員ではありませんので、こちらから出席に無理強いは出来ません"」

「"……それは、個人的な友人であると捉えても?"」

「"えぇ、問題ありません"」


 あれは、七瀬リーダーだ。

 普段ラフな格好でいるから、スーツ姿は新鮮だ。


「"ではここで、もう一度噂の一級の映像をご覧下さい"」


 画面が切り替わり、映し出されたのは一昨日のデパートと青白いダンジョンゲートの様子。

 そこから出てきた一人の男――俺だ。


「"彼は高難易度と呼ばれたダンジョンを単独でクリアし、またその実力の一端を捉えることにも成功しております!"」


 画面内の俺が、一人の覚醒者に向かって瞬時に移動する。カメラですらその動きを追えていない。

 その後、カメラ越しにも感じる威圧が放たれ、映像はそこで途切れた。


「"彼について、もう少し聞くことはできませんか"」

「"私から直接お伝えできることは全てお話しました。それから一つ、彼は目立つことが好きではありません。その配慮を、どうかお願いします"」

「"そ、それは……この記者会見は問題無かったのですか?"」

「"これについては、本人からの承諾を得ています。しかし、これについては個人プライバシーの侵害になりますので、お話することは出来ません"」


 あーー、そういえば昨日、夜遅くに赤崎さんから連絡あった……ような?あの時も相当眠くて、なんて答えたか覚えていない。


「お兄ちゃん!!どゆこと?!一級って……有名人だよ!!」

「あーー、んーーー、…………マジか」


 ようやく目が覚め、頭が回転を始めた。

 そして理解し思ったことは、「リーダー、やってくれたな」だった。


 今回ばかりはこちらが全面的に悪いが、だとしても、こんな朝早くに会見しなくてもいいだろうに。

 おかげで葵に余計な心配と迷惑をかけることになる。


「お・に・い・ちゃ・ん!!説明してくれるんだよね?!」

「別に、隠してたわけでは……」


 嘘である。


「嘘だよね!どうせ、私に迷惑かけるんじゃないかって思ってたんでしょ!」


 図星である。

 さすが兄ちゃんの妹。頭がいい……わけではないな。勉強しろ。


「私は、お兄ちゃんが進んで危険なところに行かなくちゃいけないお仕事をしてるのを知ってる。でも、私だっていつも心配してるし……それに」

「あ、葵……」


 そんなに俺の事を想って……、勉強しろなんて言ってごめんな。


「お兄ちゃんはもう有名人だよ!!私、お兄ちゃんのこと学校で自慢できるよ!!」

「あ、左様で」


 やはり、葵は葵だった。

 でもまぁ、妹に自慢される兄っていうのは悪くない。これからも自慢の兄ちゃんでいたい。


「自慢もいいが、テスト頑張れよ」

「げっ、わ、分かってるよ!」


 日曜日という昨日、俺は一日布団の上でゴロゴロしていたから、葵が勉強していたかは知らない。


 さすがに前日はしてて欲しい。


「あーー!!もうこんな時間っ!お兄ちゃん、行ってきます!」

「おう、行ってらっしゃい」


 ちょっと慌ただしく思わぬ暴露もあったが、――俺は平和な日常を過ごしている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「"……お兄さん、私の事忘れてましたね"」

「ごめんて。電話、ベットの上に置きっぱなしにしてて」


 朝食を済ませ、皿洗いをし寝室に戻ってきたところで、スマートフォンの通話がそのままになっているのを発見した。発見というか、忘れていた。


「あれ、でも君も今日学校だったよな?」

「"私の家はそこまで学校まで遠くありませんし、既に葵との待ち合わせ場所には向かっています"」

「葵ならさっき家を出たぞ」


 学生で覚醒者な彼女は大変だ。

 本当なら覚醒者としての仕事だけでも生きていけるというのに、真面目に勉強しようとするこの心意気、葵も見習って欲しい。


 きっと勉強の方もきちんとやっているに違いない。


「"えなおはよーーー!!!"」

「"葵!おはよ!あ、お兄さん電話、切りますね。朝の件についてはまた後ほど"」

「おう、テスト頑張れ……?」


 去り際に面倒事の気配を残し、通話が切れる。


 何なんだ一体。


 面倒事は当分ごめんだぞ。


「はぁ、とりあえず、今日は何しよう」

『武器のメンテナンスを推奨します』

「うわっ、突然出てくんなって」


 ほんと、こればっかりはいつになっても慣れない。


 しかしまぁ、武器か。

 翔のとこの武器には助けられたし、結構無理に使ったからな。刃こぼれも酷そうだ。一度見てもらいに行こう。


 メンテナンス不足で死ぬのはごめんだ。


「ん?お主、どこか行くのか?」

「武器のメンテナンスにでも行こうかと。ハクは行くか?」

「そうじゃなぁ……、今日はお主の妹君も居らぬし、着いていこうかの」


 ハクが家に来てからと言うもの、葵はハクが気に入ったらしく、気がつくといつも葵はハクを抱いているのだ。

 本当に羨まし――じゃなくて、本人も満足気だから気にしてはいない。それに、葵に何かあった時、ハクかそばにいた方が対処が早い。


「なんつーか、お前も家に馴染んだよな」

「お主と妹君が気にしなさすぎじゃ」


 家を出た俺たちは、特段寄り道をすることも無く鍛冶屋のある第七地区の商店街までやって来た。


 平日であろうと人通りは相変わらずで、人の流れが可視化できるほど。いつもならば流れに沿って足早に歩くのだが……


「今日はなんだか歩きやすいな。ゆっくり歩いても人にぶつからない」

「そりゃそうじゃろう。皆、お主のことを気にしておる」

「気にして……?」


 言われてみれば、今日はやたら人の視線を感じる気がした。あちこちでチラチラと見られている、そんな感覚。


 よく周囲に意識を向けて歩いてみると、なるほど。確かに、皆が俺の邪魔にならないよう慎重に歩いている。


「あれだけ大仰に宣伝したのじゃ。今やお主は国中で有名人じゃな」

「なんだろう。嬉しいが……嬉しくない」


 こうも極端に周囲の目が変わると、逆に不安になる。自分に向けられた評価を受け入れられないでいた。


「この視線は当分続くじゃろう。早く慣れることじゃな」

「迷惑な話だ」


 俺は早くも気が滅入りそうになりながら、武器のため、今後の戦闘のためと自分に言い聞かせ、数少ない友人の元を訪れた。

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