第六話 貴方の女である意味ー溺愛雪女
(午前六時にアナタは朝起きて二度寝。午後十二時に、馬鹿鴉に世話されて起床。ずるいずるい、あたしだって存さんの面倒を見たい)
がりがりがりがり、メモに記す内容は存中心の出来事で百パーセント出来ている。
ロングヘアの美しい黒髪を持つ女性は、紫の眼を目一杯に開き。存のマンションの向かいにあるアパートで、オペラグラス片手に監視していた。
グラマラスなスタイルは黄金に劣るとも負けず。体の薄さから、発育よりバランスが目立ち。たとえば胸の発育が多少黄金に劣っていても、見栄えのするスタイルだった。
それでも女性らしさを全面的に出そうとせず、パンツスタイルの普段着を好んでいる。それが却ってこの女性――粉雪(こなゆき)のスタイルの良さを目立たせていた。
粉雪は娘を存へ送り込む前から、存を見張っていたが、娘を送り込んだことで余計に警戒に満ちていた。
粉雪は昔から存に夢中で、接触する機会を窺っていた。粉雪の一目惚れから始まるロマンスだった。
スキー旅行に来ていた存を十年前ナンパしたのは粉雪のほうだった。酔っ払っている隙に、普段から女遊びしている存に気付かず一目惚れして口説き落とした。
たった一回のナンパで子供を宿した粉雪は、村の掟に従う――粉雪は雪女の家系だったのだ。
粉雪は娘を産み落とせば、村の掟通り村から出て行き人里へ弓と二人で暮らしていた。
暫くは弓と二人で仲睦まじく暮らしていた。
そこへ存が自殺衝動をしていた情報を手に入れた、粉雪は気が気でなかった。
粉雪のストーカー化はそこから始まり、良い子に育った娘が提案をしたのだ。
「ボクを使って、母様」
突然粉雪から昔の女だ、と接近するのは気が引ける。暮らしが困っているのだろうと存が、他人行儀になる気もしたからだ。
何かに追われていて危ない眼にあっていた娘、という体裁はなんと完璧なのだろう。流石は我が娘だと称賛しながら、粉雪は存の悪魔について調べていく。
悪魔の正体が分かったのは、弓と存が少しだけ関係を築き、疾風が訝しんだ頃合いだった。
「人間を理解したがる悪魔……」
人間の書物には、ファウスト博士に関する書物がある。その中で興味深い悪魔の書物があった。
メフィストフェレスという悪魔についての話だ。
神と賭けをして、ファウスト博士を天国に連れて行けたかどうかは書き手によって結果が違う。
「何となく判ってきたわ……」
メフィストが人間を解したいのか。それとも天国に何かあるのかはこれから次第というところか。
存が寝ている隙に調べた書物をくまなく読みあさり、出る結論はこれくらいだ。
あとはどういったタイミングで、顔を出すかと粉雪は悩む。
ふと目を離していた時間だった。存の周りに邪魔な犬っころ二匹がいなくなっている。
疾風とアルテミスは、何処へ行ったのかとオペラグラスで窓に食い入るように顔を近づけてのめり込んだとき。
チャイムが響き渡る。
珍しい客の来訪に、警戒しながら扉を開ければ、粉雪はうんざりとした表情を隠さなかった。
「初めまして、鴉とわんこちゃん」
「初めまして、存の奥さん」
「何しに来たの、どうやって此処やあたしが判ったの。あの子がばらしたのかしら?」
「スマホを僕に触られたくなければって脅した。存には言ってないから安心してくれ。今日も買い物してくるって嘘ついた」
疾風の言葉に粉雪は、ふふふふと心から可笑しそうに笑った。
「まあ嘘つきな子たちね」
「それほどに大事な提案なんですよ、ストーカーさん」
アルテミスのはっきりした物言いに、粉雪は不機嫌さを隠さずひとまず中へと招いた。
部屋の中は簡素に白で纏められていて、時折存を模したようなモノトーンの家具がある。
勿論自室は存の写真や等身大人形幾つかで満ちているが、それらを見せる必要性はない。リビングだけ通しておく。
冷えすぎたお茶を淹れてやれば、呑んだ二人はぶるっと震えた。
「流石雪女だ、よく冷えてる」
「あの子何処まで喋ったのよ。まだまだ子供ね、しっかりしてると思ったのに」
「あれ以上を求めるのはやべえって。本題に入るぞ、お嬢サン、僕たちと取引しないか」
「取引? あたしに得のある話でもあるの」
「充分あるとも。内容は、存の契約にある僕とアルテミスの関係をいつでも従属破棄できる方法を探ってくれ」
「そんなのお金積めばいいじゃない。二人して二億」
「金は全部存にいくようになってる契約だから、契約内に含まれている僕たちはただ働きが当たり前だ、ため込む暇も無い」
「……どうしてか、聞いて良い?」
興味を示すように指先をお茶に淹れてくるくると粉雪はティーカップ内を回した。くるくると紅茶が廻れば徐々にフローズン化していき、シャーベットとなる。粉雪はシャーベットになった紅茶のついた指先を舐めた。
脅しのような睨みだ、と疾風は肩を竦めながらアルテミスを見やる。
アルテミスから切り出すこととした。
「オレのほうは、首を探したいんです。首を持ってる人がきっとあの人を狙う日がくる。もし、首を見つけたら解放されたいと願うのは普通ですよね」
「なるほどね、では鴉ちゃんは?」
「……僕はなんかあったときの抜け道が欲しい。このまま無策でただ存の側にいるのも頷けない」
二人の言葉に自己中だなと粉雪は呆れながら、ティースプーンでシャーベットを掬って喉を潤す。
疾風は、ただ、と言葉を翻す。紅茶を一気に呷ってから。
「ただ、僕もアルテミスも存を絶対守る。こいつも僕も理由は言えないがそこだけは同感で、絶対なんだ」
「……ふうん? そうね、確かに。情報提供が弓のほかに増えて、探れるならもっと解決は早いかも知れない」
「その間に粉雪姐さんが、存さんの一億を貯められるかもしれないですし!」
「そうね、それがきっと現実的。悪魔の欲が予想する範囲外の行動がなければならない。それがきっとあたし」
「だとしたら、僕らを解放する手段を探してくれ」
粉雪には、二人が矛盾して見える。悪魔に従い、悪魔と契約しながら願いを叶えた上で解放されたいなんて。
対価を与えず設けてから逃げるタイプのようで好めないなとも思える。
ただ、真摯な瞳に愛する人の言葉を思い出す。
表面の裏が本音だと。
この場合の裏は何なのかまったく判らない。ただ判るのは表面的な物だけの解決ではできないという事実。
この二人にも何らか柵があるのだろうと、窺える。
「判った、探ってあげる。でも、取引はしない。あんたたちと手を取り合うなんてまっぴらよ」
「なんでそんなに敵視するんですか」
「あの人の面倒をいつでもみれるからよ!」
アルテミスは笑いながら、スマホを弄り。何かをメールする。
*
「報告を見たよ」
アルテミスは後日、悪魔に全ての顛末を報告する。
メールに取引内容を事前に打っておいて、了承されれば即送信して履歴を消したのだ。
公園の遊具でアルテミスははしゃぐ。母国にはない遊具で、楽しそうに飛行機の遊具に跨がり、バネでバウンドを楽しむ。
公園は高台にあり、都会の中に珍しい公園は夜になればネオンの多さが楽しめる。沢山の煌びやかな町中を、質素な公園だけが見晴らしよく見えるとは少し皮肉さがあるとアルテミスは微苦笑めいた声で笑った。
「……早く情報をくださいね。はやく、欲しいんです、オレの首」
「勿論任せ給え、これからも気付いた事実があればよしなに」
「疾風くんにはばれてる気もしますけどね」
「いいんだ、あの子の願いは現在叶えられていないも同然だから、契約で縛る行いが出来る今でさえ奇跡だ」
「それって騙したって意味ですか? 反応に困るんですけど」
「違うよ、決して騙していない。結果的には叶えてくれるはずだ、あの人間は。疾風は〝親友〟ができればいいんだ」
悪魔は楽しそうに声をくぐらせ、消えていく。
アルテミスは夜の街を眺め、みょんみょんとバネで体を揺らしながら声だけで嘆息を着いた様子であった。
「ごめんなさいね、疾風くん。オレには貴方ほどの情熱は、あの方にはないのです、お守りはしますけど」
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