第10話 黒い脅威

 「なっ!?」


 突然飛び出して来た少女に思わず息を呑む。相変わらず目は閉じたままだが、自分の意思で行動しているように見えるのは初めてなので驚きを隠せなかった。


 「こいつ!まさか尸童よりましか!?何故に出ている!?」


 少年が驚きの表情で叫ぶ。やはりこの少女のことを知っているのか?


 「ああああーっ!!」


 少女は叫び声を上げたまま少年に突っ込んでいく。このままではまずい、と思った瞬間、少女の体に書かれた呪文スペルの一つが光り浮かび上がったように見えた。同時に僕の頭の中に呪文スペルが流れ込んで来る。光っているあの呪文スペルか。僕は反射的にその流れ込んできた言葉を詠唱する。


 「風の刃ウェントゥス・ラーミナ!」


 詠唱と同時に少女が手を伸ばす。その先の空間が歪んだように見え、次の瞬間風を切り裂くような音が聞こえ、少年が悲鳴を上げる。


 「ぐあああっ!!」


 見ると少年の左肩がぱっくりと裂け、鮮血が飛び散っている。見えない刃で切り裂かれたように。


 「ううっ……」


 痛みに耐えかねたか、左肩を押さえた少年の手から剣が落ちる。好機と見たリネアさんとガディムがその少年に迫る。二人の切っ先が少年に届くかと思ったその瞬間、


 ぶわっ!!


 突然少年の体を中心にして周囲に突風が吹いた。土砂を巻き込んで吹き付ける風にリネアさんとガディムが足を止めて顔を覆う。


 「ぬうっ!?」


 突風が収まって視線を戻したガディムが目を見張る。いつの間にか少年の隣に一人の男が立っている。黒い執事服のような三揃いを身に付けた長身の男だ。暗い銀髪を立て冷たい目でこちらを睨んでいるが、何より異様なのは顔の左半分を髑髏が溶けたような不気味な仮面で覆っていることだ。


 「何者じゃ?」


 ガディムが緊張した声で尋ねる。僕でも分かる。少年同様、この男も只者ではない。


 「そうですね。この子の同僚……いや保護者といったところですか」


 男が低い声で淡々と言う。それを聞いた少年が男をきっ、と睨む。


 「ふざけるなザビロス!いつ俺がお前の世話になった!?」


 「現に今助けたではないですか。想定外の事態があったとはいえ、油断しましたかローダン?」


 ザビロスと呼ばれた男の言葉に少年––ローダンというらしい、が悔しげに歯を食いしばる。リネアさんとガディムは慎重に剣を構えたままその二人に近づく。


 「今度はお主が相手をするということかな?」


 ガディムの言葉にザビロスは軽く首を振り


 「いえ。今日のところはこのまま失礼させていただきます。ローダンの傷も深そうでので」


 「ふざけるな!このまま帰るというのか!?こいつらはのことを知ってるんだぞ!これしきの傷、治癒魔法で……」


 「あなた、魔力が大分減ってますよ。もう一度治癒魔法を使っているんでしょう?それでは碌な回復は期待できませんよ。手負いのあなたを庇いながらこのお二人を相手するのは少々骨が折れそうですので」


 ザビロスが前後のリネアさんとガディムに視線を巡らして言う。迂闊に近つけば危険だと僕でも分かる。


 「それに尸童よりましに出ているというこの事態、あの方にご報告せねばならないでしょう」


 「だが魔封鉱マギアオーレが……」


 「尸童が外に出てどれくらい経つか分かりませんが、おそらくあそこの魔法はもう使えないでしょう。我々の力では尸童を元に戻すことは出来ませんしね」


 ザビロスの言葉にローダンが悔しげに口を噛む。彼らの会話はほぼ意味が分からなかったが、尸童というのがあの少女のことを指していることは間違いないだろう。


 「というわけでこれで失礼しますよ。下手な手出しはご無用に願います」


 「待て!貴様らは一体何者だ!?あの魔封鉱マギアオーレと少女は一体……」


 「申し訳ありませんが、それにはお答え致しかねます。あなた方があの者と共にあるならまたお会いすることもあるかもしれません。ではご機嫌よう」


 ザビロスがそう言うと、現れた時と同様突風が周囲に吹き荒れた。思わず目を閉じ風が収まると、二人の姿は忽然と消えている。


 「ちくしょう、何なんだあいつらは」


 リネアさんが忌々しそうに言う。


 「じゃが大人しく退いてくれて助かったの。まともに戦っていたらこちらも無傷とはいかんかったろう」


 ガディムの言葉に僕は頷いた。無傷どころか深刻な被害が出ていた可能性もある。それほどあの二人は異様だった。


 「そうだ!あの子は?」


 ホッとした途端、あの少女のことを思い出し僕は叫んだ。辺りを見渡すと、あの二人がいた場所の近くで倒れているのが目に入った。慌てて駆け寄り上体を起こす。


 「しっかり!」


 体を揺さぶり声を掛ける。少女は目を閉じたまますうすうと寝息を立てていた。見たところ目立った外傷はない。とりあえず安心する。


 「何だ、また眠っちまったのか?この状況でたいしたガキだな」


 リネアさんが呆れたように言う。


 「じゃがあのローダンとかいう小僧に傷を負わせた魔法は一体……詠唱はエリオットがしたように見えたが」


 「それに関しては後で。僕にもよく分かってないんです。それより彼女を村へ運んでリオンさんたちに報告を。集落の皆さんを助けないと」


 「そうじゃな。この子は儂が運ぼう。リネア殿は急いで村に戻って隊長たちに報告を頼む」


 「分かった」


 そう言うと同時にリネアさんは風のように走り出した。ガディムも少女を背負い村に向かう。


 「僕は集落を回って怪我人がいないか確認してきます」


 「頼む。すぐに応援が来るじゃろう。それまで頑張ってくれ」


 僕は頷いて集落を歩き出した。あちこちから立ち昇る火の手は下火になっているが、集落の被害は深刻なものだった。テントから逃げ出したと思える人があちこちに倒れており、僕は一人一人駆け寄って声を掛けた。火傷や怪我を負った人が多かったが、症状は軽く意識のある人が大半だった。大した被害じゃないと言ったローダンの言葉は案外嘘ではなかったようだ。


 「しっかりしてください。すぐに救援が来ます」


 僕は声を掛けながら残り少ない魔力で出来る限りの回復魔法を施した。しかし中には重篤な人もいて、僕ではどうしようもない場合もあった。僕は悔しさと無力感に苛まれ出来る限りの応急処置をする他なかった。


 「ルルーナさん!」


 しばらく歩き回ったとき、僕は倒れているルルーナを見つけ駆け寄った。そうだ、彼女はここに残っていたんだった。


 「大丈夫ですか!?しっかりして下さい」


 僕はルルーナを抱え起こし、必死に声を掛けた。彼女はゆっくりと目を開け小さく頷いた。あちこち怪我をしているが、幸い出血は多くないようだ。


 「おお……婆様が……」


 ルルーナが弱々しく指を伸ばし背後を指す。見ると半ば焼失し崩れたテントがあった。あれは長がいたあのテントか。


 「じっとしていてください」


 僕は簡単な回復魔法をルルーナにかけ、テントへと駆け寄った。原形を留めていない入り口の布を払い除け中を覗く。焦げた布を払いながら進むと、倒れている女性を見つけた。よく見ると二人いる。うつ伏せになり折り重なるように横たわっていた。


 「大丈夫ですか!?」


 声を掛け助け起こそうとした僕は二人の下にもう一人倒れていることに気づいた。伸びた手に嵌った腕輪に見覚えがある。長だ。


 「大婆様!しっかりして下さい!」


 よく見ると上の二人も見覚えがある。長の両脇に控えていた女性だ。おそらく長を炎から守るため上に覆い被さったのだろう。早く助けなければと焦るが、焼け残った布が邪魔で上手く三人を運び出せない。


 「こっちだ!担架を回せ!」


 その時、遠くの方から声が聞こえた。王立騎士団ロイヤル・ナイツが来てくれたのだ。僕は大声で彼らを呼ぶ。


 「こっちです!来て下さい!」


 僕の声に応えて騎士が二名、こちらに向かって来るのが見え、大きく手を振って合図する。と、ふうっ、と意識が遠くなり視界がブラックアウトした。



 


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