第6話 無垢なる者

 「彼女の体に書かれてる呪文スペルなんだが、どう思う?」


 リオンがそう言って僕の方を見る。


 「よくは見て無いんですが、目録カタログで見たことのないもののように思えますね」


 「それじゃ今のうちにちゃんと見させてもらおう」


 僕たちは少女の元へ行き、リネアさんの傍にしゃがみこむ。少女は粥を食べて満足したのか、静かに横たわっている。眠ったのかもしれない。僕は慎重にベッドから垂れ下がった少女の腕を取り、肌に書かれている呪文スペルに目を通す。


 「サーチ」


 目録カタログを呼び出し、魔力を送ってページをめくる。簡単な魔力操作で直接手を触れなくてもページをめくることが出来るのだ。


 「やはりなさそうです。というか呪文スペルに使われている文字そのものが違うようですね」


 「我々が使っているものとは別の大系の魔法……現実味が出てきたね」


 「そんなもんがあるって分かったら大騒ぎだな」


 リネアさんの言葉に僕は無言で頷く。


 「あ、あの……」


 僕たちの傍らで粥の椀を持ったままでいたルルーナさんが、恐る恐るといった様子で声を掛ける。


 「はい、なんですか?」


 「その……この子の体に書かれている文字……見たことがあって」


 「え?本当ですか?」


 「は、はい。昔のことなのではっきりとは言えないのですが……」


 「どこでご覧になったんです?」


 リオンの問いにルルーナは少し顔を伏せながらおずおずと答える。


 「森のはずれ、村から少し出たところに『残されし者ビリーヴァー』と呼ばれる人たちが住む小さな集落があるんです。そこの大婆様おおばばさまと呼ばれる長老のお家にこんな文字が書かれた壁掛けがあったと……」


 「『残されし者ビリーヴァー』?」


 「はい。私たちがここに住みつくよりはるか以前から森にいたと言われる人々です。今では数が減り、数十人しかいなくなったようですが」


 「聞いたことがないですね。この辺りを統治するミルワンド伯爵に挨拶に行った時もそのような人たちのことは聞かされませんでしたが」


 「彼らとはその……積極的に関わってはならないのです。村の不文律のようなものでして」


 「それは何故?」


 「子供のころに訊いたことがありますが、教えてもらえませんでした。代々言い伝えられていたことで、両親も理由を知らなかったのかもしれません」


 「しかしあなたはその長老の家に行ったことがあるのですね?」


 「子供の頃、森で迷ってしまったことがあったのです。その時『残されし者ビリーヴァー』の方に助けてもらいまして。衰弱していたので彼らの集落へ連れて行かれたのです。食事をいただいて休んだ後は村へ送ってくださいました。集落を去る時、大婆様の所へ行ってお礼を述べたのですが、彼女の後ろに掛かっていた壁掛けに書かれていた文字が見たことのないもので、とても印象深かったのです」


 「そんな昔のことじゃ勘違いってこともあるんじゃねえか?」


 「リネアさん……」


 歯に衣着せぬとは彼女のためにあるような言葉だが、もう少し言い方には気を使ってほしい。


 「は、はい。確かにそうかもしれません。余計なことを……」


 「とんでもない。少しでも手がかりが欲しい所ですからね。感謝します」


 「い、いえ、そんな」


 リオンが微笑んで言い、ルルーナが顔を赤らめる。う~ん、ここにシュアリーがいなくてよかったな。


 「とりあえずその『残されし者ビリーヴァー』の集落に行ってみましょう。何か分かるかもしれない。付き合ってくれるかい?エリオット君」


 「は、はい。勿論」


 「ったく、報酬がパーになった上に面倒なことに巻き込まれちまったぜ」


 リネアさんが溜息を吐く。路銀の枯渇は確かに死活問題だが、今はもう少し空気を読んで欲しいものだ。


 「とりあえずこの件の調査に協力してもらっている間は食事と寝る場所は保証しますよ。村の方にも頼んでみますから」


 「ま、それならいいか」


 リオンの言葉にリネアさんが渋々と言った感じで頷く。僕は内心ほっとしながら、


 「リネアさんはここでこの子の様子を見ていてもらえますか?」


 「何だよ、子守をしろってか?」


 「リネアさん以上に上手く出来る人はここにはいなさそうですから」


 「おだてたって何も出ねえぞ。まあこんな体の大きな赤ん坊の面倒を見るのは確かに楽じゃねえけどな」


 「お願いします」


 「それじゃルルーナさん。その『残されし者ビリーヴァー』の集落に案内していただけますか?」


 「は、はい。ですが一応村長の許可を得ないと……」


 「分かりました。僕からもお願いしましょう」


 リオンがルルーナを促して部屋を出る。僕はリネアさんに少女のことを改めて頼み、その後を追った。




 村長は初め渋っていたが,リオンのたっての願いということで『残されし者ビリーヴァー』の集落に行くことを許可してくれた。僕とルルーナとリオン、それに念のためにリオンの部下二名が護衛に付き、計五名で集落に向かう。


 「森のこの辺りは来たことがないな。道が整備されていないせいもあるが」


 「『残されし者ビリーヴァー』は向こうからも他者との接触を避けているようでして。わざと道を整備していないのです」


 「迷ったりはしないのですか?こうしている今も草むらの中を歩いていますが」


 リオンの質問にルルーナは振り返って微笑み、


 「目立たないくらいの印が木に付けてあるのです。ほら」


 目の前の木の幹を指差す。よく見ると目の高さの辺りに細い筋のような傷が付けられていた。


 「この傷の細くなっている方が村から集落へ向かう方向。逆に太くなっている方に進めば村へ帰れます」


 「なるほど」


 腰くらいまである草をかき分けしばらく進むと開けた場所に出た。前方にテントのようなものがいくつか建っているのが見える。ここが残されし者ビリーヴァーの集落か。


 「着きました。挨拶をしてきますのでここでお待ちください」


 「僕も行こう。失礼のないよう気を付けるよ」


 ルルーナとリオンが集落に歩いていき、僕たちはその場で待機する。周りを見渡すが森の木々が風にざわめいているだけで人の姿は見えなかった。


 『春風をかたちに見せる柳哉』


 これも正岡子規の句だったか。柳ではないが揺れ動く森の木々の葉は確かに風の動きを形として見せてくれているような気がする。


 「お待たせしました。大婆様が会っていただけるそうです」


 ルルーナさんが戻ってきてそう告げ、僕たちは集落の中に足を踏み入れた。広さは野球のグラウンドくらいか。その中央辺りにあるテントの一つに、僕たちは案内された。入口の簾のような布を開け中に入ると、奥の一段高くなった座に簡素な麻の衣装を纏った一人の老婆が座っているのが見えた。無数に刻まれた皺が威厳を感じさせる。その両脇には壮年の女性がかしずくように控えていた。三人とも両側の頬に三本線のペイントを施し、両手首に同じ色の腕輪を嵌めている。配色は中央の老婆と両側の二人で微妙に違う。


 「よくお見えになられました。こちらが我らスネイル族の長、ダダザバ様です」


 長の右に控えた女性が頭を下げながら言う。残されし者ビリーヴァーではなくスネイル族というのが本当の名前らしい。僕たちは長の前に進み、面会の礼を述べた。長の正面にリオンが座り、その右に僕、左にルルーナ。僕たちの後ろに護衛の二名の騎士が腰を下ろす。僕は長の後ろにある畳半畳ほどの壁掛けに目を奪われた。古びた織物の全面に確かにあの少女の体に書かれているのと同じ文字があった。


 「久しぶりじゃなルルーナ。そちらの騎士殿が聞きたいことがあるようじゃが」


 しわがれた声で長がゆっくりと話す。ルルーナは驚いたように息を呑み、深々と頭を下げる。


 「は、はい。まさか私如きのことを覚えていただいているとは、恐縮です」


 「ほほ、森で迷う者はままおるが、我らが保護してここに連れてきた者はそう多くはないでな。それで騎士殿、この婆に何をお尋ねかな?」


 「はい」


 リオンは姿勢を正し、異質と思われる魔封鉱マギアオーレと異空間から現れた少女を保護したこと。そしてそこに書かれた文字が後ろの壁掛けの文字と酷似していることを説明した。話を聞くうち、長の顔が徐々に険しくなっていくのが分かった。


 「その娘、目を閉じておるか?」


 長の質問にリオンが僕の方を見やる。僕は緊張しながら「はい」と答えた。


 「無垢なる者イノセント……」


 「は?」


 「その者を目覚めさせてはならぬ。その者の魂をな」


 「どういう意味です?あの少女が何者か知っているのですか?」


 「古い古い……言い伝えじゃ。世界のことわりから外れし禁忌の術。忌まわしき罪科の徒がまだおるとはの」


 「どういうことですか?説明をお願いします。あの子は一体何なのです。そこに書かれた文字は一体何なのですか?」


 リオンが身を乗り出して長に詰め寄る。彼女の左に控えた女性がそれを制するように手を伸ばした。


 「これは『古き血の民』に受け継がれし言語。我らが他所の者に残されし者ビリーヴァーと呼ばれておるのは知っておるな?その呼び名は我らスネイル族だけを指すものではない。各地に残る『古き血の民』全てを表すものじゃ」


 「それはもしや魔法が封じられる前の先史時代の……」


 「口伝しか残されておらぬゆえ詳しいことは判らぬがの。この壁掛けは文字として残された極々希少なものじゃ」


 「先史時代の文字……ではあの呪文スペルは……」


 「今の世界の理が作られた時、消え去るはずであった魔法。我らのように滅ぶのを待つだけのな。それを世に放つことは混沌を生むじゃろう」

 

 「今の世界の理とは何です?それに無垢なる者イノセントとは?彼女を目覚めさせるなとはどういう意味なのですか?」


 矢継ぎ早の質問に長が顔をしかめ、ごほごぼとせき込む。付き従う女性が素早く近づき、体を支えて背中をさする。


 「ダダザバ様、無理をなされては……」


 心配そうに長の顔を覗き込む女性が傍らに置いてあった器を取り、長の口元に運ぶ。水か何かが入っているのだろう。長はゆっくりと器に口を付け、ごくりと中身を飲む。


 「大気が震えておる……」


 視線をテントの入口の方に向け、長が呟く。つられて僕たちがそちらに目をやった瞬間、


 ドオオオオオン!!


 という天を劈くような轟音が轟いた。僕たちは弾かれたように立ち上がり、テントの外に飛び出す。


 「あれは!?」


 森の上空に雲が立ち込め、そこから断続的に稲妻が地面に向かって走っているのが見えた。ゴロゴロという音も聞こえている。


 「村の方だ!」


 リオンが叫び、駆け出す。護衛の騎士もそれについて走り出した。 

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