第5話 赤子をあやす

 「ずっとこの様子なのかい?」


 リオンが顔をしかめて言う。シュアリ―が「はい」と答え、部屋の中へ進む。


 僕の目の前にはあの森から運ばれてきた少女がベッドに寝かされている。ここはリオンの分隊が使っている幕舎の一つで、家というよりテントに近いものだった。


 「ここに着いて目を覚ました途端この調子です」


 困惑したようなシュアリ―の言葉に、僕も少し混乱しそうだった。毛布を掛けられ横たわった少女は先ほどからずっと泣いていた。というより泣きわめいていた。大きな声を上げ、手足をバタバタさせながら。文字通り赤子のようだった。


 「この子、どう見てもエリオット君と同じくらいの歳に思えるが……何で泣いているのか分からないのかい?」


 「それが何度話しかけても返事がなく、ただこうやって泣き続けているんです」


 少女の傍らに跪き、暴れる彼女がベッドから落ちないようにしている若い騎士が答える。


 「何だよ、まるっきり赤ん坊じゃねえか」


 リネアさんが呆れたように言う。確かに。僕にもそう見える。しかし気になるのは少女がずっと目を閉じていることだ。彼女の目が開いたのを見たのは僕があの攻撃魔法を詠唱した時だけだ。


 「赤ん坊ならよ、小便しょんべん漏らしたか腹が減ってるかどっちかじゃねえのか?」


 「ふざけたことを言うな!」


 シュアリ―がリネアさんに怒鳴る。


 「いや、先入観を捨てて物事を見ることは大事だよ、シュアリ―君。確かにこの子は十代半ばに見えるが、今見えている状況は赤ん坊の態度だ。誰か食べ物を持ってきてくれ。そうだな、食べやすいものがいいだろう。子供に食べさせるようなものがないか、村の人に訊いてきてくれ」


 リオンの言葉に騎士の一人が部屋を出て行く。と、リネアさんがすたすたと少女の元に近づき、頭の方に跪く。


 「このガキに何か飲ませたのか?」


 リネアさんが少女を押さえている若い騎士に尋ねる。「いえ」と困惑したように彼が答えると、リネアさんはちっ、と舌打ちし、


 「まず水を飲ませるのが普通だろうよ。エリオット、水を持ってきてくれ。いや、出来ればミルクがいいな。コップじゃなくて吸いのみのようなもんがあればいいんだが」


 「は、はい」


 僕は慌てて部屋を出る。が、ミルクなどどこから持ってきていいか分からない。間抜けな話だ。と、僕の後から部屋を出てきたシュアリ―が「こっちです」と言って先に立って歩き出した。


 「ありがとうございます」


 僕は彼女について行き、一度幕舎を出て隣の小さな家へ入る。入口近くの部屋に案内されるとベッドが三台あり、その近くの小さなテーブルの上に水差しと病人用らしき吸いのみが置いてあるのが見えた。ここは救護室か何かのようだ。


 「あれを使ってください。幸い今は怪我人も病人もいませんので」


 「ありがとうございます」


 「ミルクは村の方に頼んでみましょう」


 吸いのみを持ってさらに近くの家へ向かう。そこの住人らしい初老の婦人がミルクをポットに入れて渡してくれた。僕はお礼を言ってそれを受け取り、幕舎へ戻る。


 「お待たせしました」


 少女のいる部屋に入ると、リネアさんが少女の頭の下に手を入れ、優しく撫でていた。ミルクを吸いのみに移して渡すと、リネアさんは器用に頭を持ち上げつつ、少女の口に吸いのみの先を銜えさせた。


 「ほら飲め。慌てずにな」


 少女は最初いやいやをするように首を振っていたが、リネアさんが先端を口に含ませると、ちゅう、と吸いのみのミルクを吸い上げた。口の中にある程度入ったところで先端を離す。少女は少し動きを止め、それからごくりとミルクを飲んだ。


 「よしよし。旨いだろ?」


 リネアさんはもう一度先端を銜えさせる。また少女がミルクを吸い上げる。少女はおとなしくなってごくごくとミルクを飲み干していった。ある程度の量が無くなったところで頭を撫でながらそっと少女をベッドに寝かせる。先ほどまでの大泣きはどこへやら、もうすっかりおとなしくなっていた。


 「へえ。手慣れたものだね」


 「ガキの頃は弟や妹の面倒をさせられてたからな」


 リオンが感心したように言い、シュアリーがぶすっとした顔になる。シュアリーはリオンに心酔しているようだ。


 『乳吸わす 温き手に稚児 泣き止みて』


 ふと、そんな句が頭に浮かんだ。久しぶりに詠んだがこれじゃ季語がないかな。この世界には俳句がないから批評してくれる人もいないしな。


 「こいつは本当に赤ん坊だぜ。おしゃぶりか何かねえか?」


 「そんなものあるわけないだろう。ここは託児所じゃないんだ」


 リネアさんの言葉にシュアリーがいらいらしたように答える。


 「村の人に訊いてみりゃいいじゃねえか。いくら小さな村だって赤ん坊の一人や二人いたっておかしかねえだろ」


 「そうだね。訊いてみよう」


 リオンがそう言うと、シュアリーはリネアさんを睨み「私が」と言って再び部屋を出て行った。


 「すまないね。優秀な騎士なんだが、一本気なところがあって」


 リオンがとりなすように言い、リネアさんはふん、と鼻を鳴らす。


 「兵士ってのはそういうもんだろ。むしろオレはいかにも民間人に理解があります、っていうあんたの態度の方が胡散臭く思えるがね」


 「リ、リネアさん、言葉を謹んで下さい。リオンさんは……」


 僕は慌ててリネアさんを制止しようとする。これ以上無礼な口を利くのはまずい。


 「構わないよ、エリオット君。他の隊長にも偽善者と陰口を叩かれている。僕は普通に接しているつもりなんだがね」


 「貴族の子息なんてのは下々の人間を見下してるのが普通だからな。まあエリオットはちょっと違うがな。大分変わりもんだからな」


 「褒められてるような気がしませんが」


 思わず苦笑してしまう。


 「褒めちゃいねえよ。だが他の貴族と違ってお前は嫌いじゃねえ。じゃなきゃパーティなんて組まねえからな」


 「ありがとうございます。それはそれとして口の利き方はもう少し考えてくださいね。リオンさんみたいに物わかりのいい方ばかりじゃありませんから。一応貴族の僕が言うのもなんですが」


 「ああ、分かった分かった」


 「ふ、君たちは信頼し合っているんだね。羨ましいよ」


 リオンが僕たちを交互に見ながら微笑む。


 「何だ?あんたは部下に信頼されてないってことか?」


 「リネアさん、だから……」


 「ははは、実際どうだろうね。エリオット君は知ってるだろう?貴族の嫡子は15歳で王都の王立学院に入学するのが通例だ。そして三年間の修練を経て王立騎士団ロイヤル・ナイツに入団する。するといきなり12ある各騎士団の三席以上になる。学院での成績優秀者は副団長に抜擢されることもある。君の兄、フロストが第三騎士団の副団長になったのは知ってるだろう?」


 「え?そうなんですか!?」


 「なんだ、知らなかったのかい?」


 「実家いえには1年近く帰ってませんので」


 「魔法発掘者マギナ・マイナーとしてずっと旅を?その歳で大したものだね」


 「いえ、それほどでも」


 「フロストは剣技において学院では並ぶものなしの腕前だったからね。それは知ってるだろう?」


 「ええ。家にいた時から兄の剣は凄かったです」


 「騎士団は番号の小さい順に精鋭が集められる。公式には否定しているが、純然たる事実だ。現に第一騎士団の団長は剣聖と謳われる王国最強の騎士、バルドア様が務めているし、任地は王都だからね。だから第三騎士団の副団長というのはかなり凄いことだよ」


 辺境の子爵家の子息としては破格の扱いだ。兄の剣の腕は知っていたが、学院にいた三年間でさらに凄いものになっているらしい。


 「しかし当然貴族以外の団員は王国軍で戦績を上げて王立騎士団ロイヤル・ナイツに抜擢された猛者ばかりだ。彼らからすると学院を出たばかりの若造が上官になるのは面白くない。当然のことだね」


 転生する前の世界では警察学校を出た警官はいきなり警部補になるという話を聞いたことがある。キャリア組と言われる彼らはノンキャリアの一般の警官をごぼう抜きにして出世していくらしい。それと同じようなものだろう。


 「さっきお飾りの分隊長だって言ってたのはそう言う意味か」


 「ああ。実際僕のことを快く思っていない兵は少なからずいると思っている。表だって態度に出す奴はいないがね。騎士として僕より腕の立つ者はいくらでもいるだろうからね」


 だが少なくともシュアリーはそう思っていないだろうな、と僕は言葉に出さず呟いた。


 「だがこれくらいの分隊を御せなければ家を継ぐなんてとても出来ないからね。まあ何とか頑張ってみるさ」

 

 貴族の嫡子が王立騎士団ロイヤル。ナイツに入団するのは領主になるための試練という訳だ。人の上に立つということは大変だな。次男でよかった。


 「隊長、失礼します」


 その時ドアがノックされ、さっき出て行った若い騎士が入ってきた。後ろには若い女性が立っている。


 「食事をお持ちしました」


 「ああ、ご苦労様。ルルーナさん、お手数をおかけしてすいません」


 「い、いえ、そんな」


 ルルーナと呼ばれた女性が顔を赤くして俯く。さすがイケメン。女性にはモテモテのようだ。


 「この村で我々の世話をしてくださっているルルーナさんだ」


 「初めまして。エリオットと申します」


 僕は彼女の方に向かって軽く頭を下げた。ルルーナはややくすんだ金髪を三つ編みにしている二十歳前後と思しき女性だ。顔にそばかすが散っているが、純朴そうな雰囲気の彼女には却ってチャーミングな印象を与える。


 「は、初めまして。あの、お粥を用意したのですけれど、これでよろしかったでしょうか?」


 「ああ、そいつはいい。こっちへ持ってきてくれ。オレはリネアだ。よろしくな」


 「は、はい」


 ルルーナがベッドの方へ歩いていき、木の椀に入った粥を差し出す。リネアさんは「そのまま持っててくれ」と言って木の匙で粥を掬うと、ふーふーと息をかけて冷ましてから片手で少女の上半身を起こす。毛布がはらりと落ちて一瞬ドキッとしたが、当然というべきか少女はもう服を着させられていた。


 「ほら、飯だ。分かるか?」


 口元に粥を持っていくと、目を閉じたままの少女はふんふんと鼻を鳴らし、ゆっくり口を開ける。リネアさんはもう一度粥を冷ますとそっと匙を少女の口に入れた。一瞬熱さにびっくりしたようだが、そのまま口をもぐもぐと動かしてそれを嚥下する。


 『まるで本当の母娘みたいだな』


 普段男勝りでがさつなところのある(本人には口が裂けても言えないが)リネアさんの意外な一面を見て僕は何だか心がほっこりするのを感じた。

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