第2話 魔獣襲来

 「くそっ!余計な時間を食っちまった!」


 バラウの手綱を握りながらリネアさんが叫ぶ。木箱を八割がた降ろした後ようやくぬかるみから荷馬車を出すことが出来た僕たちはもう一度それを積み直して森の中を疾走していた。


 「ちょ、ちょっと飛ばし過ぎじゃないですか!?」


 荷台の木箱にしがみつきながら僕は叫ぶ。整備されているとはいえ未舗装の道は振動がすごい。せっかく積み直した木箱が時折大きく跳ねて落ちるのではないかと不安になる。


 「後れを取り戻さねえと間に合わねえだろ!六時を過ぎたら取引先が帰っちまう」


 今回の依頼の内容は今日の午後六時までにカルネリアという町の商人にこの荷物を届ける事だったか。地図を見る限りこの森を抜けてカルネリアに着くにはあと数時間かかるだろう。今は午後二時近く。確かにギリギリだ。


 「でもこれじゃまた事故っちゃいそうですよ。そしたら今度こそ間に合わな……」


 「黙ってろ!舌噛むぞ!」


 スピードを緩めることなく荷馬車は森の中を進む。と、僕の目の前に小さな魔法陣が浮かび上がり、赤く光った。


 「リネアさん、待ってください!き、危険探知スキルが反応してます!何か近づいてるみたいです!!」


 モンスターや魔族が持つ魔力に反応する探知魔法を僕は常時発動している。低いレベルでも使用できる、冒険者や商人などには必須のものだ。こういう常時発動させたり簡単な技術補助の魔法は一般的にスキルと呼ばれている。料理スキルや毒判定スキルなどがよく使われている。


 「何だと!?この辺りには危険なモンスターはいねえはずだろ」


 「でもかなり大きな反応です。……これまずいですよ!魔獣レベルです!」


 「ちっ!」


 リネアさんが手綱を引き、バラウを停止させる。それから素早く荷台に脱いであった軽鎧ライトアーマーを身に着け、愛用のロングソードを腰に佩く。空を見るとさっきまで晴れ渡っていたのに、いつの間にか黒雲が頭上に流れ込んできていた。


 「おいおい、こいつは……」


 リネアさんが緊張した声で呟く。強力なモンスターの中には黒雲や竜巻などの自然現象を伴って現れるものがいると聞く。もしそうならかなり危険な状況だ。


 「来ます!」


 強大な魔力が肌にビリビリと感じられる。これはまずい。僕は慌てて目録カタログを呼び出し、攻撃魔法のページをめくる。僕のレベルでは大した攻撃魔法は使えないが、リネアさんの援護くらいはしなくては。


 「なっ!?」


 黒雲を突き抜けるようにして上空から巨大な影が現れ、僕たちは思わず息を呑んだ。強靭な四肢に鋭い爪と広い翼。まごうことなきドラゴンだ。しかも……


 「棘魔竜スピナ・ドラゴンだと!?」


 突風を起こしながら地上に降りたったその姿を見てリネアさんが叫ぶ。7mほどもある紅い体の首から背中にかけて無数の棘が生えている。太いものは人間の腕くらいある。A級危険指定の魔獣だ。


 「ビヒイイッ!!」


 目の前に現れた棘魔竜スピナ・ドラゴンにバラウたちが怯え、前足を上げて暴れ出す。


 「冗談じゃねえ!こんなもん竜斬剣ドラゴン・スレイヤーでもなきゃ手に負えねえぞ!」


 地面に飛び降りたリネアさんが剣を抜き棘魔竜スピナ・ドラゴンと対峙する。こんな相手に僕の使える魔法など何の役にも立たない。逃げるしか手はないが、それも困難だと思えた。


 「おい!伏せてろ!」


 リネアさんが叫び、僕は咄嗟に荷台から下りて陰に隠れる。そっと顔を出して様子を伺うと、棘魔竜スピナ・ドラゴンが咆哮を上げ、背中の棘が光るのが見えた。


 「避けてください!リネアさん!」


 「分かってるよ!」


 リネアさんが叫ぶと同時にバラウの手綱を持って横に跳ぶ。次の瞬間、棘魔竜スピナ・ドラゴンの体がぶるっと震え、背中の棘が数本勢いよく飛び出した。無理やり引っ張られたバラウのすぐ横に飛んできた棘が荷台の木箱に当たって荷台が弾けるように浮き上がり、横転した。


 「うわわっ!!」


 危うく荷台の下敷きになるところだった。僕は転がるようにして道の脇の藪に身を隠す。棘魔竜スピナ・ドラゴンがA級危険指定されている理由はこれだ。腕ほどもある棘が高速で飛んでくるのだ。直撃したら即死は免れない。


 「くそっ!なんでこんなとこにあんな化けもんがいやがる!」


 リネアさんの声が藪の中から聞こえる。どうやら無事だったようだ。だがこのままではいずれやられてしまう。


 「おい!オレが引きつけている間に逃げろ!お前の魔法じゃあいつには何の役にも立たねえ」


 リネアさんが立ち上がって叫ぶ。同時に横転した荷台につられて倒れたバラウのくびきを何とか外して逃がそうとする。


 「嫌ですよ!リネアさんだってその剣じゃ歯が立たないんでしょう!?」


 「生意気言うな!お前が逃げるくらいの時間は稼いで……」


 その時棘魔竜スピナ・ドラゴンの体が再び震えた。「伏せて!」と僕が叫ぶのと同時にまた数本の棘が飛んでくる。驚異的な反射神経で身をかがめたリネアさんの頭上を棘が通り過ぎ、一本がまた横転した荷台に刺さる。


 「くそっ!近づくことも出来ねえ。まあ近づけてもこの剣じゃあの体に傷をつけるのは難しいがな。これじゃジリ貧だぜ」


 確かにこのままでは為す術がない。伏せて棘をやりすごしても近づいて攻撃されたら防ぐことは出来ないだろう。奇しくも前世と同じ14歳という若さで死ぬことになるのか。……いや、諦めるな。ここにはリネアさんもいるんだ。彼女まで死なせるわけにはいかない。目くらましの魔法か何かなかったか。僕は目録カタログを出し直して急いで目を通そうとする。


 「ん!?」


 その時、積み荷の木箱が転がっているのが目に入った。棘魔竜スピナ・ドラゴンの攻撃で荷台から散らばった木箱のいくつかは蓋が外れ、中身が覗いている。


 「これは!」


 その一つに這いよって中を見た僕は思わず声を上げた。予想通り箱にはおがくずのような緩衝材が詰まっており、その中心には人の顔くらいの大きさの石がある。だがこれは只の石ではない。僕にはすぐにそれが分かった。


 「まさか……なんでこんなところに魔封鉱マギアオーレが!?」


 それは一見ただの黒い鉱石に見える。だが「鑑定ジャッジ」のギフトを持つ僕にはその中心に光る文字が刻んであることが分かる。間違いない。これは魔封鉱マギアオーレだ。


 「もしかして」


 僕は他の壊れた木箱にも目を向ける。中身はやはり魔封鉱マギアオーレだ。この木箱全てがそうなのか。


 「おい!何をぼさっとしてる!早く逃げろ!」


 リネアさんの叫び声が聞こえる。荷台を盾にして振り向くと、棘魔竜スピナ・ドラゴンがゆっくりとこちらに歩いてきている。奴が一度に飛ばせる棘の量は決まっていると聞いたことがある。近づいて直接僕たちを襲うつもりか。


 「何か使える魔法はないか。記録レコードされてなくても一度だけなら直接詠唱ダイレクト・チャーチが出来るはず」


 とはいっても僕のレベルで使える魔法で棘魔竜スピナ・ドラゴンに有効なものはそうないだろうが、何もせずにやられるのを待つよりはいい。僕は目を凝らし幾つかの魔封鉱マギアオーレを読み解こうとする。と、一つの鉱石に強く惹かれるのを感じた。


 「これは……」


 僕は吸い寄せられるようにその魔封鉱マギアオーレに手を置いた。途端、「解析ジャッジ」を発動させる間もなく、頭の中に大量の呪文スペルが流れ込んでくる。


 「あああっ!!」

 

 脳の回線が焼き切れそうな感覚に思わず悲鳴を上げる。と、呪文スペルの流入が止み、僕は頭に浮かんだ言葉を反射的に口に出す。


 「魂の扉よ開き給えアペリ・ポータ・アニマメア


 そう唱え終わると突如目の前の空間、目の高さよりやや上あたりに黒い穴が開いた。楕円形に地面と垂直に開いたその穴の奥を見ると、まるで幾つもの色の付いた水が揺蕩っているように見える。


 「な、何だ?」


 呆然とその穴を見ていると、その中から何かがこちらに出てきた。まとわりついた粘液のような揺蕩う闇を引きはがすようにはこちらの空間に姿を現す。


 「おい、何して……なんだこりゃ!?」


 異変に気付いたリネアさんがこちらを振り向いて叫ぶ。空中に開いた穴からはおよそ信じられないものが出てきていた。


 「お、女?」


 それは全裸の少女だった。歳は僕と同じくらいか。輝くような長い銀髪をなびかせ、ゆっくりと穴の向こうから出て着地する。目は閉じたままだ。それだけでも驚くには十分だが、その少女はさらに異様な点があった。体中に文字が書かれているのだ。見たところ全て魔法の呪文スペルらしい。


 「何だよこりゃ?エリオット、お前何したんだ?」


 「わ、分かりません。魔封鉱マギアオーレに手を置いて頭に浮かんだ呪文スペルを唱えたら……」


 「魔封鉱マギアオーレだと!?」


 リネアさんが驚いて飛び散った木箱に目をやる。と、間近で棘魔竜スピナ・ドラゴンの咆哮が聞こえた。しまった、少女の出現に気を取られていた。何か使える魔法はないかと慌てて別の魔封鉱マギアオーレに手を置く。先ほどのような急激な呪文スペルの流入はない。これは上級の攻撃魔法か。とても僕のレベルでは使用できない。


 「逃げろ!エリオット!」


 リネアさんが叫び、棘魔竜スピナ・ドラゴンに向かって剣をかざす。くそっ、ここまでか。


 ドクン……


 その時、何か直感的なものが頭をよぎった。この魔法を唱えろ、と誰かが言ったような気がして、僕は先ほどと同じように反射的に頭に入り込んできた呪文スペルを唱えた。


 「爆ぜる閃光ウーロ・フルグル!」


 僕が詠唱した途端、全裸の少女の目が開いた。金色の瞳が光り輝くと、少女の手が体の前に伸ばされ、その手の先から眩い閃光が迸る。


 「なっ!?」


 勢いよく放たれた光の帯が棘魔竜スピナ・ドラゴンを直撃し、凄まじい爆発が起きた。爆風が体に吹き付ける。


 「な、何だよ、こりゃ……」


 吹き飛ばされて転がったリネアさんがよろよろと立ち上がる。先ほどまで棘魔竜スピナ・ドラゴンがいた場所の地面は大きくえぐれ、魔獣の巨体は跡形もなく消えている。今の爆発で消し飛んだということなのか。


 「あっ!」


 呆然として立ち上がった僕の視界の隅で少女が倒れこむのが見え、僕は慌ててその体を受け止める。少女の目は再び閉じられている。


 「どうなっているんだ、一体……」


 意識を失い僕の腕の中で眠る少女の顔を見つめ僕は呟いた。

 

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