異世界魔法発掘隊

黒木屋

第1話 異世界転生

 「いい天気だなあ」


 木々の間から覗く抜けるような青空を見上げ、僕はポツリと呟いた。時折吹き抜ける風が肌に心地いい。


 「『風の音日の入る森の落葉哉』、か」


 正岡子規の俳句が頭をよぎる。いや、季節的にこれはふさわしくないな。『春風や森のはづれの天王寺』、かな。


 「何呑気なこと言ってんだい!ボケッとしてないで手伝いなよ!」


 その風をつんざくように怒鳴り声が響き、僕は声の主に視線を向ける。浅黒い肌から玉のような汗を噴き出したリネアさんの燃えるような緋色の瞳がこちらを睨んでいる。僕ははあ、とため息を吐いてさらに視線を足元に下ろす。


 「無理ですよ、リネアさん。完全にぬかるみにはまっちゃってるじゃないですか。一度荷物を下ろさないと抜け出せませんって」


 僕たちが乗っていた荷馬車は水たまりにはまり、車輪が地面にのめりこんでしまっていた。荷台には木箱が数十個も積まれており、リネアさんは何とか車輪を持ち上げようとしているが、この重さではビクともしない。


 「時間がないんだよ!分かってるだろう!?」


 「だから街道を行こうって言ったんですよ。昨日雨が降ったのにこんな森の中を通るなんて」


 「街道を走ってたら間に合うか分からないだろ!今日中にこいつを届けないと報酬がパーになっちまう」


 「僕がいた世界には『急がば回れ』という格言がありましたけどね」


 口走った後でしまった、と焦ったが、リネアさんは頭に血が昇っているようで僕の失言には気付かなかったらしい。


 「御託を並べてないで、こういう時使える魔法とか無いのかよ!」


 「う~ん、見た記憶ないですね。筋力増強の魔法はあった気がしますが、僕のレベルでは詠唱できません。まあ一応新規登録されたものに使えそうなものがないか確認してみますよ。……サーチ!」


 ほっとしながら僕が唱えると目の前に半透明の本のようなものが浮かび上がる。現在記録レコードされている魔法の一覧が見られる『目録カタログ』と呼ばれるものだ。僕は目録カタログのページをめくり、めぼしいものがないか目を通す。


 「ここ数週間は新しい魔法の登録はないですね。やっぱり地道に箱を降ろしてから持ち上げるしかないんじゃないですか?バラウたちもかなり疲労してるようだし」


 バラウというのは荷馬車を曳いている短い角の生えた動物で、見た目はまんま僕がいた地球の馬に近い。僕たちが乗ってきたこの馬車は二頭のバラウが曳いていた。


 「仕方ねえか。ほら、さっさと手伝え!」


 舌打ちをしてリネアさんが木箱に手をかける。僕はもう一度ため息をついて荷台から降りた。木箱の一つを手に取るとずっしりとした重みを感じ、足元がぬかるんでいたため思わずバランスを崩してしまう。


 「バカ!」


 リネアさんが咄嗟に手を伸ばし、僕の体を支えてくれる。何とか転ばずに体勢を整えることが出来た。


 「荷物を破損したら弁償なんだぞ!気を付けろ!」

 

 僕の身を案じてくれたわけではなく、荷物の心配をしただけのようだ。まあそうだよな。


 「すいません。でもこれ重いですよね。中身は何でしたっけ?」


 両手で抱きかかえられるくらいの長方形の木箱はしっかりと釘で蓋が留められており、中身が一杯なのか緩衝材が入っているのか振っても何の音もしない。


 「さあな。依頼主は壊れもんだから気を付けろって言ってただけだったしな」


 ぶっきらぼうにそう言ってリネアさんが木箱を軽々と降ろす。女性とはいえさすが剣士職。力は僕より遥かに強い。


 「ぼけっとしてないでお前もどんどん降ろせ」


 リネアさんに発破をかけられ、慎重に木箱を置いてから次の箱に手を伸ばす。と、間近にリネアさんの上半身が見え、僕はドキッとした。彼女は普段軽鎧ライトアーマーを身に付けているのだが、森の中が蒸し暑いのとこの辺りには危険なモンスターの類が生息していないため、今はそれを脱いでいる。それで薄いシャツが汗でぴったりと張り付いてしまっているのだ。


 「ぐずぐずするなって……おい、どこ見てんだい?」


 僕の視線に気づいたのか、リネアさんがじろりと僕を睨む。彼女は下着を着けておらず、張り付いたシャツの下のボディラインがくっきりと見えてしまっている。勿論、胸もだ。


 「この忙しい時に発情してんじゃないよ、エロガキが」


 「発情とか言わないでくださいよ!そんな恰好してるリネアさんが悪いんですよ」


 「いいから手を動かせ。間に合わなかったら宿代作るのにお前のそのスケベな目ん玉売ってやるからな!」


 この人なら本当にやりかねない。僕は出来るだけリネアさんから視線を逸らしながら木箱を降ろし続けた。





 僕の名前は古谷ふるや聖司せいじ。公立中学に通う平凡な男子中学生……だった。


 成績は中の上。運動は苦手。趣味は俳句とアニメ鑑賞。クラスでも全く目立たないタイプ。どちらかといえば陰キャと呼ばれる類だろう。友達と呼べる人間も数えるほどしかいない。勿論彼女なんて言わずもがな。


 そんな僕の人生は中二の夏、一変した。というか一度終わりを迎えた。僕が乗っていたマイクロバスが崖から落ちたのだ。あっという間の出来事で恐怖を感じる暇もなかった。


 『ん?』


 気が付くと目の前が真っ暗だった。自分に何が起きたのか理解するよりも早く、声が聞こえてきた。それが自分の鳴き声だと意識したのと同時に目に光が飛び込んでくる。眩しさに反射的に目を細める。と、その時違和感を覚えた。


 「おめでとうございます!元気な男の子ですよ」


 耳元で女性の声が聞こえる。そちらを見ようとするが、視線は動かない。何がどうなっているのかパニックになりかけていると、視界に女性の顔が映る。白帽を被った中年の女性だ。それから何かが体に触れる感覚があり、続いて視界が回転してベッドに横たわる若い女性の姿が見えた。緑色の瞳に淡い金髪。中々の美人だが、見覚えは全くない。


 「よく頑張ったな、エレノア」


 野太い声が聞こえ、視界がそちらに移る。彫りの深い顔の三十代くらいの男性が立っていた。顔の下半分は頭髪と同じ濃い茶色の髭で覆われている。こちらも全く知らない人物だ。


 「おめでとうございます旦那様」


 女性の声が頭の上から聞こえる。そうして僕はようやく自分の状況をなんとなく理解した。僕は赤ん坊なのだ。今ベッドに寝ているこの女性によって産み落とされたのだろう。ということは……


 『異世界転生!?』


 僕は思わず叫んだ。が、その声は誰にも聞こえていないようで、皆笑いながら僕の顔を覗き込んでいる。まさかアニメやラノベで散々見た異世界転生を自分が経験することになろうとは。


 『い、いや待て。そう決まったわけじゃない。もしかしたら単に外国に生まれ変わったのかもしれない』


 もしくは別の時代に?そう思って周りを見渡そうとするが、やはり視線は自分の意志で動かすことが出来ない。どうやら僕の魂だけがこの赤ん坊の中に入り込んでいるようだ。その証拠に僕の意志とは無関係に赤ちゃんは泣き続けている。


 「うん、元気な鳴き声だ。この子は逞しく育つぞ」


 髭面の男—おそらく父親だろう、が破顔して僕の頭を撫でる。


 「あなたったら。気が早いんだから」


 エレノアと呼ばれた女性が言う。やはりこの二人は夫婦らしい。その時点で僕は気づいた。二人はどう見ても日本人ではない。だが彼らは僕に分かる言葉でしゃべっている。ならばやはりここは外国ではなく、異世界なのか。

 

 「おなかが空いているのかしら」


 「そうですね。お乳をあげられては」


 中年の女性が僕、というか赤ちゃんをエレノアに渡すと、受け取った彼女は上着のボタンを外し、乳房を露わにして僕を抱き寄せる。間近で見る女性の胸に思わずドキドキしてしまう。


 「元気に育ってね」


 優しい声が聞こえ、赤ちゃんが乳首に吸い付く。母乳を飲んでいることが分かったが、自分では飲んでいる感覚がない。やはり体と心がばらばらになっているようだ。そうしているうちに意識が遠くなってきた。赤ちゃんが眠ろうとしているのだ。体が眠ると僕の意識もそれに同調する……よう……だ。




 それからしばらくの期間、赤ちゃんの体で周囲の環境を観察して徐々にいろいろなことが分かってきた。やはりここは異世界のようで、僕は地方の下級貴族の家に生まれたらしい。父の名前はグラーツ。母のエレノアは「あなた」と呼ぶし、使用人は旦那様と呼ぶので、家名はしばらく分からなかった。


 相変わらず体は自由に動かせなかったが、時が経つにつれ、徐々に体の感覚が自分の意志と同調するようになっていった。そして一歳の誕生日を過ぎてしばらくしたある日、僕は完全に自分の意志と体が一体化したことを実感した。今思えばおそらく自我の芽生えがきっかけだったのではないかと思う。


 こうして中二で事故死した僕、古谷聖司は異世界のミラール王国の辺境、ダンバスを治める領主ロシュワール子爵家の次男として生まれ変わった。


 僕のエリオット・シーガー・ロシュワールとしての第二の人生が始まったのだ。

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