悪役令嬢は残業する
夕食後、自室に戻ろうとした私に、アンドレが声を掛けてきた。ノートらしきものをずいっと押し付けられる。
「姉さん、これあげる。今日僕が習得した黒魔法の知識をまとめといた」
「え?」
突然のことに、驚きを隠せない。じっとアンドレを見つめると、アンドレは困ったようにちょっと視線を逸らした。
「…いいの?」
「知りたいと思ってたでしょ?」
「それは、そうだけど…」
「僕も、黒魔法の素質があるって言われたのつい最近だし、イライザはお父様の一人娘なんだから、もしかしたらこれから突然、才能が開花することもあるかもでしょ?だから、一応」
どうやら、私が黒魔法の素質がないことに相当落ち込んでいるとでも思っているみたいだ。まあ、実際落ち込んではいるけど。昼間言い過ぎたって、まだ気にしてるのかも。思わず口元が緩む。本当、悪い奴じゃないんだよね、アンドレ。
「それなら、ありがたくもらっておく」
私はノートを受け取った。パラパラとページをめくると、かなり細かく書き込まれている。
「でもこれ、アンドレも使うんじゃないの?」
「僕は一回聞けば、頭に入るから。それは…姉さん用にメモしただけで」
ここにもハイスぺかよ。私の周りどうなってんのよ。
「そう。それならいいんだけど」
「読んだだけでわからなければ、僕が教えるから何でも聞いて。まあ、姉さんなら心配ないよね?」
アンドレの瞳がいたずらっ子みたいに輝く。ちょっとアンドレのキャラがわかってきたぞ。
「そうね。これからもノートを頼むわ」
ツンとした顔で睨み返すと、嬉しそうにアンドレが頷いた。
「了解。任せといて」
「それじゃ、早くお父様のところに戻りなさい」
「はーい、姉さん」
にっこり笑ってお父様の執務室に向かうアンドレの後ろ姿を見送る。完全にワンコだな。尻尾が見えるようだわ。
私は部屋に戻って、すぐにノートを開いた。たとえ黒魔法の能力がなくても、概念やどんな術があるのかくらいは把握しておきたい。
ノートはアンドレの言葉でまとめられていて、黒魔法の知識なんてまったくない私が読んでもわかりやすい。さすが首席、有能さが伝わってくる。集中してしっかりと読み込んでいると、部屋の隅のドレッサーの鏡が突然光り出した。
驚いて立ち上がり、恐る恐るドレッサーに近づく。そうっと鏡を覗き込むと、パトリックの顔が映し出された。
「え?パトリック様!?」
「やっぱりまだ寝てなかったんだな」
パトリックの背後に映るのは、パトリックの執務室の風景。どうやら、王城の執務室と繋がっているらしい。
「これも魔法ですか?」
私の問いに、パトリックが頷く。
「そう。この前イライザの部屋にお邪魔した時に、鏡に術を施してきた」
その辺り見て、というように、鏡の左下辺りをパトリックが指さす。よく見ると、小さく魔法陣のようなものが描かれている。こんなのいつの間に…?しかもこんな魔法、教科書には載ってなかった。同時に転生してきたはずの沢渡部長の魔法のレベルが私と桁違い過ぎて引くわ…。
「これで、いつでもイライザの部屋の様子がわかる」
うん、普段は鏡を覆っておこう。私の考えを読んだように、パトリックが言った。
「ちゃんと加減はわきまえてるよ」
本当か?ベッドは映らない角度だけど、着替えやメイクはドレッサーの前でしますけど?イライザはすっぴんもめっちゃ綺麗だし、スタイルも抜群だけど、それでも着替えやメイク中の姿を見られたくないのは当然だ。
「この世界、スマホどころか電話もないんだから、しょうがないだろ」
私に疑いの目線を向けられ苦笑いしていたパトリックが、表情を引き締めた。
「それで、ウォーノック公爵はどうしてる?何か聞いてるか?」
私はふるふると首を振る。
「お父様はお部屋に籠りっきりです。イライザの従兄弟のアンドレと一緒に」
「ああ、黒魔法の素質があるっていう?」
「そうです。この件を手伝わせるために、養子入りの予定を早めたらしくて、今日から来てます」
「そうか。どんな奴なんだ?アンドレって」
「めっちゃ優秀なワンコ、って感じですかね。1年生の首席で、魔法の実技試験でも歴代最高得点出したらしいです。ビジュアルもさすがイライザの従兄弟って感じですよ」
「ふうん…。イケメンってことか。んで、イライザに懐いてると」
少し口の端を歪めながら、パトリックが頬杖をついた。ん?ちょっと面白くなさそう?
「懐いてる…とまで言えるかはわかりませんが、褒められたそうではありましたね。まあ、顔はパトリック様の方が、私の好みですけど…」
なんとなくフォローを入れると、パトリックがじっと私の顔を見つめた。それから私の大好きな笑顔を浮かべる。
「この顔、大好きだもんな?」
大好きな笑顔が意地悪っぽく歪む。この意地悪っぽさが沢渡部長らしくて、以前のパトリックよりも好きだなんてことは、絶対に言わないぞ。
「沢渡部長だって、イライザの顔好きでしょ?」
負けじと妖艶な笑みを浮かべると、パトリックが真面目な顔で否定した。
「俺が好きなのは、イライザの顔じゃなくて中身の大城だぞ。そりゃ、イライザはすごい美人だとは思うけど」
一瞬で頬が熱くなる。ちょっと!真面目な顔で何言うのよ!
「そ…それは、どうも…?」
予想外の返答に、何て答えたらいいかわからなくなってしまった。
「言ったろ?ラブソニにハマったきっかけはイライザでも、そもそもイライザの性格に大城との共通点を見つけて推しになったんだから。それに俺、大城の顔も好きだったし」
沢渡部長の言葉はいつも直球すぎる…。私は恥ずかしさのあまり俯いた。私だって、沢渡部長の顔、嫌いじゃなかったけど…。ちらりと鏡を見ると、パトリックがずいっと顔を近づけた。
「大城、実はけっこう人気あったんだぞ。綺麗で仕事もできるって。お前は仕事以外にまったく目を向けてなかったから、気づいてなかっただろうけど」
初耳なんですけど。前世で言ってよ。まあ、確かに仕事以外のこと考える余裕もなかったから、それを知ったところでどうにもならなかっただろうけど。どうにかなったとしても、中身の乾燥具合がバレたら一瞬で終わるんだろうけど。
「蹴散らすの大変だった」
蹴散らしてたの?驚いてパトリックの顔を見つめると、ちょっと拗ねたような顔で睨み返された。
「お前は仕事以外に気を配らなすぎなんだよ。無自覚に取引先やら同僚やらたらし込みやがって」
「そんなの知りませんよ。沢渡部長こそ、鉄面皮の仕事の鬼だったくせにモテまくってたじゃないですか!」
理不尽な怒りをぶつけられたら、私だって黙っていられない。しかも、どう考えても沢渡部長の方がモテてたし。私は誰からも付き合おうとか言われたことない。沢渡部長の勘違いって可能性もあるじゃん。
「大城に惚れてた奴らには、大城は長く付き合ってて結婚目前の彼氏がいるって吹き込んどいた」
悪質なデマだな。ぎろっと睨むと、しれっとした顔でパトリックが言った。
「いいじゃん、今は本当に結婚目前の婚約者がいるんだから」
「今回の障害を乗り越えないと、結婚できませんけどね」
思わず突っ込んでしまった。
「それは絶対に回避するから大丈夫だ。色々策は練ってる。これを機にアスター叩き潰してやる」
パトリックの目がギラッと鋭く光る。さすが、私の敵に回したくない人ランキング第一位なだけあるわ。だけど今後のことを考えれば、確かにアスター帝国の力は削いでおきたい。好戦的な隣国はかなり厄介だし、また障害として立ちはだかる可能性も高い。それに何より、絶対に戦争になんてなっちゃいけない。
「ただ、まだ駒が揃わない。だからウォーノック公爵の方の情報が欲しかったんだが…」
「それなら、明日朝イチでご報告できるようにしますね。邪魔にならないタイミングを見計らって、お父様に進捗と、今後の方向性も聞いてご報告します。部屋に籠りっきりとはいえ、アンドレが出入りするタイミングもありますから、気をつけていればお父様にお話が聞けると思います」
「悪いな。睡眠時間を削らせてしまって。俺だけでなんとかできればよかったんだが…」
悔しそうな表情のパトリックを見て、私は俯き拳を握りしめる。すぐ1人でどうにかしようとするんだから。私が望んでるのは、そんなことじゃないのに。
「すべて1人でなんて…そこまでハイスぺだと、逆に私も気後れしますよ。私にも一緒に立ち向かわせてくださいって、言ったじゃないですか」
思わず不満を口にしてしまうと、自分の中で糸がプツンと切れたような感覚がして、言葉が止まらなくなった。
「私、何もできることがなくて。本当に悔しいんです。前世でも、今も、私には特別な力は何一つありません。ちょっと要領がいいだけの凡人です。だけど…だからこそ、努力でどうにかなることならなんだってしたい。前世でも、沢渡部長の示してくれる方針に従って、できる限りのことをしていたつもりです。徹夜して仕事が終わるなら、自分の時間を削って接待して仕事が円滑に進むなら、綺麗にしていれば話を聞いてもらいやすくなるなら、それでいい。それが私にできることだから。今だって同じです。特別なことはできなくても、私にできることで役に立てることを探したい。それがどんな小さなことだって、どんな大変なことだって、何もできないで見ているよりずっといいんです。沢渡部長なら、そんな私をわかってくれてると思ってました!違ってたんですね!私の気持ちなんてどうでもいいんですか!?」
一気にまくし立ててしまってから、はっとしてパトリックの顔を見上げる。パトリックの表情は、沢渡部長の鉄面皮を思い出させる勢いで固まっていた。
――言い過ぎた。沢渡部長は私とのこれからのために頑張ってくれてるのに…。だけど、2人のこれからのことなんだから、私だって一緒に頑張りたいんだって、わかってほしい。私を巻き込むことに、罪悪感を抱いてなんてほしくない。むしろ、もっと巻き込んでほしいのに。
「大城、悪かった。俺、1人でどうにかしなきゃって焦り過ぎてた」
こんな表情の読めないパトリックの顔、ゲームでは見たことなかった。沢渡部長にしか見えないその表情を見た瞬間、私の中に渦巻いていた行き場のない怒りがすうっと冷めていく。
「いえ…。私こそ、すみません。沢渡部長、謝らないでください。何も悪いことしてませんから。――自分の力のなさが歯痒すぎて、沢渡部長に八つ当たりしました…。やっと小さいながらできることがあったと思った瞬間、俺だけでなんとかできればよかったって言われて、頭に血が上りました」
パトリックは俯いて頭を掻く。
「いや、俺が悪い。大城欲しさにさっさと周り固めてイライザとパトリックの婚約まで持ってったけど、そもそもパトリックと婚約しなければ、こんな苦労させることなかったんだよなって思ったら、お前に負担かけずに一刻も早くこの問題を解決しなきゃって焦ってた。でも、大城も俺のこと、好きになってくれたんだもんな。だから2人で一緒に乗り越えたいって思ってくれてたのに…。本当に悪かった」
「私の恋愛スキルが低すぎるせいで…不安にさせてたんですよね…。すみません…」
ああ、どうしてここまで大干ばつを放置してたんだ前世の私…。
「そうじゃない。大城はちゃんと気持ちを伝えてくれた。俺が勝手に何年も片思い拗らせて、大城が俺を思ってくれてることがどこか夢みたいに感じてしまってたから、大城を傷つけた。大城は一度気持ちを決めてくれたら、どんな困難にも一緒に立ち向かってくれる人だって、俺が一番わかってたつもりなのにな」
パトリックがこちらに手を伸ばす。私も鏡越しに、パトリックの手に自分の手を重ねた。
「他の人とだったら、どんなに押されたってこんなにすぐ婚約なんてしてませんよ?ちゃんと…すごく、好きですからね…?」
パトリックが嬉しそうに微笑む。沢渡部長の色香を漂わせた、前のパトリックの笑顔よりももっと好きな笑顔。
「俺も、大城以外は絶対に考えられない。ずっと好きだったんだ。その大城が俺のことを好きだって言ってくれてるんだから、こんな障害なんてことない。今度こそ…一緒に乗り越えような」
「はい」
私も微笑む。自分の気持ちがちゃんと伝わったことがわかるのって、本当に嬉しい。
「じゃあ、大城はウォーノック公爵からの情報をまとめて明日朝イチで報告頼む。俺はいろんな事態を想定した対策案を引き続き練る。その中で大城に動いてもらうことも出てくると思うから、その時はよろしく頼む。この問題が片付くまではお互い寝不足が続くかもしれないが、問題ないな?」
「沢渡部長の下で何年社畜生活送ってきたと思うんですか?今さら寝不足なんてなんともありませんよ。私にできる雑務はどんどん振ってください」
「さすが大城だ。頼りにしてるぞ」
「はい!」
私たちは微笑んで頷き合うと、それぞれの役割をこなすべく動き出した。
お父様たちの動きがわかるようにリビングルームに移動した私は、アンドレからもらったノートに目を通しながら、部屋から誰かが出てくるのを待った。
ノートの情報によると、黒魔法を使った後は体力の消耗が相当激しいらしい。体力を強化するために普段からどんな生活を心掛けるべきなのかや、体力の消耗時によく効く薬草のことも書かれている。
確か、この邸には薬草庫があったはず。私はすぐに薬草庫に行ってみた。
さすが公爵家の薬草庫、壁一面が薬棚になっていて、何種類もの薬草の名前が貼られている。よく効くと記されていた数種類の薬草をブレンドした瓶もあった。どうやら
薬草に関する知識を片っ端から頭に入れていく。しばらく没頭していると、お父様の部屋のドアが開いた音がした。
すぐに廊下に飛び出すと、アンドレが眠そうに欠伸をしながら歩いてくる。私の姿を見て、驚いたように目を見開いた。
「イライザ…姉さん、まだ起きてたの?」
「ええ、ちょっと調べたいことがあって。アンドレは?順調に進んでるの?」
「うん、順調だよ。ちょっと疲れたから、薬湯を入れてきてって頼まれてさ」
「それなら、私が入れて持っていくわ。お父様からお話も聞きたいし」
アンドレがさらに目を丸くする。
「入れられるの?薬湯」
「アンドレがくれたノートに薬草のことが書いてあったでしょう?さっき薬草のことも勉強していたから、薬湯の入れ方もわかるわ」
私が言うと、アンドレはにっと笑った。
「さすが姉さん。もうそこまでやってるんだ」
「私には黒魔法の素質がないんだから、サポートくらい当然よ。さあ、早くお父様のところに戻りなさい。アンドレはアンドレにしかできないことをしっかりやってちょうだい」
「ふふ、以前よりイライザ、パワーアップしてない?今の方がいいね」
アンドレ、カンが鋭そうだから中身が違うってバレそうでドキッとするな。
「余計なこと言ってないで、さっさと行く!」
「はーい」
アンドレをお父様の部屋に追い返すと、私は薬草庫からさっきのブレンドの瓶を持ってきて薬湯を入れた。ハーブティーのような香りが漂う。本の手順通りやったから、大丈夫なはず。
薬湯を持ってお父様の部屋のドアをノックする。
「どうぞ」
アンドレがドアを開けてくれた。部屋に入ると、お父様が床に描かれた魔法陣の中心で目を閉じ、ぶつぶつと何かをしゃべっている。
「今、影をアスターにいるご友人のところに飛ばしてる」
アンドレにそっと耳打ちされ、私は黙って頷いた。どうやら今はお父様には話しかけない方がよさそうだ。テーブルに薬湯を置いて、しばしお父様の様子を見守る。アンドレが薬湯に手を伸ばし、一口すすって顔をしかめた。私も味見してみたけど、この薬湯はめちゃくちゃ苦い。アンドレの表情に、思わず口元が綻んだ。
そうやって待っているうちに、お父様が目を開けた。だいぶ疲れた表情をしている。
「お父様、お疲れ様でございます。薬湯を入れてまいりましたので、一息入れてください」
「おお、イライザ、まだ起きていたのかい?ありがとう、いただくよ」
お父様は椅子に座って薬湯を飲んだ。
「うん、苦い。でもこれがクセになるんだよ。こんなにしっかり成分を抽出した入れ方ができるとは。イライザ、勉強したのかい?」
「ええ、少し。薬草庫の本を読ませていただきました」
お父様はもう一口薬湯を飲むと、懐かしそうに瞳を細めた。
「君のお母さんが入れてくれた薬湯とよく似ている。やっぱり親子なんだなあ。いつも彼女は僕をサポートしてくれていたから…」
お父様は薬湯を飲み干すと、ふうっと息をついた。
「ああ、薬湯でだいぶ癒された。イライザは進捗を聞きに来たんだろう?今飛ばしていた影の情報を話すから、メモを頼む。これまでの分はアンドレがまとめてくれているから」
私はすぐにノートを広げ、お父様の言葉をメモし始めた。アンドレは先程までの分のメモを整理しながら、黒魔法についてもノートにまとめている。
こうして明け方近くまで、私たちの作業は続いた。
少し眠って朝食を取ってから、私は自室のドレッサーの前に座った。鏡の左下に刻まれた魔法陣に手をかざすと、鏡が光り出す。すぐにパトリックが鏡に映し出された。
「おはよう、イライザ。少しは寝たか?」
「おはようございます、パトリック様。ええ、少しは。パトリック様こそ、ちゃんと仮眠取りました?」
「取らないとお前に怒られると思って、ちゃんと取ったよ。おかげで頭もすっきりしてる」
パトリックの顔色も悪くなさそうで、私は安心した。
「じゃあ早速、お父様からの情報をお伝えしていいですか?」
「ああ、頼む」
私は昨夜お父様から聞いた情報をまとめたものを報告していく。今後の予定まで報告すると、パトリックが大きく頷いた。
「さすがウォーノック公爵だ。俺が欲しかった情報が完璧に集められてる。根回ししておきたい人物への接触もしてくれてるし、これで俺の計画も順調に進みそうだ」
「今のところ、どんな計画になってるんですか?」
「アスター帝国は、現皇帝の独裁体制になってから、武力行使により急激に国土と勢力を拡大した国だ。属国となってからも独立を諦めていない国も多いし、亡国の貴族たちで皇帝の転覆を目論む者もいる。国内ですら現皇帝のやり方に不満を持っている者も多い。だから、内部分裂を起こさせて現皇帝を廃位させる」
それは…そうできたら理想だけど、そんなにうまくいくのかな?現皇帝が廃位されても、次に皇帝になる人が同じような考え方の人だったら?私が考え込んでいると、パトリックがにやりとした。
「現皇帝のやり方に内心反発している皇族も多いらしい。戦争を望まない皇族を次の皇帝に据えるよう、もちろん動いてる。ウォーノック公爵が、この計画にかなり同調的で、それなりに力を持っている人物たちをうまく洗い出してくれているからな。俺はその人物たちに現皇帝を廃位できたらどんなメリットがあってどうすればそのメリットを享受できるか、魅力的な案を提示してプレゼンする。もちろん、彼らに危険が及ばないように現皇帝を廃位させる計画も一緒にな。これからこの計画を詰めるから、イライザ、午後ウォーノック公爵とアンドレも一緒に登城できるか?少しの間王城に滞在して補佐をしてほしい」
「もちろんです」
私はにっこり笑って頷いた。一緒に乗り越えたいって言った私の気持ちを、ちゃんとパトリックが汲んでくれたことが嬉しい。午後の登城に備え、私たちはそれぞれ準備に入った。
パトリックの執務室に通されると、机の上に山積みになった書類の向こうからパトリックが顔を出した。すっと立ち上がり、笑顔で私たちを応接セットへと促す。
「ウォーノック公爵、イライザ、連日お呼び立てして申し訳ない。昨夜も遅くまで尽力くださり、感謝します」
今朝鏡越しに会ったけど、実際に会って顔が見られると安心する。疲れてないはずはないけど、顔色は悪くない。前世より10歳くらい若いんだから、体力ももっとあるのかも。私もそうだし。無理がきく若さって素晴らしい。
密かに胸を撫で下ろしていると、私の後ろに続いていたアンドレがパトリックに挨拶をした。
「お初にお目にかかります。この度ウォーノック公爵家の養子となりました、アンドレ・リー・ウォーノックにございます。パトリック殿下にお会いできて光栄です」
「はじめまして、アンドレ。話はウォーノック公爵から聞いているよ。これからよろしく」
パトリックに目が眩むほど眩い笑顔を向けられ、アンドレが頬を染めた。そうなのよ、あの笑顔には男でも魅了されちゃうよね。私は内心、アンドレに大きく同意した。
ソファに座るなり、目の前に書類の束が配られる。
「これまでの経緯と調査結果を踏まえた作戦の計画書だ。まずは目を通して、忌憚ない意見を聞かせてもらいたい。僕は今回の件をきっかけに、アスター帝国の現皇帝を廃位させて、武力による強引な統治路線を潰してしまいたいと考えている」
パトリックが強い意志を宿した瞳で語ると、お父様とアンドレが少し目を見開いた後、同意するように頷いた。
「確かに。ここでアスターの強硬路線を叩けるならば、そうしておくべきでしょう。我が国の今後のためにも」
お父様はそう言うと、熱心に計画書を読み始めた。アンドレも続く。私もパトリックの意図を少しも取りこぼさないよう、集中して計画書に目を通す。
私が計画書を読み終わり顔を上げると、お父様もほうっと息を漏らしながらパトリックを見た。
「さすがです、殿下。これならきっとアスター帝国を平和的な国家へと方向転換させられるでしょう。私もアンドレも、この計画に沿って尽力させていただきます」
パトリックが安堵の笑みを浮かべて手を差し出した。
「ぜひ、よろしくお願いします。この計画にウォーノック公爵のお力は不可欠ですから」
お父様がその手を両手で力強く握り返す。
「どこまでもついていきます、パトリック殿下。殿下のような素晴らしい方にイライザを嫁がせられること、恐悦至極に存じます。末永くよろしくお願いいたします」
相変わらずお父様の熱量がすごい。まだ婚約は宙に浮いたままだけど、確かにこの計画通りに事が進めば、パトリックとアスター帝国の皇女が結婚ってことにはならなそうだ。そのためには、絶対に計画を成功させなくちゃ。
「ありがとうございます。それでは、早速計画を実行していきたいと思います。イライザにも僕の補佐をお願いしたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「もちろんですとも。イライザもそのつもりでいたようです」
私が数日分の着替えや身の回り品を持ってきたの、お父様も見てたもんね。お父様とアンドレにも着替えは持ってきてもらうようにしたし。
「では、皆さん、よろしくお願いします」
パトリックに続いて、私たちも立ち上がった。お父様とアンドレは、黒魔法を使うため王城の魔法学者が用意した部屋に行き、私はパトリックとともに交渉用の資料作りに入る。
「この侯爵の心を動かせるよう、これとこれに目を通して交渉案の作成を頼む」
仕事がどんどん割り振られる。前世を思い出して、懐かしさと緊張感が蘇る。これ、ちょっとでも突っ込まれる隙があるとめっちゃ怒られるやつだ。今回はさらに、自分たちのこれからも大きく関わるから失敗は許されない。集中しなきゃ。
目を閉じて背筋をぐっと伸ばし、深呼吸をする。それからぱっと目を開くと、交渉案の作成に取り掛かった。
――どのくらい時間が経っただろうか。交渉案の作成が終わり、落ちがないか、もっといい条件が提示できないかを見返した。いつの間にかパトリックの従者さんが机にお茶を置いてくれてたみたいだ。出入りしたのにも気づかないとは、私もかなり集中してたんだな。せっかくだから一口飲む。冷めちゃったけど、香りがよくてほっと心が解れた。
パトリックにちらりと目をやると、一心不乱に何か書きつけている。その鋭い眼光は沢渡部長そのものだ。前世でよく、こうして一緒に残業したな。しばらくお茶を飲みながらパトリックを見ていると、眉間を指で摘まみながらパトリックが顔を上げた。あの仕草、超見覚えがある。ひと段落ついたんだな。
私は作成したばかりの交渉案を手に立ち上がり、パトリックの前に移動した。
「パトリック様、こちら、目を通していただけますか?」
「ああ、お疲れ。すぐ確認するから、その間にそこの書類、国別に整理しといてもらってもいいか?」
「はい、承知しました」
つい最近まで日常だったやりとりに、一瞬自分がイライザだって忘れそうになる。ラブソニの世界で沢渡部長と残業する日が来るとは、想像もしてなかったな。
書類を整理してから、部屋の隅に置かれたティーセットでお茶を入れる。薬草があれば、疲労回復の薬湯でも入れたのに。
パトリックの執務机にお茶を置くと、パトリックが顔を上げて微笑んだ。
「ありがとう。交渉案もよくできてる。ここのとこだけ、こっちの条件も追加しといて」
「わかりました」
私が書類を受け取ると、パトリックはお茶を飲んでふぅーっと長く息を吐いた。
「パソコンないって辛いよな。この問題が片付いたら、この状況どうにかしよう」
「ですね。手書きがこんなに辛いとは思いませんでした」
「ラブソニの世界観って、中世ヨーロッパっぽい感じをベースに現代っぽいアイテムは魔法で賄ってる感じだよな?それなら魔法で何らかの解決策があると思うんだが…。とりあえず今はそれ探してる暇もないしな」
私は腕をぷらぷらさせながら頷く。ずっとペン握ってたから腱鞘炎になりそう。
そんな私をじっと見ていたパトリックが、立ち上がって腕を広げた。
「ん」
「何ですか?」
「充電。早く」
これは…ハグってこと?私は躊躇いながらも、パトリックの前に立った。その瞬間、ぎゅっと抱きしめられる。パトリックの胸に頬を埋めると、いい香りに包まれた。
「――あー、癒される。最高」
私もパトリックの背中に腕を回した。密着度が増して恥ずかしいけど、ぴったりくっつくとなんだかすごく安心する。
「私も…最高です」
思わず正直に告げると、パトリックが嬉しそうな顔をしてちゅっとキスした。安心してたのに油断も隙もない!と睨みつけたら、そのままもう一度、深く長いキスをされた。舌を絡めとられて、足の力ががくんと抜ける。パトリックはそんな私をキスしたまま抱え上げて、ソファに移動した。
「はぁ…ん…」
疲れているせいか、すぐに頭がぼうっとしてきて何も考えられなくなる。貪るようなキスにすっかりとろとろにされていると、やっと唇が離れた。
「可愛い。もっととろけさせてやりたいけど、今はこれで我慢だな」
いやもう…十分過ぎますけど…。手加減しようよ…。
「充電完了。すげぇ元気出た。前世でもこうやって充電できてたらもっと頑張れたな、俺」
「いえ、大丈夫です。前世で沢渡部長にあれ以上頑張られたら、部署の全員が過労死してますから」
パトリックは私を後ろから抱きしめて、髪に顔を埋める。まあ、心は確かにちょっと満たされて元気出た…かも?
「よし、もうひと頑張りだな。いけるか?大城…イライザ」
「はい、大丈夫です」
パトリックは最後に、数秒間抱きしめる腕にぎゅうっと力を込めた。ずっとこの腕の中にいられる未来を掴まなきゃ。
「さあ、休憩終わり!」
まるで自分に言い聞かせるように言って私から離れると、パトリックが執務机に向かう。
私も立ち上がってお茶のカップを下げると、新たな仕事に取り掛かった。
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