悪役令嬢は覚悟を決める

馬車の窓から流れる街の景色を眺めながら、私はため息をついた。

一週間前には見るものすべてが新鮮でいちいちときめいていたけど、それも徐々に落ち着きつつある。

「婚約披露、イライザはどんなドレスを着たいんだい?イライザは何でも似合うからなぁ」

向かいに座ったお父様は、朝から上機嫌だ。

馬車は今、王城に向かっている。今日はパトリックと婚約披露の打ち合わせをするのだ。


転生前、社畜OL大城菜々香として恋愛から対極の場で枯れ果てていた私は、生活のすべてを仕事に占拠されていた。

同じ職場の上司であり、私と同時にパトリックとして転生してきた沢渡部長が好意を寄せてくれていたことにも気づかず、ただただ忙殺される日々。――まあ、転生前の沢渡部長は感情の起伏が少しも表情に表れない鉄面皮の鬼上司だったから、あんなの私じゃなくても気づかないとは思うんだけど…。

けれど、転生してからいかに沢渡部長が私のことを気にかけてくれていたかを知って、なんだか少し申し訳ない気がしているのだ。しかも、転生後も沢渡部長はすぐに、パトリックとしてイライザの私を守りながらこの異世界で生きていくという決断をして、即座に行動に移してくれていた。

そんな沢渡部長の行動を思い返すに、いかに私は自分のことしか考えていなかったかを痛感させられて、こんな私が沢渡部長に思ってもらう資格なんてあるのかな、って、どうしても考えてしまう。


もともと沢渡部長はハイスぺのエリートサラリーマンで、そのうえイケメン。厳しすぎて近寄り難かったにも関わらず、何人もの女の子に思いを寄せられていた。なのにその相手が、仕事が生活の中心というより、生活イコール仕事だった私…。いいのかな?バチ当たったりしない?


とはいえ、転生後の沢渡部長の押しの強さやら、私が影ながら努力していた姿を見てくれていたことへの嬉しさやら、ラブソニで課金しまくってた最推しパトリックのビジュアルに上乗せされた沢渡部長の色気やらに、私は完膚なきまでに落とされてしまった。今や過去の彼女さんたちにすら嫉妬してしまうほど沢渡部長のパトリックが好きになってしまった私としては、もう今さら後戻りはできないところではあるんだけど…。


パトリックはゲーム通りならこのまま王太子になり、ゆくゆくはこの国の国王となる人。そんな人と婚約となれば、当然私もゆくゆくは王妃になるわけだ。軽々に恋人気分を楽しめる立場じゃない。とにかく、そういういろいろな思いが交錯して、思わずため息も漏れてしまうというもの。――まあ、つまりは、まだまだ覚悟が足りてないってことなんだろうな…。


ため息を繰り返す私に、お父様が心配そうに問いかけた。

「イライザ、実はパトリック第一王子殿下との婚約が、嫌だったりするのかい?」

私ははっとして、即座に首を振った。――そうだ、私は嫌なんじゃない。恐れ多いような、腰が引けるような思いは抱えているけれど、パトリック以外の人と婚約するのも、パトリックが他の人と婚約するのも、どちらもものすごく嫌だ。だって私は、沢渡部長のパトリックが好きなんだから。

それなら、私がしなければならないことは決まっている。


「嫌だなんて、滅相もございませんわ。光栄の限りです。ただ、私にそんな重責が務まるのかと悩んでおりましたが…。でも、今お父様に問うていただいて、自分の気持ちが見えました。私、パトリック様の婚約者として相応しい存在になれるように全力を尽くしますわ」

しっかりと顔を上げた私を見て、お父様が安心したように、そして満足そうに微笑んだ。

「それでこそ私のイライザだ。大丈夫。イライザなら心配ないよ」

「ありがとうございます、お父様」

覚悟は決まった。それさえ決まれば、社畜OL時代に培った根性で、目標に向かって突き進むだけ。努力してみてもいないのに、やる前からどうせ…っていう奴が嫌いだった私が、何をウジウジしてるんだ!目標を達成するためなら、どんな困難にも打ち勝ってみせる。目の前の靄を晴らすきっかけをくれたお父様に本当に感謝だわ。

私はぎゅっと拳を握りしめ、窓の外に迫る王城を見据えた。


王城に着くと、何故だか城内では多くの人たちが慌ただしく行き交っていた。ピリピリとした雰囲気が漂っている。パトリックの従者の人がお出迎えしてくれたけど、どうにも落ち着かない様子だ。

「何かあったのですか?」

周りの様子に目を配りながら聞いてみる。従者の人は顔を強張らせながらも、小声で答えてくれた。

「実は、アスター帝国から使者が参りまして…。ただいま国王陛下とパトリック殿下が謁見中でございます。イライザ様には、執務室にてお待ちいただくよう、パトリック殿下から言付かっておりますので、ご案内させていただきます」

アスター帝国。その名前を聞いた瞬間、すうっと背筋が寒くなった。ラブソニのパトリックルートで、最大の障壁となる国の名前だ。


この国、カンパニュラ王国には、攻略対象の一人アランの国ネメシア王国と、強大な軍事力を持つアスター帝国という、2つの隣国がある。ネメシア王国とは代々友好関係にあり、近日中に王位を継承するアランとも固い協力関係が結べている。

一方で、アスター帝国は侵略により国土を拡大してきたという好戦的な国で、カンパニュラ王国、ネメシア王国ともにアスター帝国とは一時休戦中のような状態。先王時代には戦争もあり、いつまた開戦となるかわからないという、とっても厄介な国だ。


ゲームの中では、ヒロインのアンジーがパトリックルートに入ると、乗り越えなければならない最大の試練として、アスター帝国の皇女とパトリックの婚約話が持ち上がる。国の規模や軍事力ではアスター帝国に劣るカンパニュラ王国だが、多くの有能な魔術者を有するために、国の守りは固い。そこで、攻めあぐねていたアスターは皇女をカンパニュラに嫁がせて、中から懐柔していこうという作戦に出るのだ。もちろん、カンパニュラとしては断りたいところだけど、相手が相手だけにそう簡単にはいかない。下手に断れば、再び開戦となってもおかしくないからだ。今回の使者が婚約話を持ってきたかはまだわからないけれど、その可能性はかなり高いんじゃないだろうか。


ゲームのアンジーは、白魔法が使えることを武器に、この難局を乗り越える。白魔法を鍛え上げて国の防御力を上げ、アスター帝国に媚びる必要などないことを証明してみせるのだ。だけど、私は白魔法が使えない。白魔法を盾にこの婚約話を打ち消すことはできないってことだ。何か別の手を打たなければ、パトリックはアスターの皇女と結婚させられてしまうかもしれない。


つい先日のネメシア王国のクーデターといい、今回の使者といい、悪役令嬢ポジションである私が、リアムとの婚約を簡単に破棄して断罪ルートを回避したうえに、パトリックと婚約したことで、かなりゲームとは違った展開になってしまっているみたい。先を読んで手を打つのも簡単じゃないはず…。って、まだ婚約話が持ち込まれたと決まったわけじゃないし、どんな困難にも立ち向かうとさっき決意したばかりだ。ここは冷静に、状況を見極めなくちゃ。


「ウォーノック公爵、イライザ嬢、お待たせしてしまい、申し訳なかった」

執務室でお父様と2人待っていると、パトリックがやってきた。ちらりと視線を送ると、少し強張った表情のパトリックが小さく頷いた。どうやら、悪い予感は的中しているようだ。やっぱりか…。

心配気な視線を返すパトリックに、私は力強く頷き返す。大丈夫。私も一緒に立ち向かう。そう伝わるように。

パトリックはそんな私の表情を見て、一瞬驚いたように目を見開く。それから、私の決意を受け取ったというように微笑んだ。ぱあっと花びらが舞ったような錯覚を覚える、眩い笑顔。

うん、私はこの笑顔を守りたい。絶対に手放したくない。そうさらに決意を固めさせてくれる笑顔だった。


「実は、アスター帝国から使者がやってきまして…。僕のところに、皇女を輿入れさせたいとの申し入れでした」

パトリックが切り出すと、お父様が眉をぴくりと吊り上げた。それから顔をしかめて重々しく頷く。

「そうでしたか…。厄介なことになりましたね。――して、殿下のお考えは?」

さすが、このカンパニュラ王国の公爵の中でも筆頭となる人物だ。落ち着いている。

「私も国王陛下も、もちろん同意はしかねる申し入れです。アスター帝国がカンパニュラ王国を内部から掌握しようと企んでいるのは火を見るよりも明らか。受け入れることはアスター帝国の属国になるも同然です。それに何より、私はイライザ嬢を心から愛しています。他の女性を妃として迎えるつもりは微塵もない。しかし、ウォーノック公爵もご存知の通り、相手はアスター帝国だ。うまくやらねば開戦になりかねない。そうなれば、決して少なくない犠牲が出ます。それは避けねばなりません」

パトリックが膝の上で組んだ手に力を込める。

「本日は婚約披露の打ち合わせに登城いただいたのに、このような事態になり申し訳ない。婚約披露は、この問題が片付かないと難しい状況になってしまいました」

お父様もパトリックの話に同意する。

「それはもちろん、仕方のないことでしょう。なんとか開戦を回避しつつ、アスターの申し出を断る方法を見つけなければ…」


私はお父様の隣に座り、2人の話をじっと聞きながら、ゲームの内容を必死に思い出そうとしていた。アスター帝国については、ゲームの中でもその概要が説明されているだけで、実際の皇女や皇帝は登場しない。それでも、何か糸口になるような情報はなかっただろうか?

考え込む私を見つめていたパトリックが、お父様に言った。

「ウォーノック公爵、少しの間、イライザ嬢と2人にしていただけないでしょうか?私の思いを彼女にきちんと伝えておきたいのです」

お父様はぱっと表情を明るくする。

「もちろんですとも、殿下。どうか娘を安心させてやってください」

「ありがとうございます」


お父様が執務室を出ていくと、パトリックがわしわしと頭を掻いた。沢渡部長の頃からの癖だ。

「と、いう訳で。かなり厄介な展開になってる」

「ですね。アスター帝国からの使者が来てるって聞いて、悪い予感はしたんですけど…」

「次から次へと、問題ばかり起こるな。俺たちが原因でゲームのストーリーが大幅に変わってしまったとはいえ、あまりに試練が多すぎる。――まあ、絶対に乗り越えてやるけどな」

パトリックが私の手をぎゅっと握った。私がその上にさらに自分のもう一方の手を重ねると、またパトリックが吃驚した顔をした。

「どうした?今までのお前なら、文句の一つでも言いそうなもんなのに」

パトリックは私を見つめながら手を持ち上げ、指先にキスを落とす。んん、こういうのはまだちょっと慣れないんだけど…。

私が顔を赤らめるのを見て、パトリックがにっと笑う。

「覚悟ができたってこと?」

やっぱ見つめられると恥ずかしいけど…。ここでちゃんと決意を伝えられないようじゃ、この先を一緒に乗り越えるなんてできないぞ!頑張れイライザ!


「――そうです。覚悟ができました」

パトリックの手に重ねた自分の手にぎゅっと力を込めて、じっと瞳を見つめ返す。思いがけない私の言葉に、パトリックの目が大きく見開かれる。

「私…私、パトリック様が、沢渡部長のパトリック様が好きです。この先もずっと、パトリック様と一緒に生きていきたいって思っています。だから、この試練も、絶対に乗り越えてみせます。白魔法が使えなくても、必ず他の方法を見つけ出して、アスター帝国の申し入れを退けてみせます!」

パトリックの顔がみるみる赤く染まる。長い指の綺麗な手が口元を覆った。

「――っ大城…イライザが、そこまで決意してくれてるとは思わなかった…。不意打ち過ぎて…、ちょっと色々感情が追いつかない…」


あの冷静沈着で鉄面皮の沢渡部長にあるまじき反応に、私も驚く。そんな表情されたら、私だってもっと照れるじゃない!

かあっと耳まで熱くなり、茹でダコみたいになって俯いていると、ぎゅっと抱きしめられた。

「ありがとう。大城からこんな嬉しい言葉が聞けるなんて思わなかったから、動揺し過ぎた。俺のこと、本当にちゃんと好きになってくれたんだな。一緒に困難に立ち向かってくれるんだな」

耳が押し当てられている胸から、パトリックの鼓動が伝わる。私と同じで、すごく速い。そう、同じなんだ。沢渡部長も私も。好きな人と一緒にいたい、そのためにこの難局を乗り越えたい。


私も、パトリックの身体に腕を回す。ぎゅっと力を込めて、抱きしめ返す。私の勇気よ、もう少しだけ頑張って。

「だ、大好きです。沢渡部長。だから絶対に、2人で一緒にいられるようにしましょう」

言い終わるや否や、熱いキスで唇が塞がれた。溢れる思いを余さず伝えようとするかのように絡められる舌に、私も拙いながら精一杯応える。

「好きだ、大城。好きだ。離さない。絶対に」

キスの合間に伝えられる言葉には、切実な思いが詰まっているのが感じられて、ぎゅっと胸が苦しくなる。知らなかった。本当に人を好きになるってこんなに、切なくて苦しい。だけど、思いが通じ合っているのが感じられるから、その痛みすら甘い。


そうしてしばらく互いの思いを受け止め合って、私たちはおでこを合わせた。

「これ以上は、ウォーノック公爵も心配するかな」

「そうですね。ちゃんと、対抗策を考えなくちゃ」

私たちは微笑んで頷き合った。


戻ってきたお父様も一緒に、アスター帝国についての情報を交換、整理する。とはいえ、私だけが知っている情報なんて何もない。お父様のこれまでの知識や経験からもたらされる情報と、パトリックが集めた情報に耳を傾ける。

「つい先日協力関係を結んだネメシア王国の貴族の話によると、ネメシアで起こったクーデターもどうやら裏でアスター帝国が糸を引いていたようだ。アランの叔父が王座につけば、ネメシアはアスターの属国となっていただろう。しかし、クーデターが成功したと思った矢先にすぐ、アランがネメシアの王座を奪還した。目論見が外れたアスターが、次に目をつけたのがカンパニュラというわけだ」

パトリックはアランの件で手を組んだネメシアの貴族からも、しっかりと情報収集しているようだ。

「じゃあ、ネメシアにもまだ危険があるわけですよね?」

私の問いに、難しい顔をして頷く。

「アランの叔父サイドについていた貴族たちは大方捕らえられたらしいが、危険分子がすべて取り除かれた訳ではないだろうな。ネメシア国内の情勢はまだ不安定だろうから、アランも気を抜けない状態にある。今回の件で助力を求めるのは難しいだろう。もちろん、互いにアスターに対抗するための協力体制は構築するが」

「そうですね…」


外交を任されることも多く、多くの国に友人知人を持つお父様が言った。

「アスターは武力によって小国を従え、今の巨大な帝国になっているが、それ故一枚岩ではありません。アスターに吸収されてしまった今でも、再び独立を成さんとしている旧国も多いと聞く。その中には昔カンパニュラの友好国だった国もあります。なんとかそれらの国の元貴族たちと連絡を取ってみましょう」

「とてもありがたいお申し出です。ウォーノック公爵。しかし、くれぐれもお気をつけください。アスター帝国にそのことが知れれば、公爵とご友人の命も危うくなってしまいます」

心配するパトリックに、お父様が不敵に笑う。

「ご心配には及びません。殿下は私の魔法の能力をご存知ございませんでしたかな?私は数少ない黒魔法の使い手ですよ」

黒魔法?私は記憶を巡らす。そんなの、ゲームに出てきただろうか?いかにも悪そうな名前だけど…。


お父様の笑みを受け、パトリックもにやりと笑った。

「そうでしたね、ウォーノック公爵。どうか存分に腕を振るっていただきたい」

それから、黒魔法がどんなものかよくわかっていない表情の私を見て言った。

「黒魔法は、諜報向きのとても希少な魔法だ。自分の影を敵地に送り動向を探ったり、人の心に干渉して味方につけることもできる。もちろん物理攻撃だって強力だ。それ故に、使い道を誤ればとても危険な魔法なんだよ。ウォーノック公爵は、この国で唯一の黒魔法の使い手なんだ。もちろんそれは国家機密に近い情報だから、娘の君にも明かしていなかったと思うけどね」

お父様、マジか。そんなチート持ちがまさかこんなに身近にいたとは。


隣に座るお父様の顔を見上げると、お父様がにっこりと微笑み返した。イケオジらしい大人の色香が漂う笑顔。すごいのはこのビジュアルだけじゃなかったのね。

「イライザにもそろそろ伝えなければと思っていたところだったんだけど、我が家はこれまでも黒魔法の使い手を輩出している家柄でね。突然現れる白魔法の使い手とは違って、黒魔法は血縁が大きく関係するのではないかと言われているんだ。まあ、黒魔法自体が隠匿されているから、それを知るのもウォーノック家の人間以外は、国王陛下や王子殿下、それからごくわずかの魔法学者に限られているけどね」

ウォーノック家がそんな家系だなんて、ゲームでも聞いたことがない設定だ。あらためて、ここはゲームの中の世界でありながらも、私たちが知る世界とはまったく別の世界として存在している場所なんだということを痛感させられる。ゲームで見ていたのは、そのほんの一部に過ぎなかったんだな。


――ん?だけど、黒魔法と血縁が大きく関係するということは、私も黒魔法が使えたりしないのかな?

「お父様、それでは私にも黒魔法が使えるのではないですか?」

そうしたらパトリックの力になれるかもしれないと期待で胸を膨らませてみたが、お父様は残念そうに首を振った。

「血縁が関係していると考えられるとはいえ、ウォーノック家の者すべてが黒魔法を使えるわけではないんだ。実際、今の使い手は私1人だからね。それに今のところイライザに黒魔法の素質は見えない。分家の…、イライザの従兄弟のアンドレに黒魔法の使い手の兆候が見られるから、つい先日アンドレを養子にして我が家に迎えることが決まったところだったんだ」

そんな話が進行していたなんて、たった一週間前に転生してきたばかりの私はまったく知らなかった。

従兄弟のアンドレって、一体いくつの人なんだろう。素質って、いくつくらいでわかるものなのかな。私じゃもう絶対に無理なんだろうか。


一瞬期待した分、悔しさが顔に滲んでしまっていたのかもしれない。私の様子を見ていたパトリックが、お父様に聞いた。

「イライザの従兄弟のアンドレというのは、いくつの方なんですか?素質の有無は、どうやってわかるのでしょう?」

「アンドレは16歳です。アンドレに素質が見え始めたのは最近のことでして。もともとイライザは一人娘でしたから、リアムを婿として迎え入れるか、養子を取るかと考えていたのですが、アンドレに素質があるのなら、養子にして私の下で黒魔法の修業をさせようと考えたのです。そこに、リアムとの婚約破棄があり、さらにはパトリック王子殿下とイライザの婚約のお話をいただいた、というわけでして。アンドレを養子にする決断をして正解だったと思っていたところでした。――おっと、話が逸れました。素質の有無は、黒魔法の使い手からしかわからないのです。直感に近いものと言いましょうか、同じ力の波動を感じるとでも言いましょうか」

「それを、私には感じない、ということですね?」

どうしても声に落胆の色が滲んでしまう。お父様は申し訳なさそうに頷いた。

「そうだね。でも、黒魔法の使い手になることは大きな危険も伴うから、私としてはイライザにその素質が見えないことを安堵していた部分もあるんだよ」


まあ、溺愛する娘が国家機密にされるほどの危険な魔法の使い手になってしまったら心配だという気持ちもわからなくはない。命を狙われるような状況にならないとも限らないし、失敗して正体がバレでもしたら、きっと一大事なんだろうし。それでもやっぱり、私はパトリックの力になれる存在になりたかったな。ヒロインでもない一介の悪役令嬢ごときが手に入れられるスキルじゃないってことなんだろうけど。


落ち込む私の頭を、パトリックがぽんぽん、と優しく撫でた。

「僕の力になってくれようとしたんだろう?ありがとう。だけど、イライザが僕のことを考えてくれているだけで十分過ぎるほどなんだよ。気持ちを共にしてくれているということが、一番大きな力になる」

気遣うような優しい笑顔に、泣きそうになる。だめだだめだ、努力しか取り柄がない元社畜OLが、チート持ちたいなんて色気出すな!パトリックに気を遣わせるな!

「私にできること、あまりないかもしれませんけど、雑用でも何でも言ってくださいね!徹夜なら慣れてますから。データ分析でも資料整理でも、できる限りお役に立ってみせます!」


「雑用?徹夜?データ分析に…資料整理?」

お父様がぽかんとした顔をして私を見つめている。やっば、必死になり過ぎた!

「生徒会では、雑用もこなしますのよ。試験勉強で徹夜したことだってあるんですの。生徒の要望をデータ化して分析したり、資料を整理したり。ね?パトリック様?」

慌てて取り繕う私に、一瞬吹き出しそうになりながらも、すぐに立て直して美麗スマイルを浮かべたパトリックが頷いた。

「そうだね、ありがとうイライザ。一緒にこの難局を乗り越えよう」

お父様も表情を引き締めて頷く。

「そうですね、王子殿下。私は早速、旧国の元貴族たちに影を送って状況を探りましょう」

私もやる気を空回らせてボロ出してる場合じゃない。気を引き締めて絶対にバッドエンド回避しなくちゃ。情報を集めて策を練るというパトリックと別れ、私とお父様は邸に戻った。


邸に帰るなり、お父様は執務室に籠りきりになった。

私はといえば、残念ながらすぐに役に立つようなことは何もできない。だけどじっとしてもいられなくて、庭に出て魔法の特訓を始めた。いつ、どういう状況になるかわからない以上、少しでも自分の力を高めておかなくちゃ。

習得した魔法を何度も繰り返し放つうち、だいぶ威力が上がってきた。これなら実践でも人の足を引っ張らない程度には使えるかも。でも、実践って…戦うってことだよね。誰かに向けて攻撃するなんてこと、私にできるんだろうか。いや、それ以前に誰かを攻撃なんてしたくない。やっぱりアスター帝国に攻め込ませることも、パトリックと皇女を結婚させることも、絶対に阻止しなきゃいけない。じっと手のひらを見つめていると、不意に背後から名前を呼ばれた。


「イライザ、久しぶり」

驚いて振り返ると、金髪碧眼の男性が立っていた。歳はイライザと同じくらいか…少し下かな?パトリックたち攻略対象に負けず劣らずのイケメンだ。でも、えっと…これ誰?必死に考えている私に、そのイケメンがからかうような口調で言った。

「ひどいな、何年も会ってなかったからって忘れちゃったの?アンドレだよ」

――アンドレ!これがイライザの従兄弟の、黒魔法の素質持ちか!ウォーノックの一族なら、この華やかな外見も頷ける。

「ああ、アンドレ、お久しぶりね。会わないうちにすっかり大きくなっていたから、一瞬誰だかわからなかったわ。元気だった?今日はどうしたの?」

スタンスこれで合ってるかな。私は内心ヒヤヒヤしながらも笑顔を作り、久しぶりに年下の従兄弟に会った感じを演出する。


すると、アンドレはちょっと意外そうな表情をした。

「イライザ、今日は随分ご機嫌みたいだね。僕にそんな笑顔を向けてくれたことなんて、一度もなかったのに。それとも、会わないうちに大人になったってことかな?嫌悪感を顔に出さない程度には」

あれ、これやらかした感じ?アンドレとイライザって不仲だったの?ちょっと、知らない情報ぶっこんでこないでよ。

私は焦りが顔に出ないように注意しながら、さらににっこりと口角を上げる。

「久しぶりに会った従姉妹に随分な口の利き方ね?あなたの方こそ、少しは大人になったらどう?」

手探りで落としどころを探る。変な汗出てきた…。


「ははっ、やっぱイライザはイライザだね」

アンドレがくしゃっと笑った。どうやら正解だったようだ。私は内心胸を撫で下ろす。アンドレ、ちょっと大人びて見えたけど、こうやって笑うと年相応って感じだな。

「リアム先輩と婚約破棄して、パトリック殿下と婚約したなんて、やるじゃんイライザ。あれだけ隙なく、自他共に厳しいイライザなら、そのくらい当然か」

リアムを先輩って呼ぶってことは、アンドレも同じ学園に通ってるのか。それでも久しぶりって言うなら、それほど親しくしてたわけじゃなさそう。ツンモードは継続でいってみよう。

「別にそうなるように狙ったわけでもなんでもないわ。それより、あなたの方こそどうなの?学園ではちゃんとやっているの?」


16歳ってことは、学年の1年生のはず。少しでも情報集めて、イライザの中身が別人だってこと、気づかれないようにしなくちゃ。

「あれ?僕の評判聞いてない?3年生まではまだ届いてないってことかぁ。僕もまだまだだなぁ」

アンドレが残念そうに答える。評判になるほど優秀ってこと?

「そうね、私の耳には何も聞こえてこないけど?」

「イライザの周りが騒がしすぎるだけなんじゃないの?僕、これでも入学以来ずっと首席で、魔法の実技試験では歴代最高得点も取ってるんだけど」

――歴代最高!?ってことは、ヒロインのアンジーやパトリックよりも上ってこと?思わず表情を動かしそうになるのを必死で堪える。いや、でもまだ1年なんだし、今の2人と比べたらどうかはわからないよね。とりあえず落ち着け、私。

「そう。それなりにやってるようね。油断せずに励みなさい」

できる限りの平静を装って答えると、アンドレが苦笑いした。

「はいはい。イライザのとこまで僕の名声が届くように、しっかりと頑張りますよ。――姉さん」

そうだ、アンドレがお父様の養子になるってことは、私の義理の弟になるってことだ。今日来たのも、そのため?いつからこの邸に住むんだろう。


その時、執事が急ぎ足で玄関から出てきた。

「アンドレ様、お待たせいたしました。お部屋の準備が整いましたので、ご案内いたします」

お部屋?ってことは、もう今日から住むの?早過ぎない!?

さすがに驚きが顔に出てしまったようで、アンドレがにやっと笑った。

「急に叔父様…じゃなかった、お父様から使いがきてさ。なんでもすぐに僕の手を借りたい事案ができたんだって。難しい案件みたいだし、イライザよりも僕の方が頼れるって判断されたんだろうね。養子に入る話は決定していたから、今日から来てくれってさ。だから姉さん、今日からよろしく」

黒魔法の素質があって、実技試験で歴代最高得点を取るほど優秀なら、確かに今回の件でも役に立ちそうだ。――いいな、できることがあって…。私は今の段階では、何もできないもんな。それどころか、この先も役に立てることがあるかすら、わからないし…。


私の表情が翳ったのを見て、アンドレがちょっとバツが悪そうに頭を掻いた。

「まだ詳細は聞いてないけど、危険が伴うかもしれない案件らしいから、お父様はイライザ…姉さんを危ない目に合わせたくないんだと思うよ。僕ならきっと、存分にこき使えるんだろうし…」

私が自分と比較されて落ち込んでると思ったのかな?案外可愛い奴じゃん、アンドレ。思わずふっと表情が緩む。そんな私の様子を見て、アンドレがほっとしたような、少し驚いたような表情を浮かべた。

「姉さんもそんな顔するんだ…。いつもそういう優しい顔してればいいのに」

おっと。私は表情を引き締めた。イライザはアンドレの前ではとことん鉄面皮を貫いてたんだな。まるで以前の沢渡部長みたい。

無表情に戻った私を見て、アンドレがあーあ、とため息をつく。

「もう戻っちゃった。せっかく可愛かったのに。まあ、これからは一緒に暮らすんだし、仲良くやろうよ、姉さん」

「さっさと部屋に行きなさい、アンドレ」

「はいはい、わかりましたよー」

これ以上ボロが出ないように、私はアンドレを玄関の方に追いやった。ノリが軽いようでいて、成績も優秀みたいだし、カンも鋭そうだし。なかなかに油断ならない奴かも。敵ではないだろうから、そんなに警戒する必要はないかもしれないけど、イライザの中身が別人ってことは知られない方がいいだろうし。


アンドレは自室に荷物を置いた後、早速お父様の執務室に向かい、そこからお父様同様籠りきりになった。

私はその間も魔法学の教科書を読んだり、机上でできる魔法の練習をしたりして落ち着かない時間を過ごしていた。――今頃パトリックはどうしてるかな。沢渡部長なら、きっとこの状況を打開できる策を見つけてくれるはず。だけど、もしも見つからなかったら…?

1人でいろいろ考えていると、どうしても発想が後ろ向きになりそうになる。こんな時、何でもいいから私にもできることがあるといいのに。前世では、ただただ目の前に山積みになっている仕事を片っ端からこなしていくばかりで、こんな風に立ち止まって考える暇もなかった。だけどそれって、余計なことを考えなくて済んだから、ある意味楽だったのかもしれないな。歯車のひとつだろうが何だろうが、欠けたら周りに迷惑がかかると思って、ただ突っ走れた。何もできないのは、本当に辛い。


夕食の時間になりダイニングルームに向かうと、ちょうどお父様とアンドレが部屋から出てきた。

「ああ、イライザ。もうアンドレから聞いているだろうけれど、今日からアンドレもここに住んで私の手助けと修業に入ってもらうから」

「姉さん、あらためてよろしく」

私は差し出されたアンドレの手を握る。

「ええ、よろしく、アンドレ。しっかりお父様の手助けをしてね」

「任せといて」

にっと笑ったアンドレに、私は精一杯のツンの表情で頷いた。

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