悪役令嬢はハイスぺ王子に救われる

王城に着くと、私とアランはパトリックの執務室に通された。

「アラン、ネメシア王国の有力貴族何人かと、取引きした」

執務室に設えられた応接テーブルに着くなり、パトリックがアランの前にバサッと書類の束を置く。

沢渡部長はすっかりパトリックモードに切り替わっている。馬車の中で見せた少し弱った姿も、最初から夢だったかのように、自信に満ちた表情だ。うん、いつものパトリック。


すぐにアランが書類を手に取り、目を通す。読み進むうち、次第に目を見開き、驚きの表情に変わっていった。

「パトリック…これ、よくこんな短時間でこれだけの大物たちを取り込んだな…」

「それぞれが抱える問題に対して、改善策と協力の提案をした。もちろん、資金援助も含めて。それから、アランに付けばどれだけのメリットがあるかも、もちろんプレゼンした。ここのところ、ネメシアがきな臭いっていう話は耳に入っていたから、万が一を考えて数日前から動いていたんだ」


私はごくりと唾を飲み込みながら、2人の様子を見守っていた。

転生してからの数日間で、そんなことまで?ネメシアの動向からバッドエンドの展開を読んで動いたんだろうけど、一体どんだけ先手打ってたのよ…。前世で取引相手に的確な提案をして成果を上げまくっていた沢渡部長を思い出す。絶対に敵に回しちゃいけない人だな…。


貴族たちが抱える問題は何か、それに対してパトリックからどんな提案がなされ、ネメシアの貴族たちがどんな条件を飲んでどう動くのか。アランが書類を読み耽っている間に、私はパトリックの耳元でこそっと呟いた。

「よく、この短期間で手が打てましたね…。さすが沢渡部長ですけど…」

同じように小声でパトリックが答える。

「ゲームでこのバッドエンドをプレイした時、俺ならどう解決するかなって考えてたからな。どの攻略対象のバッドエンドでも、俺なりにそのシチュエーションを脱するプランを考えてた。この世界に来てからすぐ、色々情報も収集してたしな。ここでお前を守りながら生きてかなくちゃいけないってな」


――は?乙女ゲーでバッドエンド解決のプランを練ってたの?そんなプレイの仕方する人いる?全ルートコンプ済みってのは聞いてたけど、まさかバッドエンドも自分ならどうするか考察済みで全コンプしてあったとは…。しかも、いきなり転生したのにすぐに情報収集って、どんだけエリートリーマン脳なんだ、この人は。それに、私を守りながら生きてくためって…。転生してすぐ、そんなことまで考えていてくれたなんて。私なんて、自分のことだけでいっぱいいっぱいだったのに…。


私は思わずぽかんと口を開いてパトリックの顔をまじまじと眺めてしまった。

「イライザ、顔が公爵令嬢じゃなくなってるぞ」

笑いを嚙み殺すように口元に手をやり、眉間に皺を寄せたパトリックに小声で注意される。しまった、油断した。

ちらりとアランに目をやると、まだ熱心に書類を読んでいる。こちらの様子には気づいてなかったみたい。よかったー。

私はしゃんと姿勢を正し、顔を整える。ちょうどアランが書類から顔を上げた。


「パトリック、恩に着る。この案と後ろ盾、ありがたく使わせてもらうぞ」

「もちろんだ。そのために手を打ったんだから」

パトリックが優美な笑顔を浮かべて、アランに手を差し出す。アランも手を握り返した。

「ありがとう。俺がネメシアを取り戻したら、カンパニュラ王国に対して相応…いや、それ以上の対価は支払う。――それと、イライザのこと、本当に悪かった…」

「イライザの件に関しては、金輪際手出しはしないと約束してもらうぞ」

アランの謝罪に、間髪入れずにパトリックが答える。

完璧なのに裏側にメラメラと怒気が見える笑顔に変わったパトリックを見て、アランは苦笑いしながら私にも申し訳なさそうな視線を送ってくる。私は頷いて微笑んだ。うん、アランももう大丈夫そう。


「これだけ手を回してもらって、そのうえ婚約者にまで手は出せねぇよ。しかし、リアムとの婚約破棄の翌日に婚約とか、本当に周到だよな。先を読んでこんな完璧な策を打ってくる手腕もだし、絶対に敵に回したくねぇ」

だよね。私もさっきそう思った。

パトリックはにっこりと笑って言った。

「これからも両国で協力して、友好的かつ有意義な関係を築いていこう、アラン」

この人を敵に回そうとする奴は、相当の命知らずだと思う。


早速ネメシア王国の奪還作戦が始まり、パトリックもアランも慌ただしく動き始めた。

私がこれ以上は邪魔になりそう、と帰り支度をしていると、廊下に騒がしい靴音が響き、ノックの音と同時にドアが開いてお父様が現れた。

「イライザ!無事でよかった!怪我はないか!?怖かったな」

体当たりかってくらいの勢いでハグされ、思わずよろける。いや、力の加減。心配はわかるけれども。

「お、お父様。ご心配をおかけして申し訳ありません。私は大丈夫ですわ。パトリック様が助けに来てくださいましたから」

パトリックの名前に反応して、お父様が顔を輝かせた。さっとパトリックに向き直り、流れるように跪く。そうだ、お父様はパトリックの熱烈な信望者だった。

「ああ、パトリック王子殿下、何とお礼を申し上げたらいいか…。この御恩は一生忘れません!この命尽きるまで、殿下についていきます!」

パトリックが華麗な笑顔をお父様に向ける。この熱量に対しても動揺しないのはさすがだわ。

「いいえ、ウォーノック公爵。お礼を言われるようなことな何も。むしろ今回はイライザ嬢を危険に晒してしまい、申し訳なかった。もう二度と、イライザ嬢をこんな目には合わせません。さあ、立ってください」

パトリックに手を差し伸べられ、お父様が頬を上気させる。いや、乙女か。せっかくのイケオジが台無しだぞ。

「身に余る光栄…!!パトリック王子殿下、親子ともども末永くよろしくお願いいたします!」

お父様は両手でパトリックの手を取り、力強く握りしめた。ただでさえお父様パトリック信者なのに、これでさらに盤石になったな…。


パトリックは美麗な笑みを絶やすことなく、お父様に握られた手にもう一方の手を重ねる。

「ウォーノック公爵は私の義父となる方です。こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします。またあらためて、婚約披露に関するご相談をさせてください。――ところで、本来でしたら僕がイライザ嬢をウォーノック邸までお送りしたかったのですが、まだ色々立て込んでおりまして…。ウォーノック公爵と一緒であれば安心だと思い、お呼び立てしてしまったのです。イライザ嬢をお願いできますでしょうか?」


そっか、私を1人で帰さないように、お父様を呼んでくれたのね。アランが正気に戻ったから、もう大丈夫そうではあるけど、そこはもう少しも油断したくないんだろうな。

「もちろんですとも!婚姻までの間は、娘は私がしっかりと守ります!さあ、イライザ、お父様と帰ろう」

お父様だって、私が攫われたって聞いて、きっと生きた心地がしないくらい心配してくれたんだろう。さっきのハグからも伝わってきた。

私はパトリックとお父様に心からの感謝を込めてお辞儀をした。

「はい。お2人とも、本当にありがとうございます」


「イライザ、気をつけて帰るんだよ」

帰り際、パトリックが優しく微笑みながら私の頭をポンポンしてくれた。沢渡部長の時からのこれ、癖なのかもな。すっごく恥ずかしいけど、嫌いじゃない…。

「パトリック様も、ご無理はなさらないでくださいね」

「ありがとう。問題が片付いたら会いに行くよ」

明日、明後日は週末で学園は休みだ。きっと休み明けまでにはアランの国の一大事すら華麗に解決して、何事もなかったように迎えに来るんだろう。

私とお父様は、丁寧にお辞儀をして部屋を出た。



翌朝、さすがに少し前日の疲れが残っていた私は、お父様と一緒に遅めの朝食を取っていた。

朝食を終えてお茶を飲んでいると、玄関の方で馬車が止まる音。少しして、いつもは冷静な執事が、少し慌てたようにダイニングにやってくる。

――この展開は、いい予感がしないんだけど…。

「旦那様、お嬢様、パトリック第一王子殿下がいらっしゃいました」

ほら、やっぱりー。って、昨夜の今朝で、もう問題が片付いたってこと!?


お父様と一緒に慌てて応接室に入ると、窓の外の庭園の花を背負って、スチルのごとく秀麗な笑みを浮かべたパトリックがいた。

はぁ、やっぱかっこいい…。本当に花背負ってるよ…鼻血出そう。見慣れてきたはずなのに、この破壊力…。心臓にクる。

最推しからの凄まじい攻撃をくらい、思わず心臓を押さえて声を失っている私に、パトリックが近づいてきた。なんだかあらためてドキドキする。

「おはよう、イライザ嬢。よく眠れた?」

「お…はようございます、パトリック様。おかげさまで、ゆっくり寝かせていただきました…。パトリック様こそ、もうネメシア王国の問題は大丈夫なのですか?」

明らかに私より睡眠時間が短いはずなのに、隈一つない美しいお顔。

「もともとほとんどの手筈は整っていたからね。後は魔法で各所に連絡して、裏切れないように契約魔法もかけて、指示した通りに動いてもらっただけ。アランの叔父や臣下たちも捕らえられたし、アランが王になるように進んでる。アランも今朝ネメシアに帰ったよ。まあ、一時帰国で諸々片付いたらまたこっちに帰ってくるらしいけど。学園はちゃんと卒業するつもりらしい」

わあ、パトリック本当に隙がない。魔法も使いこなしていらっしゃる。


「それはよかった!安心いたしました!さすが殿下!しかし、殿下もお疲れでしょうに…」

お父様の言葉に、パトリックがすっと私の手を取り微笑みながら答えた。

「身体は大丈夫です。でも、少し心に癒しが欲しくて、イライザ嬢の顔を見に来てしまいました」

言うなり私の手の指先にキスをする。

なっ、何を言ってるんだこの人!どうしてこんな気障なことを臆面もなくできるわけ!?いくら婚約したからって、こんなに明け透けでいいの!?

焦って真っ赤になっている私を尻目に、お父様も満面の笑みで応える。

「そうでしたか!イライザはいるだけで心の癒やしになりますからな!イライザ、お前の部屋に殿下をお通しして。ゆっくり休んでもらいなさい」

は!?私の部屋!?ちょっと待ってよ何それどういうこと?そんなのアリなの?そんな親バカ発言するくらい溺愛してる娘なのに、パトリックとなら部屋に2人にしていいの!?どんだけパトリック信用されてんのよ!


動揺しかない私に気づかないふりを決め込み、パトリックが爽やかに言い放つ。

「ウォーノック公爵、お気遣い感謝いたします。じゃあイライザ、部屋に案内してくれるかな?」

「え、ええ、承知いたしました。こちらへどうぞ…」

これ以上動揺を見せて、変に意識してると思われるのも癪だ。にこにこ顔の2人に私も精一杯の笑みを返し、部屋へと向かった。


「ああ、さすがにちょっと疲れた…。少し横にならせて」

部屋に入るなり、パトリックが私のベッドにごろんと横になった。

「この部屋、ゲームの中のイライザの背景であのドレッサーの辺りちょっと見た程度だったけど、実際はこうなってたんだな。いかにもイライザの部屋って感じだよなー」

パトリックが転がったまま部屋を見回す。外見には表れていなくても、疲れているのは確かなんだろう。声にいつもより張りがない気がする。

「そんなにお疲れなら、王城でちゃんと寝たらよかったのに…」

「だって、まだ何か心配で。一刻も早くお前の顔見て安心したかった。だから、はい、ここ」

パトリックがポンポン、と自分の隣を指す。

え?隣に横になれと?いやいやいや、ちょっと待って。私には難易度が高すぎる。

「早く」

甘えたようなパトリックの視線と声に、耳まで熱くなる。どうしよう。そんなの無理だよ!

「頼む。安心させて」

弱々しい笑顔。こんな表情見せられたら…。

恥ずかしすぎるけど抗えなくて、おずおずとパトリックの隣に横になった。


横になるなり、すぐにパトリックに抱きしめられる。鼓動が速すぎて心臓が壊れそう。

「よかった。ちゃんとイライザがいて。ただでさえ、転生してからどうしても現実感が薄くて、ずっと夢の中にいるような感覚が抜けなかったのに…。イライザが攫われて大城の存在が遠くなってしまった時、やっぱり俺だけが冷めない悪夢の中にいるんじゃないかって、本当に怖くなった。でも、イライザの中には大城がいて、俺はパトリックで。この世界で生きてるんだよな?これが現実なんだよな?」


私も、前世の夢を見て起きた時、どっちが現実なのかわからなくなった。沢渡部長だって一緒だったんだ。前世では弱みなんて見せたことのなかった沢渡部長。いつも完璧で厳しくて、その裏に隠れた人間性のことなんて考えたこともなかった。いくらハイスぺで何でもできちゃったって、こんなことが起こって不安にならない人なんているはずないのに。

私はそっとパトリックの顔を見上げた。綺麗なアッシュの瞳が揺らいでいる。近すぎて緊張するけど、そんなこと言ってる場合じゃない。今、沢渡部長の心を支えられるのは、私しかいないんだから。

「私にとっても、沢渡部長のパトリックといる、この世界が今の現実です。――転生なんて信じられないことが起こって…なのにすぐに私を守ることを考えてくれて、本当にありがとうございます。私、自分のことだけでいっぱいいっぱいになっちゃってて、沢渡部長のこと全然考えられてませんでした…。本当にごめんなさい…」


沢渡部長が転生してすぐに私を捕まえようとしたのも、必要以上に構うのも、現実だって実感するためだったのかもしれない。

「私…恥ずかしくて沢渡部長に冷たいことばっかり言っちゃって…。部長だって不安になったりしてたのに…。安心したかったんですよね?ごめんなさい」

私を抱きしめていた沢渡部長の腕に力が籠り、さらにぐっと引き寄せられる。すぐそこにパトリックの顔が迫った。恥ずかしいけど、目を逸らしたらダメだ。ここで逸らしたら、また不安にさせちゃうかもしれない。


必死の思いでパトリックを見つめ返していると、ふっとパトリックの表情が緩んだ。

「ふ。なんて顔してんだよ。本当お前、免疫ないんだな」

「そ、そうですよ。何度もそう言ってるじゃないですか。ずっと恋愛から遠ざかってたって」

「うん。それなのに、俺のために頑張ってくれてるんだ?」

嬉しそうに細められた目から色香が漂う。ダメ、もう限界。

頬にかかった髪が優しくかき上げられ、恥ずかしさで顔を逸らしかけた私の唇は、パトリックの唇で塞がれた。

ゆっくりと優しく啄むようなキスから、どんどん深いキスに変わる。舌を吸われ、濃密に絡みつく舌に上顎をなぞられる。

身も心もとろとろに溶かされるような甘いキスが続き、全身の力が抜けていく。頭がぼうっとしてきて、何も考えられない。ただ、この快楽に身を委ねてしまいたい。

パトリックの唇が首筋を下りていきかけて、不意に離れた。


ゆっくりと目を開けると、天を仰ぎ額に手を当てたパトリック。

「――やばい。止まらなくなるとこだった…。大城のイライザ可愛すぎ。この世界じゃ、婚姻前の男女が一線を越えるのは、ご法度なんだよな…。ウォーノック公爵の信頼を裏切るわけにもいかないし…。くそ…」

くしゃくしゃと髪を掻きむしり、悶絶している。

沢渡部長のキス、気持ちよすぎて完全に流されるとこだった…。前世だったら、絶対止まれなかった。ちゃんと止まった沢渡部長、すごいな…。

余韻に浸りながら、ぼんやり考える。――って、何考えてんの私!?

今更ながら、顔が一気に熱くなる。私ったら、私ったら、私ったらー!!流されてもよかったかも、なんて考えてしまった…!

理性を取り戻そうと円周率らしきものをぶつぶつと唱え始めたパトリックの横で、私も顔を覆い、覚えたての魔法の呪文を反芻していた。


「イライザ、ごめん。ちょっと抑えがきかなかった。もう何もしないから、もう少しだけこうしてて」

ひとしきり円周率を唱えてだいぶ頭が冷えたのか、パトリックが咳払いをしてから言った。

「はい…」

私も天井を見つめたまま返事をする。

「手だけ、いい?」

遠慮がちにパトリックの手が私の手に触れる。私が頷くと、指がそっと絡められた。

そのまま、2人無言で天井を見上げる。窓の外から鳥のさえずりが聞こえた。


事故に遭って、何故か2人してラブソニの世界に転生して。信じられないけど、これが今の私たちの現実。冷めない夢の中に閉じ込められているようで不安で怖くても、私たちは1人じゃない。

私は指先にきゅっと力を込める。パトリックも、同じように握り返してくれる。横を向いたら、パトリックも同じように横を向いて、優しく微笑んでくれた。私も微笑み返す。

よかった。沢渡部長と一緒で。これからも一緒にいられて。

パトリックの形のいいおでこが、私のおでこにこつん、と当てられる。沢渡部長も同じ気持ちでいてくれてるんだって、何故だか確信できた。


――コンコンコン。

ドアの音にはっと目を開ける。目の前に美しいパトリックの寝顔。まつ毛なっが…。

どうやら、私たちはあのまま眠ってしまっていたようだ。窓から差し込む太陽の光も、朝のそれとは違い、太陽がだいぶ高い位置にあることを知らせている。

コンコンコン。

もう一度ノックが聞こえて、私は慌てて身体を起こし、返事をした。

「はい」

「お嬢様、昼食はいかがいたしましょうか」

いつものメイドさんの声。どうしようかと隣に目をやると、ちょうどパトリックも目を覚ました。

「昼食、どうしますか?もう王城に帰らないとまずいですか?」

私が聞くと、寝起きのぼんやりした瞳で見つめ返してくる。――まどろんだ無防備な姿、可愛すぎる…!

本日2度目の破壊力満点な姿に、再び心臓を押さえる。

「昼食か…。軽くいただこうかな。今日は執務は休ませてもらうってしっかり言ってきたから、夕方までに帰れば大丈夫だし」

ゆっくりと身体を起こしながらパトリックが言った。

私がその旨をメイドさんに伝えると、

「承知いたしました。ご準備が整いましたら、またお声掛けいたします」

と下がっていった。


「ああ、本当に疲れがとれた気がする」

ぐいっと伸びをしながらパトリックが言う。たぶん、眠っていたのは2時間弱くらいなものだろうけど、仮眠を取ってすっきりできたならよかった。私もなんだか、朝より身体が軽い気がする。安心して眠れたからかな。


ベッドから降りたパトリックが、窓の外を見ながら言った。

「昼食の後、ちょっと街に出てみないか?」

街…。あ、パトリックルートのデートシーン!可愛いお店もいっぱいあって、パトリックがとにかくカッコよくて、あのシーンは私の中の名シーンベスト3にもランクインしている。

私の顔がぱあっと輝いたのを見て、満足気にパトリックが頷く。

「そう。あのシーン。初デートしよう」

「はい!」

素直に嬉しくて、私は満面の笑みで頷いた。


軽く昼食を取った私たちは、メイドさんたちいわく”貴族のお忍び街歩き”風の衣装に身を包み、街に出た。

服装だけではすぐに第一王子とわかってしまいそうなパトリックは、目立たないように魔法で髪色をダークブラウンに変えている。軽装も文句なしのカッコよさ。さすが私の最推し。眼福だよー。

私も、イライザの見事なブロンドでは目立ちすぎるため、同じようにブラウンに髪色を変えた。カラーリングいらないなんて、魔法ってなんて便利なんだ。メイドがささっと、公爵令嬢が絶対にしないようなポニーテールにしてくれた。メイクもいつもよりナチュラルに。イライザもさすがのポテンシャル。こういうのもめっちゃ似合うじゃん!


ゲームの中で見た可愛いお店たちが実際に目の前に並ぶ光景は、興奮以外の何ものでもなかった。

「パトリック様、私、あの小物屋さんに行ってみたかったんです!あ、あのお店のスイーツも気になってました!あのアクセサリーのお店もある…!どうしよう、全部行きたい…」

大興奮の私を見て、パトリックが苦笑いする。それから優しく目を細めて、私の手を取った。

「そんなテンションのお前見るの初めてだな。いいじゃん、片っ端から行きたい店行こうぜ。回り切れなきゃ、また来ればいい」

私、はしゃぎすぎだ…。元社畜OLの分際で、浮かれてすみません…。でも、この光景を見てはしゃぐなって方が無理がある。ラブソニの世界観そのままのキュートな街並みは、大好きなテーマパークだって霞んでしまう。だって、これが全部現実なんだもん。

「よし、じゃあまず、ここから行こう」

パトリックが私の手を引いて、私が最初に指さした小物屋に入った。


ひとしきりお店を巡り歩き疲れた私たちは、市井で人気だとゲームで謳われていたカフェで休憩した。

一番奥の窓際の席も、ゲームでアンジーとパトリックが座っていた席だ。ヒロインどころか悪役令嬢だったイライザが、ここにパトリックと座ることになるなんて、誰が予想できただろう?

「これ、ゲームの中でアンジーが飲んでたやつ…!」

鮮やかなブルーの飲み物に色とりどりのゼリーが入った、いかにも映えそうな飲み物を注文する。前世ではSNSなんてやってる暇もない社畜だったから、映えなんて気にしたこともなかったけど、綺麗な飲み物だなって思ってたんだよね。

「聖地巡礼、最高…」

私はあらためて街並みを見回しながら、うっとり呟いた。


「楽しんでくれてるようで、何よりだ」

アイスコーヒーを飲みながら、パトリックが笑う。そうだ、夢中すぎて私の行きたいとこばっか回っちゃったよ!パトリック連れ回しちゃった。

「たくさん付き合わせて、すみません…。わたしばっかり楽しんじゃって…」

「イライザの楽しそうな顔たくさん見れたから、俺も満足」

パトリックはゲームさながらのキラキラな笑顔で、いつもの頭ポンポンをしてくれた。


頭ポンポンをされながら、沢渡部長の時は彼女の買い物に連れまわされるような印象はなかったけど、実際はどうだったのかな、なんて考えて、ちょっと胸がちくりとした。あれだけハイスぺでそのうえイケメンだったんだから、元カノの1人や2人や3人や4人…いなかったはずないよな。

その人たちも、こうやって頭ポンポンされてたのかな…。


ん?今の気持ちって…。

「イライザ?疲れたのか?」

パトリックが私の顔を覗き込む。

「いえいえ、大丈夫です!パトリック様こそ、お疲れでは?」

「俺はお前と一緒なら疲れを感じない」

ま、またそういうことを臆面もなく…。さらっとこんなセリフが出てくるなんて、やっぱ慣れてるってことなのかな。

また胸がチリっとした。


「何か、言いたいことがありそうだな?」

私の複雑な表情を読み取ったのか、パトリックがずいっと顔を近づけてきた。なんで気づいちゃうかな…。本当、この人に隠しごとはできないな。

「いえ、別に何も…」

「なんだよ。ちゃんと話せ。何か言いにくいことなのか?俺が何かしたか?」

「パトリック様は何もしてません!ただちょっと…。過去のこととか?考えちゃっただけで…」

「過去?まさか、大城の元カレのことでも思い出してたのか?」

パトリックの顔が険しくなる。

「ちっ、違いますよ!元カレのことなんて、全然!正直今の今まで忘れてました!むしろ、沢渡部長の元カノのことを…って、何でもないです!」

「俺の元カノ?なんで今?」

「いや…。沢渡部長モテてたし、お付き合いとか慣れてそうだし、きっと元カノもいっぱいいて、その方々にも優しくされてたんだろうな…なんて、考えてしまいまして…」


うわ、私めんどくさい奴じゃん!言ってて恥ずかしくなってきた!何なの私!学生時代の元カレにだって、こんな感情抱いたことなかったのに!

「――それは…、嫉妬してるってことか?俺の元カノに」

じっと瞳を覗き込まれて、私は俯く。ああ、もうやだ。なんでこんなこと言っちゃったんだろう。絶対ウザいと思われてる!

「あの、ごめんなさい…」

俯いたまま謝ると、盛大なため息が聞こえた。あ、呆れられた…?どうしよう。


「お前は、俺の理性を崩壊させようとしてんのか?そういうのは、2人だけのところで言えよ。ここじゃ何もできないだろ…」

ん?ちらっとパトリックを見上げると、天を仰ぎ額に手を当てたパトリックの姿。あれ、これ、今朝も見たな。

「嫉妬とか、可愛いことするなら、2人だけの時にしろって言ってんの!」

ぐいっと他の席に背を向けるように抱き寄せられ、ちゅっと手早くキスされる。

ちょっと、お客さんいっぱいいるのに!一気に耳まで熱くなる。

「ここじゃこれが限界だろうが!生殺しか?俺を試してんのか?」

「そんなわけないじゃないですか!いきなり何するんですか!」

「お前が可愛いこと言うからいけないんだ。大城に嫉妬される日が来るなんて…」

「し、嫉妬って!だって、気になっちゃったんだからしょうがないじゃないですか!」

「だからそれって、俺の過去が気になるほど、俺のことが好きになってるってことだろ?」


えっと…そういうこと?わわわ、そういうことか!もはや顔から火が出てるんじゃないかと思うくらい熱い。死にたい!恥ずかしすぎる!

恥ずか死寸前の私の頭を、パトリックがわしゃわしゃする。

「確かに、元カノはいたけど、お前のこと好きになる前までだから、ここ3年くらいはいなかった。それに、俺から好きになって付き合ったのはお前が初めてだから。向こうから付き合ってって言われて付き合って、俺の態度に勝手に冷めて離れてくって感じの付き合いしかしてこなかった。だから、こんな風に好きなことに付き合って喜ぶ顔が見たいと思ったのも、どろどろに甘やかしたくなるのも、全部お前だけだ」

そっと顔を上げると、顔を背けて窓の外を見ているパトリックの耳も赤い。沢渡部長も照れてる?あの部長が?

「本当に…?私、めんどくさくないですか…?」

「あれだけ恋愛に無関心だった大城が、俺のこと好きになってこんなこと言ってんだぞ。めんどくさいわけあるか」

どうやら本当に、鬱陶しくは思われてなさそうだ。私は安堵のため息を漏らした。

「よかった…。私も、嫉妬なんてしたことなくて…。自分にこんな感情があるなんて思いませんでした…」

「お前…。だからそういう可愛いことを…。帰りの馬車の中、覚えとけよ…」

パトリックが、さっきわしゃわしゃにした私の髪を、耳を赤くしたままのぶすっとした表情で整えてくれた。


できる限りの遠回りをしろとパトリックが御者さんに命じた帰りの馬車の中。

「俺がどんだけ我慢してたか、教えてやる」

その我慢のほどが嫌と言うほど伝わるキスが繰り返されたのは、言うまでもない…。私の邸に着くころにはすっかりどろどろにされて、もう頭が回らなかった。ねぇ、加減ってあるでしょうよ…。


「明日は、王城で婚約披露の打ち合わせをしよう。ウォーノック公爵にも予定を開けてもらったから」

私が魂を抜かれたようになっている間に、さっさとお父様との約束を取り付けたパトリックが、爽やかにキラキラを振りまいて馬車に乗り込む。見送る私の手を取り、指先にキスをした。

明日も、長い一日になりそうだ。

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