悪役令嬢、元エリートリーマンな王子に外堀を埋められる
――カタカタカタカタカタ。
キーボードを打つ手を止めて、壁の時計を見上げる。
時計の針は、午前0時を回っていた。
あぁ、また終電逃した…。
私は大きなため息をつきながら、天を仰ぐ。明日の朝イチで行われる取引先の企画会議で使うプレゼン資料は、やっと終わりが見えてきたところ。今日、いや0時回ったから、昨日だな。の夕方、沢渡部長に企画の方向性の大幅修正を仰せつかり、必死の残業でなんとかここまで漕ぎ着けた。
先方のいきなりの方向転換…仕方ないとはいえ、こういうのマジで勘弁だわ。その度に身が削られる…。
確かに、修正した案の方が圧倒的にいいから、従わざるを得ないんだよな。悔しいけど。――にしても。
「沢渡部長、厳しすぎ!」
大きな声で悪態をついた瞬間、後ろから突然声を掛けられる。
「悪かったな、大城」
びくっと身体を震わせ、恐る恐る振り返ると、無表情ながら怒気のオーラを纏った沢渡部長が立っていた。イケメンの怒気、怖すぎる!
「いやあの、すみませんっ!」
慌てて謝った瞬間、ふっと目が覚めた。
ビロードの天蓋が目に入る。
あれ?ここは…。ええと、どっちが夢だっけ?
ふかふかのベッドから身体を起こし、周りを見回す。
煌びやかな調度品が設られた広い部屋は、明らかに社畜OLのそれではない。
だんだん頭がはっきりしてくる。そうだ、ここはラブソニの世界だった――。
私イライザ・リー・ウォーノックは、乙女ゲーム『ラブソニック~愛は魔法とともに~』通称ラブソニの世界に、つい最近異世界転生ってやつを果たした、元社畜OLだ。前世での名前は、大城菜々香。ちなみにラブソニでのイライザの立ち位置は、悪役令嬢というやつだ。
異世界転生もびっくりだけど、もっとびっくりするのは、異世界転生してきたのが私だけじゃなかったってこと。先程の夢にも登場した鬼上司、沢渡部長も、この世界にカンパニュラ王国第一王子パトリックとして転生していたのだ。
2人同時に転生してきた理由は、私たちが乗ったエレベーターの転落事故。
その時私がアプリを開いていたラブソニに、どういう訳か2人して転生したのだ。しかも、なんと沢渡部長までもが乙女ゲーであるラブソニを全ルートコンプリートしていて、悪役令嬢イライザに転生した私をすぐに見破るという、さらに訳のわからない事態になった。
挙げ句の果てに、沢渡部長がラブソニをプレイしていたのは、実は私のことが好きで、私の恋愛嗜好を探りたかったから、などという驚きの理由の発覚とともに、そのまま私は沢渡部長改め、パトリック第一王子に落とされた、というか、捕まった?のだった。
ちょろ過ぎ!?だって、しょうがなくない!?パトリック、めちゃくちゃ課金してた私の最推しキャラだったんだもん…。見た目も声も、性格も、全部私の好みにクリティカルヒットなんだよ?それに沢渡部長のことも、厳しかったけど尊敬してたし…。そんな人が、人知れず努力してたことに気づいてくれてて、そういうところが好きになった、なんて言われたら、そりゃ、ねぇ?落ちちゃうでしょ?しかもエリートサラリーマンの押しの強さ、ハンパじゃなかったんだよ?リアルの恋愛から遠ざかりまくってた社畜OLには、太刀打ちできないレベルだよ!?
「イライザお嬢様、どうかされましたか?」
ベッドの上で誰に向けてかわからない言い訳を並べながら悶々とのたうち回っていると、まだ早朝だというのに私が起きた気配を察知したのか、メイドさんがドアをノックした。
もう少し寝ていたい気もするけど、ラブソニの世界に来てまだ数日。ショートスリーパーにならざるを得なかった社畜OLの習慣が、まだ身体、いや、精神?から抜けない。
「ごめんなさい、ちょっと早くに目が覚めてしまって。起きて少し魔法の勉強をするわ」
公爵令嬢イライザらしくメイドさんに返事をすると、
「失礼いたします。それでは、お支度をさせていただきます」
メイドさんが部屋に入ってきて、ドレスやら何やらの準備を始めてくれた。公爵令嬢、至れり尽くせり…。
ここ、ラブソニの世界には魔法が存在する。
前世ではもちろん、魔法なんてものには触れたこともなかった私は、まだ魔法をうまく扱えない。学園の授業で魔法学の教科書は読んで、概要は理解したけれど、なんというか、力加減的なものが掴めないのだ。身体の中に渦巻く魔力を、どう出力したらいいのか、みたいな感じかな。とにかく、生まれて初めて与えられた未知の力を、まだ使いこなせないでいた。
私が転生する前のイライザは、ゲームのヒロインのアンジーや、生まれつき魔力が強い王族のパトリックに次ぐレベルの魔法の使い手。転生してから一度も魔法の実技の授業がなかったから助かってたけど、今日はついに実技の授業がある。なんとかしないとヤバい状況だ。
支度を整え、教科書を片手に庭に出ると、私は魔法の特訓を始めた。
朝の澄んだ空気は、私の魔力と相性がいいのかもしれない。今までになく上手に魔法が扱える。水と風、土の魔法なら、教科書にある技は一通り使えるようになった。だけど、まだ火がある。ええい、努力と根性は元社畜OLの代名詞みたいなもの。この時間で絶対にある程度形にしてみせる!
額に汗して特訓していると、
「大城…じゃなくてイライザ、そこにいるか?」
聞こえてきた声に驚く。こんな朝早くに、第一王子がなんで王城を抜け出してんだ!?
「さわ…パトリック様?どうしてここに?」
返事をすると、目の前の塀が奇妙に歪むような感覚とともに、パトリックが姿を現した。
「なっ!えっ!?壁抜け?」
「おはよう。イライザ」
驚く私を尻目に、しれっと挨拶をする。おはようじゃないよ!壁抜けしただろ、今。それ、高等魔法だよね!?
「今の…沢渡部長がやったんですか?」
「うん。パトリックが使ってたやつは、一通りマスターした。たぶん、お前も今頃魔法の練習してんじゃないかと思って、来てみた」
元々のパトリックも、アンジーに負けず劣らずの魔法の実力者だったのに?それを、もうマスターしたの!?くそう、転生してもハイスぺな訳ね。そのうえ、私の行動までお見通しですか…。
「もう一通りマスターしたなんて、さすがですねー」
嫌味の籠った棒読みしかできない、可愛げのない私。
「イライザも、もう少しなんだろ?お前なら絶対ちゃんとマスターしようとすると思ったんだよ。前も、どんなに時間なくても絶対に仕事投げ出したりせず、ギリギリまで努力してたし。ちょっとやってみろ。見ててやるから」
ああ、前世でもそうだった。私が頑張っていると、いつも様子を見に来て、無表情なままちょっとしたアドバイスをして去っていく。でも、そのちょっとしたアドバイスが目から鱗みたいなのばっかりで、悔しいけどすごいなって尊敬してたんだよな。
「――はい。ありがとうございます」
ぶすっとした表情はそのままに、素直に返事をして、会得した魔法と、あと少しで何か掴めそうな魔法を披露していく。
「うん、やっぱかなりいいとこまできてる。火は、手のひらに熱を集めるイメージで、こう…」
わかりやすく伝えようと真剣な眼差しでアドバイスをくれるパトリックを通して、沢渡部長が見える気がした。ダークブロンドにグリーンがかったアッシュの瞳のパトリックと、黒髪に涼やかな目元が印象的だった沢渡部長。顔は全然違うのに、重なって見えるなんて変なの。でも、どっちも真剣な表情がいいな。すごいツボかも…。
なんとなくぼーっと顔を見つめていると、不意にパトリックの顔が近づいた。
「わ!ちょっと、何ですか!?」
「いや、すごい見てくんな、って思って。この顔、本当に好きなんだな」
絶対に沢渡部長に見えてたなんて、言ってやるもんか。
「好きですよ!パトリック最推しって言ったじゃないですか」
つん、と横を向いて目を逸らす。すると、パトリックがすいっと再び視界に入ってきたと思うや否や、くいっと顎を持ち上げてキスをした。
「――っもう!だからいつも、勝手すぎるんです!」
「だって、イライザが大城に見えて、可愛すぎるんだもん」
だもん、じゃないわ!しかも、私と同じこと考えんな!
真っ赤になってどん!と胸を押し返すが、相変わらずびくともしない。くそう、可愛くない。
くるりと背を向け、身体の熱さをぶつけるように火の魔法を放つ。あ、できた。
「できたじゃん。俺のキスのおかげじゃない?」
パトリックの端正な顔をにやにやさせながら覗き込んでくる沢渡部長を睨み返す。
「違いますー!実力ですー!パトリックの顔でいやらしい表情するのやめてもらえます?」
前世ではあんなに無表情だったくせに!私が落ちたとみるや、この変わりよう。本当、ムカつくわー!
沢渡部長は今度はふっと柔らかく笑うと、私の頭をポンポン、とした。
「だな。大城…イライザの実力だな。やっぱお前は、できる奴だ」
だから、頭ポンポンはずるいって…。恥ずかしくて俯いたまま、私は言った。
「ところで、パトリック様?そろそろ王城に戻らないと、第一王子がいないことに気づいた臣下の方々が大変なことになっているのでは?」
「おっと、そうだな。じゃあ、後で学園でな」
慌てて塀を抜けていこうとする後ろ姿に、そっと呟く。
「…ありがとう、ございました」
聞こえないならそれでもいいや、と思って言ったのに、しっかりと聞こえてしまったようで、沢渡部長がパトリックのキラースマイルで振り返る。
「愛してるぞ、イライザ」
「早く帰れ!」
きらきらの笑顔の余韻を残しながらひらひらっと手を振って、パトリックの姿が塀の中に消えた。
汗を流し、学園の制服に着替えてからダイニングルームに入ると、”お父様”がテーブルについていた。
イライザの父、ウォーノック公爵は、ゲームには名前しか出てこない。つまり、転生後初めて顔を見た。これがまぁ、さすがイライザの父といった風体のイケオジで、グレーがかったブロンドに、彫りの深い端正な顔立ち。大人の色香がムンムンしている。
イライザの母親はもうすでに他界していることもあり、社交界でも大人気らしい。確かに、枯れ専じゃなくてもこの人に微笑まれたらクラっとくるかも。
そんなお父様は、イライザにはデレデレだ。公爵なんだから再婚してもよさそうなもんなのに、イライザが嫌がるかもしれないから、を理由に数多の縁談をお断りしているらしい。いや、言い訳にされるのも迷惑な話なんだけど。
そして、それだけ溺愛している娘がこの度婚約破棄されるという事態になり、静かに、しかし、かなりな火力で怒りを燃やしているのだ。
「おはよう、イライザ。クロフトンのバカ息子は、学園を追放しなくて大丈夫かい?それとも、刺客を送って息の根を止めようか?」
うわー、不穏不穏!笑顔で不穏だから!
転生初日に、私は婚約者だったリアム・アーサー・クロフトンから婚約破棄の申し出を受け、承諾した。それは、ヒロインのアンジーがリアムルートに入ったことを知っての、断罪ルート回避のためでもあったし、そこまでリアムへの執着がなかったからでもある。つまり、円満な婚約破棄なのだ。あくまで私とリアムの間では。
私の承諾を得て、リアムとリアムの父クロフトン騎士団長は、すぐ翌日にはお父様にお詫びに訪れた。婚約は家同士で決められていたことでもあり、婚約破棄の理由が、リアムが他の女性を好きになったから、ということもあり、お父様は怒り心頭。静かに剣を抜こうとした時には、肝が冷えた。
「お父様、私は大丈夫ですわ!私はこの婚約破棄に納得しているのです!それに、リアム様のお相手のアンジーさんは、貴重な白魔法の使い手ですのよ。私、お2人を応援していますの」
相手は騎士団長だぞ!?返り討ちにされるわ!必死でお父様に縋ると、何とか感情を飲み込んだようで、涙ながらに言った。
「イライザがそう言うなら、私は我慢するが…。辛いことがあれば、何でも言うんだよ」
我慢って。いや、泣くなし…。
「本当に大丈夫です。どうか、リアム様を祝福して差し上げてください」
私の言葉に、渋々剣を収めたのだった。本当にやめて。気が気じゃないから。
そんな悶着があったのが、つい昨日。まだまだ怒りの炎は弱まるところを知らないらしい。
「お、お父様、私は大丈夫ですから。ね?」
リアムのことより、今日は魔法の実技の方が余程緊張するとも言えず、笑顔でお父様をとりなした。
朝食を取っていると、玄関前に馬車が止まる音がした。しばらくして、執事が書状を携えてダイニングにやってくる。
「旦那様、王城からの書状にございます」
――王城?なんか、悪い予感がするんだけど…。
書状を受け取り、目を通していたお父様が、呆然としたように呟く。
「イライザ。お前、第一王子パトリック様から求婚されてるぞ…」
「ごほっ!」
飲んでいたお茶で咳き込む。ああ、どうして悪い予感って当たるんだろう…。
リアムたちは、昨日お父様からもなんとか婚約破棄の承諾を得た足で、そのまま王城に向かい婚約破棄が成立したことを報告したようだ。王からも承認を受け、それを知ったパトリックがすぐに動いた、ということらしい。
いや、仕事早過ぎだろう!私、昨日正式に婚約破棄が成立したばかりなんですけど!?
「今日、学園が終わったら、パトリック様直々にご挨拶にいらっしゃるそうだ…」
そうだよね、お父様だって、気持ちの切り替えができないよね…。
「お父様、急なお話で驚かれていらっしゃいますよね?私も…」
「やったな!イライザ!!」
ん?
「パトリック様なら、申し分ない!クロフトンのバカ息子と婚約破棄になってよかった!イライザを選ぶとは、パトリック様は、本当に見る目がある!」
どうしたどうした!?なんでそんなに前のめりなの?何度も言うけど、私、昨日婚約破棄になったばかりなんですけど!?
「あの方は聡明で、慈愛に溢れる人格者だ。私はパトリック様を王太子に推す一派の代表だぞ。第二王子派や第三王子派も少数存在するが、そんなもの塵芥だ。あの方なら、イライザを必ず幸せにしてくれるはずだ!」
塵芥て。お父様がパトリックを王太子に推す一派の代表だなんて、初耳なんですけど…。まさか、パトリック…沢渡部長は知っていたのか!?
どこかで、外堀が埋まっていく音が聞こえた気がした…。
学園に着くと、いつも以上に周囲から注目されているのを感じる。
「イライザ様とリアム様、婚約破棄されたって…」
「その話本当なの?理由はやっぱり、あの子?」
ひそひそと話す声が、そこら中から聞こえてくる。まあ、イライザ有名人だし、しょうがないよね。
イライザらしく背筋を伸ばし、顔を上げて歩いていると、ゲームでは同じく悪役令嬢のポジションにいるメリッサが声を掛けてきた。
「イライザ様、おはようございます。あの、今朝から不穏な噂があちらこちらで聞こえてきましてよ」
「おはようございます、メリッサ様。婚約破棄のことでしたら、本当ですわよ」
あまり笑顔で言うような内容でもないから、少し陰のある表情を作る。
「本当、なんですの?どうして…」
「リアム様と話し合って決めたことですわ。お互い納得してのことですから、心配なさらないで」
「でも…」
そうは言っても、メリッサは心配そうにしている。悪役令嬢ポジとはいえ、メリッサいい子なんだよね。しかも、アンジーはメリッサの婚約者である宰相の息子、クリストファーのルートに入らなかったから、メリッサは何事もなくクリストファーと一緒になれるはずだ。悪役落ちすることもない。よかったよかった。
心配げなメリッサとともに校舎に入ると、ゲームの攻略対象の一人である隣国ネメシア王国の王子、アランに出くわした。
「あ、イライザ、おはよう!」
うん、顔面が強い。笑顔が眩しいな。
アランは褐色の肌にプラチナブロンドという、エキゾチックな雰囲気のイケメンだ。野性味がありながら色気たっぷりの金色の瞳は、見つめられるとゾクッとする。
「おはようございます、アラン様」
「イライザは今日も隙がなく美しいな。婚約破棄したんだろ?俺のとこに嫁に来いよ」
「ご冗談を。一夫多妻制はご勘弁願いたいですわ」
軽口を笑顔でかわす。アランの国ネメシアは一夫多妻制だけど、アンジーがアランルートに入って攻略すれば、
「俺の嫁は生涯お前一人だけだ」
が聞けるんだよね。あのスチルもよかったなぁ。
「でも、婚約破棄は事実なんだろ?大丈夫なのか?」
ここでもアランに案じられる。イライザ、結構友達いたんだな。
「私は、リアム様の幸せをお祈りしておりますから」
ふっと微笑んで告げる。アランが一瞬、眩し気に目を細めた気がした。
「まあ、イライザが元気ならいいんだ。じゃあ、また後で、生徒会でなー」
王子らしからぬ快活な足取りで去っていくアランの背中を見送り、メリッサとともに教室に向かう。
「アラン様って、イライザ様のことがお好きなんじゃありません?」
唐突にメリッサに問われ、驚く。え!そんなはずないと思うんだけどな。ゲームでもそんな話聞いたことないし。
「アラン様は、誰にでもあのようにおっしゃってるんだと思いますわよ」
「そうでしょうか…?他では聞いたことがありませんけど…」
何にせよ、今はパトリックのことと魔法の実技のことで手一杯だ。アランのことはメリッサの思い過ごしだと思うし、授業に集中しなくては。
「気のせいですわよ。さあ、授業の準備をしましょう」
教室に入り、教科書を机の上に出しながら、私は笑顔で告げた。
復習のため教科書に目を落としていると、ふわり、といい香りが漂った。顔を上げると、パトリックが私の目の前の席に座ったところだった。イケメンはいい香りがする説、立証するかのような存在だな。
再び教科書に目を落とそうとすると、パトリックが振り返る。
「おはよう、イライザ嬢。書状は届いた?」
教科書、落とすかと思った。
その話、今ここでしないでよ!メリッサ聞いてるじゃん!朝会った時にはそんなこと一言も言ってなかったくせに!私は一瞬だけパトリックを睨みつけ、すぐに笑顔を作る。
「おはようございます、パトリック様。書状の件は、学園が終わった後にお話うかがいますわ」
「そう?残念だな。僕としては、早く皆にも知らせたい気持ちでいっぱいなんだけど。まあ、今日は実技の授業もあるし、君の邪魔はしたくないから、今はやめておくね」
艶麗な笑みを浮かべ、パトリックは教室の正面に向き直った。ゲームの時より笑顔に色気がある気がするのは、中身が沢渡部長だからなんだろうか。破壊力が増していて心臓に悪い。
「ねぇ、イライザ様、今のお話は?」
案の定、隣で聞いていたメリッサが、好奇心を抑えきれない様子で小声で問いかけてきた。
「さぁ?今朝王城から何かの書状が届いていたようですけれど…。何のお話でしょうね?」
公爵令嬢スマイルで誤魔化していると、パトリックの肩が小刻みに震えているのが目に入った。沢渡部長、笑ってやがる…。
いいタイミングで教室に教師が入ってくる。よかった、メリッサの追及を受けずに済んだ。まったく、油断ならない。
1コマ座学を終え、いよいよ実技の授業の時間を迎えた。緊張で少し手が震える。特訓したとはいえ、たった数日。今までのイライザと明らかに見劣りするような事態になってしまったら、どうしよう。
大きなプレゼン前のような、心臓が張り裂けそうな気分だ。
実技の授業のため校庭に移動する廊下で、私は深いため息をついた。その時、ポン、と優しく頭に触れる手。顔を上げなくても誰だかわかる。
「心配するな。お前ならちゃんとできる。自信を持て」
こそっと耳元で囁いて、パトリックが追い越していった。
本当に全部お見通しなんだよね。敵わないなぁ。
強気に見えて、意外と緊張しいな私を、沢渡部長はいつも不愛想に励ましてくれてた。ちょうど、今みたいな言葉で。私はしゃんと胸を張って顔を上げる。大丈夫。沢渡部長の評価は絶対だ。だから私にはできるはず。
――実技は、ちゃんと成功した。火の魔法も無事クリアして、優良との評価をもらえた。
そしてもちろん、パトリックの魔法は素晴らしくて、担当教師に絶賛された。なんと、アンジーの成績を上回るほどの出来らしい。なんでも、以前よりさらに一皮向けて洗練されたそうで。悔しいが、ハイスぺはどこまでいってもハイスぺのようだ。
昼休み、メリッサと食堂に行くと、何やら人だかりができていた。ひょいっと覗いてみると、人の輪の中心にアンジーがいる。
「あなたがリアム様に近づいたから、イライザ様とリアム様が婚約破棄されてしまったのではなくて!?」
「庶民のくせに、貴族の婚約者に手を出すなんて!身の程知らずもいいところだわ!」
「白魔法の使い手だからって、調子に乗ってるんじゃないの!?」
おいおいおい、君たちはどこの悪役令嬢だ。リアムどこ行ったんだよ。ちゃんと守ってやれや。さすがにこれは放っておけないぞ。
「どうかなさいました?皆様」
声を掛けると、その場の視線が私に集中する。さっきの悪役令嬢まがいの子たちの一人が、焦って口を開いた。
「わ、私、イライザ様とリアム様が婚約破棄をされたとうかがって…。こ、この子が、原因なのではと…」
うん、まあ、原因のひとつではあるんだろうけれど。でも、それだけじゃないしね。
「私とリアム様は、2人で話し合い、納得の上で婚約を破棄させていただいたのです。両家ももちろん承諾済みですし、何の問題もございませんわ。アンジーさんに否があるわけでもありません」
「そ、そうなのですか?で、でも、この子庶民のくせに、貴族に色目を使って…」
色目ときたか。うーん、でも、身分違いの恋ってのがラブソニのテーマだから、そこはもう、どうしようもないと思うんだよねー。不可抗力というか。
「アンジーさんは、確かに貴族ではございません。ですが、とても優秀な白魔法の使い手です。この国にとって、必要な方なのですよ。私は、アンジーさんがこの学園に入ってきてくださったこと、本当に感謝しているのです。この国の未来のために、心細い環境の中で日々魔法の腕を磨いてくださっているのですから。――あなたはきっと、私の立場を案じてくださったのでしょう?それならば、私の気持ちを汲んでくださるはず。私は、皆様とこの学園で身分に関係なくともに学び、高め合えることを望んでおりますのよ」
エセ悪役令嬢ちゃんは、しゅんとして頭を下げた。
「イライザ様が、そうおっしゃるなら…」
なんとかなったかな?偉そうに言ってごめんね。
「あれ、可愛いご令嬢たちがこんなに集まって、どうしたの?俺のハーレムに来る?」
陽気な声とともに、アランが私の後ろから顔を出した。その後から、パトリックやリアムをはじめとした、生徒会のメンバーもやってくる。
「なんでもございませんわ。ね?皆様」
私が笑顔を向けると、皆一様にこくこくと頷き、礼をして散り散りに去っていった。
後にはアンジーが1人取り残される。私はリアムに近づくと、こそっと言った。
「リアム様、ちゃんとアンジーさんを守って差し上げてください。それがあなたの役目でしょう?」
リアムは何があったのかを理解したようで、慌ててアンジーに駆け寄る。
「アンジー。一人にしてすまなかった。大丈夫か?」
「はい。イライザ様が、助けてくださいました」
助けるというほどのことでもないけど。ゲームだと、あれやってたの私のはずだしね。
「イライザ、ありがとう」
リアムが律儀にお礼を言う。このまっすぐさ、いかにも騎士団長の息子って感じだな。
「いいえ、では、私はこれで」
立ち去ろうとすると、ぐいっと腕を掴まれた。振り返ると、アランがにこにこしている。
「アラン様?」
どうした?何かあった?
「やっぱイライザ、いいな。めっちゃ俺の好み。マジで俺の嫁に来なよ。俺、めちゃくちゃ可愛がるよ、イライザのこと」
――は!?メリッサのカン、当たってた!?
ぱっとメリッサを見ると、きゃー!!って表情でこっちを見てる。いやいや、他人事だからって!
「だから、それは無理で…」
焦って手を離そうとすると、背後でものすごい殺気を感じた。そろっと振り返ると、完璧すぎる笑顔を浮かべたパトリック。あ、これ、ものすごく怒ってるやつだ。
パトリックはさっと私を後ろから抱きかかえて、アランから引き剥がす。
「アラン、これ、俺の」
沢渡部長、一人称が俺になっちゃってるよー!
「は?どういうこと?パトリック」
アランも訳がわからないといった表情だ。いや、私にとっては、アランの行動も訳わかんないけどね!
「だから、イライザは俺の。今朝、正式に求婚してるから。じきに婚約する」
学園の中心にいるメンバーたちの会話に、周囲で聞き耳を立てていた生徒たちがどよめく。
ああ、言っちゃったよこの人…。昨日婚約破棄して、今朝第一王子に求婚されてるイライザって、皆の目にどう映ってるんだろう…。
「え、パトリック、イライザに求婚してんの?マジで?」
「正式に書状送って求婚してるから。ね?イライザ」
怖い怖い、目が怖い。アランのことなんて、私だって不測の事態だっていうのに。
「僕からの求婚、もちろん断らないよね?」
あ、一人称が戻った。第一王子からの求婚を、こんな公衆の面前で断れる人がいたら見てみたい。
「も、もちろん、謹んでお受けいたします…」
わぁっと歓声が上がる。メリッサも、大興奮で手を叩いている。アンジーとリアムも、驚きながらも嬉しそうだ。
「そっかー、パトリックが求婚してるんじゃ、俺は諦めるしかないかぁー。イライザ、かなり本気でいいと思ったのになぁ」
アランがぽりぽりと頭を掻いた。にっこりと満足気に微笑んで、パトリックが言う。
「うん。アラン、諦めて。イライザは絶対だめ」
また一つ、外堀が埋まった音がした気がした…。
「あー、本当、油断も隙もないな!せっかくリアムを退場させたのに、まさかアランが絡んでくるなんて」
どかっと馬車に腰を下ろし、ドアが締められるや否や、沢渡部長が大きなため息をついた。
学園中から注目されるビッグカップルを爆誕させてしまった今、当然のように同じ馬車に乗せられている。うちの馬車もお迎えに来てくれてたのに、御者さんごめんなさい…。
「やってくれましたね、沢渡部長…。まさか、あの場で暴露してくださるとはね…」
ぎろっと睨みつけてやったのもなんのその、涼しい顔をして言い放つ。
「だって、お前、俺のものになるって言っただろ。こんなこともあろうかと、速攻で求婚してよかったわ」
「求婚って、結婚ですよ?つい先日付き合う?みたいな関係になったばっかなのに、いいんですか?――ていうか私、第一王子と結婚ってこと?荷が重すぎる…」
頭を抱える私を愉快そうに見つめながら、沢渡部長が顔を寄せる。
「言ったじゃん。逃がさないって。俺はずっとお前のこと見てきたんだから、全然急な話じゃないし。それにそんなこと言ったら、俺だってこのままいけば王太子からの国王だぞ?重責どころの話じゃないわ」
流れるような仕草で顎をクイっと持ち上げられ、ちゅっとキスされる。一気に頬が熱くなった。なんか、沢渡部長、躊躇いがどんどんなくなってる気が…。
「まだ赤くなんの?照れなくなるまで何回でもしよっか?」
ちょっと首をかしげながら、瞳を覗き込んでくる。小悪魔か!
こんなキャラだったなんて、聞いてないよ!鉄面皮の鬼上司だったくせに!もう、イケメンエリートリーマン怖い!
「やめてください。私が何年、恋愛から遠ざかってたと思うんですか?一生慣れませんから、こんなの!」
元社畜OLなめんな。干物どころか、カッスカスに干からびてたんだぞ!
「王太子候補とか国王とか、あり得ないくらい大変そうだけど、お前がいれば俺、頑張れそうなんだよ」
ふにゃっと表情を崩し、私の頭に手をやる。この緩急…。絶対勝てない。
「結婚してくれるんだろ?」
「し、します。しますよ。だって、皆の前でも言っちゃったし」
「それだけ?断れなかったから、俺と結婚すんの?」
相変わらず、ここぞってとこできっちり詰めてくる。オオカミにどんどん追い詰められている小動物にでもなった気分だ。
「だ、から…。それだけじゃないです…」
「じゃあ、どうして結婚してくれんの?」
うぅ、絶対言質取るまで逃がしてくれないやつだ、これ。
「大城?言って?」
もう一度熱い唇が降ってくる。くち、塞がれたら、言えませんから!
息が苦しくなるほど情熱的なキスの後、潤んだ瞳で見つめられる。視線で、言って?って語りかけてくる。
「沢渡部長だからです…」
やっとで言ったのに、まだ許してくれないらしい。
「俺だから、何?俺のことどう思ってるからなの?」
もう!いいです、負けました!
「沢渡部長が、好きだからです!好きだから、結婚するんです!」
パトリックの顔で満面の笑みを浮かべ、沢渡部長がぎゅうっと抱きしめてきた。
「やった。やっと、お前の気持ちが聞けた。大城…イライザは、俺のだ」
満足気に頭をくしゃくしゃされる。私は犬じゃないんだぞ。そんなに嬉しそうにされたら、文句言いづらくなっちゃうじゃん。
「アランの奴がまたちょっかいかけてくる前に、早くお前のお父上からも承諾してもらおう。それで、明日にはイライザは正式な俺の婚約者って発表するから」
明日!?だから、根回しが早過ぎるんだよー。どんだけ用意周到なの…。
「そういえば、国王陛下の承諾は…」
「俺がそれ、得てないと思うか?」
ですよね。はい、思いません。たとえどんな障害があったとしても、沢渡部長のプレゼン力ならマイナスもプラスにひっくり返してしまうだろう。
「外堀は完璧に埋めたから。安心して俺のものになれ」
得意気に美麗な微笑みを浮かべるパトリック。私が好きな表情わかってやってる顔だな。
私は半ばあきれながらも、くすっと笑ってしまう。これはもう、腹をくくるしかなさそうだ。
「私も頑張りますけど、ちゃんと守ってくださいよ」
「当たり前だろ」
綺麗な笑顔が近づいてきて、もう一度、長いキスをされた。
馬車が止まり、外から御者が遠慮がちに声を掛けてくる。
「ウォーノック公爵邸に、到着いたしましたが…。ドアを開けてもよろしいでしょうか?」
勝手に開けるなとでも指示していたのだろうか?馬車の中で一体何するつもりだったのよ。
「かまわないよ」
完璧なパトリックの表情と声で、沢渡部長が返事をする。それから先に馬車を降りて、私に手を差し伸べた。どこからどう見ても、きらきらな第一王子のパトリックだ。
「じゃあ、行こうか、イライザ」
「ええ、パトリック様」
私たちは顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。
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