悪役令嬢に転生したら、プレゼン力高すぎな王子に捕まりました
彪雅にこ
社畜OLは悪役令嬢に転生する
「なんで、こんなことになってるのよ…」
私、
ここは、乙女ゲーム『ラブ・ソニック~愛は魔法とともに~』の世界。そう、噂の異世界転生というやつだ。
転生前の記憶を取り戻したのは、ほんの数分前。
薔薇が咲き誇る庭園をバックに、私の婚約者リアムと、このゲームのヒロイン、アンジーが笑い合う姿を教室の窓から目撃した瞬間だった。
「あ、このスチル、見たことあるな」
思わず声が漏れた。ものすごい既視感と同時に、怒涛のように流れ込んできた記憶。
そして、ガラスに映る自分の顔にも、ものすごい見覚えがあった。これ、イライザだ。
ん、イライザって、あれじゃん。え、待って。待って待って待って。私、悪役令嬢だわ!
『ラブ・ソニック~愛は魔法とともに~』通称ラブソニは、魔法が存在する国カンパニュラ王国を舞台に、平民だけど高等魔法である白魔法が使えるヒロイン、アンジー・オブ・オートンが、貴族だらけの魔法学校で恋も勉強も頑張るという、ものすごくよくあるパターンの乙女ゲームだ。
そんな使い古された設定のこのゲームを、転生前ただのしがない社畜OLだった私がスキマ時間を見つけてはコツコツやり込んでいたのは、ひとえに攻略対象のキャラクターたちが好みだったから。疲弊した心に、好みのイケメンのラブなセリフは刺さりますよ、そりゃ。忙しすぎて彼氏を作る気力すらなかった私の心を癒してくれていた、ありがたいゲームだ。
私が転生したイライザ・リー・ウォーノックは、ヒロインであるアンジー・オブ・オートンをいじめ倒す悪役令嬢の一人だ。そう、このゲームには、攻略対象ごとにお邪魔キャラがいて、悪役令嬢も私を含め数人いる。
イライザはその中でも家柄的にも見た目的にもかなり目立つ方で、腰まで伸びたつやつやブロンドを綺麗にカールさせ、メイクもいつもバッチリの公爵令嬢。完璧な美貌を持ちながら、それに胡坐をかくこともなく、いつでも爪の先までぴっかぴかの隙のなさ。
正直私は、純朴さがウリのヒロインより、イライザの方が好きだった。だって、自分を磨くのって本当に大変で、すごく根気と努力がいる。いつでも隙のない綺麗な姿を見せることが、どんなに大変か。
仕事で疲れて帰ってきて、メイク落とすのもやっと。だけど、そんな状態を感じさせたらアウト。なぜなら、人は見た目で判断されるから。”人は見た目じゃない”なんていうのは紛れもない綺麗ごとだと身に染みてわかっていたOLの私は、どんなに疲れていても最低限、服装やメイクには気を配っていた。
だって、そうしていないと仕事もうまく進まない。疲れた顔した野暮ったい女の言うことなんて、誰も聞いてはくれないもの。
外見を綺麗に取り繕うことの大切さを嫌と言うほどわかっていたから、
「お化粧なんてしたことなくて…」
なんて、平気で言ってのけるヒロインにはどこまでも共感できなかった。いや、ゲームだから仕方ないんでしょうけども。そんなんで愛される奴、現実世界にはいないからな!どこにもな!と毒を吐きつつプレイしてた自分が懐かしい。
そもそも私は自分を磨く努力をしたこともないような奴が嫌いだったし、やってみてもいないくせに、
「どうせ私が頑張ったところで…」
なんて言う奴も嫌いだった。努力するのが面倒で逃げてるだけだろ、それ。頑張ったらどんな奴でもそれなりに見られるようになるし、何よりちゃんと気を配ってることは周囲に伝わる。そういう努力ができない奴は、大抵仕事でも甘いこと言いやがるから本当にウザい。
「大城さんはいいよね。綺麗だし、ちやほやされるし、契約も取れるし」
当たり前じゃん。仕事がうまくいくように必死で綺麗にしてるんだから。仕事も美容も、お前の数万倍努力してるわ。寝言は寝て言え。ああ、社畜OLだった頃の私の愚痴が止まらなくなってきた…。
とにもかくにも、私は何の因果か乙女ゲームの世界に転生し、ついさっき、転生前の記憶を取り戻したのだ。
──あれ、転生って私、向こうの世界で死んだのかな?どうやって?その辺りがよく思い出せないけど…。
それに、私はイライザとしてこの世界でずっと生きてきたんだっけ?ゲームのエピソード的なものや登場人物は思い出せるけど、実際に18年間生きてきた実感はないかも…。
「なんで、こんなことになってるのよ…」
こうして、机に突っ伏して頭を抱える私ができあがったわけである。
「イライザ様!そろそろお昼休みが終わりますわよ」
モヤモヤと考え込んでいた私を、誰かが呼んだ。顔を上げると、そこには悪役令嬢の一人、メリッサ・オラ・ハリソンがいた。
「あ!メリッサ!」
「そうですけど…。イライザ様、どうかされました?」
いつものイライザと明らかに様子が違ったのだろう、メリッサが訝しげな顔で私を見た。いけない、イライザらしくしなければ。
「いいえ、失礼いたしました。さあ、メリッサさん、授業の準備をいたしましょう」
元社畜OLたるもの、空気を読むなど朝飯前だ。私はゲームの中のイライザを思い出しながら、優美な笑顔を浮かべてみせた。
私イライザの婚約者は、騎士団長の息子、リアム・アーサー・クロフトン。あのスチルがあったということは、アンジーはリアムルートに入ったということになる。
うん、リアムいいよね。黒髪の寡黙なイケメン、好きよ。低くてセクシーな声優さんの声で愛を囁かれるのは、たまらなかったなー、じゃなくて!リアムとアンジーがうまくいけば、私は婚約破棄されて、ええと、どうなるんだったか…。
教室の様子を見回す。ゲームで見たことのある数人の生徒以外は、見覚えがない。あとの生徒はモブというやつだろうか。
メリッサといい、校内のことといい、やはりゲームで見たことしかわからない。ということは、転生してきたのは、さっきスチルになっていたシーンを見た直前ということなのだろうか?どうしてそんな中途半端なことになっているんだろう?
わからないことが多すぎて混乱する。でも、まずはこの後イライザがどうなるのかを思い出さなくては。
確かリアムルートでは、アンジーに思いを寄せたリアムは、イライザに婚約破棄を申し込む。イライザはもちろん素直に受け入れるはずもなく、アンジーに山ほど嫌がらせをする。そうだ、嫌がらせの度が過ぎて、アンジーを塔から突き落とそうとしたのがバレて、断罪されたんだ!そして婚約破棄からの修道院というお決まりコースだ。──とりあえず、死ぬとかじゃなくて良かった。
でも、普通に考えて、他の女が好きになったから婚約破棄してって、酷い話だよね。まぁ、現実世界でもない話じゃないけど。惹かれた時点で誠実に対応してるだけマシか?
ぐるぐると考えを巡らせながら、横にいるメリッサを密かに習い授業の準備を進めていると、目の前の席にキラキラした人物が座った。落ち着いたダークブロンドの髪と、グリーンがかったアッシュの瞳。すっと伸びた背筋に品格が漂う。
わ!第一王子パトリックだ!
大城菜々香だった頃の私の一番の推し。好きすぎてものすごく課金したよー!?目の前にいるなんて嘘みたい。しかも、なんかすごい良い匂いする…。ゲームでは味わえない香りまで堪能できるとは、転生万歳!
パトリックの後ろ姿に釘付けになっていると、不意にパトリックが振り向いた。背後に花を目一杯散らしたくなる麗しい笑顔。
「イライザ嬢、今日の放課後にある生徒会の運営会議、議題をひとつ追加したいんだけど、いいかな?」
そうだ、イライザもパトリックも、そしてアンジーとリアムも、みんな生徒会メンバーだった。しかしパトリック、やっぱ声もいい!優しくて甘くて、本当推せる!
「ええ、もちろんですわ。パトリック様」
心の声はおくびにも出さず、私はにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。それじゃあ、また放課後に」
教室に教師が入ってきたのに気づき、パトリックは手短に告げると、また前を向いて教科書を広げた。
最後の流し目、最高だった…。
私は感無量で天を仰ぎ、推しの尊さを噛みしめた。
授業は魔法学とのことだったが、教科書を読んでなんとか概要は掴めた。ゲームの世界では、こんなことになってたんだー、という新たな発見が楽しくて、しかも魔法などという現実世界ではあり得ないことを学べて、ワクワクした。
イライザは、確か成績も優秀だったんだよなぁ。──かく言う私も、勉強は苦手じゃなかった。記憶力は良い方だし、要領も良かったから、それなりの大学を出てちゃんと大手企業に就職した。まぁ、大手とはいえ、配属されたのはかなりブラックな部署だったけど。
座学は心配なさそうだけど、果たして実技はどうなんだろう?イライザはアンジーほどじゃなかったけど、次席くらいにはいた気がするな。後で実技、試してみないと。
今日の実技の授業は午前に終わっていたらしく、午後は座学の授業が3コマだった。最後の授業を終えて机の上を片付けていると、パトリックが振り返って言った。
「イライザ嬢、一緒に生徒会室に行こうか」
「はい。パトリック様」
パトリックと歩けるなんて、光栄の極みです!と小躍りしたい気持ちを抑え、教室を出る。すると、目の前に隣の教室から仲良く出てきたリアムとアンジーがいた。そっか、2人は同じクラスだったんだよね。
話に夢中で、こちらには気づかず前を歩いて行く姿を、冷静に見つめる。
リアムはあまり笑わない硬派なキャラで、初めて笑ってくれた時にはかなりときめいた。あ、さっきのスチルのやつね。
リアムも好きなキャラだったし、今は私の婚約者なんだけど、イライザになったばかりの私には、どうしても嫉妬する気がおきない。そうだ、このまま2人がうまくいくのを見守っていれば、断罪される心配もないはずだよね。そしたら、修道院送りになることもないし、よし、このままのスタンスでいこう!
私が心の中でそんなことを考えているなんて思いもしないであろうパトリックが、心配そうに問いかけてきた。
「イライザ嬢、大丈夫か?」
「え、大丈夫、と言いますと…?あ、はい。ええ、大丈夫ですわ」
そうか、婚約者が他の子と仲良くしているのに、何も思わないっていうのもおかしいよね。私は慌てて、悲し気に目を伏せた。
「リアム様を、信じておりますから」
「リアムは優しいから、いつも肩身が狭そうにしているアンジー嬢を心配しているんだろう」
「ええ、そうだと思います」
ううん、そうじゃないよー。リアムはアンジーが好きなんだよー。とは言えないので、ここはとりあえず、健気な婚約者でいくことにしよう。
「イライザ嬢は優しいな」
パトリックは優しく目を細め、私の頭をポンポン、とした。
え!?頭ポンポンした!?きゃー、ちょっと!そんなシーンあった?待って、鼻血出そう。落ち着け、私、落ち着け。
真っ赤になりながら、大きく深呼吸する。
「お優しいのはパトリック様の方ですわ。お気遣いいただき、ありがとうございます」
なんとかイライザを保てた。推しの頭ポンポンの破壊力よ…。
そんなの今までされたことないよ。──あれ、ないよ、ね?なんか、誰かにされたような気がしなくもない。記憶違いかな…?
考え込みながら歩いているうちに、生徒会室に着く。前を歩いていた2人が、ドアを開けようとしてこちらに気づいた。
「あ、パトリック様、イライザ様。ごきげんよう」
アンジーが焦った様子でリアムの後ろに下がる。リアムも慌ててこちらに挨拶した。
「お疲れさまです、パトリック様。イライザも」
「ごきげんよう」
「うん、リアムもアンジーもお疲れさま」
パトリックが完璧なまでの美しい笑顔で言った。綺麗すぎて、ちょっと凄みを感じたのは、きっと私だけじゃないと思う。リアムが少し顔を引きつらせて、ドアを開けパトリックが部屋に入るのを待つ。
「リアム、誠意ある対応をしようね」
リアムの前を通る瞬間、パトリックが小声で苦言を呈したのが聞こえて、私は驚いた。パトリック、そんなこと言うキャラだったっけ?
「はい、パトリック様」
リアムが硬い表情で頭を下げた。
ちょっと意外なパトリックの一面に驚きながらも、パトリックとリアムに続き生徒会室に入る。私の後ろには、俯いたアンジー。別にいじめないから、そんなに怖がらなくてもいいのに、と思いながらも、その化粧っ気のない顔をちらりと盗み見る。
さすがヒロイン、肌綺麗だなー。目も大きくて潤んでて、お人形さんみたい。ポテンシャルの高さを感じる。でも、眉はもうちょっと整えるべきじゃない?あと、髪飾りが幼過ぎる。18歳だぞ、年齢設定。
思わず元OLの私でダメ出ししたくなる。いけないいけない。
お、宰相の息子のクリストファーと、隣国ネメシア王国からの留学生のアラン!
部屋に入ると、残り2人の攻略対象キャラがいた。わー、やっぱこの2人も超絶イケメンだなー。生徒会には攻略対象キャラがみんな集まってるんだよね。この部屋の絵面、強すぎる…。
うっとりしていると、パトリックに声をかけられた。
「イライザ嬢、どうしたの?ここにどうぞ?」
自分の隣の席の椅子を引いてくれる。紳士だなぁ。好き!
「ありがとうございます」
できるだけ優雅に映るように心掛けて座る。紳士がデフォルトって、乙女ゲーの世界、素敵だわ…。
「じゃあ、さっそく今日の議題に入ろう」
生徒会長のパトリックの一声で、運営会議が始まった。
会議では、とにかくパトリックの有能さが際立った。
もちろん、ゲームの中でも攻略対象キャラたちはみんな絵に描いたようなハイスぺばかりだけど、なんかもう、パトリックは次元が違う。エリートサラリーマンのごとき理路整然としたプレゼンっぷりに、感嘆させられた。
今までゲームの世界だからまあ、しょうがないよねって思っていた、学園のおかしな仕組みややりにくさみたいなものを次々と指摘しては、改善策を提案する。そうそう、そうだったらいいと思ってた!みたいなことばかりで、本当に驚いた。他の生徒会メンバーも、
「なるほど、その通りですね」
「さすがパトリック様です」
と舌を巻いている。
──○○部長みたいだな。
ん?○○部長?そうだ、転生前、上司に今のパトリックみたいな部長がいた気がする。名前と顔が、もう少しで思い出せそうなのに、そのもう少しが遠い。喉元まで出かかったその名前にやきもきしているうちに、会議は終わった。
帰り支度をしていると、リアムに声を掛けられる。
「イライザ、話があるんだ。一緒に帰ることはできるだろうか」
真剣な眼差し。これは、婚約破棄を切り出そうとしてるな、とすぐにわかった。パトリックの苦言がもう効果を表したのだろうか。
「ええ。ご一緒いたします」
もちろん婚約破棄にゴネる気はない。さっさとアンジーと幸せになれるようにしてあげよう。そうすれば、私の断罪ルートも消える。
「イライザ、本当にすまない。婚約を破棄させてほしい」
馬車が走り出すなり、リアムが切り出した。申し訳なさそうな顔もいいな。ストレートな物言いも、いかにも真っ直ぐな騎士って感じ。
「承知いたしました、リアム様」
あっさりと承諾した私の顔を、リアムが驚いた顔で見つめた。
「──いいのか?」
もちろん!と笑って答えるわけにもいかないので、少し悲し気な笑顔を作る。
「もとより、家同士が決めた婚約です。リアム様には、他に思い人がいらっしゃるのでしょう?それならば、私は身を引くまで。その代わり、両家への説明や、諸々の手続きはお願いしたく存じます。よろしいでしょうか?」
「もちろんだ。君には、本当に申し訳ないことをしたと思っている」
「そんなに謝られては、私も立つ瀬がございませんわ。これからは、友人の一人としてよろしくお願いいたします。色々、大変でしょうけれど、アンジーさんの支えになって差し上げてください」
「やはり、アンジーへの俺の思いに、気づいていたのだな…」
全ルートコンプリートしてるんで、と言いたい気持ちに蓋をして、そっと頷く。イライザという最大の障害がなくなれば、後はアンジーが頑張って白魔法の力で皆を納得させて、リアムとハッピーエンドを迎えられるはずだ。
馬車が止まり、従者が扉を開ける。あ、私の屋敷だな、ここ。
リアムが先に馬車を降りて、私に手を伸ばす。私もリアムの手を取り、馬車を降りた。
「イライザ、こんなこと、俺が言えた義理じゃないが…。君の幸せを心から祈っている」
「ありがとうございます。リアム様も、アンジーさんとお2人で障害を乗り越えて、幸せになってくださいね」
「ああ、ありがとう」
リアムが再び馬車に乗り込む。私はお辞儀をして、馬車を見送った。
よし、これで修道院は回避したはずだし、これからどうしようかな。くるりと踵を返し、屋敷に入ろうとすると、リアムとは別の馬車がやってくるのが見えた。
あれは…、王家の紋章じゃん!ってことは、パトリックか!?
王家の紋章を掲げた馬車が、私の屋敷の前で止まる。降りてきたのは、予想違わずパトリックだ。
私は慌ててお辞儀をする。
「パトリック様、いかがなさいましたか?」
「突然の訪問、失礼する。イライザ嬢、少し話せるかな?」
「え、ええ。もちろんでございます」
屋敷の中へ案内しようとすると、パトリックが引き留めた。
「できれば、他の者には話が聞こえない方がいい。庭園でもいいかい?」
パトリックは、美しく整えられた庭園の奥に見えるガゼボを指さした。
えぇ?これ、どんな展開?パトリックのルートにイライザとの接点なんて、生徒会以外では覚えがない。何が起こるのかわからなくて、すごく怖い。でも、王子の誘いなんて、断れるはずないよね。
「承知いたしました。それでは、あちらにお茶を用意させますわ」
ギリギリのところで平静を保ちながら、私は微笑んだ。
2人してガゼボに座る。お茶を用意したメイドたちが下がるなり、パトリックが口を開いた。
「驚かせて申し訳ない。──大城だよな?」
「はい。──えっ!?」
「大城菜々香だよな」
「え、パトリック様が、なぜその名前を…?」
「俺、
「さわたり…沢渡…沢渡部長!?」
そうだ、沢渡部長!あのプレゼン力は、沢渡部長だ!さっきまでのモヤモヤが、一瞬にして晴れる。
沢渡部長は、転生前、私の上司だった人だ。史上最年少で部長に昇進した誰もが認めるエリート。徹底して妥協を許さない姿勢には苦しめられもしたけど、尊敬もしていた。仕事もめちゃくちゃできるしイケメンなんだけど、厳しすぎて女子社員たちからはあくまで鑑賞対象って感じだったな。それでもやっぱり、どこかの部署の子が挑んでは玉砕したって噂はちょくちょく聞いてたけど。
「でも、どうして沢渡部長までがこの世界に?」
転生してきたのは、私だけじゃなかったんだ。だけど、どうして私と沢渡部長なのかがわからない。
「お前は、覚えていないのか?ここに来る前のこと」
「実は私、転生前に何があったのか、どうしても思い出せなくて…」
沢渡部長、いや、今はパトリックか。パトリックがため息をつく。うーん、いちいち絵になるな。
少し迷うような素振りを見せていたパトリックが、意を決したようにこちらを見据え、言った。
「俺とお前が乗っていたエレベーターが、落ちた」
──ぞくっと、背筋が凍った。そうだ、エレベーター。
粉々だったパズルが一気に組みあがっていくように、すべての記憶が蘇る。
いつものように残業をして、やっと仕事を切り上げた私は、高層階からエレベーターに乗った。スマホを取り出し、ラブソニのアプリを開く。ひとつ下の階でエレベーターが止まって、沢渡部長が乗り込んできた。
「お疲れ様です」
私は挨拶をして、またスマホに視線を戻そうとしたら、珍しく沢渡部長が、お疲れ様以外のことを言い出したんだ。
「いつも遅くまで残ってるな」
「残業が多くてすみません。要領が悪いのかもしれませんね、私」
業務量が多すぎることへの軽い嫌味を込めて、私はそう答えたと思う。
「大城はできる奴だから、仕事が集中してしまうんだな。悪い。今度からちゃんと調整する」
そう、初めて沢渡部長に褒められて、すごく驚いた。思わずまじまじと部長の顔を見つめてしまって。そしたら、部長が、もっと驚くことを言った。
「この後空いてるか?たまには一緒に、飲みにでも行くか?」
私の瞳を覗き込みながら、頭をポンポンされた。そうだ、頭ポンポンも、沢渡部長じゃん!
ぴっくりしすぎて、すぐに答えられなくて。そうしたら、ガタン!!って、エレベーターが大きく揺れて──。
すごい勢いで落ちていく箱の中の、あの恐怖。思い出したら恐ろしくて、身体が震え出した。
そんな私を、パトリックの沢渡部長が抱きしめた。そうだ、あの時も、浮かび上がる体を沢渡部長が抱きしめてくれて…。私のこと、庇ってくれてたんだな。でも、そうか、エレベーター事故だったんだ。
「一緒に落ちた、と思った瞬間、ラブソニの世界で俺はパトリックになってた」
私を抱きしめてくれたまま、沢渡部長があまりにも自然に言うから、思わず流しそうになったけど、いや、待って。
「…ラブソニ、なんで知ってたんですか?乙女ゲーですよ、これ」
がばっと体を引き剥がしながら問い詰める。パトリックの顔が近い。くそ、イケメンだな!
「大城がやってたから、俺も始めた。全ルートコンプリートしてる」
おい、なんて言った?全ルートコンプ済みだと?それも驚きだけど。
「私がやってたのなんて、どうして知ってるんですか?それに、私がやってたからって、沢渡部長が始める意味がわからない」
わからないことだらけで、ますます混乱してきた。パトリックの沢渡部長…もう、紛らわしいな!ここは一旦、沢渡部長でいいか。その沢渡部長が、私から視線を逸らして言った。
「前に、大城がかなり遅くまで残業してた時、休憩室でラブソニ開いたまま寝落ちてたこと、あっただろ?」
あったかな?あったかもしれない。残業多すぎて覚えてないけど。
「その時、画面が見えて。大城こんなんやってんだ、って思って、俺も始めた」
「だから何で、私がやってるからって沢渡部長が始めるんですか?って話ですよ」
「大城の恋愛の嗜好が知りたかったから」
予想外の答えが返ってきて、一瞬思考が停止する。私の恋愛嗜好?そんなものを沢渡部長が知ってどうするっていうの?
私の表情に、明らかにクエスチョンマークが浮かびまくっていたんだろう。沢渡部長がちょっと怒ったような顔でじっと私の目を見て、言った。
「大城が好きだから、どんな風に迫ったら落とせるか、知りたかったんだよ!」
青天の霹靂とは、このことだ。沢渡部長が?私を?えぇ?
「いや…でも、ゲームと現実は違いますよ…?」
驚きすぎて、言わなきゃいけないことはこんなことじゃないってわかってるけど、的外れなことを言ってしまった。沢渡部長が顔を赤くして反論する。パトリックの顔なのに沢渡部長に見えるって、ホント変なの。
「そんなんわかってるわ!それでも、あまりにも恋愛に興味なさそうな大城に、どうやったら近付けるか、少しでも糸口が欲しかったんだ。それで、ラブソニ始めた。そしたら、イライザがなんか大城ぽくて、ハマったっていうか…」
最後にはごにょごにょ、声が小さくなっていく。沢渡部長、キャラ崩壊してるよ…。こんな人間味溢れる部長、見たことない。いつも厳しくて、無表情なのに。つか、イライザが私っぽい?
「私、イライザと似てます?あんな完璧な美貌は持ち合わせてませんよ。それに、私誰かいじめたりしてませんよね?」
「ていうか、今、大城その完璧な美貌のイライザだけどな。──でも、そこじゃない。大城いつも頑張ってただろ。イライザと同じように、気を抜いたとこ、見せないようにしてたっていうか。あんなに残業ばっかしてたのに、ちゃんと綺麗にして、周りにも気を遣ってて。それも、自分がモテたいとか、そういうんじゃなく、仕事のために。仕事だけにのめり込んだら、逆に色々円滑に進まなくなる。それ、わかっててやってたよな?俺は、大城のそういうとこ、ずっと見てて、好きになった。そんで、そういうとこが、なんかイライザと被った。イライザは、公爵令嬢たるもの、って責務からそうしてただろ?」
──気づいてた人がいたんだ。私がそうやって、ギリギリのところで努力してたことに。
心の琴線に触れる沢渡部長の言葉に、久しくリアルな恋愛から遠ざかっていた私は不覚にも泣きそうになった。何か言ったら泣きそうなことに気づかれてしまいそうで俯いていると、部長が私の両頬に触れ、ぐいっと自分の方に向けた。
「パトリックになった瞬間、俺は庭園にいた。リアムとアンジーも見えたし、窓から覗くイライザも見えた。だから、その表情や態度から、イライザが大城だって、すぐに気づいた。俺はエレベーターが落ちた瞬間のことも、全部覚えてたからな。一緒に落ちた大城が、同じように転生してたのは当然だと思った」
だから、ずるいよ部長。ただでさえイケメンだったくせに、最推しのパトリックに転生なんて。めちゃくちゃ有能で怖いけど尊敬できて、そのうえ私のことちゃんと理解してくれててって、どんだけスペック盛るのよ。
「あっちで大城を守れなかったのは悔やまれるけど、正直、俺にとってこの転生はチャンスだと思った。大城、パトリックの顔好きだろ?」
大好きなパトリックの顔に不敵な笑みを浮かべて、沢渡部長が顔を近付ける。くそ、わかっててわざとやってる!
「アンジーがリアムルートに入ったなら、パトリックはフリーだ。パトリックルートなら、隣国の王女と婚約するかもなんて話も出てきて面倒だったけど、幸いリアムだったおかげで、パトリックの婚約話はまだ何も決まってない。先に公爵令嬢で優秀なイライザと婚約してしまえば、こっちのもんだ。大城の反応から、リアムに未練はなさそうだったし、早いとこリアムに退場してもらいたくて、ちょっと圧力かけさせてもらった」
ねぇ、ちょっと。パトリックの顔がどんどん悪い顔になってるから!もう沢渡部長にしか見えないよ!
「予想以上に早く結果が出て驚いたけどな。これで、俺が大城──イライザに迫っても、何の問題もない」
パトリックの顔がどんどん迫ってくる。もう、近すぎ!ホント近すぎ!両手で胸を押し返すけど、びくともしない。
「というわけで。全力でお前を落とすから、もう諦めて俺にしとけ」
言うなり、ちゅっとキスされる。
「ちょっ!手が早い!もう!私まだ何も言ってない!」
嫌じゃない自分が憎い。こんなのずる過ぎる!
「俺のやり方知ってんだろ?逃がすかよ」
そうだ、沢渡部長のやり方。周到で、リサーチ能力高くて、そして、ここだ!って攻め時を絶対に逃さない押しの強さとプレゼン力。もう逃げられない檻の中に追い込まれた気分だ。
「さあ、僕のものになって」
スチルにもあった、パトリックのキラースマイル。ここでこのカード切ってくるなんて、やっぱり沢渡部長には敵わない。
自分の中で、ことん、と何かが落ちた音が聞こえた気がした。だめだ、降参だ。
もう一度キスされる。今度はもう、心が、身体が、この人を受け入れてしまう。
長いキスの後、唇を離した沢渡部長──パトリックが、熱い瞳をして耳元で囁いた。
「大城、返事は?」
もう落ちたってわかってるくせに。私は上目遣いでパトリックを睨みつけて、それからため息と共に答えた。悔しいけど、認めざるを得ない。
「あなたのものに、なります」
ふっとパトリックの表情が緩んだ、と思った瞬間、強く抱きしめられる。
「やっと、手に入れた。この世界で、2人で生きていこう。大城、いや、イライザ」
「よろしくお願いいたします。パトリック様」
私たちは顔を見合わせて、笑った。
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