三、農業改革のはじまり

三、農業改革のはじまり①

 集会所で農業についての話をし終えた大翔は、せっかくだから集会所の周囲を散策することにした。実は集会所の横に立っている、牛舎のようなものが気になっていたのだ。

 大翔がその建物に近付いていくと、


(ん? この香りは……)


 忘れもしない、昨日農地の土を触ったときに漂ってきた田舎の香水に間違いない。そのかぐわしい香りに大翔は眉根を寄せる。しかしその田舎の香水の香りに混ざって何かの声が聞こえてきた。その声音は同じようなものではあったが、一つではなかった。


「最近、お乳の出が悪いのよね……」

「分かるわ~。寒さのせいかしらね?」

「老化ってことも考えられるわよ?」

「あら、やっだ~」


 そんなことを話す女性たちの年齢は全員、かなり年増ではないかと大翔に想像させた。そんなマダムたちは建物の外に自分たちの声が漏れていることなどお構いなしの様子で、それぞれがそれぞれの好きな会話のネタで盛り上がっていた。

 大翔はそんなマダムたちの会話を聞いていて、むくむくと込み上げてくる好奇心を抑えることが出来ない。牛舎のような建物の中をこっそり覗いてみる。そこにいたマダムの声の正体は、


「喋る、牛……?」


 そうなのだ。確かに顔だけは茶色い牛のそれなのだが、その背中にはヒトコブラクダのように盛り上がったコブが見える。背中の反対側にある腹の部分は垂れ下がり、乳が張っているように見えた。背中にあるコブを除くと、見た目はただの牛である。


「これは、何だべな……」


 呆然とその様子に立ち尽くす大翔の背後から、


「ここにいるのは、クーシュカですよ、救世主のヒロト様」


 突然背後から声をかけられた。その声は高く澄んだ少女のものだ。

 大翔がその声に驚いて振り返ると、そこには茶髪の小さなポニーテールをした少女が立っている。少女は両手一杯に干し草を持っている。寒い季節だというのに丈の短いホットパンツをはいており、そこからすらりと伸びる足は不思議と彼女の活発さを現しているようだった。

 少女は真っ黒な瞳を数度瞬かせると、


「ヒロト様。ちょっと、どいて貰ってもいいですか?」

「お、おぉ。わりぃ」


 少女に言われ、大翔は彼女の進路を邪魔していたことに気付いた。慌ててその道を空ける。少女はポエルよりも背が高かったものの、それでも大翔よりは小柄な身体で干し草をクーシュカと呼ばれる牛もどきのマダムたちの前にテキパキと置いていく。


「これだけしかないのぉ?」

「やだぁ、この草、まずいわね……」

「たまには外で、新鮮な空気と草を食べたいものよね……」


 クーシュカたちは口々に文句を言いながらも干し草を口にしていく。そんなクーシュカマダムの声は少女には届いていないようで、少女はどんどん干し草を置いていくと、


「これで、よっし、と!」


 満足そうな笑みを浮かべて両手に付いたゴミをパンパンとはたいていた。大翔はそんな彼女の様子を呆気にとられて見ていたのだが、


「あ! ヒロト様! まだいらしたんですね!」


 そう言う少女と目が合ってはっとした。少女は嬉しそうに大翔の元へと駆けてくると、大きな黒の瞳で大翔を見上げてきた。その上目遣いに大翔はドギマギしながら、


「君は……?」

「あっ! ごめんなさい! 自己紹介がまだでしたね。私はルーチェ。このクーシュカたちのお世話をしているの。よろしくね、ヒロト様!」

「お、おう」


 ルーチェと名乗った少女は満面の笑みで大翔へと手を差し出した。大翔は少し狼狽しながらもその手を取る。その積極的な態度に若干たじろいでしまう大翔だった。

 思えば、現実世界でもこんなに女の子に積極的に来られたことなどないのだ。しかもポエルとは違うかわいらしさがルーチェにもある。ハッキリ言って、このルーチェも美少女なのだ。


「ヒロト様はどうしてこんな所にいるの?」


 ルーチェの当然といえば当然の疑問に、大翔はクーシュカのしゃおくヘと来た理由を説明した。その際、マダムの声が聞こえてきたことを包み隠さずに話す。


「声、ですか?」

「んだ。聞こえねぇっぺか? 女の人の声」


 大翔の言葉にルーチェはクーシュカの舎屋へと耳を澄ましたのだが、


「私には、いつものクーシュカの鳴き声しか……」

「マジか」

「マジです」


 どうやらクーシュカマダムの声は大翔にしか聞こえていない様子だ。ルーチェはそんな大翔へ興味深そうに言葉をかける。


「クーシュカたちはなんて言っているんですか? 私のお世話に満足してくれているのかなぁ?」


 嬉しそうにそう言うルーチェに本当のことを言うのがためらわれた大翔だったが、


「なぁ、この干し草っていつのやつなんだ?」

「これですか? さぁ……、いつのなんだろう……? 何か、残っていたヤツをあげているんですよ!」

「残っていたヤツ……」


 つまりこの干し草は新鮮とは言い難い、と言うことだ。もしかしたら腐敗が始まっているものも混ざっているかもしれない。


(そりゃ、不評なわけだ……)


 大翔が小さくため息を吐き出す。


「ヒロト様? どうかなさいましたか?」

「いっ、いや! 暖かくなったらクーシュカたちを少し外に出してやると乳の出も、良くなるかもだべな!」


 咄嗟に口を突いた言葉にルーチェは驚いている。

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