二、農地と村人⑦

 清め場から出た大翔はシュベルトが用意してくれたパジャマのようなものに着替える。今まで着たことがない肌触りで、しゅるしゅるとしている。


(肌触りが良すぎて、少し気持ち悪いベな……)


 明らかに高級品と思われるそのパジャマの着心地は、大翔にはあまり合わなかったようだ。とはいえ、慣れない異世界での一日は想像以上に大翔を疲れさせたようで、大翔は部屋に戻ってすぐ大きなベッドに倒れ込んだ。

 ボフッと沈み込む身体はすぐに重くなり、大翔はそのまま泥のように眠ってしまったのだった。

 翌朝。窓から差し込む朝日の眩しさに大翔はベッドの中でもぞもぞとする。


『ほれ、大翔。さっさと起きて、草むしり行くべ』


(ん~……、じいちゃん……。ちょっと待つべ……)


『大翔、置いていくっぺよ?』


(待って! 起きるべな!)


 大翔はガバッと上体を起こす。見慣れない室内に一瞬頭がボーッとしてしまう。


(ここは……?)


 その時、左手首に普段は感じない重さを感じて目をやる。そこには豪奢な装飾が施された金色のブレスレットがあった。それを見た大翔は昨日、自分の身に起こったことを一気に思い出した。それからもう一つ。


(じいちゃんは、去年もう……)


 大翔が農業高校を目指すきっかけを与えてくれたのは、農家をしていた大翔の祖父であった。いつもにこにこと楽しそうに土いじりをしていたその祖父は去年、病に倒れてそのまま帰らぬ人となってしまった。


(じいちゃん……)


 朝からしんみりとしてしまう大翔はしばしの間、故人に思いを馳せていたのだが、


『大翔、地道な努力が実を結ぶ。よぉく覚えておくだべよ』


 生前、祖父が口癖のように言っていた言葉を思い出した。その言葉には農家としての祖父の、誇りのようなものがあると大翔は感じていたのだった。


(そうだべ。地道な努力が大事なんだべ)


 大翔はバチンと両頬を叩いて自分に気合いを入れる。いつまでもしんみりしていては、祖父に顔向けできないと思ったのだ。




 コンコン。




「はい!」

「私です。入ってもよろしいでしょうか?」

「おう!」


 扉をノックし声をかけてきたのは、背の高い渋いシュベルトだった。大翔が声をかけてすぐに扉が開き、その姿を現す。


「おはようございます、ヒロト様。よく眠れましたか?」

「もう、ぐっすりだったべ!」

「それはよろしゅうございました。下の食堂にて朝食のご用意が出来ております。着替えが終わりましたら、食堂までいらしてください」

「了解だべ」


 大翔の返答を聞いたシュベルトは一礼すると、失礼しますとだけ言って部屋を出て行った。大翔は扉が閉まったのを確認すると、ふかふかのベッドの上からぴょんっと飛び降りる。それからくしゃくしゃに置いていたえんじ色のジャージに着替えると、鏡の前で髪型のチェックをする。


(ワックスは……、入ってなかったべか?)


 大翔はスクールバッグの中を漁る。するとスクールバッグの底の方に丸い缶が転がっているのが見えた。手のひらサイズのそれは髪の毛を整えるためのヘアワックスだ。大翔はその缶を手にすると、鏡の前に戻りプリン頭を逆立てていく。


「うっし!」


 大翔は髪を逆立てて気合いが入ったのか、ジャージ姿のまま部屋を後にし、一階の食堂へと向かった。食堂の観音扉の前に来るとちょうど、朝食の良い香りが漂ってくる。大翔が両手で食堂のその扉を開けると、


「あ、ヒロト様! おはようございます!」

「おう、ポエル! おはよう!」


 椅子に座っていたポエルが律儀に立ち上がって挨拶をしてくれる。大翔はそれに返すと、昨夜と全く同じポエルの前の席に座った。大翔が席に着くのと同時にシュベルトが熱々の朝食を用意してくれる。

 大翔はシュベルトに軽く会釈をすると、熱々の朝食を前に手を合わせた。


「いただきますっ!」


 大きな声で言うのに、向かいの席に座っているポエルが不思議そうに声をかけてくる。


「その『いただきます』は、どう言う意味なのですか? ヒロト様」

「そうだなぁ……」


 ポエルからの質問に、大翔は遠い記憶をたぐり寄せる。

 それは大翔がまだ幼稚園の頃。

 当時から大翔は大変なじいちゃんっ子だった。どこへ行くにも祖父の後をついて歩いては、小さな疑問をぶつけていた。


 それは空と海が青い理由だとか、海の水がしょっぱい理由だとか。


 そんな些細な幼い大翔の疑問に、祖父は嫌な顔ひとつせずに答えてくれていたのだった。大翔は何でも知っているそんな祖父のことをますます好きになり、農家の手伝いも率先して行う子供だった。

 そんな幼い大翔も、今のポエルと同じような質問を祖父にしたことがあった。祖父は笑わずに真剣な表情で答えてくれる。


 食前の『いただきます』はそのしょくもつの命を自分の命として戴く感謝を、食後の『ごちそうさま』は東奔西走して食材を集め、調理してくれたことの感謝を表しているのだと。


「どっちも大切で、大事な挨拶だべ」


 大翔の説明を聞いたポエルはうつむき、小刻みに震えている。


「どうした? ポエル」


 大翔が不思議そうに声をかけると、ポエルはガバッと伏せていた顔を上げた。その表情は真剣だ。


「私、感動しました! 物知りなヒロト様のおじい様にも、そのおじい様の言葉を胸にしっかり前を向いていらっしゃるヒロト様にも!」


 そう言うポエルのブルーの、ウサギの瞳は心なしか潤んでいるようにも見える。それからポエルはシュベルトを呼びつけると、


「食前と食後の挨拶、このジャポニア村でも行って参りましょう!」

「御意」


 シュベルトはポエルにうやうやしく礼をとると、食堂を出て行ってしまう。大翔はそんなシュベルトを見送ってからポエルに目を移す。ポエルはなんだか嬉しそうに朝食を口に運んでいた。

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