二、農地と村人⑤

「ヒロト様、無理に飲み込まなくてもよろしかったのですよ?」


 シュベルトの呆れたような声に大翔は、バカ言え! と牙を剥く。


「女の子がせっかく、心を込めて作ったものを吐き出したりしたら、男が廃るべな!」


 真剣にそう言う大翔へ、シュベルトはその視線を和らげる。


「さすがは、ポエル様とシト様に選ばれし、救世主様です」


 シュベルトはそう言うと、控え目に頭を下げ、部屋の扉を開けてくれた。いつの間にか会話をしているうちに、大翔の部屋の前まで来ていたのだった。


「後で何かお食事をお持ち致しますので、それまでごゆっくりお寛ぎください」


 シュベルトはそう言って大翔が部屋に入ったのを見届けてから、扉の横にあったスイッチを押す。真っ暗だった部屋にはほのかな明かりが灯った。どうやら電気と同じ役目を果たしているようだ。


「では、ヒロト様。失礼致します」

「お、おぉ」


 シュベルトは扉を閉めて部屋を出て行く。一人になった大翔は改めて広い室内を見渡した。昼間に入った時には気付かなかったが、ベッドの対角線上には勉強机のようなものが置かれており、ベッドの反対側、頭の横には明かりと共にローテーブルが置かれていた。


(至れり尽くせりだっぺな……)


 大翔はジャージ姿のままベッド横の壁に背もたれるようにあぐらをかいて座る。辺りを見渡してから自分のスクールバックに目をとめると、


(そう言えば、教科書が入っていたべな?)


 そう思った大翔は自身のスクールバッグを引っ張って自分の元へと持ってくると、中身を漁りだした。そして数冊ある教科書類の中から農業に関するものと、その資料集を取り出した。


(明日説明するときに、間違っていたら格好悪いべな)


 根が真面目な大翔は農業の基礎となる土作りからの復習を始めていく。しかしもちろん内容は現実世界のもので、異世界であるこのジャポニア村に通じるのかはやってみなければ分からない。


(分からないけども、何もしないよりはマシだべや)


 挨拶回りをしたときの村人の様子を、大翔は思い返す。皆一様に、ポエルが起こした召喚の奇跡に感動し、ポエルに召喚された救世主たる大翔に期待していた。


(あの期待には応えないと、ポエルの顔に泥を塗るっぺな)


 大翔はジャージ姿のままあぐらをかいて、しばらく教科書と資料集と睨めっこする。すると突然、部屋の扉をノックする音が静かな室内に響いた。大翔は一瞬、ビクッとその身体を震わせたのだが、すぐに平静を装って扉の向こうへと声をかけた。


「お、おう!」

「私です。開けてもよろしいでしょうか?」


 低く落ち着いたその声はシュベルトのものだ。大翔はどうぞ、と言葉をかけると部屋の扉が静かに開き、声の主であるシュベルトが姿を現した。その傍には少ししょんぼりした様子のポエルが立っている。


「あれ? ポエルでねーか。どうしたっぺな」


 大翔が不思議そうに声をかけるのに、ポエルは恥ずかしそうに、しかし申し訳なさそうにモジモジとしている。


「さぁ、ポエル様」

「分かっています!」


 シュベルトに促されたポエルは赤面している顔を勢いよく上げると、涙目でシュベルトを睨み上げた。それから小走りに床に座っている大翔の傍までやって来ると、ガバッと頭を下げる。


「ごめんなさいっ!」

「は? え?」


 大翔は急なことに戸惑いを隠せない。大翔が目を白黒とさせていると、顔を上げたポエルが恥ずかしそうに顔を赤らめながら、


「私の料理、不味かったですよ、ね?」

「は?」

「あ、いいんです、いいんです! 本当のことなので……」


 ポエル自身も、自分が料理下手である自覚はあったのだという。そのため普段の料理もシュベルトに任せていたのだが、今日に限って上手く作れそうに感じてしまったのだという。


「出来上がった料理の見た目や香りも完璧だったので、つい……」


 味見を怠ってしまったのだ。

 その結果、大翔が顔面蒼白になって食堂から退場。その様子に少し違和感を覚えたポエルは、一人になった食堂でその時初めて、自分の作ったものを口に入れた。そしてその瞬間、


(うっ……! マズっ!)


 そう思ったポエルは躊躇することなく口の中のものを吐き出した。それからこれを大翔に食べさせてしまったことに顔を青くする。


(ど、どうしよう……。ヒロト様、こちらを飲み込まれて……)


 そして思い出されるのは食堂を後にする去り際に、大翔が残した言葉だった。


『ポエル! 飯、ありがとうだっぺよ!』


 顔色は悪かったが、こんな料理に対しても律儀にお礼を言ってくれた大翔のことを思い返すと、ポエルの顔は自然と熱くなってくる。それは羞恥心とか照れ隠しとかが入り交じった複雑な感情だった。大翔の男気は残念ながらポエルには伝わっていなかったものの、大翔の人の良さは十分に伝わっていた。だからこそ、人の良い大翔にやらかしてしまったポエルの動揺は隠せない。

 一人で食堂をうろうろしていると、戻ってきたシュベルトに声をかけられた。


「ポエル様?」

「ひっ!」

「どうなさったのですか? 一人でうろうろと……」


 ポエルはゆっくりと振り向くと、


「シュベルトぉ……」


 背の高いシュベルトを見上げて泣きついた。その声と表情でシュベルトも全てを察したようで、


「ポエル様、料理を口にお入れになったんですね?」


 そのシュベルトの言葉にポエルは小さく頷く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る