第16話 始まりの始まり


 あの日、僕は暇を持てあましていた。レベルを落とした高校に難なく合格し、中学校の卒業式を終え、高校入学までの僅かで貴重な休日。


「あれ、おかしいな。今日は降水確率0%だったはずなのに」


 今朝は春の季節を彩るように桜が舞い散り、もう少し上を見上げればほどよく雲が散りばめられた青空が遥か彼方かなたまで広がっていた。

 自己主張の強くない日差しと、まるでこれからの人生を応援するように吹いて来る追い風が混ざり合った、穏やかな天候であった。それ故に所用で買い物に出かけていた帰り道のことである。

 一日中穏やかな天候だという気象予報を覆すかの如く、急に暗雲が垂れ込めた。所々で雷鳴らいめいとどろき、今にも土砂降りになりそうだった。


「にわか雨か? なんだか嫌な予感がするな。急ぎ家に帰ろう」


 道中で頬や体に雨粒が刺さり落ち始めた。目的地に到着するまで残り五分といったところだが、近づくにつれて雨あしが強くなってきた。最短距離で向かうため、大通りではなく、路地裏に通じる細道を辿って行った。


「くそ、あともう少しなのに。タイミング悪いなぁ」


 天からの涙に愚痴をこぼしながら、狭い角を曲がったその瞬間だった。顔に何かが付着した。少し鉄臭くて、少し生暖かくて、少しドロッとした、雨とは似ても似つかぬ液体だった。


「え?」


 全長約二メートル弱ほどもありそうなは、チラッと見ただけでは大きな人間のようにも思える。しかし、よく目を凝らすと全然違っていた。全身が黒色に近い濃い青色の皮膚のようなもので覆われている。二足歩行のようだが、足元に行くほど円柱のような形をしており、足首が見当たらない。右手には一本約四十センチほどの銀色の細長い線が五本付いており、大きな爪のようにも見える。そして、頭に当たる部分は馬を想起させるような、というより、ほぼ馬と言って差し支えない様態であった。そして、その足元には原型が保たれていなさそうな、所々角ばった四角くて肉塊にも近しい物体が横たわっていた。


「え……」


 僕の声に反応したようで、と目が合ってしまった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁああああああ」

僕は考えるより先に反対方向に脱兎のごとく駆けだした。


(何だ何だ何だ何だ何だ何だ何だ何だ、何なんだあれは!?)

 全力で駆けた。駆け抜けた。

 急激な動作により手足は今にも千切れそうで、荒々しい呼吸により肺は今にもつぶれそうで、大量の情報により頭脳は今にも焼き切れそうになった。いくつもの角を左右と曲がり、見晴らしのよい公園跡に辿り着いた。


「ハアハア……、さすが……に、ここまで……これば」


 安心だろうと思ったのも束の間だった。怪物が背中の近くに飛び降りていた。


「は?」


 驚愕と恐怖のあまり、振り向いてすぐ真後ろへ尻もちをついてしまった。


「な、なんなんだよ、お前は!?」


 僕の問いを無視してじりじりとこちらに歩み寄って来た。どこか薄ら笑いを浮かべているようなそんな顔をしていた。まるで、追い詰めたと言わんばかりに。

 

「く、来るな!」


 背中に固い感触がする。公園内に設置された石壁か何かにぶつかったようだが、あいにくと、そんなことを確認している暇はない。

 怪物が右腕を振り上げる。


「あ……、あ」


 死を覚悟したその瞬間、僕達を遮るように落雷した。

「……少年よ、汝に望みはあるか?」

「?」

こいねがいし者に光を与えん」

「だ、誰だ? 僕に語り掛けるのは!?」


 その不思議な声はどこからともなく聞こえて来た。

「本来なら自己紹介といきたいところだが、そのような猶予はなさそうである」


 どこか落ち着きを払ったような、少なくともこの緊急事態にそぐわない穏やかな声色だった。


「少年よ、何を望む?」

「僕は……」


 立て続けに起こる異常事態により、僕の脳はすでに目の前の出来事を受け入れる余裕がなかった。天に向かって嘆願するように、直感的とも本能的とも原始的とも言える願いを口にした。


「生きたい。ただひたすら生きて生きて、生き延びていたい。こんな……、こんなわけがわからない状態で、よく分からない化物に殺されたくない。こんな現実、こんな世界、こんな人生を僕は許容出来ない」

「その願い、聞き入れた。然らば少年よ、これから述べる一節を復唱するのだ。さすれば汝の道を照らす力を授けん」


 その時初めて、それの名前を知った。しかし、何故だろう。、僕はずっと以前から知っていたような気がする。何年も前に聞いた話を頭の片隅から引っ張り出すのとはまた違う。ずっと言葉に出来ないまま秘めていた想いが、ある時急に具体化されたような、そんな感覚だった。

 その場でゆっくりと立ち上がる。


「武装展開‼ 断ち切れ、トーラス!」


 その瞬間、僕の体を中心に強風が吹き荒れ、周りの空間が波動により揺らぎ、地面は割れるような音を立てていた。


 気が付けば、両の手にそれぞれ剣を握りしめていた。左手には白剣が、右手には黒剣が、それぞれ自己主張するように強く輝いていた。


「これは一体……」

「あの怪物を倒す武器と考えてくれていい。さぁ、共に倒すぞ少年」

 戸惑いを隠せない僕に、容赦なく発破はっぱをかけてきた。僕の心の準備が整っていないのを見抜いたであろう魔物は急激にこっちへ向かってきた。


「いかん。避けろ、少年!」

 脊髄反射で体を少し横に動かした。その直後を化物が過ぎ去ったのか、肩から斬られたような痛みに襲われた。

「うっ」

 うめき声が思わずこぼれ、剣を握ったまま肩を抑えた。


「大丈夫か、少年?」

「見た目ほどじゃない。けどそれ以前に、体が、思うように動かない!」


 興奮か、それとも恐怖によるものか呼吸は荒くなり、心臓は警告を出すように激しく脈を打ち、足の震えは収まることを知らなかった。まるで体が石化したかのように制御が効かなかった。


「深呼吸しながら、地団太踏むように少しだけ足を動かすのだ。敵から目を逸らさぬようにな」

 言われた内容を運動神経に反映させる。若干ぎこちない動きだった。しかし、感覚は元通りになりつつあり、不思議と視界が広くなったように思えた。


「大丈夫。君なら出来る」


 その声に頼もしさや安心感、そして力強さを覚えた。懐かしいような、でも聞き慣れたような、そんなおかしな感覚だった。その頃になってようやく手足が思い通りに動かせられるような気になった。


「ありがとう。そして、お願い。力を貸して」

「ああ。行くぞ、少年」


 隙を見て、異形の存在がダッシュで距離を詰めて来る。僕はバックステップで間合いを保とうとしたところ、ようやく、靴底が地面に接した。


「え!? 何今の? 何が起きた?」

「それは私の能力によるものだ。いわゆる、身体能力向上スキルだ。それよりも敵から目を離すでない」


 突進の勢いを殺さずそのまま歯向かってくる敵の攻撃をギリギリのところでかわす。


「あの攻撃を避けるとは。少年の目と頭脳は悪くないようだ」

「体が思ったより速く動くのはいいけど、これまでの感覚で行動していると逆にズレが出るな。というか、目と頭脳『は』ってどういう意味?」

「特に深い意味は無い。それよりも身体と感覚が一致するよう、急ぎ認識を書き換えるのだ」


 一向に止む気配がない怪物による一連の攻撃から逃れながら、徐々に視覚情報と運動神経を同期させていく。ズレが無くなって行ったところで、合間を縫って攻撃に転じる。しかし、表皮が固いのか攻撃に歯応えを感じられない。


「ダメだ、硬くて攻撃が通らない!」

「全身がそうであるわけではない。急所を狙え! そこは刃が通りやすいはずだ」


 今度は首や顔、心臓に当たる部分を狙うと怪物は露骨に防御や逃げの体勢を取り始めた。


「どうやら、君の言う通りのようだ。あいつの攻撃パターンも見切った。いよいよ王手だ」


 身体能力向上を応用し、地面を思い切り蹴り返す感覚で前方へ一気に加速する。

「待て、早まるな!」


 彼の忠告も聞かず、怪物の右腕の爪をかいくぐっていよいよ急所に刃を突き立てようとすると今度は左手の先から同様に爪が出現し、僕の体を切り刻もうと迫って来た。


「奥の手!? ヤバい」


 すんでのところを左手の剣でガードの構えを取ろうとしたが中途半端な形となってしまった。その代償として、衝撃により白剣が弾き飛ばされてしまった。


「クソっ! こんな時に……」

 十分に悪態をつく暇もなく、畳みかけるように攻撃が繰り広げられようとした。


「少年、危ない!」

「一か八か。間に合えええぇぇぇ!!」


 縦と横の両方から迫りくる爪の攻撃を、僕は刀身を相手の左腕の爪の軌道に沿うように構え、そのまま滑らせて右腕の爪にぶつけさせた。


「見事。今だ!」

「うあああああぁぁぁああああああぁぁぁぁあ」


 僕はそのまま大声をあげて前に進み、勢いよく人外の胸元にぶつかると、怪物ともども倒れてしまった。しかし、幸運にも、相手の腹の上に腰を据えることが出来た。ようするに馬乗りの状態である。

 それから、得物を逆手に持ち何度も何度も化物の体に振り下ろした。その度に血かどうか不明な液体を浴びた。突き刺すたびにビクンビクンと小刻みに振動が来る。

 どれほどそうしていたかは分からない。ほんの数回だったかもしれないし、数十回だったかもしれない。ただただ、がむしゃらにそれを繰り返した。


「少年よ、もういい! もう……十分だ」

 声が聞こえてようやく、が動かなくなっていたことに気付いた。疲労と安堵感によるものだろうか、上に掲げていた刃物は手から抜け落ち、体は倒れ込むように横に大きく傾いた。


「おい少年、しっかりしろ! 怪我はないか? 立てるか?」

「……助けてもらってなんだけどさ、もう少し静かにしてくれない。慣れないことやって体が重いだけだから。まぁそうは言っても、当分は動け無さそうだけれど」


 まるで全身がなまりになったかのような感覚だった。手足を持ち上げることすら容易ではなく、数時間ほどはこの体勢でいることを強いられるだろう。ただ、このまま何もせずに時間を費やすのも惜しいため、有効活用しよう。


「せっかくの丁度いい機会だし、話でもしようか。……トーラスって言ったっけ?」

「名前を覚えてくれて光栄だ。では、少年よ、君の名を教えてくれまいか?」

「そうか、そこからだったか。僕は、安久谷あくや すい。安心の『安』に、ひさしい谷で、『安久谷あくや』。下は、みどりとか翡翠ひすいで使われる『すい』ね。というか、そもそも君って漢字は分かるの?」

「御心配無用である。私自身、人ならざるものではあるが、この世界の常識や相応の知識は心得ているつもりだ」

「それは良かった。一々物事を教えるなんていう七面倒なことをしなくて済むのなら、それがいい。……じゃあ、色々と質問に答えてもらうよ」

「元よりそのつもりだ」


 そこからは色々と、根掘り葉掘り聞いた。先ほどの怪物のこと、行使した大技や、トーラスなる刃物が人格を持つ理由等々。

 ほぼ一方的に聞き出して判明したことだが、彼自身――――――性別は不明であるが、話し方からして男性が適切であろう――――――のことは何も分からないようだ。

 どこから、いかようにして生まれ、はたまた何のために怪物を倒すのか。どこでこの世界のことを知り、何故武器に意識が宿っているのか。その類の質問には「分からない」、「覚えていない」、「自身ですらも把握していない」と返ってくるばかりであった。


「はぁー、何それー。まるで記憶喪失している人間相手と話しているみたいで余計に疲れるんだけど」

「それに関しては返す言葉が無くて心苦しいのだが、私自身も知りたいのだよ。私の正体や生まれた理由について、な。……そこでだ、すい、一つ取引をしないか」

「えぇー、それ絶対面倒くさいやつじゃん。出来る事なら即お断りするところだけれど、まぁ一応、助けてもらったわけだし? 話だけは聞いてあげるよ」

「この世に存在する怪物はあの一匹だけではない。むしろ、わんさかといるであろう。不運な事故とも言うべきだろうか、あの存在を認知した君は今後も命を狙われることは容易に想像できる。故に君に力を貸そう。その代わり、私自身を知る手助けをしてほしい」

「ほら、やっぱり面倒事だった。というか、そもそも今後もあんな化物に襲われるって何で分かるのさ?」

「分からぬ。おそらく本能なのではないか? 自らの脅威になる相手を無くしておきたいというのは、奴らだけに限った話でもあるまい」

「ようするに、何も知らないわけね。……これさぁ、もう実質選択肢が一つしかないじゃん」


 流石に未知の存在への唯一とも言って差し支えない対抗策を持たぬまま、命の危機に晒し続けることを良しとする狂気さは持ち合わせていない。ここはトーラスなる武器の話に応じるしかないだろう。


「取引成立だな。今後ともよろしく頼む、すい

「断られるという考えはなかったわけ?」

「それならば、残念な事ではあるが君を見殺しにするしかあるまい。正直な話、今の私は君がどうなろうとも構わない。それにだ、そのような愚かな選択をするような人物ではないと短き時間でも把握したつもりだ」

「それはどうも。ちなみに、君の手助けをするにはどうするのが手っ取り早い?」

「分からぬ。おそらくではあるが、あの異形の存在を倒し続ければ何か見えて来るかもしれん」

「……やっぱり、さっきの話なかったことに出来ない?」

「残念ながら、もう手遅れである。潔く受け入れよ」


 こうして、この時を境に僕の人生は普通とはかけ離れてしまった。


   ◆


「そんなこともあったねぇ。それで、その話がどうかした?」

すいとはこれまで化物退治を一緒にしてきたが、果たして本当に君を巻き込んで良かったのだろうかと今でも考えてしまうのだよ。半年近く経つというのに、有力な手掛かり一つ見つけることすら叶わず。ただ、私の我が儘に付き合わせてしまっただけではないかと。それ故に、先の理由を答えるに至らなかったのは私のせいだ。すまない」

「ふは。何それ」


 彼の本心を聞き、当の本人には失礼かもしれないが、思わず吹き出してしまった。


「何か面白い冗談を言ったわけではないのだが」

「いやいや。トーラスって変なところで律儀というか、真面目というか、誠実というか。気にし過ぎなんだよ。あれはあくまで取引で、お互いに利があると判断しての結果だろ? それなら、僕にももちろん責はある。それにさ、あの時君がいなければ僕はこの世に居なかった。君に感謝することはあっても、責め立てるのは御門違いなのさ。……っていうか、そもそも何でこんな話になったんだっけ?」

すいがよく分からない理由でへそを曲げていたことが発端だと記憶しているが」

「あぁ、そうそう思い出した。あの時はさ、正論が聞きたいんじゃなくて、話を聞いてフォローして欲しかったんだよ。まぁ、その、なに……、面倒くさいムーヴかましてごめんなさい」

「いや、私も人の心というものを分かっていなかった。申し訳ない。こう言ってはなんだが、思ったことをぶつけるのも悪くないものだな。おかげで、また少しだけ君のことを知れた。おそらくだが、こういったことを積み重ねることで私を取り戻せるのかもしれないな。うむ、次回からは適切に対処出来るよう善処しよう」

「うん、期待しとく。なんか、らしくないことしたせいかさ、お腹すいたよ。どこか食べ物置いてないかな」


 立ち上がって軽く屈伸運動を行う。これからいただこうとする食品についてあれこれ思い浮かべながら、治療室を出て行った。


「こんなに大規模な基地があるならどこか食料格納庫でもありそうだよね」

「あっても不思議ではないが、見つけられたら食べられる前提で話を進めないほうがいい」

「確かに。ミリエラさん辺りにでも聞いてみるか」

「そうすべきだろうな」

「えっと、地図は……っと、あったあった」


 散策がてら見回りしていたところ、近くの壁に記載されているフロア図を見つけ出した。B3の記載があることから、今僕達がいる場所は基地の地下三階なのだと今更ながらに知った。


「たしか、諜報部門に所属しているって話だったよね。その部屋が少し先にあるみたいだから行ってみようか」

「うむ」


 地図を脳内で保存し終えた僕は、そのまま歩き出した。


すい、気付いているだろうか。もしかすると、君はあの時大きな罪を犯してしまったのかもしれないぞ」


 その独白は幸か不幸か、当の本人の耳に届くことなく空に失せた。

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ワールズエンド 東雲しの @shinonomeshino

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