家制度の残骸が、形を変えてこんなところにも残っているのかと、そんなことを、読んで痛感させられました。もっと言えば、どこの家も皆同じであって、あるべきであるといった、そんな意識がどこかに残っているならば、それは、「国鉄的思考」の残骸ともいうべきか。その地でその人(モノ)の役割が120%、いやそれ以上発揮されることを目指す今どきでも、どこに行っても80点的な思考の悪い面が、その番組の対手への呼び方に現れているのではないか。そんなことを、考えさせられました。