篠原の架橋
十五日朝、架橋はメールのチェックを終える。
「寺さん、
架橋はニヤけた。
「たしか、今日帰るんだよね」
そう伺ってはいたが、ここで育美から写真付きのメールがくる。
架橋は開くと、思わず笑う。
電話して尋ねてみた。
「あ、寺さん? 見たよ。それ、どこにあるの?」
育美は答えた。
「
「?」
架橋は地理がよく分からず、イメージできない。
育美は続けて言う。
「
「無理しないほうがいいよ」
「ま、
「うん、これから撮る」
「しかし驚いたね。三人とも、旅したところに共通点があるんだもの」
「私は帰郷なんですけどねー」
「でも、市治ちゃん、絶対驚くだろうね」
「脅かしてあげようねー」
「ねー」
架橋はここで電話を切った。
架橋は家を出て、施錠して、近くにある目的地で写真を沢山撮り、そのなかの一枚を創和と育美に写真付きメールを送り、電話で報告で報告。
それから車で
親戚宅でくつろぐ架橋。
「片山津温泉に歴史あるかな? いや、温泉自体が歴史か」
とつぶやく。
親戚にそれを問うと、叔父さんに当然の如く、言われた。
「
「え?」架橋は知らなかった。
母親に言われた。
「五歳の頃、連れて行ったんだけどね。かけちゃん、つまらないって駄々こねてた。この子は一にも二にも食い気なんだよ。かがチーズとか湯の花たまごとか塩まんじゅうとか」
「き、記憶にございませーん……」
架橋は照れ笑いするも、明日、見回ろうと思った。
十六日、架橋は散策した。実盛塚を巡り、
この合戦は
平維盛は命からがら、わずか四か五騎で
この合戦はには美談がある。それが平維盛に従った老将斉藤実盛戦死のエピソードだ。
この男、
斉藤実盛は昔、源義賢に恩を受けたことがある。
敵対したとはいえど過去の恩を報いるため、息子の義仲を預かり、丁重に扱いながら、義仲を母親の実家がある木曽に逃してあげた。
幼い義仲も本来なら、大蔵合戦のときに殺されていたはずだった。
つまり斉藤実盛とは、源義仲を木曾義仲と呼ばせるきっかけを作った人物と言っても過言ではない。
だから源義仲にとって、斉藤実盛とは敵とはいえど命を救ってくれた大恩人なのだ。
篠原合戦のとき、斉藤実盛は死を決意した。
「最後こそ若々しく戦いたい」と思い、白髪を真っ黒に染めてから奮戦し、義仲家臣の手塚
首実検のとき、実盛は本人と分からなかったようだ。だが、敵の捕虜から様々な事情を聴取していた
義仲は家人にその首を付近の池にて洗わせたところ、黒髪が白髪に変わったため、実盛の死が証明された。
義仲は、命の恩人を殺してしまったと涙する。
周りの家臣たちも同情し、涙に溢れたと伝えられている。
「そんないい話があったんねー。すごいすごい、映画級だよ。大河ドラマ級だよ! あ、大河は木曾義仲を推さないと津幡っ子に叱られる……」
史跡巡りを制した架橋は、涙が溢れていた。
本当に影響を受けやすい子である。
そして、お腹が空いた。
目の前に、食堂があった。
源氏と平家という。
「歴史クラスタ系外食屋さん、ここにもあったねー」と、写真を撮った。
ご近所巡りとはいえ、創和と育美に負けない歴史散策ができた。
架橋は写真を撮り、拡散し、中へ入って昼食をとった。
創和は篠原合戦を知らなかった。
「ま、お城専門だからねー」架橋はニヤリとした。
市治は知ってるとあったが、概説程度で具体的なことは知らないという。
「横浜を出たら歴史圏外だもんねー」架橋は得意顔だった。あの瀬沢合戦も、武田信玄横浜市侵略疑惑から広げた知識だ。横浜市と繋がらない木曾義仲の知識は、やはり素人並みなのだろう。
ただ、育美がひとつ、メールでトリビアを教えてくれた。
「斉藤実盛を討ち取った手塚光盛の子孫が、手塚
「えー!」架橋は驚いた。
架橋は親戚の家に戻り、
「手塚光盛の子孫が手塚治虫って知ってる?」
と、得意げに叔父と叔母に問うと、
「知ってるよ」と秒速で、口を揃えて答えられた。
「えー!」架橋は再度、驚くと、
「地元の常識」
と、これも口を揃えられた。
トリビアはあっけに崩された。
深夜、架橋は夢を見る。
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