篠原の架橋

 十五日朝、架橋はメールのチェックを終える。

「寺さん、大河おおかわさんに恋してるねー」

 架橋はニヤけた。

「たしか、今日帰るんだよね」

 そう伺ってはいたが、ここで育美から写真付きのメールがくる。

 架橋は開くと、思わず笑う。

 電話して尋ねてみた。

「あ、寺さん? 見たよ。それ、どこにあるの?」

 育美は答えた。

青森あおもり県の下北しもきた半島の真ん中より西あたり」

「?」

 架橋は地理がよく分からず、イメージできない。

 育美は続けて言う。

創和はじめちゃんに言われてね、予定外だけど来ちゃった。今日中に帰れるかな? ウフフフ」

「無理しないほうがいいよ」

「ま、八戸はちのへまで行けば新幹線あるし。大丈夫だと思うよ。あ、そらちゃんも撮るでしょ」

「うん、これから撮る」

「しかし驚いたね。三人とも、旅したところに共通点があるんだもの」

「私は帰郷なんですけどねー」

「でも、市治ちゃん、絶対驚くだろうね」

「脅かしてあげようねー」

「ねー」

 架橋はここで電話を切った。

 架橋は家を出て、施錠して、近くにある目的地で写真を沢山撮り、そのなかの一枚を創和と育美に写真付きメールを送り、電話で報告で報告。

 それから車で片山津かたやまつ温泉を目指した。






 親戚宅でくつろぐ架橋。

「片山津温泉に歴史あるかな? いや、温泉自体が歴史か」

 とつぶやく。

 親戚にそれを問うと、叔父さんに当然の如く、言われた。

新町しんまち篠原しのはら新町)に実盛さねもり塚がある。温泉のほうに行けば古戦場の石碑もある。篠原合戦だよ。有名なのに忘れたの?」

「え?」架橋は知らなかった。

 母親に言われた。

「五歳の頃、連れて行ったんだけどね。かけちゃん、つまらないって駄々こねてた。この子は一にも二にも食い気なんだよ。かがチーズとか湯の花たまごとか塩まんじゅうとか」

「き、記憶にございませーん……」

 架橋は照れ笑いするも、明日、見回ろうと思った。


 十六日、架橋は散策した。実盛塚を巡り、手塚てづか山公園に着く。ここは篠原合戦の石碑や首洗池のほかに面白いものがある。スマホで看板にあるQRコードをかざすと、斉藤実盛の合戦物語が3Gで紹介さるのだ。斉藤実盛、木曾義仲らCGキャラクターは、格闘ゲームにでてくる筋肉質な勇者のようで、かっこいい。


 この合戦は寿永じゅえい二(一一八三)年六月一日、源 義仲よしなかと平 維盛これもりとの間で行われた大合戦である。だが、合戦に勝利した義仲からみたら、五月十一日に繰り広げた倶利伽羅くりから峠合戦追撃戦の総決算みたいないくさである。

 越中えっちゅう国境にある倶利伽羅峠で平維盛の平家軍は大敗北。越前国境に近いこの篠原まで逃げ、軍勢を立て直そうとした。しかし、ひと月経っても立て直せず、源義仲の勢いづいた大軍勢に追いつかれて激戦となり、また、敗北した。

 平維盛は命からがら、わずか四か五騎で京都きょうとまで逃げ帰ることができたという。

 この合戦はには美談がある。それが平維盛に従った老将斉藤実盛戦死のエピソードだ。

 この男、武蔵むさし幡羅はたら長井ながい庄(埼玉さいたま熊谷くまがや市)を治めていた東国武士である。

 久寿きゅうじゅ二(一一五五)年の大蔵おおくら合戦では、源 義平よしひら(頼朝の異母兄)の下で敵将源 義賢よしかたを急襲し、勝利する。敗死した源義賢の子が、義仲だ。

 斉藤実盛は昔、源義賢に恩を受けたことがある。

 敵対したとはいえど過去の恩を報いるため、息子の義仲を預かり、丁重に扱いながら、義仲を母親の実家がある木曽に逃してあげた。

 幼い義仲も本来なら、大蔵合戦のときに殺されていたはずだった。

 つまり斉藤実盛とは、源義仲を木曾義仲と呼ばせるきっかけを作った人物と言っても過言ではない。

 だから源義仲にとって、斉藤実盛とは敵とはいえど命を救ってくれた大恩人なのだ。

 篠原合戦のとき、斉藤実盛は死を決意した。

「最後こそ若々しく戦いたい」と思い、白髪を真っ黒に染めてから奮戦し、義仲家臣の手塚 光盛みつもりに討ち取られた。

 首実検のとき、実盛は本人と分からなかったようだ。だが、敵の捕虜から様々な事情を聴取していた樋口ひぐち兼光かねみつが、この首は斉藤実盛ではないかと疑う。

 義仲は家人にその首を付近の池にて洗わせたところ、黒髪が白髪に変わったため、実盛の死が証明された。

 義仲は、命の恩人を殺してしまったと涙する。

 周りの家臣たちも同情し、涙に溢れたと伝えられている。


「そんないい話があったんねー。すごいすごい、映画級だよ。大河ドラマ級だよ! あ、大河は木曾義仲を推さないと津幡っ子に叱られる……」

 史跡巡りを制した架橋は、涙が溢れていた。

 本当に影響を受けやすい子である。

 そして、お腹が空いた。

 目の前に、食堂があった。

 源氏と平家という。

「歴史クラスタ系外食屋さん、ここにもあったねー」と、写真を撮った。

 ご近所巡りとはいえ、創和と育美に負けない歴史散策ができた。

 架橋は写真を撮り、拡散し、中へ入って昼食をとった。


 創和は篠原合戦を知らなかった。

「ま、お城専門だからねー」架橋はニヤリとした。

 市治は知ってるとあったが、概説程度で具体的なことは知らないという。

「横浜を出たら歴史圏外だもんねー」架橋は得意顔だった。あの瀬沢合戦も、武田信玄横浜市侵略疑惑から広げた知識だ。横浜市と繋がらない木曾義仲の知識は、やはり素人並みなのだろう。

 ただ、育美がひとつ、メールでトリビアを教えてくれた。

「斉藤実盛を討ち取った手塚光盛の子孫が、手塚 治虫おさむだよ」

「えー!」架橋は驚いた。

 架橋は親戚の家に戻り、

「手塚光盛の子孫が手塚治虫って知ってる?」

 と、得意げに叔父と叔母に問うと、

「知ってるよ」と秒速で、口を揃えて答えられた。

「えー!」架橋は再度、驚くと、

「地元の常識」

 と、これも口を揃えられた。

 トリビアはあっけに崩された。


 深夜、架橋は夢を見る。

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