育美の聖地巡礼旅②

 育美いくみは、夜叉袋やしゃぶくろに立つ。大川大川から北へ歩いておよそ三十分、八郎潟駅を越えて少し経ったところにある。ここも住宅地と水田地帯の狭間に数十センチだけの高低差があるから、かつては陸地と潟の境目だったと想像はつく。

「ここがあの現場だね……」

 戦意は下がったのか?

 いや、反乱の初戦に勝った実績があるから、下がらなかっただろう。

 育美はそう思った。





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 戦意は信じられないほど下がった。死者の数は数えきれない。五千といわれるほどだ。

 大河おおかわ兼任かねとうは説得に走った。

 しかし皆、絶望し、乗れなかった。

「天は我を見放した」「兄貴が凍え死んだ」「二日で一食支給? これで戦えるか」「無勢の敵では奪い合っても足りない」「家族もろとも飢え死にするしかない」等々、もはや悲鳴だ。

 兼任は決断するしかない。

「みんな元気を取り戻せ。ワシにはみなもとの義経よしつね様から教わった必勝の作戦がある。義経様がついているのだ。正義は我にあり!」

 みな、納得はするも空元気。やる気が伝わらない。

ーー正義のみではダメなんだ。もっと現実に叶うことで響かせないと。

 兼任は思う。集まる兵の目当ては常に二つ、飯とカネだ。

 だとしたら、これしかない。

脇本わきもとを取り戻したら、そこの館にあるワシの、本来の財産すべてを皆に分け与える。これでどうだ!」

 そうだ。いくら正義のために立ち上がっても、結局はみんな、飢えと極貧から逃れたいために集まっているのだ。

ーー脇本には、三万の軍勢を動かせるだけの財力はあるだろうが、分け与えたら、それもなくなる。

 秋田あきた郡の領地を奪還しても、危機は回避できない。決起した以上、必ず鎌倉から増援が来るからだ。船商人や寺社などに前借りすればなんとかなるが、見返りとして必ず平泉が保有する大量の金と金山を求めるだろう。

 それはそれで、まずい。

ーーワシの鉄山と製鉄所でなんとかするしかないか……。

 大幅な値引きにはなるが、これしかない。

 大河兼任は家臣や賛同者たちを説得した。

「脇本にある財産は奴のものだ。手柄次第で取り放題だ!」

 これで士気が回復した。これは全軍にも連鎖する。嬉しさ半分、溜息半分だ。孫子は「兵は詭道」という名文を残したが、兵とはなんとも現金な生き物なのだろう。

 兼任は作戦を変更した。軍勢は二つに分けた。兼任率いる二万の本隊は北から遠回りして敵を誘い出して戦う。そのタイミングを見計らって別働隊一万が水軍を使って南側から、潟と海を繋ぐ水道を渡って上陸し、脇本の館を奪い取る。

 大河兼任の本隊は行軍で二日、一日の激戦を要した。たちばな公業きみなりの軍勢は数千を従え、由利ゆり維平これひらとともに大社たいしゃ山を陣取る。

 敵が高所を取ったとはいえ、兵力はこちらが勝る。

 兼任は先手を取った。

「我には義経様の御加護がある! ものども続け!」

 と叫んで馬を走らせ、全軍後に続いた。

 先頭きって馬上から敵兵を何人も突き倒す。重臣たちも猛者揃いで、兼任に負けじと薙ぎ倒す。その姿は味方から見たら軍神。敵から見たら鬼神だった。

 楠公業は大河兼任の活躍に腹が立ち、弓を構えて兼任に狙いを定め、狙い打ちする。

「ワシは京都みやこでも指折りの弓使いだ。当たってくたばれ!」

 放った矢は、鋭い風音を立てて大河兼任の頭へ向かう。

 兼任はこれに気づくや、槍を捨てて抜刀して刹那、その矢を真っ二つに叩き斬った。

 兼任は「橘公業っ、勝負しろ!」と叫んで申し込む。

 公業は兼任の形相に恐怖し、その姿は、源義経と被った。

「ヤツが、ヤツが生き返った……」

 と、公業は弓を捨て、逃げた。

 残された兵は動揺した。


 このいくさ、大河兼任は作戦通りに事が進み、圧勝する。

 敵の戦死者は数知れず、もう一人の大将由利維平を討ち取った。帰る家を失った敵は津軽方面を牛耳る宇佐美うさみ実政さだまさのもとへ逃げる。楠公業は行方不明だった。

 味方は大喜びして勝ち鬨をあげる。

 鬨の声のなか、雪の残る戦場から脇本館へ向かう兼任。味方が敵の甲冑を着ている。戦死者は敵も味方も着ぐるみすべて剥がれ、丸裸にされていた。もし生きていても凍死は確実だろう。見るも無惨だ。

 館は隅々に至るまで、味方が荒らした。妻子は救出されたが、まるで廃屋だ。床や塀まで剥がされている。焚き火にまで使われていた。蔵のひとつが倒壊していた。

ーー勝った気がしない……。

 兼任は自らの繁栄の象徴だったこの館を見渡し、呆けた。妻子も住み慣れた館の成れの果てに、泣いた。

 次の日、小鹿おが湊の船商人たちが祝いに来てくれた。

「ワシら、大河様に融資しますぜ。いくらでも好きなだけ銭と米を使ってください!」

「それは有難い!」

 兼任は喜んだ。

 商人組合の長は、理由を語った。

「橘公業も由利維平も、ワシら船商人が積み立てた船舶賠責保険六千貫を借りパクしやがった。絶対に許せねえ!」

「なるぼど、ならばワシが取り返してやろう」

「お願いします」

 今後の軍備の、心配が消えた。

 それにしても鎌倉武士、奥州でひんしゅくを買いすぎている。

 どうしてそこまで人心と真逆を走るのか?

 それが逆に不思議だった。

 

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「わぁ、アツアツだねー」

 石川県津幡町の、架橋の実家。

 架橋は、育美が熱意を込めて延々と記した風景写真付きの妄想物語を全部読んで、感心した。

 史実ではほとんど分からない武士なのに、大河兼任の側で見聞きしたみたいだ。

 次のコメントに入ると、写真が二枚ある。一枚は電信柱に記された住所看板と、もう一枚は地図のスクショ。

 ともに"脇本脇本"とあった。

「わっきーわっきー!」育美がコメントしていた。

 架橋は笑った。

「またあったんだねー!」

 しかし、なんでだろう?

 こちらのほうには、ネットで検索した上での答えがあった。

 かつてここは脇本町という自治体の、脇本という地区だったが、合併したときにこうして重ねたという。

 育美ののんびり散歩旅は、歴史的にもそうではなくとも、ささやかな発見に出会うことはよくある。育美はゆかりの地めぐりしながら、見知らぬ周辺を歩き廻ることが好きなようだ。

 でも、

「脇本城跡を訪問する予定だったけど、日が暮れたのでダメでした……」

 と、半べその絵文字を加えたコメントがでてくる。

 山城の頂から眺める日本海は、絶景であっただろう。

 のんびり散歩旅の欠点は、必ず予定が狂うことだろう。

 若本城跡訪問前提なので、育美は男鹿駅前のホテルで一泊した。行かないのなら遠くても秋田市のホテルが便利だが、予約してたので仕方がない。






 育美の二日目は、早朝から男鹿駅けら秋田駅で荷物を取り。新幹線で岩手いわて県の平泉ひらいずみへ着く。

 奥州藤原氏のシンボルといえる名刹、中尊寺ちゅうそんじと、周辺の史跡を廻る。昼食は九郎くろう義経よしつね武蔵坊むさしぼう弁慶べんけい松尾まつお芭蕉ばしょう八幡はちまん太郎たろう義家よしいえか? 歴史ファンが喜ぶ名前の外食店が立ち並び、悩んだ。

 育美は悩みすぎたので結局、全パス。中尊寺の奥、白山神社の横にある"こんじき亭"の、絶景と評判なテラス席でいただいた。

 食後のアイスクリームは、まったりできて心地よい。妄想がはかどる。






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 大河兼任の大軍勢は北進し、津軽つがるを目指した。追撃戦もあるが、宇佐美実政が討伐にくる情報が入り、返り討ちにするためだ。

 大河兼任は宇佐美実政との戦いでも圧勝した。正面衝突でも優勢だったが、十三とさ秀栄ひでひさ率いる旧藤原勢が敵後方から加勢してくれたので、味方の損害は最小限に留められた。

 これで兼任の軍は、更に膨らんだ。

「よし、皆の力で平泉に巣食う鎌倉武士をすべて奥州より追い出すぞ!」

 兼任の叱咤激励に、全軍、雄叫びを上げた。

 年が変わった文治六(一一九〇)年の一月中旬、大河兼任の大軍勢は平泉の占拠に成功し、勝ち鬨をあげた。

 藤原氏が残した財産は全て鎌倉に奪われど、その後も無尽蔵に運ばれてきている。多数ある蔵の四分の一まで回復していた。これは兵たちに奪わせない。

 大河兼任はここで、十三秀栄ら藤原旧臣たちに、今後の必勝作戦を伝えた。

「鎌倉へは越後廻り、下野廻り、常陸廻りの三隊に分け、それぞれの東国武士を滅ぼし、あるいは屈服させながら進めば必ず勝てる!」

 十三秀栄は賛成した。

「それはワシも義経殿から聞いた事があるぞ。東国武士は馬乗りが巧みだから集団で固まれば強い。だが、各個攻撃なら容易く勝てる。奴らは基本、仲が悪いからな」

「そうです。しかし、鎌倉は焼き尽くしますが、源頼朝様は生け捕りにして奥州はお迎えし、藤原様の直轄地を全て受け継がせます。その見返りとして、我ら藤原旧臣が頼朝様の近くで奉公するのです!」

 大河兼任は温めていた秘策を披露した。要は、鎌倉武士と藤原旧臣の立場を入れ替えるというのだ。

 皆、唖然とした。

 十三秀栄が猛反対した。

「なぜ頼朝なのだ? ワシがいるだろ。ワシは藤原の血が流れてるのだぞ。主家復興のために、ワシを担げ!」

「秀栄様は分家、本家のように朝廷との繋がりがありません。いまや亡き藤原秀衡様の偉大さに匹敵する男は、頼朝様のみです。だから、この平泉で征夷大将軍になれば名実ともに奥州の覇者です。そうさせましょう。これなら間違いなく東国の脅威がなくなり、元の平和な奥州に戻ります」

「奥州は代々、わが藤原の土地だ。余所者など受け入れてたまるものか!」

「頼朝様に東国武士の意地はありません。むしろ京都の意地を持ってます。それは古来より、京都との繋がりが深い奥州の意地に近い」

「それは秀衡ひでひら様や義経殿のご意思か?」

「……、いいえ」

「なら、ダメだな」

「ですが、これが確実的に良いと思います」

「ワシに奥州をまとめる器がないと? 愚弄する気か!」

 名をとるか、実をとるか、言い争いとなった。

 論争は何日も続いた。

 そうこうする間に、鎌倉から追討軍が出陣したとの情報が入った。


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「あらま、喧嘩させちゃった……」

 育美は苦笑いして、舌を出す。

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