見つけたあの伝承

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 天文てんぶん六(一五三七)年七月十日、北条ほうじょう氏康うじやすは父北条 氏綱うじつなとともに一万の軍勢で、扇谷おうぎがやつ上杉うえすぎ朝定ともさだの侵略に対するため、ここ、川島かわしまの丘にある豪農の家を本陣を構えた。

 日が暮れる。氏綱、氏康は玉縄たなまわ城主の北条 為昌ためまさ小机こづくえ城主の笠原かさはら信為のぶためを呼び、両者の家臣が争った神奈川かながわ郷の領有権問題にたいする結果報告を聞いた。

 なにせ上杉朝定の神大寺侵略の原因は、この問題がある。一部寺院が呆れ返って、朝定を引き入れた隙を生んだのだ。敵側の、漁夫の利である。逆を言えば問題解決の発端も、朝定の神大寺占領に為昌と信為が酷く焦ったためなのだ。

 北条為昌の言い分を簡単にまとめたら、先代伊勢宗瑞が権現山城合戦のとき、城主だった上田氏が玉縄城近辺にも領有していたから繋がりがある。その上、太田道灌と戦った矢野一族も為昌が保護してる。だから湊の支配をこちらにあるという。

 笠原信為の場合は、太田道灌が攻めるずっと前から神奈川と小机は一本の街道と鶴見川で繋がり、切っても切れない社会関係がある。その上、鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう寺再建でも小机衆が集めた資材と人材は、神奈川湊から鎌倉に送ってる現実があるからである。

 争論の結果、神奈川郷は湊も含めて全て為昌が領有することが決まった。

 しかしそれでは信為が納得しない。下手をしたら扇谷上杉に寝返るレベルの損害だからだ。だから為昌は信為の気持ちを組んで、信為ともに氏綱にむかって懇願した。

 信為には鶴見川以北で今、扇谷家が持つ茅ヶ崎ちがさき城周辺の都筑つづき郡支配を認めてほしい、と。

 氏綱はこれを許した。信為は喜び、為昌はホッとした。これにて為昌と信為の不仲も解消した。

 つまり今回の氏綱勝利条件の、最低ランクは都築郡占領であり、最高の理想が河越城占領となる。

 なぜなら氏綱が"北条"の名にかけて全力で再建している鶴岡八幡宮寺の、数多く持つ荘園のなかで最大の収穫を生む地が、河越城が管轄する足立あだち佐々目ささめ郷だからだ。

 笠原信為の小机城は大永だいえい四(一五二四)年の復活以後、その役割は横浜市域を支配管理する城ではなく、鶴見川対岸にある扇谷家の茅ヶ崎城に対抗するための"境目の城"であった。だから河越を取れば、小机城は境目の城としての役目を終え、安定支配の城としてステップアップする。

 だから最高の理想なのである。


 報告が終わり、重臣たちが下がると、氏綱は氏康に状況整理を語る。

「二年前、扇谷 朝興ともおき湘南しょうなん界隈を乱取をしてから、防備を固めるため、神奈川郷近辺にいる玉縄衆と小机衆の兵力を一部割いて、多摩たま郡の小山田おやまだ辺りを守らせた。奴らは江戸えど衆の後援部隊だからな。江戸が攻められなければ暇な日々だ。しかし今回は、その隙を見事なほどに突かれた」

 と悔しがる。

 若い氏康は、そろそろ北条家の当主として意識をしないといけない。

武田たけだ信虎のぶとらの依頼で河越衆が乱取したとはいえ、我らは舐められました。鶴岡八幡宮寺再興の人夫の多くが、湘南に居を甘える民です。やり返さなければ武士の本懐がとげられません」

「前回やられた時は、仕返しのために河越近くの砂久保すなくぼまで進出した。いくさには勝ったが味方も痛手が多く、河越城まで取れなかった。朝興は負けてもタダでは転ばない優れた大将だ」

「たしかにあのとき、父上が帰ってきた時、まるで負け戦かのように怒っていました。それがしの戦勝祝いもさせてもらえないほどでした」

「あれはあのとき、佐々目を取れると思ったワシが甘かった。ワシのせいで、いくさに勝っても無駄死にさせた兵が多かった。悪い勝ち方だ」

「肝に銘じておきます」

「氏康は父親似だから、こういうところは見習うなよ。ま、ともかく朝定は家督を継いでまだ三ヶ月にも満たない未知数な若大将だ。で、これが奴の初陣でもある。ならば、朝興と同じくらいしつこい男とみなしながら、その上で河越城を取ってやりたいものよ。油断せぬために」

「大丈夫でしょうか?」

「恐らく、大丈夫だ。なぜなら朝定は朝興の遺言を叶えるために、無理をしているからな」

「某は、直接江戸を狙うのかと思いました」

「江戸の守りは硬い。江戸城を奪い返すためには、先ず神奈川を侵略し、奪い取る。そうなれば江戸は孤立する。その策は間違ってないと思うが、奴らにはその策を満足に成せる兵力がないはずだ。何故なら、朝興がそうしなかったからだ」

「確かにそうでしょうが、それを補うためか朝定、いや、叔父の朝成ともなりが、浄龍じょうりゅう寺や笠のぎ稲荷神社の調略に成功して、敵を神大寺に導かせています。扇谷、山内の上杉とは縁を切ったと約束しながらこの始末、見過ごせません」

「ああそうだ。両寺院の心変わりの理由はおそらく代替わりだろうが、断じて許さない。ワシが十四年前、伊勢から北条を姓を変えた理由を忘れてはいるまい」

「はい。それは両上杉の全否定。繋がりがあるものはすべて粉微塵にします!」

 氏康の、慎重さがありながらも強気になれる態度に、氏綱は安心して、立ち去った。もう夜だ。休んで明日に備える。


 就寝する氏康は、高ぶる気持ちを隠せないながらも、

ーー初陣のとき、勝ったのはいいが浮かれてしまった。その辺りを父上に叱られたが、今回は勝っても冷静でいたい。

 と、気持ちを落ち着かせる。

 勝っても負けても、深く反省して次に活かせる氏綱は、目標である。

ーー父上のような百戦錬磨になるには、父上以外の誰かにあやかるのが良いだろうな。今回なら誰がい良い?

 氏康は考え、日本や中国の古書にある名将の名前を次々にあげるも、しっくりこないまま寝てしまった。




「そなたには東国を制する定めがある。ワシが後ろから力を貸してやろうぞ」




 氏康は飛び起きた。

「い、いまのはまさか……!」

 夢に現れた人物は、その名を語らなかったが、誰かは雰囲気でよく理解できた。

「ヤマトタケルだ!」

 氏康は武者震いした。

 外はまだ夜明け前だ。それでも氏康は構わず、

「誰かいるか!」と叫んで呼び出す。

 現れたのは家の娘だった。

「御用ですか?」娘は訊ねる。

「主人はいるか?」

「いましがた、畑に向かいました」

「左様か。ならばそなたでも構わない。今、ワシは縁起が良い夢を見た。ヤマトタケルがワシを応援してくれる夢じゃ」

「それは、おめでとうございます」

「それで頼みじゃが、ここに祠を建てて欲しい。このいくさの勝ちは決まった。ヤマトタケルに感謝せねばならない」

「分かりました。父上にお伝えします。ですが……」

「どうした?」

「私たちは忌部いみべの末裔です。もし、お許しを頂けるのなら、ヤマトタケルと同時に五十猛神スサノオノミコトも祭りたいと」

「なるほど、杉山神社か。いいだろう。だが、先ずはヤマトタケルの祠を作ってくれ。簡単なもので良い。二日もあれば出来るだろう。ともかく我が軍の後ろにヤマトタケルが居て欲しいのだ。そしてこのいくさ、父上の理想が叶えば、ワシが神社にしてやろう。なにせここは、ワシにとって縁起の良い場所だからな」

「はい。武運長久、お祈り申し上げます」

 娘は戸を閉め、頭を上げた。

 それは、市治である。


 十一日、北条軍は出陣し、神大寺原にいる扇谷上杉軍と激しい戦闘を挑み、これを撃破した。逃げる上杉朝定に、追う北条氏綱と氏康親子。善龍寺も笠のぎ稲荷神社も焼き捨てた。

 上杉朝定は残る全軍を河越に集結させたため、深大寺城も茅ヶ崎城も小沢城も、全部もぬけのからとした。奪われるは必定だが、決戦で勝てば取り返せばいいのだ。扇谷側はそういう作戦だと読める。

 そのため北条軍は神大寺の要害を含め、その三つの城をあっさり奪い取り、占領する。

 十五日、両軍の決戦は河越に近い三ツ木原で行われた。背水の陣に追い込まれた扇谷勢は劣勢でも大善戦し、氏綱と氏康の北条軍は防戦一方で、苦しめられた。

 氏綱は眼前に迫る敵を見ながら我慢し、氏康は父の姿を見て、焦る思いを必死に堪えた。

 その甲斐あって、神大寺原に参加させなかった北条別働隊の江戸衆が、ほぼ無人となっていた河越城の占領に成功した。

 これで扇谷軍は、帰る家を失って総崩れとなる。

 氏綱はすかさず立ち上がり、「全軍、かかれ!」と、軍配を前にかざした。

 追撃戦開始である。

 北条軍は扇谷軍を一方的に突き崩す。上杉朝定は松山城へ逃してしまったが、上杉朝成は捕まえ、その場で処刑した。

 その後、北条軍は河越城で江戸衆と合流し、町も城も派手に燃やした。扇谷ゆかりの喜多きた院も業火に包まれ、朝興の墓所も破壊した。墓石は粉々に、遺骨は入間いるま川に捨てた。他にも扇谷家ゆかりの物と呼べるものは全部破壊し尽くした。


 二十三日、気をよくした氏綱は氏康に書状を持ってきた。

「氏康、これに著名しろ」

 それは、攻め取ったばかりの佐々目郷を鶴岡八幡宮寺の直轄に戻す内容になってる。

 氏康は喜んで著名と花押を記した。

 氏康と氏綱、両名が記したそれが、北条氏康が発給文書で初めてその名を残した記念すべき"歴史"となる。

 氏綱は、肩の荷が降りた気持ちに浸る。

「これで氏康に、心置きなく家督を回せる。とはいえ代替わり後の混乱を避けるため、家督の権利は時をかけて少しづつ分け与えていくから、心するように」

 氏康は緊張するも、

「はい」と、深く頷いた。

 そしてもうひとつ、

ーー川島の件、小田原への帰り際にやっておくか。

 と決め、数日のちに約束を果たす。


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ーー最新の研究に基づく嘘八百……。

 市治は鼻で笑った。

 守備が手薄な場所を襲ったのは、永禄えいろく十一(一五六八)年に武田たけだ信玄しんげん駿河するが国の今川いまがわ氏真うじざねを滅ぼしたとき、北条氏康が駿河領国警備強化のため武蔵国の武士の多くを駆り出した指摘が近年、なされたことがネタ元だ。

 だから翌永禄十二(一五六九)年、武田信玄は小田原攻めの途中、手薄になった武蔵国を荒らしまわったという。一次史料でも首都圏辺りの北条武士が、駿河の警備に回された書状がいくつか残されている。二次史料の北条五代記にしか指摘されてない江戸から横浜への侵略記事も、信憑性が疑われているとはいえ、大慌てした雰囲気はよく伝えてくれている。ともあれこの時、上野こうずけ国から入ってきた武田信玄が小田原城まで深入りできた理由は、北条が駿河国に戦力を増強したぶん、その反比例として武蔵国の守備を手薄にさせたことにある。


 ここで架橋が質問しにきた。

「ちーちゃん、これ、知ってたの?」

 北条氏康と上杉朝定が戦った文字を指してる。

「いいえ」市治は正直に答えた。

「でも、神大寺古要害も同じ史料だよね」

「あ……」

 市治は指摘されて、初めて気がついた。

「同じ本なら気づいてもよいと思うのよね」

 架橋が言うと、市治は架橋の肩を軽く叩き、言い返す。

「あのね、新編武蔵風土記稿って史料は何十冊もあるのです。私、神奈川区の辺りを調べるだけで手一杯でしたの。なにせ武蔵国全部の地理歴史風俗その他をまとめたものですから、情報量があまりにも膨大すぎるのです。なので、他の区までは手が回らなかったのです……」

 市治は悔しそうに語った。

「な、なるほど……」架橋は納得するしかない。

 とはいえ市治は、収穫した気持ちに満足している。

 市治は創和に言う。

「今日は、ほろ酔いしたい気分ですね」

 創和は喜ぶも、

「せっかく上星川に来たんだから、呑む前にスパ銭じゃね」

 と提案した。上星川の駅前には全国でも有名なスーパー銭湯がある。行かずしてどうする、みたいな表情だ。

「用意してるのですか?」市治は問う。

 創和はニンマリする。

「こんなこともあろうかと思って、下着は持ってきてるのよ。ねー」

 と、育美と架橋に同情を求めた。

 育美も架橋も、

「ねー」

 と満遍の笑みで、用意済みと答える。

 市治は呆れ半分、笑い半分で言う。

「まったく、一体、どこの技師長ですか?」

 と、表情はほころぶ。

 市治も用意していたからだ。

 

 四人は夜も、歴史駄話に花を開かせた。

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