選んだ杉山神社で

 横浜市 保土ケほどがや川島かわしま町。陣ヶ下じんがした渓谷けいこく公園入口となる谷戸先端、その西側尾根先に川島杉山神社は鎮座する。

 ガイド片手に散策する老人二組とすれ違う。彼らは杉山神社目当てではなく、昨年の大河ドラマの登場人物に所縁がある場所だから、散策してる雰囲気でいっぱいだ。番組は終わってるのに微笑ましい。

 この鳥居をくぐって石段を登れば着くが、市治ちはるの気持ちを考慮して右脇の坂道を登り、脇参道から神社に入った。

 何処にでもあるような小さな鎮守、社殿に投げ銭し、訪問の挨拶を終えて振り向けば、夕日に染まる川島町から上星川かみほしかわの眺めが良かった。架橋かけはし育美いくみは柵まで走り、景色を眺めた。

「丘と住宅地と高速道路だねぇ」架橋はニンマリする。

 横浜市の典型的な谷間のヘッドタウン。ちなみに高速道路はなく、環状2号線という無料道路である。

「横浜らしいね」育美は乱開発とはいわず、冷静に返した。

 架橋はふと思い出す。

「そういえば鳥居の近くに、陣ヶ下じんがした渓谷けいこく公園入口って案内があったけど、陣がつくって戦国合戦所以かな?」

 育美は答えた。

「違うよ。確か、和田わだ義盛よしもりが狩りをしたときに陣を張ったというのが所以だって聞いたわ」

「ああ、ヒゲかわの御家人さんでしたか。横浜の歴史って戦国か鎌倉だよね。ウチの横浜(津幡町)も倶利伽羅くりから峠と前田まえだ利家といしえ公だもんねー」

「いや、さっきは南北朝時代だったよ」

「あ、そっか」

 架橋と育美は笑った。

 このとき、市治は歴史案内板を探したが、

「ありませんね……」

 と、掲示板を眺めながら残念だ。素朴な神社だから歴史観光の注目はされない。

 創和はじめは市治に付き合っていた。

「やっぱりその辺にある、ご近所のための神社なんだよ」

「そうですね。うちの鎮守様(神明社)もありませんから」

「それでいいんじゃない?」

「そうですね。私はむしろ、そういう静かな所が好きです。お隣の公園には源流がありますし」

「行く?」

「いや、もう遅いでしょう」

「そうだね。お化けの活動時間が迫ってるからね」

「あそこに出るのは蛍です」

「おお! 見たいけど、諦めるしかないか……」

 お腹すいたし、汗いっぱいだし、疲れたし。

 創和はバッグからタブレットをだし、川島杉山神社になにか歴史情報があるか検索したら、簡単に見つかったので開いた。

 読んだら、驚いた。

「ちょっと待て。ここ、戦国時代創建っぽいぞ!」

 と、市治に見せた。そこには、こうある。



 創立年代詳かでないが、口碑によると天文年中 北条ほうじょう氏康うじやす上杉うえすぎ朝定ともさだと戦い、この地に陣営の夜、日本武尊ヤマトタケル御東征を夢み、その加護により勝利必定と、ここに一祠を建て武運長久を祈ったと伝う。果して凱旋し、直に社殿を新築、除地一反歩を附し報恩の意を表した。氏康領民愛撫の念厚く、戦乱久しく庶民の困憊を救うために植林を奨励し、植林の祖神五十猛命を合祀したと伝える。寛永かんえい二十年江戸幕府より除地一反歩の寄進があり、元禄げんろく十年には三十貫目の寄附を受け社殿を修築した。弘化こうか元年二月炎上の際、古文書記録類を焼失したが、同四年社殿、同二十九年本殿を新築した。現社殿は昭和三十年五月の造営になる。(「神奈川県神社誌」より)

 


 市治は凝視した。とくに"天文年中北条氏康が上杉朝定と戦い"の記述である。

 鼓動が高まる。

ーー北条氏康が天文(一五三二〜一五五五)年間に上杉朝定と戦ったのは二回。初回は天文六(一五三七)年七月の三ツみつき原合戦。二回目が朝定を打ち取った天文十四(一五四五)から十五(一五四六)年の河越かわごえ城の戦い。三ツ木原の戦いはまだ氏綱が当主で、氏康は従っただけだから、河越城の戦いでしょうか? いや、それなら上杉朝定と戦ったなんて書かない。河越城の救援と書くはず。敵の大将はむしろ関東管領の上杉うえすぎ憲政のりまさですし、古河こが公方の足利あしかが晴氏はるうじも参加していましたから、晴氏のほうが憲政より身分は上。そちらを大将扱いするでしょう。天文六年の三ツ木原で朝定は河越城は奪われ、松山城へ逃げて落ちぶれたのです。晴氏や憲政にとって朝定は、河越攻めを正当化する口実でしかない。ならばやはり三ツ木原でしょうか? そうだ、たしか新編武蔵風土記では浄龍じょうりゅう寺の縁起に"天文年中北条氏綱上杉朝定と神代寺かんだいじの原にて合戦の頃、兵火の為に寺中盡く焼失して一旦廃寺"とありました。善龍ぜんりゅう寺だって、天文年間の上杉北條の戦いの戦火に巻き込まれたという話が伝わってます。この神社は、これら口伝と同じ伝え方をしている。ならばこの神社の創建は、天文六年ごろと仮説したほうが良いのでは!

 市治は思いをめぐらす。口語と丁寧語が入り乱れるほど興奮し、震えた。

 でも、やっぱりダメだ。

ーーお、落ち着きましょう。でも、でも、浄龍寺と善龍寺が同じ口伝を持っていれば、嘘も偶然の一致で軽く片付ける方もいましょう。ですが、三つ目があればそうもいかないはずです!

 冷静を求めるはずが、また史実の可能性に期待を膨らませてしまった。

 何度でもいうが、口伝は歴史として格上げさせる要素にはなれない。やっぱり、一次史料との一致が絶対に必要だ。いくら状況証拠を揃えて外堀を埋めても、これが無い限り歴史は動かせないし、動かしてはいけない。

 刑事裁判の、疑わしきは罰せず、と同じ要領といえる。

 市治は自重を念じ、深呼吸をしたら、手に持ってるはずの創和のタブレットがない。

 探すと、創和が喜んで育美と架橋に見せていた。市治は夢中になりすぎて、取られたことも気づかなかった。

 架橋は相変わらず、気が早い。

「北条氏康が建てたんだねー」

「違う違う」創和と育美は声を揃える。

 市治は上星川の遠景を眺める。

 向こう側に見える丘の、更に向こう側には市治が住む神奈川区の羽沢はざわ町があり、その東には神大寺古要害があり、更に東の端には神奈川湊がある。もし、扇谷上杉朝定が本当に神大寺の丘に出陣していたのなら、北条軍があの見える丘をクッション代わりとし、帷子かたびら川を防衛ラインとした見晴らしの良いこの丘に陣を構えたのは、得策だといえる。


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