性悪妄想淑女

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 物見櫓や土塁がなくても見える。多摩川と、対岸の丘にある小沢おざわ城が。

 市治は扇谷家家老 難波田なんばだ善銀ぜんぎんを演じている。河越城から一部隊を率いて、古要害と呼ばれる、この芝生の丘にやってきた。

「御館様の命により、亡き朝興様のご遺言に従い、悲願であった江戸城を取り戻すため、ここに城を甦らせます」

 と宣言した。

 このとき深大寺の僧侶たちが現れ、市治に苦情を申し入れた。

「困ります。ここは村人と協力して、蕎麦畑を作ろうと決めたばかりです。壊されたら元も子もありません」

 市治は、気持ちは分かるが拒んだ。

「私たちは、"外来種他国の凶徒伊勢いせ氏綱の侵略を防がなければならないのです。それはお坊さまたちも分かってるはずです。ご協力ください」

 伊勢氏綱とは北条氏綱を指す。氏綱が苗字を伊勢から北条に変えたのは大永三(一五二三)年の夏か秋と言われる。これは北条得宗家から勝手に拝借したものだ、と、氏綱に敵対する勢力は解釈してる。北条得宗家とは鎌倉時代に執権として名を馳せた一族で、昨年の大河ドラマの主人公として有名になった北条義時を祖とする。

 氏綱は北条と名乗ったことで、武蔵と相模の守護支配と、執権、すなわちナンバーツーの政治的立場を正当化する政治的意図を露わにしている。だから当然として、今の相模守護である扇谷上杉家と、武蔵むさし伊豆いずの守護でもある山内やまのうち上杉家は反発する。ちなみに山内上杉家は関東管領だ。つまり、関東の政治秩序ではトップにいる古河こが公方くぼう家に次ぐ、ナンバーツーの家である。

 簡単にまとめれば、氏綱の北条改姓とは、扇谷家と山内家が持つ政治的経済的立場の全否定である。

 得宗家は様々な御家人を潰してのし上がった一族だから、徹底的に反発しないといけない。でないと扇谷、山内の両上杉家のほうが滅ぼされる。鎌倉かまくら伊勢原いせはらにあった扇谷家歴代当主の墓石も粉々に砕かれたほどだ。

 だからその反発のひとつとして、改姓後も旧姓で呼び続けなければならない。もし呼んだら、氏綱は余所者のくせに北条得宗家の後継者と認めてしまう危険があるからだ。

 北条の領地拡大は、イコール扇谷家の領地縮小に繋がる。この劣勢を強いられた扇谷家にとって巻き返すためには、地政学的に江戸城を取り戻さないと始まらない。

 市治は善銀の立場で、その想いは強い。

 しかし僧侶は、善銀の忠義を理解した上で理屈を語った。

「江戸を取り戻すため、ここに城を築くと言われても、敵にとっては何の脅威にもなりませんぞ」

「何故です?」

「ほら、東にはすでに、敵の牟礼むれ砦と烏山からすやま砦がこちらを睨んでます。対峙の形が出来上がってる以上、ここは、敵も味方も先手を打てない状況なのです」

「ともかく、今の扇谷家は代替わりの時です。新しき御館様を見下されないため、老獪な氏綱を恐れさせるに必要なことです。相模の守護は我ら扇谷家です。伊勢の外来種ではありません」

「多摩川は江戸湾を出口にしているとはいえ、江戸と直に繋がっておりません。また、ここには鶴岡八幡宮の年貢を納める荘園もありません。ましてや、ここは古来より深大寺の土地として治安は安定してるのです。我らが扇谷家の味方である限り、ここは扇谷家の土地のようなものです。出城を築くならせめて多摩川を越え、もっと深入りしなければ、氏綱は若い御館様を恐れてくれませんぞ」

「では、何処なら良いのですか?」

 市治の質問に、僧侶ははっきり答えた。

「答えはひとつ、神奈川湊です」

「神奈川?」

「はい。つまり海です。深大寺のような内地ではダメです」

「た、確かに江戸城は海に面していますし、品川湊を直轄しています。江戸の繁栄は海があってのものです」

「同じ海でも、神奈川は未だ橘樹たちばな郡か久良岐くらき郡か境目が定まっていません。そのせいで、昔の扇谷家や関東管領家や鎌倉公方家が混在して支配していたではありませんか。伊勢氏綱が支配してもその混在は抜けず、玉縄たまなわ衆の土地か小机こづくえ衆の土地かで言い争ってるのです。なにより神奈川は、昔から江戸と鎌倉、陸と海の両方を直に繋げる大事な湊町です。この支配の複雑さが解決できてないからこそ、狙い目なのです!」

「しかし、やっぱり遠いです」

「二年前をお忘れですか?」

 僧侶の問いに、市治はハッとした。

「そういえばその時、私たちは相模国の鵠沼くげぬま茅ヶ崎ちがさき大磯おおいそまで荒らし回りました。湘南に比べたら神奈川は近い……」

 それは天文四(一五三五)年の史実だ。

 八月十九日、甲斐国守護の武田たけだ信虎のぶとらは、駿河するが国と甲斐国の境目である白鳥しらとり山で駿河守護 今川いまがわ氏輝うじてると戦った。それと同時に信虎の実弟 勝沼かつぬま信友のぶともは甲斐国 都留つる郡の山中やまなか?と呼ばれる場所で、北条氏綱の軍勢と戦った。この時の北条氏綱は今川氏輝と同盟関係にあった。

 武田信虎はこの二正面防衛で、今川と北条の連合軍に負けた。絶望的な敗北ではないが、八月二十二日に勝沼信友が戦死したほどの痛手を受けた。ともあれ敗戦で困った武田信虎は、同盟者扇谷上杉朝興に北条領の錯乱を依頼した。朝興はこれに応じ、九月下旬から十月上旬にかけて相模国へ進軍した。

 これが善銀が思い出した、扇谷軍の湘南侵攻である。扇谷軍は土地は取れなかったが、相当の放火や乱取り活動を行う。氏綱はこの対応が一切とれなかった。

 つまり朝興は、氏綱に苦渋を味合わせたのだ。

 これは何を意味するのか?

 扇谷軍の、敵領内への"深入り"である。

 乱取りなんて大抵、国境に隣接する敵地でやるものであろう。湘南では、退路の確保という古今東西に通じる戦術の基礎がない。

 これを深入りと呼ばせないためには、扇谷家は多摩川よりも南の何処かを領有している前提が必要となる。

 その候補地はある。

 可能性が一番高い場所は、朝興の先先代当主、定正さだまさが攻め落とした多摩郡の関戸せきと(東京都多摩市)だ。大永四(一五二四)年一月の朝興書状にもこの地名はでてくる。しかし関戸では、神奈川湊も湘南も遠い。

 近くするためには、最も危険な想像をせねばならない。

 善銀の口から、それは漏れる。

都築つづき郡の小沢城と、それ以上に、茅ヶ崎ちがさき城……」

 茅ヶ崎といいながらもこの城は湘南ではなく、今の横浜市都筑区に実在する。扇谷家どころか、誰にも使用された記録がない。しかし城は実在した。

 茅ヶ崎城は縄張りの痕跡からみても、扇谷家が使用していた説があるほどだ。しかし、北条や山内上杉が利用した説もある。

 茅ヶ崎城なら神大寺は近く、中原なかはら街道を使えば寒川さむかわ神社まで直結する。だからこの街道を確保したうえで寒川を起点とすれば、湘南各地を思い切り攻められる。深入りにならないのだ。


 善銀が思い終えると、目の前の風景が一変していた。

「あれ、城がある……」

 原っぱだった丘に、突如、主殿も門も城壁も土塁も堀もあった。つまり、深大寺城が綺麗に存在しているのだ。扇谷家の旗もなびいていた。兵たちも見張りや弓矢の製造、帳簿の管理など、当たり前のように日常の仕事をしている。古要害だった面影など、どこにもない。

 僧侶は促す。

「神奈川の湊を奪いましょう! 氏綱にとって最も嫌がることは何ですか?」

 それはすなわち、氏綱にって最大の脅威を指す。

 善銀は知っている。

「天文元(一五三二)年より始めた、鶴岡八幡宮寺つるがおかはちまんぐうじの再建を諦めさせることです!」

 鶴岡八幡宮寺は大永六(一五二六)年、安房あわ国守護 里見さとみ家の鎌倉侵略で燃やされていた。八幡宮寺は源頼朝ゆかりの寺社で最も有名で、戦国時代の関東武士にとっても信仰は厚く、注目も高い。だから氏綱にとってこの再建は、北条を名乗る者として権威と意地とプライドを見せつけなければならなかった。

 しかし再建には莫大なカネ、資材、人がいる。なかでも木材が一番不足した。北条氏綱が勝沼信友と戦った理由のひとつに、そのための木材調達(強奪か?)がある。氏綱はわざわざ、再建奉行衆を連れてきているからだ。

 深大寺の僧侶は、力を込めて言った。

「そのとおりです。だからここではなく、資材が集まる江戸と、鎌倉の間にある神奈川でしょう!」

 道理だ。そのうえ、神大寺の占領は小机城の弱点を突いて攻め落とすことにも繋がる。

 太田道灌がまさにそうだったではないか!

 江戸城は守りが堅い。直接攻めても落とせない。これまでがそうだった。そのため、奪還するためには段階が必要だ。その第一段階が神大寺占領による神奈川湊の支配にある。

 もし成功したら小机城も落とせる。小机衆は八幡宮寺再建にも協力してるからその阻止ができる。そしてなにより、江戸城は確実に孤立する。まさに一石二鳥だ。

 善銀は一息ついてから、拒んだ。

「神奈川湊の件は茅ヶ崎城の上杉 朝成ともなり様がやってくれましょう。ならば私の役目は、扇谷領にある八幡宮寺の荘園、関戸と佐々目ささめを守ることとなります」

「えっ?」

「ただ、茅ヶ崎城の支援はやります。全面的に」

 僧侶は「役割分担ですな」と微笑み、頷いた。

 佐々目は足立あだち郡にある。現代でいう埼玉さいたま戸田とだ笹目ささめから美女木びじょぎに至る。相模、武蔵に数多く点在する鶴岡八幡宮寺神領。その収入の、じつに三分の二をももたらす最大の荘園がある場所だ。死んだ朝興にとって八幡宮寺がたとえ敵地にあっても、相模守護職のプライドから、財源の横取りや輸送の阻止はしていなかった。

 ただ、圧力はかけている。そのため八幡宮寺内には未だ、親扇谷派の神官や僧侶は少なからずいる。

 ここに劣勢たる扇谷家の、逆転の種は残されていた。


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 市治はベンチに座り、頭を抱えた。

ーーああ、またやっちゃいました。これならそらさんのゆるい妄想のほうが、まともです……。

 これは独善で性悪な妄想である。歴史としてこれはダメだ。小説や漫画の設定にもできない。それでも抗うには、地元民の偏愛としてイラスト集に描いたことが精一杯だった。

 だから愚説と嘲笑われる。

 市治は疲れた。

「すこし早いけど、帰りますか。夕刻には"集まり"もありますから……」

 市治は城址を出た。


 市治はレパードにキーをまわし、エンジンを温める。

 ナビが始動すると、意外なものが目に映った。

「あ、すぐそこに温泉!」

 疲労した脳を癒すには好都合だ。

 市治はその温泉を目指した。

 横浜は勿論、南関東でよく湧く黒湯が自慢の施設。建物も古風で愛着が湧く。

 市治は入浴する。

 今日の嫌な思いが一気に消えるほど、気持ち良かった。


 湯上がりの牛乳は格別に美味い。

 市治はスマホを確かめると、多くの返信があった。

「あ、忘れてました」

 返答は後にして、黒湯最高! を発信した。






 夕刻、新横浜、喫茶店ポエム。

 市治は三人に、お土産の蕎麦を渡した。

 やっぱり架橋の反応が微笑ましい。

「ちーちゃん有難うねー。おお、これがかの有名な深大寺そばかー!」

「加賀でも有名なのですね」

「うん。あ、そうだ、早速わたしの家で作って、みんなで食べましょうよ!」

 と、架橋は提案した。

「えっ?」市治はひきつる。

 創和も育美も喜んで「いいね!」と賛同した。

 市治は拒みたかった。

「あ、あの、私はお昼もそれでしたし……」

 架橋は気にしない。

「いいのいいの。私たちの手作りだよ。美味しいよ。そうだ、蕎麦つゆもおネギも買わなきゃねー」

育美「天ぷらも買いましょうよ」

創和「じゃ、お酒も」

市治「お、お酒はやめて……」

 三人は、市治を強引に引き連れていった。

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