深大寺と深大寺城

 紫陽花が咲き誇る湧き水がゆたかな古刹、深大寺。深大寺蕎麦発祥の地でもあるため、調布市で最も有名な観光地だ。旅行閑散期の平日とはいえ、観光客はそれなりに多い。

 市治は有料駐車場に車を停め、ため池に隣接する蕎麦屋で昼食をとる。

 椅子に座布団を敷き、正座し、池を眺める。

「水が綺麗で穏やかですね。戦国時代はどんな姿だったのでしょう?」

 と、景色の良さに心身が洗われる気分だ。深呼吸をすれば、空気が美味いうえ、心地よく肺に入る。

 

 妄想をはじめると、これが意外と難しかった。

ーー池の形は狭めたほうがよいのか、広めたほうがよいのか? 岸は石の堤にするべきか、木材にするべきか、本来の土のままで良いのか? 小魚や水草はあったほうがいいのかな? どうしよう?

 などなど、真の姿を探し求める。頭の中で描いては違うだろうと消し、描いてはもっと良くしようとするも、その難しさが逆に楽しくなってきた。

 絵にしたくなった。

 市治はバックからセカンドパソコンを取り出し、タブレットモードにしてペンを持つ。


 が、ここで注文した蕎麦がきた。市治は電源を消し、描くのは諦めた。一度、線を引いたら夢中になり、気が済むまでいくらでも時間をかけてしまうからだ。

 そもそもスケッチのために来たわけではない。

 架橋かけはしが先月、神大寺を再訪したから深大寺を再確認したくなっただけだ。軽い気持ちである。

 市治は蕎麦を眺めた。

 水が綺麗なおかげで、麺がつやつやしている。食べる前から絶対美味しいとアピールしてるようにしか見えない。

 市治はスマホを取り出し、写真に収めた。

 これを誰かに送信したくなる。

「まるで、そらさんみたい」

 と、そんな自分に表情がほころぶ。

 元々、そのようなことをする市治ではなかったからだ。

 市治はスマホをテーブルに置いてから、

「いただきます」と、両手を合わせて一礼。

 蕎麦を麺つゆに浸し、ひと口入れる。手作りの麺は歯触りも腰もよい。薄口の麺つゆと、刻まれたネギの苦味と歯触りも程よいアクセントになった。

 分かってはいるけど、やはり美味しい。

「はぁ、これは癒されますわ」

 と、喉越しの良さは爽快だった。

 食べるたび、何度もほっこりする。

ーーそういえばこのお蕎麦、いつからあったのでしょう?

 調べたいが、行儀として食事中の検索はしない。

 完食してから、調べた。

ーーほうほう、享保二十(一七三五)年の記録にはあったのですね。ならばそれ以前にもあったと見て良いのでしょうが、戦国時代までさかのぼるのことは、さすがに厳しそうですね。起源になる記録があればよかったのですが……。

 市治は再び、池を眺める。

 妄想した風景を呼び起こす。





ーーーーーーーー


 池のほとり、架橋っぽい庶民娘がいる。

「らっしゃいらっしゃい。お蕎麦はいらんかねー!」

 と、竹に二羽飛雀と三つ鱗の旗が入り乱れるいくさ場に向かって叫ぶ。

 槍を叩き合う兵、弓を引く兵、指示出しする侍大将。みな、架橋を注目すると、いくさを中断してでも蕎麦を食べたくなり、架橋のもとに集まった。

 それは兵のみならず、いくさ見物をする村人も同じだ。

 兵たちは架橋を手伝った。蕎麦こねをする兵、天然水を汲み出す兵、茹でる創和はじめ育美いくみを手伝う兵。

 殺意むき出しだった緊迫感は、笑顔へと変わる。

 蕎麦は次々とできあがり、みな、美味いと喜んでいた。

 美味いものの前に、敵も味方も旗を捨てていた。

「お蕎麦で和睦。めでたしめでたしねー!」

 架橋が一番、しあわせそうに喜んでいた。


ーーーーーーーー



 


 市治は、頭を抱えた。

「わ、私としたことが……」

 江戸と戦国、考証をごちゃ混ぜにした。

 市治はため息をだす。

ーー仕方がない、御三方にも蕎麦を買いましょう。

 と決め、つぶやきに写真を送った。

 時間は十二時十分。恐らくすぐに返信は来ないだろう。


 食後、市治は寺内をめぐる。何度か来たことがあるけれど、ここは素直に観光をしよう。

 深大寺の創建は西暦三桁の天平五(七三三)年で、寺宝は鎌倉時代以前のものが多くも、建築物の多くは江戸時代以降のものばかり。それでも国宝や重要文化財は多数ある。そんな古刹だから周りの緑と調和されている。小川やため池も、水源に近くてゆたかな水は本当に心が和める。

 市治は清流だけで何時間も堪能できる。自宅の裏庭にもそれはある。それだけ好きなのだが、

ーー今日の目当てはそこではないので、ごめんなさいね。

 と、二、三分を目安にして清流見物は打ち切ろうと決めた。

 実際は十分も、耳をすまし続けていたが……。

 市治は本堂へ行く。小銭を賽銭箱に納め、

ーー皆様が幸せでありますように。

 と、いつも近所の神明社でやってるお祈りをしてから、本堂に向け、ささやかな不満を漏らした。

「この周りのお寺さんや鎮守さまも同じですが、肝心要の貴方がなぜ、古要害の記録と伝承を残さなかったのですか?」

 とはいえ、ないものは仕方がない。たんに今日まで見つからないだけで、じつは蔵の奥底に眠ってるのかもしれない。そんな例はよくある。だから将来、見つかる可能性を鑑みて、これ以上の本音は控えよう。

 つぎに市治は、架橋たちと綿打わたうち親子のお土産に生蕎麦や妖怪のキーホルダーを買い、車内に置いてから本来の目的、深大寺城跡へ向かう。

 

 城址は深大寺が建つ丘の向かい側の丘にある。そこへ入るためには、谷間の水彩公園を通過しなければならない。

 水草が生き生きしている。咲きほこる花も無数なある。稲も植えられていた。

 市治はなごむ。また、ぼーっと見入ってしまった。

 城址の丘は高くない。だから市治は、坂を登って振り返っても、正面を眺めれば高所恐怖症は現れない。

 登りきるとそこは本郭の隅。周囲は木々で覆われ、木陰になってる。目の前に深大寺城跡と彫られた石碑がある。そのすぐうしろに大きな土塁、右側すぐに空堀がある。堀は浅いけど、市治が見下ろすには充分、怖かった。

 市治は、日がさす二の郭へ行く。そこは広い芝生になっているが、南側の向こうは宅地化されていた。

 ちなみに三の郭は開発されていて、入れない。

 市治は宅地を眺め、妄想を膨らませる。

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