第8話:通説
市治 in 調布
雨上がりの平日、
来館するたびにやってきたことだが、改めて、知りたいことはたったひとつ。
ーー再利用された痕跡はあるのでしょうか?
である。
前回訪問以降、発表された新論文は、ない。
ーーま、
仕方がないと思った。ま、いつもそうだ。マイナー度が高い大名は、学術研究の量も少ないから。
何度も見た調査報告書や一部の論文をよめば、改造した痕跡があるとはいうけれど、
ーー堀を埋めただけでは……。
と、市治のイメージに響かない。
これにより嫡子の
死に際の朝興は朝定に、「江戸城を取り戻せ」と遺言を残したので、朝定は実行した。
この情報の発信源は
しかし朝興死後、朝定は天文十五(一五四六)年に戦死するまでの短い人生を辿ると、この二次史料のこの場面は信じたくなる。
朝興は
朝定は、大永五(一五二五)年に生まてからずっと、江戸奪還を目指した不屈な父の背中を見続けている。故に朝定も、遺言成就に全神経を注ぐのも道理といえよう。
朝定は朝興死後の翌月か翌々月、その手始めとして"深大寺"なのか"神大寺"なのか、各史料が異口同訓に示す"古要害"を"再興"したのだ。
ーーふぅ、要害ですか……。
市治はこれに何度、ため息を吐いたやら。
最初の曲者は、古要害という文字である。
要害とは、地形が険しく敵を防ぐに適した場所だと解釈されている。つまりこれが、土いじりをして築いた城や砦であれ、単に場所取りをした凸地形であれ、戦国時代までの軍勢が軍事目的のため、そこに居座った前提がある。
市治が抱く深大寺城再興のイメージは、こうだ。
かつて存在していたこの城は、ある年のある日、使われなくなる。その理由は不明だが、建造物の全ては、火災か落城か第三の何かで消え去ったことになる。
それでも堀、土塁、郭といった土の部分は残るものだ。
つまり"古"の字がある以上、一度は放棄された事実があるとみてよい。
これを再び起こすのなら縄張りの改変も当選だが、最低でも、雨風をしのげる建築物を再び設けなければならない。
ーー礎石や柱の穴の跡が、不自然なパターンで見つかってくれれば有難いのですけどね……。
これが"響く"条件となる。
例えば、かつて東西に長く置かれた礎石が、再興したときは南東から北西にかけて長かった。や、塀の柱の穴の大きさが違う、もしくは等間隔が違う、等である。
複数ある発掘調査書には、そこに関わる記述がない。
とはいえ城址全域が発掘されたわけではない。未発掘の場所を掘れば見つかるかもしれない。
だから、市治の疑いが間違ってる可能性も高い。
常識では、市治が間違ってると疑ってない。
ただしこの古要害の場所が神大寺なら、その意味は城跡ではなく小机城攻めにおける太田道灌勢の陣所になるので、遺構はいらない。
ただ、再興するのなら建造物は欲しい。
次の厄介者が、その"深大寺"という文字だ。
古要害再興のエピソードは、じつは史料によって"神大寺""神太寺""深大寺"と三種類ある。しかし、神大寺と神太寺は同一と見ていいので、実質ツーパターンで構わない。
この古要害の位置、何故神奈川区説は否定されて調布市説が通説になったのかといえば、
扇谷家の居城河越からの距離が近い。
この理由が一番大きい。
河越にとって深大寺は
だから、もし神奈川区の神大寺を扇谷領とすると、あまりにも不自然すぎる飛地支配となってしまう。再興即孤立が鮮明すぎる。それは無謀でしかない。
そういう意味で、調布説は無難な解釈といえる。
大永四(一五二四)年正月の江戸城落城以後、江戸より南はすべて北条領になったと認識されている。
これが令和の現代に残る遺構となる。
以上を一言でまとめるのなら、
ーー神大寺は深大寺の"当て字"、ですか……。
である。
市治は大きく息を吐いた。
当て字説は歴史史料の世界ではよくあることで、例をあげたらキリがない。
そんなことはこれまで何度も考え、悩んできたこと。
決定打になる史料や遺構が新発見されない以上、堂々巡りにしかならない。
瀬沢合戦といい、永禄十二年小田原侵攻中の武田勢横浜侵略といい、天文六年神(深)大寺古要害神奈川区説といい、市治の興味はなぜか、歴史になれない伝承へ行きたがる。
だから、脳みそが無駄に疲れた。
「なんだか一服したい気分……」
と、誰にも聞こえない小声でつぶやけど、この近辺で吸える喫茶店はない。かといって、車内では吸わないと決めている。
そんなとき、市治に声をかける男がいた。
「やあ、まだこりずにやってるのかい? くだらん地元説が墓に葬られて悔しがるドブスチビさんよ」
あの嫌味なダミ声は、振り返らずとも分かる。市治は言葉なしに、挨拶のための頭は丁寧に下げた。
やはり
楽隠居すればいいのに、未だ現役の名誉教授であり、学会の理事であり、複数の歴史研究会の会長でもある。肩書は大変ご立派だ。
そんな壽布郎は市治と目が合うや、高笑いする。
「ドブスチビがこのワシに体を売っても、あの愚説は生き返らんぞ。ワシが決めたことが日本の歴史になるのだからな。ブビャッハッハッハー!」
壽布郎の取り巻きも、軽蔑の眼差しで笑った。
市治はそれでも黙り、表情を変えない。怒っていい場面なのに、冷静でいられる自分が羨ましくもあり、恨めしくもある。今更ながら思う。
ーー録音しておけばよかったわ。
と。
無表情な市治は、壽布郎にとっては無視されてるように見え、余計に気に食わない。
「あ、何か言ったらどうだ? 一体、誰様に取ってる態度なんだ? まったく、郷土史家というものは地元の偏屈が激しくて古文書読めないから、恥を知れってもんだな。ったく、親の顔が見たいよ」
と中傷したとき、壽布郎の前に、ガタイの良い警備員が注意をしに現れた。
「静かにして貰えますか」
警備員が壽布郎にむける厳しい眼差しは、来館客とスタッフが抱く迷惑感情を一手に代弁していた。
壽布郎は怖気付き、警備員に謝らず、市治を指で指して、
「お前がここにいるのが悪いんだ。ドブスチビの分際で、この偉大なワシに恥をかかせるんじゃねえぞ。ゴルァ!」
と、暴言を吐きながら去っていった。
市治はそれでも黙って一礼し、見えなくなるまで直立で見送った。
そして、席に座った。
ーー親の顔、か……。
市治が貰った両親の躾は、黙って我慢しろ。ではない。
人様を尊重しろ。
である。それでずっと幸せな両親と近所の有様を見続けてきた市治だから、
ーーま、通説が正しいですよ。現段階に置いては。
と、気持ちを大きくして受け止めた。
周りはそんな市治を、反論のひとつぐらいしろとか、負け犬と思っただろう。
だが、市治にはそんなの関係なかった。
あんなもの、言わせておげばよい。
ともあれ、市治は図書館に居づらくなった。
市治は少し時間を置いてから書籍を本棚に返し、スタッフのひとりに「ご迷惑をおかけしました」と謝罪してから出ていった。
市治は一階に降りる。
「待ち伏せはありませんね」
と、ホッとし、両腕を上げ、背筋を伸ばした。
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