初期投資は盛大に

 このコーナーには子供向けの絵本が沢山ある。創和はじめ育美いくみ架橋かけはしも、違和感しかない。

「ま、出版社はどれでも構いませんが……」

 市治が無作為に取り出した本は、漫画日本の歴史第1巻、角川出版。子供向けの学習漫画である。

 市治は架橋に渡した。

 架橋はすこし不満だ。

「えーっ、こういうのって小学校の図書室によくあるやつでしょ。ちーちゃん、もしかしてオコチャマ扱いしてる?」

 市治はそう思わない。

「私の悪友の言葉を使わさせもらえば、漫画なめんな、です」

「そ、そう……?」架橋は消極的に本を開いた。

「どうですか?」市治は問う。

 架橋の返事がない。夢中になってる。

 架橋の様子は創和と育美にも伝わり、同じ本の別巻を取り出して開く。

 先ず育美が驚いた。

「これ見て。去年、元首相が暗殺された事件が、もう載ってるよ!」

 創和がチラッと見て思わず「早っ」と言う。

 自分たちが小学生の頃に読んだ思い出のある本と同じ本なのに、変わってる。かなりだ。しかも、その辺の文字本よりも分かりやすいうえ、歴史学者の監修も入っていた。

 ただし、参考文献はない。架橋は指摘した。

「こういうのは、なくてもいいの?」

 市治は頷いた。

「はい。歴史の学習漫画は明治、というか、もしかしたら江戸の昔からあります。読んだ子供が大人になったときに自分の子に読ませる。これが長い時間をかけて繰り返されているのです。そして、これからも繰り返していきます」

 創和がまず理解した。

「わお。鳥肌じゃん!」

 市治は言う。

「その意味ではこれ、参考文献欄を越えてます」

 育美は理解しても、漫画なりの弱点を指摘する。

「漫画でまとめるのはたしかに見やすいけど、情報量がどうしても文字本より薄くなるよね……」

 それは仕方がないと市治は認める。

「はい。詳しくしようと思うと、出戸姉妹の連載になりますから」

 創和は乗る。

「あれ、小笠原貞慶の一代記だもんな。天文十九(一五五〇)年の御家滅亡にはじまり、月刊連載とはいえ五年でまだ教興寺きょうこうじ合戦(永禄五(一五六二))だもんな。故郷松本に帰れる天正十(一五八二)年は、一体何巻になるのやら?」

 と、遠い未来を感じる。

 育美もこの漫画の話題は好きだ。

「逆をいえば武田たけだ勝頼かつよりは、あとどれくらい信濃を守れるかだよね。というか勝頼、まだ初陣もしてないし」

 架橋は、これも買わなければいけないが、まだだった。歴史初心者でもファンが多い人気作だが、架橋はガチ勢向けだと思っている。

 なので、

「この本にも出てるかな? 小笠原貞慶」

 と思って聞いてみた。

 それは三人揃って、

「出てない出てない」

 と、声を揃えて否定した。

 とはいえ架橋にとっては、市治のお勧め漫画が一番しっくりときたようだ。

「一巻、八八〇円か。お手頃ねー」

 買いたい気分が湧き出た。

 これを聞いた市治は、ならばとボックスセットを薦めた。

「これ、全十五巻別冊四巻付きと最新刊の十六巻、合わせて一万七千円ほどです。どうですか?」

「い、い、い、いちまんななしぇんっ!」

 架橋にとっては目が飛び出るほどの高額商品なので、びびってしまい、顔がひきつった。

 表情に乏しい市治が珍しく、微笑みを投げかける。

「はい」

「ま、ま、毎月一冊ずつってのはどうですか……?」

「単品買いでは付録がつきませんよ」

「じ、じゃあ、電子はどうですか? 割り引きとかあるでしょ」

「これは教育本ですし、電子では自分にしか見せられません。しかし物理本なら、気軽に他の方に見せられます。ご家族、お友達、ご近所様、将来産むであろうお子様への先行投資込みと思えば、安いものです」

「それはそうかもだけどさぁ……」

 架橋は悩んだ。ない脳みそを振り絞るように。

 ならばひとつ、冗談でも言ってみよう。考えすぎて固くなった頭をほぐすように。

 架橋は、自身なさげな細い声色で試した。

「お、おごってくれるなら、いいです……」

「分かりました」市治は即答し、その身をレジの方向に向けた。

 架橋は焦った。

「わー、待って待って待って! 冗談だからさぁ」

 架橋は市治の背中に飛びついて止め、ボックスセットを市治から取り返し、決意する。

「じ、じ、自腹で買わていただきまっ!」

 と、二度、噛んだ。

 これに市治は、微笑みで返した。あたかもそうなると読んでいたかのように。


 架橋はレジ前に立ち、店員に商品を渡す。

 ここで創和と育美が、架橋にスマホを渡そうとした。

「このアプリに入れて」

 二人とも同じ画面を見せた。

 架橋は驚き、ふくれた。

「貴女たち、せこいですね

」と拒んだ。

 それは、この書店のアプリである。購入すればポイントが貯まり、貯めたぶん、この書店での購入時に現金代わりとして使える便利なものだ。

 架橋は店員さんと相談し、ここでダウンロードしてから金銭授受し、170ポイントを手に入れた。






 架橋は買い終わり、ホッとすると、たとえ高額でも得した気分だった。

「みんな、ありがとねー」と感謝した。

 食事はこのビルの九階にある、地元では老舗と呼ばれる洋食店の新横浜店。

 架橋は、名物メニューのハンバーグステーキが三倍美味しく感じて楽しめた。

 あまりにも美味しそうに食べる架橋に、三人はどこか、羨ましく感じていた。


 翌朝、架橋が目を覚ますと、三人からのメールが来ていた。

 内容は皆、一緒。

"私も同じの買う!"

 歴史子供学習漫画は、大人のオタクも唸らせる。

 思わず、ニヤリ。

 架橋はカーテンを開ける。

 雨だった。

「な、なんでやねーん」

 と、下手な関西弁で突っ込むも、あの本を熟読するには丁度よかった。

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