歴史とは参考文献の芋づる式
新横浜駅ビル八階の大型書店、日本史コーナー。何百もの著作が陳列され、目移りする。
「これよ!」
と自信満々に見せたのは、日本百名城と続百名城のビジュアル紹介本だった。
「ほら、解説も優しいし、なんといっても写真とイラストが満載よ。初心者ならやっぱグラビア系のお城だよね」
「グラビア?」
「現存十二天守って、そう言うでしょ?」
「言わない言わない」育美と市治は声を揃えて否定した。
要するに、創和が勝手に作った用語だ。ちなみに近代以後の復元、復興された天守はビジュアル系と呼んでいる。なので、入門編ならグラビア系に限る。
創和は盛り上がった。
「中でも
架橋は憧れの眼差しで言う。
「あー知ってる。私も、オススメされたら行きたい感でるよねー」
「でしょ。それ以外でもいいのが沢山いるよ。例えばこれ。
「うん、なんとなく犬っぽいねー。秋田犬かな? ああ、だから犬山って呼ばれてるんだ」
架橋と創和の駄話に呆れる育美と市治は、
ーー犬山は地名よ。あと、
と、心の中でつっ込んだ。
市治は天守ばかり喋る創和に訊ねる。
「あれ、新治さん、天守萌えでしたっけ?」
「どっちかというと石垣かな。とくに廃城の朽ちた野面積みなんてテンション上がるわ。雨上がりなんて情緒深いし。てかそれ連休明けに言ったと思うけど。でもさ、歴史ルーキーには見た目が派手なものから入ったほうが分かりやすくていいじゃん」
「それはそうね」
「舞岡さんは何萌え?」
「……御殿です」
「わ、超マニアック。というかそんな人、初めて出会ったわ。さすがは歩くマイノリティ」
褒めてるのか茶化してるのか? だが、市治の、少数派のなかの少数派思考は昔からなので、慣れている。だから、肯定も否定もしない。
創和は、今度は育美に聞いた。
「寺ちゃんは何萌え?」
育美は創和の紹介本に不満だ。
だから今度は育美が架橋にアドバイスしたかった。
「創和さん、お城ばかり。歴史は人が作るものよ。だから人物でいかないと」
育美が架橋に勧めた本は一冊は"超絶ヴィジュアルシリーズの戦国武将名鑑"とタイトルにある。
創和が「えー、私と変わんないじゃん」と呆れる。
しかし架橋は食いついた。
「おおっ、三千人も紹介されてる。凄いねー!」
「でしょー♪」
「寺さんの推しっていますか?」
「いるいる。二百人くらい」
「えーっ、そんなに覚えられないよ。せめて前田(利家)公を含む三人に絞って」
「って、二人かい」
育美は誰が良いか悩みながら、ページを開いて答えた。
「じゃあ、
「誰? 北条
「戦国武将は御家人じゃないぞー。ま、戦国時代の関東で一番強くて目立った人かな」
とツッコミながら、育美は憧れの眼差しで氏康の肖像画を眺めた。
市治はもう一冊ある同じ本を取り、索引欄をみて言う。
「
育美は市治のどマイナーぶりに、また苦笑い。
「それってもしかして、神奈川区限定?」
「はい。地元ですから」
「そんなのいないよ。そこまで首突っ込んだら三千どころか三十万超えるわよ。せめて関東管領上杉のりぴー(
「私、そのお方は評価してません。
「
「家督を継いでからそこまでの十余年は、悲協力的でした。先代の
「へえ、そうなんだ」
「でも、最近の研究では結構、見直されています」
「ま、それでも氏康に負けて滅んだわけだし。仕方がないといえばそこまでだよ」
市治と育美の会話は、難しくとも弾む。
架橋は、育美のお勧め本と創和のお勧め本を手に持ち、悩む。城郭も武将もいいが、決め手がない。
理由はなんとなく分かる。戦国時代全体の流れが掴めないからだ。市治と創和、育美との難解な会話がヒントになってる。
架橋は本棚を見渡すと、それを掴めそうな本をみつけ、とりだし、聞いてみた。
「これなんかどうですか?」
架橋が取って見せた本は、"令和大日本記"と題する通史本だ。戦国時代限定ではないが、日本史全体が見渡せる。この書物は数年前に大きな話題となり、七十万部の販売売上を達したという。
市治は架橋からその本を取り、本文を見ず、最初と最後だけを眺めて判断した。
「これは良くありません」
「え、なんで?」架橋は問う。
市治は教えた。
「まずは目次からくる具体性ですが、これは歴史本を沢山読んで経験値を積まないと分からないので、はしょります。ですから、初心者でも簡単に見分けられる決定打を教えます」
「なに?」
「参考文献欄です」
「え?」
「この本、参考文献欄がありません。なので、即落ちです」
「ない?」
「ネットで例えるならリンク集です。著者が参考にしたという意味だけではなく、その本だけでは伝えきれない情報がそこには山ほどあります。なので、歴史ファンや学者という生き物は、これを参考に紹介された本や論文を探し、買うなり借りるなりして知識を深掘りする習性があるのです」
創和と育美は「分かる分かる」と同感する。
その上で市治は、言い進める。
「ないということは、この本は、著者の歴史感以外は絶対に認めないと判断して間違いありません」
創和が頷いた。
「この著者、学者でもないのにこれは教科書だと豪語したけど、検定に出してないんだよね。書いてることが一方通行。個人の感想じゃん。話題本とはいえ、避けて正解だったわ」
と、歴史ファンの直感込みで語った。
育美もページをめくりながら、感じた。
「通史というのに、古代と近代にページを割き過ぎているわね。私らの歴史知識は戦国メインだし。これでは試験問題にもできない。これに感銘したら歴史を俯瞰できなくなるわ」
市治は結論づけた。
「歴史とは文字があって初めて成り立つものである以上、極論をいえば"参考文献欄の芋づる式"で構成される世界です。ですから、ここを見落としてはいけないのです」
架橋は感心しながら、
「文献欄にたくさんあればあるほどいいんだ!」
と言う。
しかし市治は「そうともいえません」と答えた。
「え、なんで?」架橋は問う。
市治は答えた。
「本当にそんなに沢山読んだのですか? となります。その本を正しく参考にしたのか否か? 分かる人もいるくらいですから」
「わ、こわ……」
架橋は震えた。しかし、適当とはいえ自分が選んだ本にあれこれ言われるのは、面白くない。
今度は架橋なりに真剣な眼差しで探し、ここで一番分厚い本を見つけた。
「こ、これはどう?」
と、市治に見せた。
書名は"戦国史真相概説"。著者は
市治は本を受け取り、ページを開かず、そのまま棚に戻した。
架橋は「え、なんで?」と問う。
中身を見ないで分かるはずがない、と思った。
市治は答えた。
「戦国史の世界では知らぬ者はいなあという大御所様です。お弟子さんも何十名といます。学術本とはいえど、何度も読み返せば素人でも理解できるでしょう。しかしこの方、人としては相当、困ったさんです」
「今度はそっち?」
「他人様の著作も研究も、一度も評価しません。二次史料と憶測でダメとか誹謗中傷するうえに、人格攻撃もやります。なのにご自身の著作では平気で二次史料と憶測で自説をゴリ押しします。この他にも様々な武勇伝をお持ちのようです」
市治がいう歴史学会の裏ネタに、架橋は興味を抱いた。
「なになにその武勇伝、教えて!」
市治はため息ののち、
「やめましょう。人様を悪く言うのはよくありません」
と断った。
「えーっ」架橋は残念がる。
市治はお詫びを迫られてる気がしたので、応えねばならない。
「私がお勧めしたい本は、ここにはありません」
「ここ、有名な書店だよ」架橋は残念がる。
「書店ではなく、コーナーです」
市治は動いた。
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