同じ場所で違う歴史

 羽沢町の市治ちはる。春キャベツはこれですべて取り終えた。一通り片付けた後で小休止する。

 日も西に傾きはじめた。落ちる場所には昨年まで超大手硝子会社の研究所があった。用地の広さは東京ドーム二個分という。今は建物老朽化と移転のために取り壊されて、緑地しかない。

 だから、市治の瞳には、それだけ殺風景に映る。

 将来、なにが出来るのだろうか?

 それはまだ分からない。

 市治は一服しながら、スマホを取って確認した。

 ふかす煙は、ため息とともに流れる。

 三穂みほは「どうしましたか?」と心配する。

 市治は一息ついてから、寂しそうに答えた。

「そらさん、歴史やってない……」

 と、三穂にスマホの画面を見せた。

 三穂は眼鏡を取り出し、かけ、確かめる。

「あらま、ラーメンと黒湯に踊ってますね。興味、なくしたのでしょうか?」

「……、待つしかないでしょう」

「信じてよいのですか?」

「求めてくれない限り、与える理由にはなりませんから」

「なるほど、ご主人様らしいですね。それで出戸いでとさんやちゃんを羽ばたかせたのですから。私もそれで蘇りましたけど」

 三穂は市治に感謝した。

 市治は内心で照れながらも、クールな表情は変えなかった。

 ここで市治のスマホから電話が鳴る。

 市治は驚き、発信先を確かめたら、架橋かけはしだった。

 市治は電話をとる。

 架橋は興奮気味だった。

「あ、ちーちゃんねー。質問っ!」

 もしもしと言う前に言われた。

 市治は、歴史か? 遊びか? 恐る恐る訊ねた。

「どうしました?」

「また神大寺に来たんだけど、ちーちゃんの本、小机城の合戦とは違う絵があるの。なんかあったの?」

 歴史の質問が来た。市治は嬉しかった。

 しかもそのイラストは、市治の想いに特別なものがある。また、疑惑の瀬沢合戦と違って、歴史界から明らかに抹殺されたものである。

 だから、喋らずにはいられない。

「それはですね、小机城の戦いからおよそ半世紀後の天文てんぶん六年、つまり一五三七年の四月に亡くなった扇谷おうぎがやつ上杉うえすぎ朝興ともおきの遺言に従った息子の朝定ともさだが、北条ほうじょう氏綱うじつなに対抗するため、おそらく五月、神大寺に砦を築いたのです。要害とあるのは、太田道灌がそのに陣を張った実績のためです。朝興の遺言は大永だいえい四年(一五二四年)、氏綱に奪われた江戸城を奪還してほしいというもので……」

 市治は夢中になるが、三穂に肩を叩かれて、言われる。

「ご主人様、解説長いです。きのしたさん、恐らく脳内フリーズしてます」

 市治は我に帰り、架橋に問う。

「もしもし、もしもし?」

 架橋の声が返ってこない。

 市治は三穂に困った顔を見せる。

 三穂の笑みはひきつり、アドバイスに困る。

 市治は考え、話題を変えた。

「あ、あの、麓のバス通りに美味しいお菓子の店が二軒ありますから、歴史のお勉強をしたご自身のご褒美にしてください」

「はーい♪」架橋の呑気な返事がきた。

 市治は呆れた。

 架橋は歴史の話題に戻す。

「そっか、半世紀経っても戦国時代か。以外と長いんだねー」

 市治はそれを聞いてホッとする。

 本当に、単純だが良い感想だ。

「そうですね。その年に豊臣とよとみ秀吉ひでよしが生まれてます」

「へえ、今年の大河ドラマは?」

徳川とくがわ家康いえやすなら、あと六年待ちます。前田利家は二年。織田信長は生まれていますが、数えで四歳です」

「そっか。メジャーどころはまだ活躍できないんだね。で、その神大寺の砦はどうなるの?」

「七月には機能停止します。おそらく、攻め落とされたのだと思います」

「寿命二ヶ月? 可哀想ねー」

「これも瀬沢と似たパターンで、一級史料にはないものの、二次史料がいくつか確認できます。浄瀧寺と善龍寺が残した文書のなかには、扇谷上杉と北条が天文年間、寺の近くで戦争したという趣旨の技術がありますし、新編武蔵国風土記にも取り上げられていています。この風土記は江戸後期に幕府が事業として作ったものです。これは役人が現地の人の声を拾い集めた性格があります。つまりその時代には、神大寺に出城とそれをめぐるいくさがあった伝承が確実にあったのです。そのうえ……」

 話の途中、また三穂に肩を叩かれた。

 架橋の返事が、また、ない。

 市治は頭を抱えて自重し、架橋の脳みそ復旧を試みる。

「お、お菓子っ!」

「おお!」美味そうなゆるい声色で復旧した。

 市治は現金な人と思いながらも、ホッとした。

「そらさん、その歴史は信じないで下さい」

「え、なんで?」

「混ぜるな危険だからです」

「混ぜたら?」

「SNSに巣食うが知識豊かに炎上させます。たぶん……」

「瀬沢は炎上してないっていうよ。創和はじめさん調べでは」

「それは、取り上げてる人も分かってるのです。送り手の慎重さが伝わるのです」

「そう? ちーちゃんが一生懸命描いたのに勿体無いね。麓に焼け跡っぽいのがあって、相変わらず世界観がすごいもの」

「それが神大寺という寺です。北条家臣の菩提寺です。本当はもっと前に焼失してるのですが、分かりやすくするため、あえて記しました」

「ふうん。再建されたの?」

「いいえ。なので今は地名しか残ってません。でも、小机城の近くに違う名前のお寺として復活させました。雲松院うんしょういんといいます」

「へえ、奥深いんだねー。ありがとねー♪」

 ここで電話が切れた。

 市治はふたたび、ホッとする。

 三穂は市治を茶化してきた。

「ご主人様、意外とウケ狙いのツボ、知ってるのですね」

 架橋を二度もフリーズさせた件だ。

「べ、べつに狙ったわけではありません。そらさんのために一生懸命やっただけです」

「なるほど、珍プレーと好プレーは紙一重というやつですね」

 三穂は笑う。

 市治はジト目になって言い返せない。

 三穂は、市治に帰宅を促した。

「さあ、晩御飯の準備しましょ。やっと終わったのです。お酒が美味いもの沢山つくりましょ!」

 と、張り切って引き上げた。

 市治は再びタバコに火をつけ、気持ちを落ち着かせから帰ろうと思った。

 

 亡き祖父が信じ、自費出版で出した郷土史本でも調査を取り上げた神大寺古要害横浜市神奈川区説である。だがその説は、とある大御所歴史学者やその取り巻き学者から当時の歴史ファンまで、無数の者によってボロカスに叩かれた。

 箱に閉まったどころか、墓場行きにされた。

 と、幼い頃、両親から聞かされた。

 彼らが解釈する神大寺とは、東京都とうきょうと調布市ちょうふしにある深大寺じんだいじ城を指す。

 一次、二次史料、多くに記されている。

 つまり"神"は"深"の当て字である、と。歴史史料の世界では当たり前にあることなのだ。

 ともかく、調布市にある国指定史跡深大寺城跡こそが、神大寺古要害の正体なのだ。

 これこそ彼らが決めた"歴史"である。






 神大寺の架橋は、用事もないのに、とあるアパートの階段を登った。景色がよさそうだと判断したが、これが本当に良かった。とくに北側の景色は一望できた。

「おほほほほ!」と笑い声が弾む。

 架橋は市治の本を広げ、扇谷上杉朝定時代の神大寺古要害のページをひらく。

 しかしこれは城ではない。むしろ陣屋に近い。丘の南側に浅い空堀と出入口があり、四方を柵で覆う。建物は居住地ひとつと倉庫二つのみで、応急措置みたいで乱雑な普請だ。兵は二十人ほど。描くには多い。それが丁寧に描かれている。

 架橋は苦笑い。

「さすがに住みたくないなぁ……」

 すきま風があって寒そうだ。台所やトイレはどうなんだろう? 周りは敵地で危なそう。

 など、思った。

「う〜む、ちゃんと支配してるというより、ゲリラ支配みたいに強引なイメージかな?」

 本格的に支配したら、この粗末な防御施設も立派なお城になるのだろうか?

 想像は膨らむ。






ーーーーーーーー


 折本村の堀割も三分の二ほどが掘られてる。みんなそれぞれの仕事の合間に手伝ってくれた。

「あと一年か二年かな」

 谷戸川の水位に届く目処が見えた。皆、希望が現実になる実感を噛み締めている。

 ここでもになりきる架橋も、夜に無理して働く必要がなく、よく食べ、ぐっすり寝た。

 そんな五月の終わり、茅ヶ崎城の役人が徴兵をかけにやってきた。

「明日、殿が出陣されるぞ! 折本村からも大人十名、参陣しろ!」

 つがも村人も驚かなかった。四月の下旬に河越城主扇谷上杉 朝興ともおきが病死し、嫡男の朝定ともさだが家督を継いだばかりだ。数えで僅か歳である。

 朝定は朝興から遺言を託されていた。

"北条 氏綱うじつなに奪われた江戸えど城を取り戻せ"と。

 その作戦が早くも実行されたと疑わなかったからだ。

 江戸城が北条領になったのが大永たいえい四(一五二四)年だから、あれから年経っている。

 つがは役人に問う。

「江戸を攻めるのですか?」

 役人は答えた。

「ああ、そうだ」

「ご武運、お祈り申し上げます」

 つがは一礼すると、役人は凛々しい顔で頷いた。


 二日後、役人が再び現れる。

「昨日、我が殿が神大寺を攻め取った。太田道灌が陣した丘に砦を作る。だから木材を分けて欲しい」

 つがは、攻撃した場所の違いに違和感を覚える。

「え、江戸ではなかったのですか?」

 役人は理由を語ってくれた。

「そなたたちを騙すつもりはなかったが、江戸を攻める情報は敵に筒抜けだった。子安こやす鶴見つるみ寺尾てらおの兵が江戸の守りを固めるため、離れたからだ。だから殿は、守りの薄くなった神大寺を取った。神奈川湊に圧力をかけてから、江戸を取り戻す策にでたということだ」

 江戸を取る前に、制海権を取りに出たのだろう。神奈川湊は青木あおき城(旧本覚寺砦)の多米ため氏が守ってるが、城と言っても縄張りは固くない。

 海をとれば、対岸にいる反北条勢力、小弓おゆみ公方くぼう足利あしかが氏と安房あわ国の里見さとみ氏との連携がとれる。共同すれば江戸城奪還も夢ではなくなるというのだ。

「なるほど」つがは納得した。

 水路工事は少し遅れるが、支援を貰ってるので仕方がない。つがも村人も、貯めていた木材の半分を提供した。村人は戦勝祝いのためか、木材に、白とピンクが綺麗な源平シモツケの花を添えた。

 つがは、村人の粋な計らいに喜んだ。

繍線菊しゅうせんぎくですか、いいですねー」

 村人には聞きなれない名前だった。

「え、これシモツケじゃん」と言う。

 つがは、その名は初めて聞いた。

「おとうが繍線菊って言ってたねー。でも、シモツケとも言うのねー」

 村人は、そういえばと頷いた。

「お坊様だから難しい名前、知ってるんだ」

 村人もつがも、笑った。


ーーーーーーーー






 森と野花が豊かな乱世だが、現代では見渡す限り住宅ばかりだ。

 架橋は市治の本を前に、満足した。

「そんな楽しみ方もあんだねー♪」

 と、再び景色を見渡した。

 遠くにある新横浜駅の駅ビルと、プリンスホテルの円形ビルがよく見えた。


 架橋はバス通りに降りると、早速、和菓子屋で大福と柏餅を購入した。

 そして、建物ひとつまたいだ煎餅店が目に飛び込んできた。

ーーさっき、コンビニであられ買ったし。こ、こっちは次回かな……。

 と、当初は決めた。折本町でバス待ちの際、道路向かいのコンビニへ寄り道したときにみつけた。この地で創業百二年を誇る老舗のおかきだ。

 ここで買ったら、ダブってしまう。

 しかし、美味そうで仕方がない。

 架橋の頭の中では、金欠と食い気が激しくバトルする。冷や汗がでるほど悩む。

 しかし結局、食い気が勝つ。

 架橋は店に入り、煎餅を購入し、満身の笑みをだした。


 これにて架橋の今月の給料、全滅……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る