第5話:遠出
瀬沢古戦場①
緑の日の朝九時、
ーー社会人初給料。一日入社で十五日締めだからいつもの半分しか貰えなかったけど、近場の散策ならそんなに使わずに済むからいっか!
と、金銭面だけが不安だから、節約しながら歴史を満喫しようと決めていた。
架橋が到着したとき、
「あ、ごめんなしい。みんな、待った?」
育美は気にしてない。
「大丈夫だよ」
創和も頷いた。
市治がレパードで来た。運転席に座ったまま助手席側のドアを開け、席を落とし、三人に言う。
「申し訳ございません。予定変更です。県外へ出るのでお乗り下さい」
「えっ?」架橋は、少し冷や汗がでた。
とはい交通費は、全て市治が受けもつのでホッとした。市治にとってはそれが予定を変えた者の責任としていた。
到着は午後一時を過ぎた。昼食はその間に済ませた。
ここは
架橋は興奮した。
「わー、すごく綺麗! これも横浜なんねー?」
「ちがーう!」創和と育美は突っ込む。
創和は呆れる。
「そらちゃん、ごはん以外ずーと居眠りしてたし」
「楽しみで眠れなかったんねー」架橋は苦笑い。
育美は深呼吸しながら、しんみりしていた。
「空気もうましい、初めて見る絶景」とスマホをだし、写真に収める。
架橋も創和も同じく、撮影した。
市治は三人の後ろにある木陰のベンチに座り、携帯ポットのルクリリを飲んでくつろぐ。
架橋は山脈をさし、
「あれはなんて山?」と質問した。
創和はタブレットの地図で確かめ、答えた。
「
架橋は北陸の山しか知らないので、
「やくざだけ?」と聞き返す。
「ちがーう!」創和と育美は声を揃えて否定し、笑った。
創和「八ヶ岳に謝りなさーい!」
架橋「も、申し訳ございませんでした!」と頭を下げた。
市治はそんな呑気な連中に、口を隠しながら笑ってる。
ここは
育美は問うてみた。
「市治ちゃん、ここには何があるの?」
市治は教えた。
「
武田晴信とは言わずと知れた武田信玄だ。信濃四将とは
これは物凄い痛手だ。
創和も育美も、聞いたことない合戦である。
素人の架橋は言うに及ばず。
創和は訊ねる。
「なるほど、私らに信玄鶏を食べさせたのも、このフラグだったのね」
市治は肯定し、言った。
「本当は
創和は驚く。
「えっ? 武田信玄が横浜まで来てちょっかいを出したなんて、違和感しかないなぁ……」
育美も初耳だった。
市治は、誰もが知らないことは理解してる。
「あれを教えてくれるのは綱島にある伝承と「北条五代記」のみで、証拠となる一次史料が一つもありません。故にあれは"歴史"ではなく"疑惑"なのです。瀬沢の戦いは同じ疑惑でも、案内板があります。なので、教科書が教えない歴史ですら教えない要素は、横浜よりも瀬沢のほうが分かりやすいと判断しました。横浜では神大寺が被っていますし」
ここで架橋が「神大寺?」と反応する。
市治「はい。小机城の戦いで
架橋「おお、神大寺、なにげに凄いねー」
創和「でもさ、いくら軍記物と現場証言が一致しても、一次史料にないものを専門家のお墨付きなしに、歴史認定する訳にはいかないもんな」
市治「はい。瀬沢の戦い、武田信玄本でも一九八〇年代まではよく扱われていました。ですが、九〇年代から忽然と姿を消しました。否定した書籍も論文もないので理由は分かりませんが、間違ってる前提での憶測はできます」
創和「なに?」
市治「この戦いがあったことも無かったことも証明できないのでしょう。つまり、史料が発見されるまで箱に閉まったのではないでしょうか?」
創和「かもな。ネタ元が軍記物オンリーじゃ危ないもん。そのせいでどれだけの歴史が軌道修正かけられたことやら」
市治「なのにこのいくさ、信玄戦績の勝ち星にはカウントされてるのです」
創和「あれま……」と、顔がひきつった。
それは通算72戦49勝3敗20分けだという。
育美は興味が湧く。
「歴史認定されるか否かの狭間にある歴史か。ロマンだわ」
創和は慎重を促す。
「いや、危険物を引っ込めただけだよ」
育美は苦笑いした。
「まあ、そうだけどさ……」
その間、架橋の頭がフリーズしてる。
会話のレベルが高すぎた。
創和は慌てた。
「あ、あるなしはもういいから、舞岡さん、ここにはどんな話が残ってるのか教えて」
市治は語る。
「向こうに見える尾根先に
創和が城好きの反応する。
「砦か。いいねぇ」
市治は続けた。
「で、手前の住宅地はかつて"
これを聞いた三人は、いかにもな所以の地名だと思った。
ーーーーーーーー
視界から現代建築物が全て消え、木々と自然地形があらわとなる。ここは高原といえど、釜無川とその支流が作り出す複雑で険しい谷地形である。
ベンチに座る市治の正面から、武田軍の奇襲攻撃がはじまる雑音が響き出していた。
ーーだ、だれの妄想?
市治は考えると、うしろから声が聞こえる。
「こらこらそこの村人、危ないから何処かへ逃げなさい」
ーーむらびと?
その可愛らしい声色は、架橋だ。
市治が振り向くと、架橋が武田信玄の仮装をしてる。それは錦絵でよく見る諏訪法性の甲冑に真紅の衣を纏っている。錦絵やマンガ、ドラマでお馴染みのコスチュームだ。
市治は妄想のゆるさから、
「やはり
と、唖然とした。
市治は、架橋の派手な姿にツッコミどころが満載で指摘したかったが、面倒なのと、架橋が満悦してるので、やめた。
架橋はこの時点で勝利を確信していた。
「おっほっほ! 作戦は大成功ねー♪」
と戦況を眺める。奇襲がうまくいき、無勢の味方が面白いように敵を押してる。一方的な展開だ。敵は抗えども、受け手のため、多勢の力が出せない。
架橋の左右には、重臣の
創和は架橋を褒める。
「さすが
育美は知らせる。
「敵は登矢ヶ峰へ逃げていきますよ」
架橋は軍配団扇を煽り、「重たいし涼しくないねー」と不満がりながらも、ドヤ顔となる。
「あはははは。見ろ、人がゴミのようだー!」
と、調子に乗ってムスカ大佐のモノマネをしたつもりでも、似てないので誰も気づいてくれない。
滑った架橋は、突っ込んで欲しかったと寂しい。
ともかく、武田軍は大勝利した。
架橋は勝鬨を命じた。
味方の雄叫びがあがるこの草原は、敵の鮮血で染まっていた。
ーーーーーーーー
「もしもーし、
「はい?」我に帰る架橋。
「血が染まったのは、このいくさが所以ではありません」
「えーっ! なんでー?」
架橋の妄想は無駄骨で、残念がった。
市治は教えた。
「ヤマトタケルがここで大蛇を退治した伝説が所以です」
「ヤマト?」
「神話の英雄です」
市治の解説に、架橋はすねた。
「もう、紛らわしいねー」
「申し訳ございません。でもここは、戦況を確かめるには良い場所だったようですね。では、次、行きましょう」
市治は立ち上がる。
架橋は「ちょっと待って。記念写真とろう」と、八ヶ岳をバックにして、まるで正義のヒーローみたいなポーズをとる。
これに創和が市治にタブレットを渡し、育美とともに架橋の左右に並んでポーズをとった。
架橋は「戦国最強、シンゲンジャー!」とふざける。
市治は苦笑いしながら注意した。
「撮っても構いませんが、貴女たちの後ろは墓地ですよ」
「えっ?」
三人が後ろを振り向くと、真下の斜面全てに墓石が並んでいる。どうりで真正面から見えなかったわけだ。
育美は唖然とした。
「あれ、ここ、公園じゃなかったの?」
創和は「地図には確かに公園ってあったよ」と、信じられなかった。
架橋は「もしかして戦死者のお墓?」と感じた。
育美は否定する。
「よくみて。現代の墓石だよ」
「あ、ホントだ。もし心霊写真が撮れたらバチがあたるね……」
架橋は諦め、創和も育美も従った。
市治はゾクっとした。
架橋は斜面を眺める。この急すぎる階段を降りることが、なんだか面白そうになった。
「ねえ、ここ降りようよ!」と提案した。
創和も育美も、高低差の迫力に面白さを感じる。
育美は「降りよう!」と乗った。
「じゃ、競争だ!」創和が真っ先に降り、育美と架橋は追いかけた。
市治はため息を吐いて立つ。
架橋の声が聞こえる。
「市治ちゃんも降りようよー」
「く、車、置いて行けませんから……」
と、三人の姿を確認せず、数歩ほどあとずさりしてから、公園前に停車させているレパードに乗り、回り道して麓まで車を走らせ、三人を拾った。
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