舞岡邸にて
硯松から少し離れた舞岡邸は、戦前に流行った和洋折衷スタイルで、木造二階建ての立派なお屋敷。その脇に蔵が三つもあり、平四つ目紋の家紋が、歴史ある名家を際立たせている。
正面の庭にはレパードとエルグランドが止められていた。
架橋はそこにも反応する。
「おお、実家と同じエルグラちゃん。ウチのほうが古いけどねー」
「それは兄が使ってます」
「お兄さん?」
「道路を挟んだ向かいの家で、家族作ってます」
ここで着物を着た中年女性が出迎える。三人は市治の母親かと思ったが、違った。
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
よく見たら、近代の女中が着るような衣装だ。まるでここは大正時代である。
市治は女中姿の人に言う。
「突然で申し訳ないのですけど、お客様を連れてきました。食事の用意はありますか?」
女中姿の人は得意になって答えた。
「娘が張り切ってますから、今回も作り過ぎてるでしょう」
市治はうなずく。
架橋は問う。
「すごいお母さんだね」
「家政婦です」
市治は答えるも、女性は「女中頭です」と直した。
市治は三人を家の中に入れた。
家の端側には、一部屋だけ新規に増設した場所がある。そこが市治の部屋だ。洋室八畳に机が二つ、ひとつは絵の具や大量のコピックが整列し、もう一つには高性能デスクトップパソコンに、大きなモニターと大きなペンタブレットがある。
部屋の二面が本棚となっている。一面が農業関連、一面が建築や都市計画史、専門書が多い。まるで教授だ。ただ一部に、様々な一般書や楽譜などがあった。その中には近年大人気の連載漫画"息子たちの戦国"が全七巻(以後続刊)あるのはホッとする。
それを発見した育美は、喜ぶ。
「舞岡さんも持ってるんだね。私も集めてるよ」
創和も「私も!」と喜んだ。
市治は「読めと言われましたので」とだけ、いう。
架橋は、三人が持ってるのなら合わせたい。
「これも買わなきゃいかんのかね?」
と言った。歴史好きの必須アイテムだと認識したようだ。
そして、入室した扉と向かいになる壁の端に、いかにも不釣り合いで重たそうな扉があった。
架橋は、何だろうと思った。
市治はマジックを持ち、創和と育美の本にサインを書いて感謝した。
架橋は疑問も束の間、サイン本をみて羨ましくなった。
「私も月末、初給料をもらったら、貴女の本を買ってサインもらうねー!」
市治は感謝するも、
「いや、その本なら今、あげます」
と言った。
架橋は拒んだ。
「いや、印税を渡したいから、正攻法で買うねー」
市治は、そんな誠意が嬉しい。でも、
「月末まで待つくらいなら、今あげます」
と、あの重たそうなドアを開けようとした。
架橋は慌てて、
「じ、しゃあ、明日買います!」と慌てた。
市治は架橋の気持ちを尊重し、ドアノブから手を離した。
「その本、じつは五冊しか売れてないのです。今日、その二人と出会えました。そのうえ、一人増える。こんなに嬉しいことはありません。ありがとうございます」
市治は正座し、頭を下げて三人に感謝した。礼儀作法が素晴らしい。古い豪邸に住む人らしいたしなみだった。
三人も緊張し、釣られて頭を下げた。
創和は部屋を見渡していて、疑問があった。
「あの、舞岡さんは郷土史家やってるのですか?」
市治は答えた。
「それは、この本を売るためのハッタリです。私、お爺さまと違ってその活動をしたことありません。肩書が大学生や農家や好事家では話になりませんから」
ーーな、名乗ったもの勝ち……。
創和と育美は、騙された感があった。
でも、まあいいや。
市治はここで、あの重たそうな扉を開けた。その扉は、蔵の扉である。
つまりそれは、ひとつの古い蔵を魔改造した目新しい書庫だ。郷土史家を兼ねていた亡き祖父が集めた古い歴史本と、市治が集めている歴史本が所狭しと溜まってる。まるで図書館の所蔵庫のようだ。そこにはマンガから一般書、学術書、幕末から舞岡家に伝わる数多の書籍や書状まで、その数は万を越える。
とにかく驚くばかりだ。
ここであの女中頭がきた。
「お食事ができました。居間へどうぞ」と誘った。
「ありがとうございます」架橋、創和、育美は感謝した。
女中姿の女性は、とても上機嫌だ。
「ご主人さま、この方たちに郷土史家らしいことをしたらどうですか? 午後は暇なんですよね」
「いや、新車が納品されたので取りに行きます」
「私がやっておきますよ。お友達なんですから、お付き合いは大事にしたほうがいいです」
「お客様です」
「お友達ですよねー」女中姿の女性は架橋に目を合わせた。
架橋は喜んで「はい!」と答え、市治にハグする。
市治は一瞬、驚くも、どっちでもいいや、という相変わらずな無表情だった。
女中姿の女性は、笑いながら去った。
架橋は言った。
「あの人、幸せそうですね」
市治は頷いた。
「
あの中年女性の名は綿打
広い和室の居間。立派なピアノと、祖父母の仏壇と、テレビらしきものがある。
五和は私服でエプロン姿。食事を並べていた。
外を眺めると手前に小さな池と、向こう側に手つがすの小川と水源と小さな鳥居と祠がある。その祠が水源だ。周りは森と竹藪が里山のように管理されていた。
ここは名もなき小さな谷戸の先端だから、そよ風が涼しくて心地よい。
料理はキャベ玉焼きのみだが、大量にある。
五人皆、座り、自己紹介してから、
「いただきます」と食した。
簡単な料理だが、これが驚くほど美味い。
だから架橋が一番弾ける。
「おお、どうしてこんなに美味しいの?」
五和もここまで称賛されると、嬉しい。
「キャベツは、おねーちゃんが育てた冬のもの。卵はご近所の牧場からいただきました!」
「なるほど、地産地消ね!」架橋は感動する。
キャベ玉焼きは、カットキャベツに卵を混ぜて豚肉を巻いたものである。特製ソースをかければお好み焼きに近い美味さがあり、特製の胡麻ドレッシングを付ければ別の美味さが楽しめる。
飲み物はルクリリだった。
架橋は「この紅茶、キャベ玉焼きとよく合うよ!」と、絶賛する。
五和は気分いいので、
「じゃあ、少し分けてあげる」
と、茶葉を小さな缶に移して、架橋に渡した。
架橋は「ありがとー」とハグし、お返しにポケットから手持ちの「きびあんころあげるねー」と、一袋渡した。
「ごちそうさまでした」みんな満足する。
三穂は五和と後片付けを始めるとともに、市治を促す。
「さあさあ、ご主人さまはお友達のために、郷土史家やってくださいな」
「私、偽物なんですけど……」
市治はため息ののち、苦笑い。
三穂はさらに推す。
「ここから半径四キロの歴史なら、誰より詳しいのでしょ」
市治は、引き受けるしかなかった。
「……私、野良あがりなので、汗を落としてからご案内しましょう。皆さま、すこしお待ちください」
市治がシャワーの間、創和は三穂に許可をもらってテレビをつけようとしたが、つかない。
よく見たら、「これ、モニターじゃん」と気付く。
モニターの下にはブルーレイプレイヤーとキーボードPCがある。ソフトはハリウッド映画の新譜が一本だけあった。主演は親日家で知られる、人気赤丸急上昇中の美人女優である。
育美はこの女優に憧れている。
「ドリーマ・モーテンバーンさん、綺麗だなぁ。スタイルよくて背が高いなぁ。金髪が光ってるなぁ」
貴賓溢れるアメリカンセレブを感じる。
創和は別の視点で好きだった。
「この人、高校のとき日本に留学したんだって。だから日本語上手いんだよ」
架橋は、これならついていけると喜ぶ。
「あ、この映画知ってる。年末、一番話題になったよね。夏にも新作が公開されるっていうし」
ここで三穂が、お菓子を持ってきてくれた。
架橋は質問する。
「そういえば、市治ちゃんのお父さんとお母さんって?」
三穂は答えた。
「ああ、ご父母様は行方知れずです」
「えっ! 山で遭難したとかですか?」
「いいえ。ご主人様が大学を卒業したのを見計らって農業を引退されました。で、夫婦で全国温泉をハシゴする旅と銘打って出かけられています。恐らくお盆には帰ってくると思います。ま、居場所ならこれが教えてくれますから」
とお菓子を指でさした。
"
創和がソフトをプレイヤーに挿入したとたん、市治が帰ってきた。
三人揃って「早っ!」と驚いた。
「汗を流しただけですから」市治は当たり前に言った。
髪を下ろした市治は、新鮮で綺麗に見えた。
架橋は言う。
「市治ちゃん、この映画好きなの?」
「見ろと言われましたので」市治はそれだけ答えた。
市治は出かける前に、仏壇に眠る祖父に手を合わせ、そこに置かれているフォルテッシモヴェルベールを一箱、手にする。
皿洗いを終えた三穂は、市治を茶化す。
「古い車や郷土史は構いませんが、嗜好品までお爺さまのご意志を継ぐ必要はないと思いますよ」
市治は無言、架橋は苦笑い。
出かける前に、三穂は市治を呼び止める。
「ご主人様は髪を結わなきゃ、さまになりませんよ」
といい、三つ編みにして満足する。
「はい、田舎娘の出来上がり〜」
市治は呆れる。
「世界中の三つ編みさんに叱られますよ」
三穂は市治にポンチョをかぶせ、火打ち石を打って見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます