舞岡市治
羽沢町。
小山はあるが、そこが硯松ではない。江戸時代に作られた富士塚だという。
桜咲く木の下、創和は迷った。
「あれ、この辺りなんだけどなあ……?」
「松っぽいの、ないね……」
「本当にここ?」
「地図のGPSがビンゴになってる」創和は架橋に見せた。
育美はまさかと思った。
「じつは乱開発で消されたとか?」
創和はため息混じりに、
「ああ、それ、横浜市政の得意技だからなぁ……」
と、信じたくもなる。
しかし架橋は信じない。
「別のところに移されたんじゃないですか?」
ネットの地図は常に更新される。だが、移動の可能性もないだろう。田舎道にただアスファルトを敷いただけの小道には見えるが、区画整備された道とは思えないからだ。
創和は、見つからないなら諦め、次を目指そうかと悩んだ。キャベツ畑を眺めながら考えるも、決められない。
だから、適当につぶやく。
「ウチの近くにも田舎の風景あるけど、ここはそれ以上だわ」
しかし、田舎自慢なら架橋だ。
「えー、お父さんの実家のほうが田舎ですよ。
「はいはい、負けましたー」創和は降参のポーズ。
とはいえ空気が美味い。
育美は妄想しやすいと感じる。
硯松はまだ見つからないが、伝承によれば太田道灌は、この辺りで勝利宣言に等しい叱咤激励を行なっているはずだ。
ーーーーーーーー
道灌は"いくさの天才"でもとくに"城攻めの天才"と称賛され、どんな堅城も数日ほどで落としてきた。なのに小机城は、亀甲山で初めて陣を構えてから今日まで、三か月もかかってしまっている。
正直、大苦戦だ。敵将矢野兵庫、恐るべし。
そのせいで味方の士気も、道灌評も落ちている。
道灌は考えた。ここで筆書し、書いた句を見せながら、全軍に向けて叱咤激励をした。
「小机は まず手習の はじめにて いろはにほへと ちりじりになる」
亀之甲山から小机城を攻める。北から南へ動くこととなる。まず鶴見川があり巨大な水堀となる。もし越えられても自然堤防と、深田や湿地といった足場の悪さが城の三方にあった。これを突破できてやっと城がそびえる丘の崖の下に立てる。これが小机城が難攻不落と呼ばれる秘訣だった。
しかし城の南は丘陵地と谷で、防御になる自然地形がない。人工物の防御も大したことはない。丘陵の尾根道を辿ればそのまま城に入れる。
そして今、我らは城の南から北へ、その尾根道を使って攻め込むのだ。
つまり道灌の軍勢は今、小机城の真後ろを取っている。障害物らしいものがないから、単純に進撃するだけで攻め落とせるぞ!
そんな意味が込められていた。
兵たちは笑い、昨日まで地獄のような苦戦をしていた緊張が、一気に解ける。
道灌は、硯をその場に捨てて、命令した。
「さあ行くぞ。我に続け!」
道灌を先頭に軍勢は動く。
道灌軍はこの日のうちに、小机城を電光石火の如く攻め落とした。昨日までの苦戦が嘘のように。
いくさの後、割れた硯から松が芽生えたという。
ーーーーーーーー
架橋は決めた。
「分からないのなら、人サマに聞きましょう」
と、辺りを見渡した。
脇道に麦わら帽子を背にタバコを吸い、座ってくつろいでいる。その背中を見つけた。
「おお、第一村人発見!」
架橋はその人に近寄り、声をかけた。
「あの、すみませーん。たずねたいことがあるのですけどー」
その人は立ち、振り向いて架橋と顔を合わせた。
それは、あの時の三つ編みのよく似合う小柄な女性だった。
静寂となる。
そよ風が吹き、ウグイスがさえずる。
架橋は「あーっ!」と驚いた。
女性はその大声に驚かされた。
久々に、しかも偶然に会ったのだが、喫煙少女を見て怒らないわけにはいかない。架橋はその口に加えた煙草を取り上げ、
「こらー! 未成年がいけないんだぞー!」
と、頬を膨らませた。
そこに白カブに乗った女性警官が巡回に現れた。架橋はグッドタイミングと、警官を呼び止めた。
「この子、叱ってくださいな!」
女性警官は笑った。
「まったく、いけないわね」
「はい」架橋は頷いた。
警官は首を振り、架橋を指して言う。
「いいや、貴方よ」
「え?」架橋は目が点になる。
警官は女の子を叱る。別の意味で。
「ほうら、またまたまたまた言われた。貴方の場合、確かに法的にも道徳的にも構わないけど、勘違い通報でちょっとした有名人になってるんだから、場所くらい選びましょうよ。というか、やめない?」
女は慣れてるのか、安心してるのか、
「歴代の嗜みですから、ムラの誰もが知ってることです」
と、助言を聞かない。
警官は架橋の肩を優しく叩き、
「ま、見かけだけで判断しないでね。お
と言って、何事もなかったかのように去った。
そよ風が吹く。
ウグイスが泣く。
架橋は誤解が解けて大喜びし、女性にハグしながら「あーん、ごめんなさい!」と詫び、両手で女性の手を握って上下に振りながら、創和と育美に教える。
「
創和と育美は振り向いて、注目した。
女性はタバコを携帯灰皿に閉まった。べつに悪気がない勘違いだから構わない。というか、よく言われる。
架橋は我に帰って、場所を訊ねる。
「あ、あの、お聞きしたいことがあるのですけど……、私たち小机城合戦の史跡巡りしてるんですけど……、硯松って何処ですか?」
女性はキョトンとするも、目の前にあるので、何も言わずに指でさして教えた。架橋はその方向を向くと、創和と育美も同じ場所を指さしていた。
創和も育美も、架橋が人探ししてる間に見つけたようだ。
架橋は女性の手を握ったままそこへ行く。
「あれ、松、幼いですね……」
石碑はあるが、雑草でほとんど見えなかった。
見つからなかったわけだ。
創和はタブレットで検索した写真には、松が写っている。
「なんで……」架橋はわからない。
女性が教えた。
「七年くらい前まで四代目があったのですが、老木になって枯れて、杖技もできずに朽ち果てましたので、一からやり直しです」
「おお……」架橋は悲しむ。
松の写真の記事をよく見たら、二〇一三年のものだった。
ともあれ、訪問は達成した。
架橋は創和と育美に女性を紹介したかったが、女性の名前が分からない。あの時聞いていれば良かったと後悔する。
女性は察知し、丁寧に一礼して名乗った。
「
三人も市治に自己紹介した。
ここで架橋と市治が、同い年だと判明する。
創和と育美は、市治の名前に覚えがある。
創和がイラスト本を取り出し、切り出した。
「あ、あの、もしかしてこの本を描いた人ですか?」
舞岡市治は一礼して、肯定した。
「お買い上げ、有難うございます」
育美はおっとりながらも興奮して、
「先生、サインくださ〜い」と、本を出して頼んだ。
「私も!」創和もお願いした。
市治はクールな表情のままでも、自著を持ってるだけでなく、歴史散策のために持ち歩いてくれていることが嬉しかった。
しかし今、ここにマジックペンがないので、
「ウチに来ませんか? よろしければお昼をご馳走します」
と、勧めた。
時間は正午に近づいている。
創和は「今から三人分プラスアルファって大変でしょ」と遠慮しようとしたが、市治は「余分ならあるはずです」という。
架橋は気軽に「ご馳走になりまーす!」と大喜びする。
創和も育美も苦笑いして、乗るしかなかった。
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