第2話:出会

仕事

 横浜暮らし一日目の朝、目を覚ます架橋。アパートのカーテンをあけて春の朝日を入れると、目の前に広がるは、きらびやかな港の光景……、ではなく、畑と森だった。





 親戚の会社、きのしたフーズは今年から大手コンビニの弁当製造を始めて、本社兼工場も北新横浜の鶴見川沿いに移転し、二十四時間フル活動するため、大型化した。これまでの小さな古い工場は閉鎖、取り壊され、宅地化されるという。

 架橋は入社式を終え、五日間の研修も終わり、配属された場所は第一販売部。架橋と部長の二人しかいない。

 とはいえ閑職ではない。ここの仕事を端的に言えば、オリジナル弁当の路上販売である。つまり、会社設立時からの原点である手弁当の路上販売を、この部署が全て担っていた。

 更に言うなら、きのしたフーズはコンビニ部門に社員もパートも大量投入しすぎたため、この会社の原点放棄の危機があった。親戚の社長は、会社設立以来思い入れの強い手弁当の路上販売を存続させるため、架橋を誘って入社させたのだ。人懐っこい架橋なら適役だろうと。

 故に架橋は大学時代、就職活動をしていない。

 コンビニ業界は弁当製造を含め、現場は土日休めないものだが、この部署は購買地がビジネス街という特性で、祭日も含めてしっかり休める。ただし出勤時間は、朝六時と早かった。しかしそのぶん、終業時間も早い。ちなみにコンビニで昼間に陳列される弁当は、深夜に製造される。その数、おむすび関係も含めて平日なら七万食は軽く超える。

 きのしたフーズの路上販売は、初心の新横浜駅ビジネス街のほかにも横浜駅のビジネス街でも行っている。部長は横浜駅を担当し、架橋が新横浜駅で売り子をやる。どちらも一人だ。


 架橋の路上販売デビューは、四月七日の金曜日である。

 架橋は社用車のキャラバンに早朝から作られた弁当百食を詰め、十一時二十分にはアリーナ通りとレンガ通りの交差点の近くに車を停めて店を作る。

 無論、神奈川県警 港北こうほく警察署の許可証はある。






 架橋はまず、折りたたみテーブルを設置する。

 客は構築中から現れた。中年のビジネスマンだ。

「唐揚げ弁当ひとつ」「はい、五百五十円です。ありがとうございます♪」

 まだパラソルも幟旗も弁当も設置してない。

 なのに店が完成するまでに数人、買ってくれた。

 開店前からこの調子だ。架橋は驚くも、嬉しかった。

 ここにある弁当は五種類と種類は限られてるものの、すべて五百五十に設定している。

 路上店舗は他にもある。しかも、かなりあった。

「へえ、ウチだけじゃないんだ……」

 どこにも客が集まっていた。購入者の多くが男女ビジネスマンだったが、ここ数年の間に地元住民も目立ってきた。ここはマンションも多い。

 路上販売の賑わい、これが地元以外誰も知らない新横浜平日昼の日常である。

 架橋は関心した。

「多いねー。こりゃ客取り合戦だわ。ウチは大丈夫なのかねー?」

 不安が芽生えた。

 しかし、正午が近づくにつれ、そんな心配などせずとも客が増える。正午前には何処の路上店舗でも、人だかりや行列ができていた。

 架橋の右から左から正面から一気に注文を受け、汗水たらして応対する。

ーーひえ〜。忙しすぎる〜!

 まるで戦場だ。外食業界の昼ピークをそう例えることはよくあることだ。架橋も知識で知ってる。実家の喫茶店と金沢の有名なカレー店、接客のアルバイトは二度やったことあるが、ここまで多忙ではなかった。しかしここは三百五十万大都市横浜のなかの副都心、新横浜。JR東と東海、一日の駅利用者だけでも約十六万で、その上、先月、東急線と相鉄線がタッグを組んで地下新駅を誕生させたから、利用者数は更に万単位で伸びるはずである。それに比べて石川県ナンバーツーの津幡駅やナンバーワンの金沢駅を合わせても三万七千人だ。そんな繁栄の中でもどこかにのどかな雰囲気がある風景など、ここにはない。ちなみに横浜駅はJR単体だけでも三十万人を超える。全国で五指に入るほどの数字だ。

 ビジネスマンの休憩は短いぶんだけ急かされる。接客は客の方が悩まない限り、基本一人十秒以内でやりとりする。架橋は目が回りそうになった。しかし弁当の種類は少なく価格も統一してるから、難しい計算や応対はしなくてもよかった。だから客の回転率は、路上デビューの架橋なりに早くこなせた。

 用意した百食は二十分後、ピークが過ぎたころには弁当の数が一桁となっていた。

 零時半を過ぎれば、ほとんど売れなくなるという。

「わ、気がついたら初日で完売一歩手前。やったね!」

 架橋は疲れたけど、嬉しかった。





 

 怒涛の接客で客の顔が見えなかったが、落ち着いたらよく見える。

 すぐ近くのビルから、おっとりお姉さん風の客が買いにきた。少し悩んだ末、問われた。

「あのすみません」

「はい?」

「このなかで一番強そうなお弁当はどれでしょうか?」

「えっ?」

「例えば、熊谷くまがい次郎じろう直実なおざねのような」

「そ、そうですね……」

 架橋は選んだ。熊谷次郎直実なんて聞いたことがない名前だが、強そうという言葉から、この中で最も栄養が高そうな弁当を手にした。

「麻婆豆腐弁当など、いかがでしょうか?」

「それにします」

 おっとりお姉さんは、素直にこの弁当を購入してくれた。

 彼女が後ろを振り向くや、別の客とぶつかる。

 こちらは、しっかりもの風のお姉さんっぽい。肩で息をしてるので、走ってきたのだろう。

 架橋は二人を心配した。

「お客さま、大丈夫ですか?」

 おっとりお姉さんは、恥かしげに言った。

「だ、大丈夫です」口調もほんわかしてる。

 しっかりお姉さんは、頭を下げて謝った。

「私も大丈夫です。ごめんなさい」

「いえ、私こそ……」

 おっとりお姉さんは、弁当が崩れてないことを確認し、痛みも大したことないのでホッとしている。

 しっかり風のお姉さんが、架橋に問う。

「あ、そうだ。いつもの和風ハンバーグ残ってます?」

 架橋は「はい」と応じた。これは最後の一つだ。

 いつものと言われても分からないけど、品名を言ってくれたのは嬉しかった。というかこのしっかり風のお姉さん、担当が架橋に変わったことに気づいているのかな? 髪の色に特徴あるはずだけど。

 しっかり風のお姉さんが買い終わり、去ろうとすると、おっとりお姉さんがまだいた。

 両手に同じ本を持っている。

「あ、あの、どちらが貴女の本でょうか?」

「あ」しっかり風のお姉さんは、落としたことに気づいた。

 架橋は覗いてみた。

『横浜の歴史風景』とタイトルされたA4版の画集のようである。表紙絵はなにかの合戦のようで、緻密で綺麗だったが、著者名は文字が小さくて、見えなかった。

 おっとりお姉さんは困った。

「どちらかが私のなのですが……?」

 しっかり風お姉さんがピンときた。

「趣味が合いそうですね」

「え、ああ、そうかも」

「もしよろしければ、一緒に食事しませんか?」

 同じ本を持ってるなら、気が合うと解釈したのだろう。どちらが誰の本かは二の次だと判断したようだ。

 おっとりお姉さんも同じ感触をもち、喜んで「はい」と応じた。

 二人は近くの公園を目指して去った。


 架橋は関心した。

「素敵だね。あんな出会い方もあるんねー」

 目で見送ろうとしたが、次の客がくる。

 零時三十五分、完売した。

「やったー。初陣、大勝利!」

 架橋は両手を上げて喜んだ。

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