歴史に歓迎される女

 架橋は目を覚ました。

 爽やかな風と、桜からの木漏れ日、嘘みたいに穏やかである。

 架橋はギャップに戸惑い、首を左右に振った。

 架橋は、隣りのベンチの女性と目があった。

 お互い、数秒ほど固まる。

 架橋はにっこりと柔らかく会釈した。

「おはようございみす」と、加賀弁まるだしで明るく言った。

 女性の方は少し警戒があるのか、

「お、おはようございます」と、小声で、会釈もぎこちなかった。

 架橋は、女性の絵が不意に見えてしまうと、驚いて顔を近づけて言った。

「あーっ、これ、私が夢で見たのと同じぃ!」

 と、スケッチブックを取って、凝視した。

 夢と不思議なくらい重なる風景が、このなかにある。架橋はウズウズするも、どうしても話したい。

「ねえねえちょっと聞いてくださいな……」

 と、架橋は夢のことを事細かに言った。


 女性は真剣に聞いてくれた。長話なのに背筋を伸ばし、目を合わせ、頷きも相槌もしてくれた。

 

「……ということなのよ!」架橋の長話しが終わった。

 女性はキョトンとした。

ーーワッフルは?

 何処へ行ったのか疑問だったが、まあいいや。

 女性は携帯ポットを出していた。紙コップに紅茶を入れ、「どうぞ」と、架橋に差し出した。

「ありがとねー」

 架橋は受け取り、一口つける。

「おいし〜い♪」架橋は幸せいっぱいになり、一気に飲み干した。

「もう一杯いかがですか?」女性は丁寧に誘う。

「本当? ありがとーねー」架橋は遠慮しない。

 受け取るとまた一気飲みし、ホッとし、微笑む。

 架橋はようやく、いつも飲む味と違うことを察知する。

「ダージリンっぽいけど味が深いわ。でも、飲み心地がとてもステキ。不思議ね」

「ルクリリです」女性はブランド名を教えた。

「ルクリリ?」架橋は首をかしげる。

「ケニアのお紅茶です」

「うーん、銘柄もお国も知らないわ」

「日本で殆ど知られていないのは確かですので……」

 架橋はそれでも、興味を示した。

「きびあんころに合いそうだよねー」

「?」女性は反応できない。

 架橋の故郷、石川県いしかわけん河北郡かほくぐん津幡町つばたまち銘菓のあんころもちである。

 架橋は構わず問う。

「ねえねえ、それ、何処で売ってるの?」

「さあ? これは、ご近所に引越ししてきたケニアさんからの、いただき物です」

「おお、売ってなくとも人はいる。さすが国際都市横浜。私の田舎はケニアのカケラもないもんねー」

 架橋は笑った。これからはこの大都市に住むのだから、ワクワクもした。


 女性は、架橋が見た夢を予想できた。

 だから丁寧に教えてくれた。

「今から五百十三年前の七月、ここで大きないくさがありました」

「七月?」架橋は違和感を覚えた。

「はい。なので桜は咲いていません」

「ホントは夏だったのね……」

「旧暦なので秋口です」

「あ、なるほど。いくさは怖かったけど、熱風に飛ばされる桜花びらだけは絵になったのに残念」

「その合戦は権現山城ごんげんやまじょうの戦いと呼ばれてます。私はスケッチはその想像画ですけど、貴女様が見た夢もきっと、それでしょう」

「そっか。今は二〇二三年だから……」

 架橋は指を折り、難しい顔をして苦手な計算をする。

 女性は即答した。

「一五一〇年です」

「わ、すごいねー。引き算得意?」

「というより、この年号を覚えていれば容量で分かります」

 架橋は笑った。

「ジモティの常識あるあるね。何時代?」

「戦国時代の初期です」

「大河ドラマ主人公の時代ね!」

徳川とくがわ家康いえやすはその時、マイナス三十三歳です」

 架橋は目が点になるも、笑う。

「あはははは。マイナスかぁ。そんな表現、はじめて聞いたねー」

「い、いや、べつに……」女性は小声になり、思う。

ーーこの人、箸が転げてだけでも笑いそう……。

 嫌いじゃないけど、お喋り好きと付き合うと、今やりたい作業ができず、困る。でも、決して顔に出さない。相手が喜んでいるのだから、いつもの落ち着いた表情を保ち続けた。

 架橋は初見の彼女とはいえど、気軽に話せるだけで気分がよい。

 ただ、架橋には疑問もある。学校の生徒のように手を挙げて問うた。

「あ、そうだ。質問っ。ここの殿様って誰?」

上田うえだ政盛まさもりです」女性は答えた。

 架橋は、今度は嘆いた。

「その上田モリモリって人、私ら置いて逃げたんだよー。ずるいよね。もう、本当に怖かったんだからね……」

「マサモリですけど……」女性は淡々と突っ込む。

 架橋はまた笑う。突っ込まれたのがまた嬉しい。

「そうそうそれそれ。で、この戦いでその人、どうなったの? こういう人って、映画だったら死亡フラグだよねー」

「このいくさで行方不明になったらしいのですが、最近の説では生き残ったと言われてます」

「へえ。じゃあ、小田原の援軍って誰?」

伊勢いせ宗瑞そうずいです」

「ぞうすい?」

 女性の目が座る。今度は突っ込まない。

北条ほうじょう早雲そううんのことです」

か、お腹いっぱい食べられろうだねー」

 架橋は思い浮かべてほんわかし、ほっぺが落ちないように手を頬に当てる。

 女性は、なんでも食べ物に脳内変換する架橋を見てると、自分よりも幼っぽく思える。思わず口を手で隠して笑った。

 架橋は色々教えてもらったので、女性を褒めた。

「いやあ、お嬢さん詳しいねー。さすが第一村人ねー!」

 女性は、今度は白けた。

ーー私、市民なんですけど……。

 と。でも、素直に褒められた以上、

「ありがとうございみ……、ます!」

 と、軽く頭を下げて感謝した。

 そよ風が、髪で隠す左目をあらわにさせる。


 ここで架橋のスマホが鳴った。

 電話である。架橋は画面を確かめると、親戚の俊子おばさんだったので取った。

「もしもーし」「朝、着きました」「はーい、今から向かいまーす」

 電話を切る。

 時間は十一時半を過ぎていた。

 架橋は立ち上がる。

「ありがとね。もう行かなきゃ」

 と言い、走って去った。


 女性は、待ち受け画面の質問を言いそびれた。

 八時ごろに来たのに、長かった……。

 ともかくこれで、やっと続きを描き始められる。

 でも、やっぱり不思議だ。

ーーあの方は五百年前、このお城で戦った皆様に歓迎されたのでしょうか? 私は見たことないのに……。

 そんなもの、誰だって見たことはない。

 女性は、彼女がとても羨ましくなった。

 早く続きを始めよう。

 と、スタイラスペンを握るや、お腹が鳴る。




 


 横浜線乗車中の架橋は、スマホで権現山城合戦をググって調べた。




 


 新横浜駅。架橋はスーツケースとともに、横浜線の北口改札前のコンコースに立つ。

 この駅で、親戚の俊子としこおばさんと待ち合わせと聞いた。

 新幹線が停車する駅とあって、とても立派な駅ビルだ。向こう側には大きなビルも無数にある。駅前広場も大きい。乗降客も多く、架橋は目を見張るばかりだ。昨日までの架橋にとって都会と頼った金沢駅と城下町が、閑散して見える。

ーーううう、歴史とカレーならゼッタイに負けないんだけどねー……。

 比較すること自体、意味などないけど、他所に行けば、どんな形であれ郷土愛が湧くものだ。

 しかしここは新横浜。横浜アリーナ、日産にっさんスタジアム、ラーメン博物館、大人気吸血鬼アニメの聖地、十八日に開業したばかりの地下新駅は石川県でも大ニュースとして取り上げられた。ここは全国でもお馴染みのスポットが多い。

 架橋はそう思うと、

ーー新横浜ここの観光名所、全部制覇するからね!

 と、郷土愛は速攻で消え、ウキウキした。

 電話がかかる。俊子だ。

「もしもーし」

「今、どこにいるの?」

「新横浜駅つきましたよ」

「まさか、北口にいない?」

「いますよー」

「そっちじゃない」

「えっ?」

「まあいいわ。今から行くから待ってて」


 新横浜駅 篠原しのはら口。

 見渡すと、北口とは嘘のような田舎の風景。アパート、住宅、店らしい店はコンビニ一軒だけ。田畑が点在し、左右の丘には森が見えた。なだらかな谷地形である。津幡駅より田舎の風景かもしれない。

 俊子おばさんに連れて行かれた架橋は、おばさんをじーっと見ていた。

「な、なに?」俊子が怪しむと。

「なんでもありません」夢のことは語らなかった。

 後ろを向けば、間近に巨大な駅ビルが見える。

 架橋は表情をひきつらせる。

「な、なにこの格差?」

 大都会感モロだしな北口と見た目が長閑な田舎の篠原口。どちらも同じ新横浜駅である。

 俊子は、笑いと呆れを半分にして言った。

「かけちゃんが小学生の頃、ここに来たでしょ」

「あ、そっか。あんまし変わってないね」

「裏口は激変したけどね」

「裏はこっちじゃないですか?」

「いやいや、新幹線通る前から人が住んでたのはこっち側だから、こっちが表だよ」

「えー、なんか屁理屈」

「いいや、北東の丘に森があるでしょ。その向こうにある谷を"表谷戸おもてや"って言うから、忖度なしにこっちが表よ」

「あはははは……。それで、私のアパートは?」

「正面右にある緑地の裏よ。近いでしょ」

「森の中ですか?」

「いやいや、どこにでもある普通の住宅地よ。社宅があれば楽なんだけど、本社と工場の移転と事業拡大でゴタゴタしてたから、そっちはもう少し先になるかな」

「いやいや別に構いませんよ。家賃と水光熱は会社が負担してくれるんですよねー」

「会社名義だからといって無駄遣いしなさんなよ」

「大丈夫大丈夫!」

「ま、社員寮が作れるか否かは、かけちゃんの頑張りにかかってるから頼んだよ。未来の社長!」

「社長なんて無理ねー。他にお偉いさんいるでしょ」架橋は笑う。

 俊子は架橋にアパートの鍵を渡し、道案内する。

 架橋はふと気づいた。

「篠原町か。お母さんの実家も篠原町なんですよね」

「ああ、加賀かが市の片山津かたやまつ温泉だっけ?」

「……の、隅っこです」

俊比古としひこんちの住所が横浜で、遥架はるかさんのご実家が篠原か。やっぱり面白いね。かけちゃんが」

「え、わたし?」

「あはははは。ま、アパート着いたら教えてあげな」

「はい!」

「あ、そうだ。お役所書類は今日明日中に納めときな」

「横浜市役所ねー」

「いや、港北こうほく区役所」

「おお、さすがは大都市ねー」

 架橋は舌を出し、照れ笑いを見せた。


 新横浜は内地だ。誰もがイメージするミナト地区は、ここから遠い。

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