権現山城の戦いに巻き込まれて
幸ヶ谷公園の前で、金色のレパードF31後期型アルティマが停車する。スケッチブックを手に出てくる若い女性が出てきた。背は小さくて三つ編みしていても、立派な大人。前髪で片目を隠すクール系な美人。まとうポンチョが品格と知性を感じさせる。
女性は幸ヶ谷公園に入り、いつもスケッチするベンチまで行くと、横になって気持ちよく居眠りする架橋を見つけた。
あまりにも気持ちよさそうな寝顔だった。
「…………」
女性は呆れる。
スマホも地面に落としてるうえ、架橋は寝言を放つ。
「わっふる……」
女性は、この人はワッフルを美味しそうに食べてる夢を見てるのかと思い、余計に呆れた。
ーーなんとも無防備。見知らぬ人が盗みでも働いたら大変でしょう。
起こそうかと思った。暖かいとはいえ、風邪を引いたら大変だ。しかし、幸せそうな寝顔があまりにも可愛い。ずっと見ていたくなり、やめた。
ーー私がそばにいるしかないですね。
と、女性は架橋のスマホを拾う。
画面が光り、待ち受けが現れたると、思わず注目した。
それは全身被り物である。蛸の顔をした鎧武者。
滑稽にしか見えないが、女は別の所を注目する。
「
関心と疑問に複雑な思いをしながら、架橋のスマホを、架橋が寝るベンチに置いた。
女性は何食わぬ顔で、隣のベンチに座り、趣味のスケッチをはじめた。
先日描いた絵の加筆修正である。
ーーーーーーーー
架橋が目を覚ますと、桜は満開していた。とても綺麗だったが、全く違う風景が眼前にとびこむ。
土塁と柵に囲まれた広場に、粗末な小屋がいくつもある。公園の風景ではない。ここには広いエリアが二ヶ所あり、その間には深い空堀でさえぎられている。堀には木橋が一本だけ掛かっていた。
そこには知らない人が二、三百人ほどいる。男が大半で、皆、粗末な甲冑をまとっている。殆どが足軽っぽい。槍や弓を持ってる者も多い。女は鎧はまとわず小袖で、髪型も長髪を後ろに束ねている。
皆、激しい緊迫感でいた。
架橋もよく見たら小袖姿だったので、驚き、戸惑った。
そんな架橋の前に、年配の女がやって来た。
「あんた、何をぼーっとしてるの? 暇ならこっち手伝って!」
「あ、親戚のおばちゃんだ」架橋思わず言った。
だが、気難しい顔をされた。
「誰が親戚だって? あんたみたいな人、知らないよ。私は神奈川郷
とはいえ、架橋が慕う横浜の親戚夫婦の名前は勘太郎と俊子だ。たとえそっくりさんでも、知らないと言われると寂しい。
お俊は架橋をジロジロ眺めながら、怪しむ。
「てか、あなた、面白い髪してるね。色もついてるし……」
「姫カットのボブですけど」
「姫さまは僕? なに妙なこと言ってるの? まあいいや。とにかく城の中にいるなら、あなた、この辺の娘さんだよね。さ、さ、急いで」
架橋はその女に手を引っ張られた。
なにがなんだか分からないけど、よく見ると男たちの多くが三角の黒い陣笠を被り、柵の外を睨んでる。まるで大河ドラマか映画でよく見る籠城戦っぽい気がする。
ーーきっとおむすびでも作らされるのかな?
架橋は、料理は得意だと自覚してる。実家が個人経営の喫茶店で、よく手伝わされた。だから、調理ならやってもいいと思った。
女が連れてきたのは北側の見張り台だった。
「そこ登って、敵の動きをみんなに伝えて!」
「えっ?」架橋は予想外だった。
女は雑に解説する。
「とにかく兵が足りないのよ。女ならさ、いくさの騒がしさでも声が通るでしょ!」
「え、えー!」
女は架橋の尻を下から上へ叩く。架橋はその勢いで登る。というより、登らされる。
見張り台からは、全方位がよく見える。
東は青々とした江戸湾、南は
西の寺はさっき見た
「あれ、この城、さっきよりも標高が少し高い」
架橋は感じた。砦と目線が合うのだ。さっきは少し見上げる感じだったのに。
そして、一番の問題が北側にある。
小川の向こう側には、見たこともない数の大軍勢がいる。
架橋はビビり、思わず尻餅をついた。
籠城の連中とは比較にならないほどいた。正面敵大軍勢の真後ろと、本覚寺の丘の、さらに向こう側の丘には、どこよりも大きな旗が集中している。これが敵の本陣だ。前者は笠のぎ稲荷神社を陣する
敵の軍勢は、こちらに向かって狂犬のような眼差しで睨む。架橋の顔は、ひきつる。
「ど、ど、どんだけいるのよ、これ? 十万人? みんな私のファンじゃないよね……」
架橋は、冗談は言えたが、怯えた。背筋が凍り、泣きそうにさえなる。
敵陣から太鼓と法螺貝と騒ぎ声が聞こえた。敵の攻撃が始まる。
架橋は大声で「攻めてきた攻めてきた!」と、下のみんなに伝えた。
敵は滝の川を越え、この城の出城代わりになってる
架橋は驚き、感心する。
「すごい、敵をちゃんと食い止めてます!」
と下に知らせる。
下の女は教えた。
「右(宗興寺)は
「へえ」
「間宮様は
「身内ですか?」
「そうよ。ここの湊の代官は自分だって、どっちもきかないんだ」
「わ、怖いねー」
「乱世はそういうもんだ。仕方がないよ」
架橋は肩をすくめ、数が圧倒的に少ない味方を応援した。
それでも敵は兵を余らせている。だから、浄龍寺と宗興寺の両寺院の合間を縫うように、別の隊がこの城の直接攻撃を始めた。
味方は弓を下に放ち、長槍で敵を振り落とす。
気がついたら敵は南以外の三方から攻めていた。
それでも味方は善戦し、敵を寄せ付けない。
しかし架橋は、動揺が隠せない。
「ど、とうなってるのよ。逃げられんよねー、これ」
下からさっきの女の注意声。
「それでもやるんだよ!」
架橋は言い返す。
「だって、十万もいるんですよ」
「そんなにいないよ。せいぜい二万ってとこ」
「どうやって勝つのですかー?」
「
「いつ来るのですか?」
「数日のちには必ず来るから信じな! もし来るなら三ツ
小田原って誰? 三ツ沢ってどっち?
信じろって、なんか絶望。
全身が震えた。
架橋は目を覆いたくなるが、西の変化に気づいた。
「あーっ、なんか本覚寺の砦から煙が出てます!」
と、指でさして教えた。
下の女が確認すると、仰天した。
「これはまずい。敵の奇襲を受けたんだ。ここは丘と谷戸ばっかりだから死角が多いんだよな。とにかくあそこが敵に食われたらおしまいだ。殿様に教えなきゃ」
と、女は走っていった。
架橋は思う。
ーー殿様って、誰?
それさえもわからない架橋だった。
これで死んだら最悪だ。冷や汗が止まらない。
本覚寺の砦は瞬く間に落とされた。敵の勝鬨がこちらに向けられて発されている。
「エイエイオー!」
野太い声色が、とても恐ろしい。
本覚寺砦の味方が、袖ケ浦から西へ逃げた。そこは崖地なので、西の
これまで頑張っていた宗興寺と浄龍寺の出城も、つられるように落とされた。
女が慌てて戻ってくる。泣いていた。
「殿様が消えた。逃げちまったんだー」
「えーっ!」
善戦する兵たちにも知れ渡り、戦意が一気に喪失する。
敵が城内になだれ込み、乱戦となる。味方はバタバタと倒れ、放火もはじまり、桜が火の粉とともに舞い散っていた。
それは血生臭く、煙臭い。
「ど、ど、どうしよう。もう、逃げられないよ……」
架橋はしゃがみ込んで、ベソをかく。
物見台に火矢が当たり、燃える。下では敵兵が、架橋の物見台の脚を倒そうと揺らしていた。
架橋は恐怖して騒ぐ。
「やだやだやたよー!」
物見台は横転するように崩れ、架橋は……。
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