第7話 公爵家令嬢 グレネ・コンラディン【裏】 (1)
「お帰りなさいませ、お嬢様」
マンションの玄関で執事のバスバがグレネを出迎えた。東噴水広場近くにある高級マンション。その一番上の階すべてがグレネの住まいだ。
「しばらく部屋で休みます。兄さんには『中止』と伝えておいて」
グレネはバスバに指示を与えて自室に入った。ドアを閉めるとそのままベッドにうつぶせに倒れ込み、枕に顔をうずめてうーうーと身悶えした。
疲れた。でも楽しかった。嬉しかった。朝、教室に入るときは心臓が飛びすんじゃないかと思った。彼を見つけたとき、気がついたらもう体が飛び出していた。頭突きの痛みなんてどうということない。
学校からの帰り道を一緒に歩いた。コロッケも一緒に食べた。夕焼けの中を並んで歩けるなんてまるで夢のようだった。ライルと別れたとき「また明日」と笑顔で手を振ったつもりだが、ちゃんと笑えていたか自信がない。
本当は今日、ライルをここに誘うつもりだった。計画通り、速攻で決めてしまうはずだった。しかし彼のすべてを知っているという前提が崩れてしまった。グレネたちはライルのことを何も知らなかったのだ。
ライルは魔を知っている。不用意に事を行えばチャンスを台無しにしてしまうかもしれない。それは許されない。ここはじっくりとライルについて調べをやり直さなければならない。
「そういえば、返事、聞いてないな……」
グレネはベッドの天蓋をぼーっとみてつぶやいた。グレネははっきり愛を与えて欲しいと告白した。これは計画の一部だが、グレネの本心でもある。
「明日どうしよう……」
「部屋に連れ込んで押し倒せばいいじゃない」
不意に声がした。バスバではない。第一、部屋のドアは開かれていない。
しかしグレネは慌てることもなく、寝転がったまま声の主をじろっと見た。声の主は机の上にいた。
どこから入ってきたのか、それは一匹の黒猫だった。
毛並みは艶やかな光沢をたたえ、体は美しい曲線を描いている、とても美しい猫だった。なにより瞳が美しい。
真っ黒な猫の顔の中で右目は金色に、そして左目はルビーのような赤が輝いていた。
ただ美しいだけではなく魔的な魅力を持つ猫だ。
グレネはなにも言わず黒猫を睨む。金とルビーの瞳でグレネを見ていた黒猫が喋う。
「あなたほどの女なら、あんな男すぐに虜にできるでしょう?」
黒猫はグレネを挑発していた。普段は気にもしない安い挑発だが、いまやられるとさすがにイラつく。
「何しに来たの?」
「慰めに来たのよ」
「必要ないわ」
「あんなに顔を青くしてたのに?」
「見てたの?」
「もちろん」
黒猫は金とルビーの目を細めて言った。グレネのイライラが増す。
「さっき、露店の近くを歩いていたわね」
「あら、知ってたの?」
「彼が見つけたわ」
「ああ。あんたはなんか言ったの?」
「イヤな感じって言ったわ」
黒猫は、今度は驚いたというふうに金とルビーの目を真ん丸にした。そして、やれやれと言わんばかりに首を振った。
「言っちゃったんだ」
「ええ、言ってやったわ」
「それは、困ったわね」
「本当のことだもの」
「そういう意味じゃないんだけど」
黒猫はため息をついた。それがグレネを更にイラつかせる。
黒猫が机の上で体をぎゅっと縮めた。と、次にはトンっと体を伸ばして跳躍し、一飛びでグレネが寝転がっているベッドに着地した。
黒猫はグレネの大きく隆起する胸の上に乗って、彼女の顔をのぞき込む。
「どうして、さっさとやっちゃわなかったの?」
「見ていたのだから、分るでしょう?」
「わからないわよ。この体で迫ったら簡単だったんじゃない?」
黒猫は足でグレネの胸を揉むようにしながら、続けて言った。
「あなたは美しい。
すれ違う男は皆あなたに目を奪われる。
あなたの体はいやらしい。
触れた男は、皆こころを奪われる。
そして、あなたもそのことをわかっている」
グレネは黒猫に乱暴に腕を振り上げた。黒猫はグレネの腕をかわしベッドの下に飛び退き、更に言う。
「あなたが甘く囁き、瞳を潤ませて彼に胸を押し当てたら、あなたの柔らかさと匂いは簡単に彼の理性を屈服させたはずだわ」
「そんなはしたない事、できるわけないでしょう」
グレネがベッドから上半身を起こして黒猫を睨め付けた。
黒猫は愉快そうに顔をゆがめて嗤った。
まるで人が猿を嗤うように、悪魔が人間を嗤うように。
「何を言っているのかしら、この女は。体で男を誘うよりも、もっと下衆なことをしようとしているのに」
黒猫は金とルビーの目を細めた。グレネは黒猫から顔をそらすが、黒猫は追い討ちをかけてくる。
「願いの為に好いた男を喰らおうという女が、一体何をはしたないなんて言うのかしらね」
「黙りなさい!!」
グレネは黒猫に枕を投げつけた。
黒猫は飛んでくる枕を難なく躱し、ひらりと机の上に飛び乗った。
グレネは机の前に立ち窓を指さした。
「消えて」
「言われなくても」
黒猫はニイっと笑うと、机から窓辺に飛び移りグレネの方を振り向いて言った。
「そうそう。制服のスカート、もう少し短くしたほうが可愛いわよ」
「うるさい!!」
グレネがまた枕を投げつけようとしたときには、もう黒猫は消えていた。
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