第5話 自称占い師 ライル・ロー(1)
地面にへたり込んでいたライルは、やがてノロノロと立ち上がり、ヨロヨロと歩きはじめた。
疲れた。
度の過ぎた美少女を出会ったその日に頭突きでノックアウトしたら、いきなり告白された。と思ったら、実はとんでもない遠距離ストーカーだった。
今日はとても疲れた。帰り道はできるだけ楽に帰りたい。
グレネを東噴水広場広場まで送っていくのに、何か楽な方法はないだろうか。
ライルはさっき食べた魚のコロッケのスパイスがいつもと違うことを思いだした。いつもよりガーリックが少なかったのだ。あの頑固なコロッケ屋が簡単に味を変えるなんて、そうない。
最近コロッケの味を左右するようなことがあったはずだ。ライルは今朝の新聞の内容を思い返していた。
妃候補選定、アイドルの休養、記念行事、観光客の失踪、痴漢…………。
もしかすると……。
ライルは立ち止まって空を見上げた。グレネもつられて空を見る。
狭い広場から見上げる空は青く雲一つなかった。何もなかった。グレネが首をかしげてライルを見ると、ライルもグレネを見ていた。
「こっちに行こう」
ライルはそう言うと路地をどんどん進んでいった。グレネも慌ててついていく。少しすると広い道に出た。人通りも多く車も結構走っている。
ライルは鞄から紙切れをとりだして紫のインクで何か書き込み、道の角、ライルの頭よりも少し高いところに貼った。
「何をしたんですか?」
「おまじない」
「?」
要領を得ない答えにグレネは首をかしげる。
ライルは気にせず周囲を見ながら、またあるき始めた。
しばらく二人とも、街の様子を眺めながら歩いていた。グレネは目に留まるものすべてが珍しく、しきりにきょろきょろしている。ライルがグレネを見ないままで聞いた。
「どうして、ストーキングのことを話したんだ?」
「おかしいですか?」
「グレネのような美少女なら、何もしなくても男の方が勝手に落ちるだろ」
「やだ、美少女だなんて」
「………。ストーキングしてました、なんて自分から言ったらどんな男でも引くぞ」
「ストーキングじゃありません。愛です」
「そのドヤ顔はもういいから」
「失敗だったかしら……」
グレネは手を顎にやって呟いた。
「どうなれば、成功だったんだ?」
「このあと、私の家で、ライルさんとの家族計画……、もとい、将来について一夜を供にできれば大成功です」
「肉食系か」
「というわけで、これからいかがでしょうか?」
「しかも短期決戦型っ」
ライルが少し離れると、グレネは不満そうに口をとがらせた。
「だって、やっと、やっとお会いできたんですよ。あたりまえじゃないですか」
「一度も会ったことがないだろ」
「大丈夫です。十年間、毎日、レポートには目を通していましたから」
「まったく大丈夫じゃないからな、それ」
ライルはがっくりと肩を落し、その横でグレネはニコニコしている。ストーカーというのはやっかいだ。
「それに私、隠し事なんてしなくても、ライルさんから愛してもらう自信があります。ライルさんも、私に隠し事できるなんて思わないでくださいね」
「隠し事ねぇ」
この美少女ストーカーは本気なのだろう。
ふと、ライルは後ろから近づいてくる音に気がついて後ろを振り向いた。
「あ、来た来た」
二人が歩いてきたほうから一台の車が走ってきた。運転席に男、助手席に女、荷台に男が一人の、計3人が乗っている。
「おーい!」
ライルが車に向かって大きく手を振った。車は二人の前で止まり、運転席の窓から男が顔を出した。
「よう、ライル。やっと解放されたのか」
運転席に乗っていたのは、ライルの悪友のジーガだった。ジーガはグレネを見て、ニカっと笑った。
「コンラディン様、もう大丈夫ですか?」
「ありがとう。もう大丈夫です。あと、グレネでいいですよ」
「じゃあ、俺のこともジーガで」
二人が挨拶を交わしていると、ライルが荷台に飛び乗った。
「ジーガ、途中まで乗せていってくれ。東噴水広場の近くまでよろしく」
「おいおい、俺たちが、どこに行くかわかってるのか?」
「アベさんのところだろ。ほら、グレネ」
ライルが荷台から手を差し出すと、グレネはライルの手を取り、トンと一飛びで荷台に飛び乗った。ジーガはそのグレネの身軽さと下半身の躍動感に目を見張った。
「いい尻だ……」
「は?」
「いや、グレネの尻がな……」
「ああ、わかったから。ほら、行った行った」
呆れ顔のライルに言われて、ジーガは目をグレネの尻から前に移してアクセルを踏んだ。車が走りだしてすぐ、荷台にいた男が声をかけてきた。
「ライル君、どうして俺たちがアベさんの所に向かっているとわかった?」
男の名前はソル・コドム。年齢は二十代半ば。黒の天然パーマに黒の瞳、浅黒い肌に白いシャツと、黒のハーフパンツを合わせた格好で、右手には赤いベアナックルを仕込んでいる。
ライルは笑ってソルの質問に答えた。
「さっき広場で魚のコロッケにニンニクが効いてなかったから」
「?」
ソルは首を90度にかしげる。
「広場のコロッケ屋のおじさんが味を変えるなんて、そうないでしょ」
「あのおじさん、頑固だからね」
「やむにやまれない理由があったのでしょう。例えばニンニクが手に入らなったとか。しかし卸市場に変わった動きはありませんでした。
ということはニンニクを買い占めた誰かがいた」
「その誰かがアベさんだってなんでわかるの?」
「アベさんは以前にも町中のニンニクを買い占めたことがあったんです。だから今回もそうなんじゃないかって」
「ああ、なるほど」
ライルが説明を終え、ソルは感心してうんうんと頷いている。グレネがライルに聞いてきた。
「そのコロッケの話と、今私たちがこの車に乗せてもらっているのと、どう関係しているんですか?」
「ジーガ達は自警団のメンバーなんだ」
「そう。そのアベさんのご近所から、かなりの数の苦情が来ててね。俺たちはその処理に向かっているところなんだ」
ライルがジーガ達を紹介をして、ソルが説明を加えた。
「苦情って?」
「アベさんのところから、すごい悪臭がするから何とかしてくれって」
ソルが鼻をつまみながら、アヒルみたいな変な声で言うのでグレネは吹き出してしまった。
「ねえ、私達があんたを拾ったのはのは偶然なの?」
助手席の女が荷台を振り返って声を張り上げた。
彼女の名前はアッカ。歳は十九。
肩にかかる明るい茶色の髪、黒のタンクトップ、そこから伸びてる腕は程よく日に焼けていている。健康的な少女であり、そしてジーガの彼女である。
アッカはライルをジトっとした目で見て、眼力で彼を追求している。
「ぐ、偶然に決ってるじゃないですかー……」
ライルはゆっくりアッカから目をそらす。アッカの目は追及を緩めていない。
「なんのことですか?」
「なんでもない。うん、なんでもないですよー」
グレネの疑問に、ライルの反応は明らかに挙動不審だった。それを見てグレネの目もだんだんジトっとしてくる。
「こいつはねー、勝手に街をいじっちゃうのよ」
「街をいじる?」
「人の流れや物の流れ、街の話題まで好き勝手にするよの、こいつは」
「本当ですか!?」
アッカの説明にグレネが無意識に声が大きくなっていた。
「わたしも信じられないけどね。星の動きを読んだりおまじないとか言ってやっちゃうのよ」
アッカはグレネに説明しながら、目線はまだライルへの追求を緩めていない。
「そういえばさっきライルさんがおまじないと言って、路地に何かペタリと貼っていましたが……」
「グ、グレネ?!」
「へー、やったんだー」
ライルが狼狽える。アッカのプレッシャーが強くなり、ライルの体はだれも触れられていないのに、荷台の隅に追いやられていく。
「ライルさんって、魔法が使えるんですか?」
グレネはなぜか深刻そうな顔で聞いてくる。
「ち、ちがう!そんなんじゃない!」
「じゃー、なんだってーのよー?」
アッカが追い討ちをかける。
「あ、あれは、ちょっと馬が驚くような事を……」
ライルの弁解の、最後は聞き取れなないほど小さな声だった。
「俺たちが出るとき、露店街の近くで馬が立ち往生しているって連絡がきてたけど?」
ソルがライルに聞いた。
「多分それです……」
ライルは荷台の隅で、もう子犬のように小さくなっている。
「ふーん。露店街のほうを馬の騒ぎでふさいで、私たちをこっちのルートに誘導したってわけねー」
静かな言い方だがプレッシャーは最大。ライルは荷台の隅で身動きすらできない。
「いちおー聞くけど、何でそんなことしたのかなー?」
アッカがライルに最後の弁解の余地を与える。
「……ちょっと、楽したくて……」
「ああん!?」
「車に乗って楽したかったんです……」
「おまえなー!」
「あっはっはっはっ!」
ジーガが大笑いした。
「ライル。お前、そんなことで街をいじったのかよ?」
「そんな大層な事じゃないだろ……」
「バーカ。俺たちが使えるルートは、他にもいくらでもあるんだぞ」
「だから、偶然だって言ってるじゃないか」
「じゃあなんで、おまじないなんて貼ってたんだよ?」
「それは……」
「ったく。どうやったら紙一枚で街にいる人間を好きに誘導できるんだか」
そう言ってジーガはまた大笑いした。ひとしきり笑ったあと、顔から笑みを引いて言った。
「ま、俺らをタクシー代わりにするぐらいならいいけどな。人の運命をいじるようなことはごめんだぞ」
「そうよ、ドMなんだからおとなしくしてなさいよ」
「俺はドMじゃねー」
ライルは遠くを見ながら答えた。
「もう、爺さんに笑われるのはイヤだからな」
アッカはまだ額に青筋を立てている。ソルはニコニコしている。そしてグレネは思い詰めた顔で二人のやり取りを聞いていた。
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