15




絢也じゅんや七菜ななが出て行った後、同じ空をベランダの窓越しに見上げ、あおいは電話を切り、ふぅと息を吐いた。


絢也を待つべきか、それともいっそ寝てしまおうか。


布団に入ったって、寝られないかもしれないけど。そう思った所で、リビングの床に絢也の鞄が放られているのに気づいた。


「……鍵持って行ってないよな」


手ぶらで追い出したから、もし絢也が帰ってきたら、鍵を締めていては入れない。


「…帰ってくるよな」


玄関の鍵は掛けないまま、葵はソファーに腰掛け呟く。

今日は色んな事があった。そして、この家にやってきてから、毎日感情が慌ただしく動き回り、休まる暇がない。葵はそんな自分に苦笑った。


好きの感情は辛いな。このままここに居ては、絢也に必ず迷惑がかかると分かっているのに。

好きにならなければ、こんなに悩まなかっただろうか。

もう今更だが、出ていくのも、留まるのも辛い。葵はソファーの上で膝を抱えると、一人静かにその膝へ顔を埋めた。






「葵さん?」


呼ばれて、いつの間にか閉じていた瞼を開けると、目の前に絢也が居た。ソファーに座る葵の前に、膝をついてこちらを見上げている。


帰ってきたのか。それが嬉しくて、気づけば葵は絢也の首に腕を回し、その体に抱きついていた。

絢也は予想もしない行動だったのか、驚いた様子でびくりと体を震わせていたが、それも束の間、絢也の手はすぐにその背を撫で、葵の体を抱き締めた。


温かい。葵は絢也に抱きついた腕に、きゅっと力を込めた。


「どうしたんですか、珍しい…っていうか、初めてじゃないですか?葵さんからくっついてくるの」

「うん、」

「…あ、もしかして眠い?」

「…ちょっとな」

「運びましょうか?」

「はは、大丈夫だよ」


そう言って、葵は体を離そうとしたのだが、絢也がそれを遮るように葵の体を抱き上げてしまう。突然浮いた体に驚き、葵の目はすっかり冴えてしまったようだ。


「お、おい!こら!」

「しー、近所迷惑ですよ」


窘めながらも楽しそうに笑って、絢也は葵を横抱きにしたまま、自室に入ろうとする。葵は目を見開き、大慌てで反対側にある部屋を指差した。


「こっちは絢也君の部屋でしょ!俺はあっち!」

「良いじゃないですか、たまには。今日は何もしませんから」

「な、」


今日は、という事は、何かする気があるというのだろうか。

思わず固まった葵に、その隙をついて絢也は器用にドアノブを押して、ドアを開けた。

そうして葵をベッドに寝せてしまう。戸惑って体を起こそうとすれば肩を押され、葵は簡単にベッドに沈められてしまった。見上げれば絢也の顔が間近にあって、葵はたまらず、きつく目を閉じた。


「何もしませんてば、それともしてほしい?」


クスクスと笑う声に恐る恐る目を開けると、絢也はベッドには上がろうとせず、床に座り込んで葵の顔を見つめていた。その優しい眼差しに全ての答えが出ている気がして、葵は泣きたくなった。


「葵さん、俺、葵さんのこと好きですよ。一人の男として、という意味で」


それは一番聞きたくて、一番聞きたくない言葉だった。


「俺、色々騒がれてるけど、葵さんが好きです。答えはすぐに出さなくて良いですから。ちゃんと言っておきたかったんです。俺のせいで迷惑かけちゃったし」


違う、きっとこの先、君は俺に失望するよ。

俺は怖いんだ、俺を取り巻くものがとても。君をきっと傷つけてしまうから。


言いたい言葉は声には出せず、苦しさが涙となって零れ落ちる。絢也はそれには何も言わず、ただ葵を抱きしめ、優しく頭を撫でてくれた。


俺はずるい、言い出す勇気もなく、君に甘えている。

君を傷つけるのは、間違いなく、今の俺だ。


葵は胸の内で呟き、ただ今は、愛しいその手の温もりに甘える事しか出来なかった。




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