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あおいさん!あの車、何ですか!」


絢也じゅんやは帰ってくるなり慌ただしく声を荒げながら、リビングに飛び込んだ。

絢也としては、葵が何か誤魔化そうとする事があっても、必ず聞き出す、そう強く決心していた。

葵は初めから、絢也の家に長く留まるつもりはないと言っていた、更に週刊誌に載るような事が起こり、これでは、いつ葵が出て行ってもおかしくないと思っていたからだ。


だから、絢也は焦っている。いくら出ていかないと言っていても、急に気持ちは変わるかもしれない。


だが、リビングに飛び込んだ瞬間、目の前の光景に絢也は絶句した。


「お、お帰り…早かったな」


疲れた顔を見せ床に正座している葵の前に、何故か、浅見七菜あさみなながソファーに足を組み座っていた。テレビでは決して見せない、不機嫌を存分に示した女王様のような態度だが、絢也にとってその姿は、いつも通りの彼女の姿だった。


「何やってるんですか、浅見さん!」


絢也はその態度よりも、何故七菜が自分の家にいるのかという疑問よりも、葵に正座をさせている事が許せなかった。絢也は咄嗟に葵の手を引くと、結依ゆいにそうしたように、葵を自分の背に庇った。絢也の中では、何かあったら自分が葵を守らなくてはと常に頭にあるのだろう、そのあからさまな態度に葵はきゅっと胸を苦しめつつも戸惑い、七菜は苛立ちを隠しもせず、その可愛らしい顔に浮かべている。


七菜の年齢は、葵達よりも下だ。絢也が七菜に敬語を使うのは、キャリアの差か、それとも絢也のポリシーか。

明るい栗色の長い髪は緩くパーマがかかり、大きな愛らしい瞳に、ぽってりとした唇、華奢で小柄な彼女は、今人気急上昇中のアイドルで、絢也の熱愛報道の相手だ。


「何その態度!私が月島さんに何かすると思ってるの!?別に何かしたりしませんよ!」


七菜が頭にくるのも分からないでもない、葵は七菜を宥めようと絢也の背後から顔を出したが、葵が声を掛けるより早く絢也が振り返り、葵に詰め寄った。


「何で家に上げてるんですか!」

「だ、だって、インターホン凄い連打してくるし、しまいにはドアを叩きだして、さすがに近所迷惑になるだろ…」

「ちょっと!余計なこと言わないでよ!」


顔を赤くして訴える七菜に、絢也は再び葵を隠すように立つ。


「だから、何もしないってば!そんなに大事なの?その人が!」

「当たり前です!」

「お、おい、」

「なんで?私がいくら食事に誘っても来てくれないのは、この人がここで待ってるから?みんなだって、付き合い悪くなったって言ってるよ?」

「全部断ってるわけじゃないですよ。浅見さんとはニュースになったじゃないですか、だから、疑われるような行動はやめようって言ってるんです」

「私は良いよ!ニュースになったって。絢也となら、本当になったって良いよ!」


え、と、思わず葵は七菜に視線をやる。

彼女は真剣な顔をしていた。だが、まっすぐと揺らがない瞳の中に少しの不安が見え隠れしていて、それが逆に、彼女の気持ちを隠さず見せている気がした。

本気なのだと思わされた。そう感じ取った瞬間、葵は敵わないなと思った。

彼女はテレビで見るより可愛いし、ちょっと怖いけど、彼女に望まれて嫌な思いをする男は居ないだろう。

それは、絢也だって同じじゃないだろうか。

そう思ったらもう、堪らなかった。


「…俺、今日はどっかよそで泊まるよ」

「え?何言ってるんですか、葵さん」


すかさず腕を掴む絢也に、葵は困って笑うしかない。

心の内に込み上げてくるものを遮るように、葵は言葉を繋ぐ。


「だってほら、せっかく来てくれたわけだし、こんな時間じゃ帰すのも危ないだろ?二人でちゃんと話しなよ」

「話なら二人きりじゃなくても出来ます。葵さんこそ、こんな時間にどこ行くんですか?どこに泊まるっていうんですか!」

「俺はどこでも平気だよ」

「平気じゃありませんよ!あの人のところへ行くんですか?あの車の人、一体誰なんですか!」

「お、おい、」


両腕を掴み問い詰めてくる絢也に、葵は戸惑う。気に掛けてくれるのは嬉しいが、話が完全に逸れている。葵は絢也を見上げ、今は違うだろと、七菜に視線を向けさせようと合図を送る。七菜の気持ちを気遣えという意味だったが、絢也には伝わらない。


「もういい!!」


怒鳴り声に、二人ははっとして七菜を振り返る。


「こんな思いしてまで、ここに居たくない!帰る!」


玄関へ向かう七菜に、葵が焦って声を掛ける。


「え、待って下さい、一人じゃ、」

「平気!迎え呼ぶから!」


七菜はそう言うと葵を振り返り、キッと睨む。


「でも勘違いしないで!私、絢也を諦めたわけじゃないから!あなたには負けないから!!」


そう啖呵を切って部屋を出ていく七菜、葵ははっとして、慌てて絢也の体を玄関へと押しやった。


「何してんの、追いかけなきゃ!」

「え?なんでですか、」

「女の子を、それもあんな可愛い子を一人で行かせちゃマズイだろ!何かあったら大変だ!迎え呼ぶなら、迎えが来るまで側に居てやれ!」

「俺、本当に浅見さんに興味は、」

「好き嫌いの問題じゃないよ、男の務めだ!」


ほらほら、と背中を押していくと、絢也は渋々といった様子で七菜の後を追いかけた。


葵はその姿を見届け、ほっとした様子でリビングに戻ると、七菜の使ったカップを流しに下げ、蛇口を捻り、泡立てたスポンジでカップを洗う。

水を流す音だけが響く室内は、まるで嵐が去った後のようで、その静けさが、葵を再び暗い海の底へと引きずり込んでいくようだった。


可愛くて、一生懸命恋してる子だったな。

葵は七菜を思い出し、真正面から切られた啖呵に、逆に清々しいなと微笑んだ。


絢也と七菜、絵になる二人だ。きっとあの二人なら、互いのファンもお似合いだと認めてくれるんじゃないだろうか。


それに、七菜は絢也がまっすぐ家に帰るので、付き合いが悪くなったと言っていた。

もしそのせいで、周りに自分との仲を疑われたりしたら。そんな事、早々無いかもしれないが、絢也の地位を落としているのは分かる。


それに、リスクの多い自分より、七菜の方が絢也を幸せに出来るだろう、自分はただ家事が出来るだけ、絢也には何もしてあげられない、何も残す事が出来ないのだから。


そう分かっているのに、いちいち葵を庇い、一番に考えてくれているような絢也の振る舞いに、葵は胸を締め付ける。

ぽろりと涙が零れ落ちて、いつの間にか本当に好きになっていたんだなと、葵は一人涙を拭った。





絢也と七菜はマンションを出て、表通りの方へと歩いていた。


「あの人のどこが良いの?男の人でしょ」

「キレイな人でしょ、あの人」


それは見た目の事か、中身の事か。七菜は唇を尖らせる。


「“男の人”、でしょ?」

「男も女も関係ないですよ」

「ふーん、へー、そー」

「なんだよ、バラしたって俺は構いませんよ」

「絢也は構わなくても、あの人は?」

「俺が守りますから」

「本っ当に!どこが良いのよ、あの男の!」


七菜がいくら怒っても意に介さず、絢也はそっと目を細めて夜空を見上げる。住宅街から見える夜空は狭く、月も見えない。


「手の届かない人だったんだ」

「手?」

「そう、俺を変えてくれた人だから」


月は見えないけど、無いわけではない。隠れて見えないだけで、そこにある。

探して探して、やっと、あの人を見つけた。自分の世界を変えてしまった、あの人を。


懐かしむようなその横顔は、愛しさと眩しさに溢れ、七菜は見てられず、ふいと顔を背けた。


「…バラしたりしないから、安心して。私、卑怯な真似はしないから」


精一杯の強がりだ。そうでも言っておかないと、強くあれないのかもしれない。

絢也は七菜の思いに気づいているのかいないのか、へぇ、と呟いた。


「いい人ですね」

「本っ当、ムカつくな!」


七菜は怒って蹴る真似をする。絢也の笑い声が夜空に響いた。




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