2.

 那智は暗闇でもがいた。しかし、鎖は頑丈だ。ちぎれない。両手を後ろで拘束されていては、枷を外すこともできない。

 足の鎖がかなり長く取られているため、暴れているうちに、シーツと足の鎖が身体にからみつき、自縄自縛の状態になった。


「くぬーっ!」


 しばらくして、巳影が猫柄の風呂敷包みを持って、部屋へ戻ってきた。器用に自分で自分を簀巻きにしている姿に、アワレミの視線を投げかける。


「暴れなきゃ、そんなことにならないのに」


 巳影は助けなかった。助けたところで、また同じ状態になることが予想できる。

 猫柄の風呂敷をほどく。隣室からローテーブルを運んできて、入り口付近に置き、棚を運んできて、写真立てや日記やペンを配置する。畳の代わりにラグを敷いたり、座布団の代わりにクッションをおいたり、なるべく那智が居た蔵と似たような環境を作った。


「那智、こんなもんでいいか?」

「いいわけないだろ! どう見たってよくないだろ! 肝心要の那智が大変なことになってるじゃないか!」


 元気に跳ねる那智を放置して、巳影はまた部屋を出ていった。

 一時間ほどしてから、今度は、オムライスの載ったトレイを持ってやってくる。


「那智、夕食だよ」


 那智は無言だった。暴れ疲れて、陸に横たわるアザラシになっていた。


「おまえの好きなオムライス。デミグラスソース掛け」


 那智は背をむけたまま黙っている。沈黙という抗議行動だ。


「那智。逃げたいか? 逃げたいなら、食事はとった方がいいぞ。いざ逃げたいときに、体力なかったら困るだろ?」


 ようやく、那智は身動きした。トレイの上で湯気を立てている魅惑的な料理を、物欲しそうにする。


「両手を自由にしてくれ。食べられない」

「暴れない?」

「いや、暴れる」


 那智は正直者だ。オムライスは巳影に食べさせられることになった。


「どうよ? 弥生さんのレシピだけど」

「……」

「わかった。感想はいわなくてもいいけど。口は開けな」


 那智はヒナ鳥よろしくかぱっと口を開けた。自らスプーンに口を寄せに行っているので、感想をいっているようなものだ。


「さて。食べ終わったし。暴れないって約束するなら、手錠外して風呂入れるけど」

「いや、大暴れする」


 那智はどこまでも正直者だ。バカ正直だ。お風呂の代わりに、体を拭かれることになる。


「まあ、結局、寝間着を着せるから、どのみち一度は手錠を外さないといけないけど」

「え。なんで着せるんだ。脱げっていったじゃないか」

「やっぱおまえ、全然、堪えてないな」


 感覚過敏症の那智は、許されるなら裸族でいたい派だ。


「いつも服を着ろ着ろうるさい巳影が、脱げっていうから。びっくりした」

「この部屋も、おまえにとっちゃ快適だろ」

「そうだな。全然、よけいな音が入ってこない」


 暴れても叫んでもムダということは、逆に、周りから騒音も入ってこないということだ。普通であれば恐怖を感じるような暗闇は、那智にとっては快適空間だった。


「そうだ。服を着せる前に、写真撮っておかないとな。人質になっているおまえの姿を、おじさんたちに見せないと」


 スマートフォンのカメラレンズをむけられると、那智は両手でピースサインを作った。


「アホ。そんな楽しく写っていたら、全然、おじさんたち心配しないだろ。おまえ、誘拐されてんだぞ」

「人生初の写真だったから、つい」


 キタリド様は写真撮影も禁止だ。


「記念すべき一枚目くらいは、楽しい写真にしておくか。かわいそうだし。はーい、笑って笑って」

「よるのほーむらんおうとはおれのことだぜー!」

「意味わかってないだろ」


 那智をキタリド様にした先代当主、金字は、写真立ての中で、草野球のユニフォームを着て、バッドをかついでいた。


「じゃあ、本番。今度は不安そうにな」

「不安そうにか」


 那智は神妙にしたが、巳影はビミョーな顔つきになった。


「おまえはなんかこう、表情に緊迫感がないんだよ。頼むから、もっと怖がってくれ」

「怖がれっていわれても」


 相手が顔見知りでは、緊張感も減ろうというものだ。


「那智。明日の朝食は、パセリとピーマンとセロリのスムージーだぞ」

「なんだその緑の悪魔をそろえた飲み物は! 卒倒させる気か!」

「明日はこれを着て一日過ごしてもらう。銀姉がお前に着せたがっていたメイド服」

「いやだっ。そんな窮屈そうで、縫い目がちくちくしそうで、ざらざらしそうな服!」

「あとな。残念なお知らせ。おまえのお気に入りのテレビ番組“リアル・母を訪ねて三千里”は、こっちの方じゃ放映されていないんだ」

「なんてところに連れてきたんだああああ!」

「よーし、那智。いいぞ。その絶望っぷり。いい画が撮れそうだ!」


 記念すべき那智の二枚目の写真は、一枚目と比べたら天国と地獄であった。


「よかった。これでおじさんたちに、胸を張って、おまえを誘拐しているって宣言できる」

「ひどい……ひどすぎる……おまえは巳影の皮をかぶった悪魔だ」


 撮影が終わると、巳影は那智に寝間着を着せ、歯を磨かせ、髪をとかし、乱れたベッドを調えた。さすがに寝にくいので、手枷は背中側でなく腹側に変更される。


「寝ていいぞ」


 最後に愛用の枕がセットされると、那智はいそいそとベッドに入った。


「お手洗いは、この部屋の向かいな。足の鎖、お手洗いにいけるくらいに長くしてあるから、好きな時に行っていいぞ。

 飲み物をサイドテーブルに置いておくからな。エアコンと、電灯のリモコンも。

 さすがにスマートフォンやタブレットは貸せないから、暇つぶしに棚に本を入れておくからな。何かあったら、声出して呼べよ」

「わかった」


 再び部屋に一人になってから、那智は、あれ、と気づいた。


「……なんか、あまりいつもとわからない気がするぞ?」


 鎖がなければ、ほぼほぼいつもと同じ待遇だった。


******


 翌朝になると、那智は早々に根を上げた。暴れないと約束し、手錠を外してもらった。腹側に変わったとはいえ、拘束されている状態は気になって、熟睡できなかったのだ。


「着替えさせにくいから、俺も手錠はない方が助かるよ」


 巳影はいつも通りに、那智の前に長襦袢や着物をそろえた。佐倉家にいたころに使っていたものだ。那智が気に入っている衣類は、昨日より前に、予めこちらへ送られていた。


「暴れないなら、足も外すけど」

「暴れないぞ」


 今日の那智は、昨日よりちょっぴり賢くなっていた。足枷が外れると、巳影の注意がそれている隙に、脱走を図った。部屋を飛び出し、玄関に走る。


「――んっ? んんっ!?」


 那智はサムターンを回して、ドアノブを押したが、玄関扉は開かなかった。何度も押したり引いたりするが、開かない。ドアの上部に、補助錠がついていた。

 ジャンプするが、那智には届かない。そもそも内側に鍵穴があるので、鍵がないことには開けられない。徘徊防止など、内から外に勝手に出られないようにするための錠だ。


「那智ー? 暴れないっていったよな?」

「暴れてないぞ。逃げようとしただけだ」


 同罪、と巳影は足枷をはめた。部屋に那智を連れもどす。


「今日は普段通り着物にしておこうと思ったけど、やっぱりメイド服の刑だな」

 那智は暴れたが、幼少時、服を嫌がる那智を相手にしてきた巳影だ。着せてしまう。

「さすが。顔がいいだけあって、何着せても似合うな」


 仕上げに、巳影は猫耳カチューシャを装着した。


「にゃーって鳴いてみ?」

「わん!」


 せめてもの抵抗であった。

 朝食は部屋でなく、ダイニングに用意された。テーブルの上には、数種類のパンとチーズ、ハム、サラダボウル、スープ、カットフルーツが並んでいる。

 緑色の最恐スムージーを覚悟していた那智は、ほっとした。


「いつもと変わらないな」

「そりゃ人質様には健康でいてもらわないと。目玉焼き作るから、ちょっと待ってな」


 巳影はダイニングの椅子の背に、足枷をつないだ。

 キッチンカウンターでブーブーと何かが鳴る。スマートフォンだ。


「巳影――」


 うるさい、といいかけて、那智は口を押えた。そっとスマートフォンを盗み取る。

 画面には『今どこ!!! 連絡よこせ!!!』と銀子からのメッセージが表示されていた。画面に触れると、パスコードの壁に阻まれた。

 卵をフライパンに割りながら、巳影がふりむきもせずにいった。


「パスコードは俺の生まれ年じゃないから」

「おまえ、後ろにも目がついているのか!?」


 おいしそうに黄身の盛り上がったサニーサイドアップをテーブルに置くと、巳影はスマートフォンを取り上げた。かわいそうなものを見るようにする。


「那智。朝食はやっぱり、パセリとピーマンとセロリのスムージーの刑だな」

「いやだあああああ!」


 テーブルの朝食は一口も食べられないまま、那智は鎖で椅子に巻きつけられた。


「――だれか来た」


 インターフォンの音で、巳影はモニターをのぞいた。百合の姿が映っていた。


「すみません、急に。引っ越したばかりで、お買い物に不便していないかと心配で。

 これ、近所にあるパン屋の。朝早くから営業していてね、焼き立てで……」


 招き入れられた百合は、ダイニングテーブルの品数豊富な朝食に気づいた。


「余計なお世話でしたね」

「いただきます。おいしそうですね」


 巳影は紙袋を受け取った。袋の口を開けて、那智の鼻先に近づける。


「ほーら、那智。うまそうなにおいがしてるぞ」

「クロワッサンだな。発酵バターにフランス産小麦粉のにおい。いい焼け具合だ。うまいに決まっている。それは食べさせてくれるのか?」

「まさか」


 巳影は紙袋に手を突っ込み、クロワッサンをむしゃりと頬張った。サクサクぱりぱり、いかにもおいしそうな咀嚼音が響く。


「うま。ほんとうまいわ」

「この悪魔めえええええ! 那智にも食べさせろおおお! 家内安全! 悪霊退散! 月月火水木金金!」

「はっ。おまえは草の搾り汁でも飲んでな」


 巳影はスムージーを那智の口に突っこんだ。


「口の中に青臭さが、青臭さがいっぱいにっ」

「ほとんどバナナと牛乳だから飲めるだろ。風味程度にしか入れてないよ」

「その程度の優しさがなんだ、この悪魔。本物の巳影なら、那智に朝からお酒を飲ませてくれるはずだ。いくらでも飲んでいいよって。笑顔でいってくれるんだもん」

「もう少し現実を見ろ」


 スムージーが空になると、巳影は客人にリビングのソファを勧めた。


「お茶、淹れますね。どうぞ」

「え……ええ。ありがとう」


 百合は那智の足に枷があることに、ぎくりとしていた。


「庵治から、何か聞かされているんですか?」

「いいえ、なにも。でも、だいたい予想はつきますから。私はそれを止めたりするわけでもないし。私はただ、庵治が片手間にはじめたお店を切り盛りしているだけ」


 百合はもう一つ、巳影に紙袋を渡した。中には、百合の店で扱っているという、サプリメントや水が入っている。


「効果は嘘でもないですけど、本当でもないです」

「害がなければいいです」


 巳影はさっそく、もらった水で湯を沸かした。


「庵治とは、長いんですか?」

「かれこれ三十年くらいの付き合いかしら」


 驚く巳影に、百合は苦笑した。早朝で化粧けのない顔は、しわが目立つ。


「庵治があなたのお母さんと出会う前からの仲なんです。庵治が二十歳の時からの付き合い。詳しい年はナイショですけど、私は庵治より上。

 庵治の車が、私の車にぶつかってね。保険もなく免許もなく運転していた庵治に、呆れて怒ったんですけど、戸籍がなくてそうせざるを得なかった事情を聴いているうちに、彼に同情して、どんどんのめりこんでいってしまって。

 気づいたら、彼の生活の一切を面倒見るようになっていました。

 途中で縁を切ったこともありましたけど、だめですね。あの人に好きだって、私だけが頼りだっていわれると、許してしまうんです」

「心なんてこもっていませんよ。あいつは心をどこかに置き忘れて生まれてきた人間だ」


 出された紅茶を、百合は手に取った。香りを味わって、一瞬目を閉じる。


「でもあの人の嘘は、私に魔法をかけました。背が高いのがコンプレックスでしたけど、俺と並べばちょうどいい、君は美しい、魅力的だ、笑顔に愛嬌があるって。

 そう言い続けられているうちに、私は生まれ変わった」


 昔は太っていたという百合は、今は均整の取れた体つきだ。ウォーキングが日課なのだろう、今朝はスポーティーな服装だった。


「いつか結婚しようっていわれてもらったのが、この指輪」


 百合は右手の薬指にある、古臭いデザインの指輪を触った。石が安っぽく光る。


「でも、ずっと結婚指輪には変わらないまま。親の遺産も、残してくれた土地も売って、あの人にお金を用立てているうちに、これもとうとう偽物に変わってしまった。

 まあ、構わないんですよ。嘘でも本当でも。人は信じたものが真実になる」

「本当に、そう思っています? なぜ父親と別れないのか聞いたら、母がいっていました。今さら別れるには、失ったものが大きすぎるんだって」


 百合は厚い唇をかるく噛んだ。一緒に出されたクロワッサンを一息に食べ、飲みこむ。


「私は一生、庵治と一緒にいる。添い遂げてみせます。先に死んだりしないで。……そうじゃなきゃ、みじめでしょう?」


 カップを飲み干し、百合は席を立った。


「ごちそうさま。紅茶、おいしかったです。茶葉から淹れるなんて、凝っているんですね」

「向こうのこだわりです」


 巳影は鎖でがんじがらめにされている那智を示した。


「変わった関係なんですね。どっちに主導権があるのか、わからない」

「佐倉金吾に会いに行くんですよね? いい人ですよ。演技なんかじゃなくていい。泣きたかったら、本気で泣いて。真剣に相談してみてください。この世には、ちゃんと心のある人がいるんですから」

「庵治に似た顔でそんな心配をされると、変な感じですね」


 百合は笑って、巳影を上目遣いにした。


「ねえ、巳影さん。ひょっとして、私に庵治を裏切らせようとしています?」

「ただの親切心ですよ」

「私、ウソには敏感なんですよ?」


 客人を玄関口まで見送って、巳影はダイニングにもどった。

 ガッタガッタとイスを揺らしていた那智が、バランスをくずして転倒していた。


「……起こして欲しい、にゃん」


「服従を覚えてくれたのはいいけど、こういう場合は、媚びなくてもちゃんと助けるよ」


 巳影は鎖を解いた。眉をひそめる。鎖の食い込んだ箇所が、赤黒くうっ血していた。


「痕にならなきゃいいけど。痛むか?」

「べつに」


 本人は平気そうだったが、巳影は湿布を貼った。ついでに足枷の下に入念に布を巻く。


「……なんか巳影、誘拐犯にむいてないな」

「おまえも人質にむいてないだろうが」


 どっちもどっちだった。

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